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今回は、2021年3月より外房線・内房線の末端区間(外房線:上総一ノ宮~安房鴨川、内房線:木更津~安房鴨川)と鹿島線(成田線成田・佐原~鹿島神宮)で活躍中のE131系を取り上げます。E131系は、先述した外房線・内房線・鹿島線のうち特に利用者が少ない日中時間帯を中心に、2両編成でワンマン運転を行うために導入された車両です。先に新潟地区に導入されているE129系をベースにワンマン運転に必要な機器を搭載し、E235系に準じた片側4ドアの車体、セミクロスシートとロングシートを組み合わせた車内など、房総地区の輸送事情に合わせた改良が施されています。E131系は、房総地区で約50年ぶりとなる新製配置された電車となりました。それまでは横須賀・総武快速線、東海道線の113系や京浜東北線の209系が転用されることが多く、房総地区の電化路線に車両が新製配置されるのは、内房線が千倉まで電化開業した際に導入された1969年の113系1000番台以来のことです。運行開始前の2020年12月に安房鴨川駅で撮影した、訓練中のE131系R06編成です。E131系は運行開始前の2020年夏ごろから試運転や乗務員訓練などが頻繁に実施されており、内房線や外房線などで度々見ることができました。帯色は209系とは異なり、房総の海をイメージした水色と菜の花をイメージした黄色で、前面は水玉模様という特徴的なデザインです。E131系の側面には半自動ドア用の押しボタンが設置されています。また、乗務員扉上部には乗降確認用のカメラが設置されています。君津駅で撮影したR09編成です。内房線・外房線では2021年3月のダイヤ改正で日中の時間帯を中心に直通運転が始まり、君津駅で「上総一ノ宮行き」が見られるようになりました。反対に、上総一ノ宮駅では「木更津行き」が見られるようになりました。E131系を使用している列車は、基本的に2両ワンマン運転となっています。木更津駅で撮影したR10編成です。前面・側面の表示器はフルカラーLED式で、「ワンマン」と行先・方面を表示します。姉ヶ崎駅で撮影したR12編成です。この編成には線路設備モニタリング装置を搭載しており、番台が80番台に区分されています。側面の行先表示器にも「ワンマン」の表示がされています。車内です。車内の構造は横須賀・総武快速線用のE235系1000番台に準じており、座席脇に大型の仕切りが設置されています。ロングシート部分は手前(乗務員室)側、セミクロスシート部分は奥側にあります。車内の車番ステッカーです。E131系は全車両が総合車両製作所新津事業所で製造されています。同社の軽量ステンレス車両のシリーズ「Sustina」のステッカーも、E235系などと同じように張り付けられています。
2021.06.19
久留里線で2012年から活躍している、キハE130系を取り上げます。それまでは国鉄時代に製造されたキハ30・37・38が運行されていましたが老朽化が進んだこと、加えてワンマン運転を実施することとなったために新型車両として導入されました。久留里線は直接的に新車が導入された事例が少なく、おそらく1983年(昭和58年)のキハ37の新製配置以来の新車導入だったと思われます。久留里線に導入されたキハE130形は100番台となりました。先に水郡線に導入されていた0番台をベースに、通勤輸送に対応したオールロングシート仕様となりました。また、トイレは未設置で、屋根には衛星携帯電話用アンテナの設置などが行われています。写真は小櫃駅で撮影したトップナンバーのキハE130-101です。カラーリングはキハ37や38に施されていたカラーを継承する、緑・黄色・水色の3色となっています。久留里駅で撮影したキハE130-105です。ワンマン運転の開始から、単行(1両)で運行される列車が増加しています。大勢の観光客を乗せて久留里駅に到着したキハE130-106です。久留里線用のキハE130形100番台は10両が導入されました。久留里駅で撮影したキハE130-107です。車内はロングシートで、暖色系のモケットを採用しています。座席の間にはE233系と同様の手すりがあります。優先席のまわりは吊革や手すりを黄色くして目立たせるなど、バリアフリーにも配慮した設計となっています。車内の製造銘板と車番ステッカーです。100番台は全車が新潟トランシスで製造されました。
2021.06.11
「その2」では、1985年から導入が始まった203系100番台を掲載します。100番台は当時増備が進んでいた205系と同様のボルスタレス台車を採用してコストを抑えた仕様です。この導入によって103系1000番台は完全に置き換えられ、105系へ改造されたり常磐快速線や成田線我孫子支線に転用されたりしました。100番台は全編成を撮影したことがあるのですが、マト62編成のみは写真が見つかりませんでした。綾瀬駅で撮影したマト61編成です。100番台の記念すべきトップナンバー編成です。綾瀬駅で撮影したマト63・64・65編成です。新松戸駅で撮影したマト66編成です。綾瀬駅で撮影したマト67・68・69編成です。マト69編成は203系の中で最後に製造されたラストナンバー編成です。マト63編成の中間車の車番プレートです。203系のプレートはオリジナルのものがよく残っていました。もっと撮影していればよかったです。
2018.08.02
常磐緩行線・東京メトロ千代田線で活躍してきた203系を掲載します。203系は、それまで活躍していた103系1000番台の置き換えを目的に導入された車両で、国鉄では301系に次ぐアルミ車体を採用していたことが大きな特徴です。当時の103系は非冷房だったため、乗客からも苦情が出ていたほか、消費電力も大きかったため営団(現・東京メトロ)から6000系同様のチョッパ制御車を導入するよう促されていたこともあり、冷房付きで、同時期に製造が行われていた201系と同様のチョッパ制御システムを持つ地下鉄乗り入れ用の車両として開発がすすめられ、1982年~1986年まで製造が続きました。203系は常磐緩行線の主力車両として長年活躍していましたが、老朽化が進んできたこともあり、2010年からE233系2000番台による置き換えが始まり、2011年9月に引退しました。現在は一部の編成がインドネシア及びフィリピンに譲渡されています。203系トップナンバー編成のマト51編成です。この編成は、1982年に川崎重工業で製造された量産先行車で、乗務員訓練などを数か月間行い、同年に完成した常磐線の複々線化を記念する列車に使用されました。203系トップナンバー編成は、車外の車番表記がアルミ製のプレートを貼りつけたタイプとなっています。また、文字色が青緑色です。綾瀬駅で撮影したマト52編成です。1984年から製造された量産型の最初の編成です。1984年からは103系1000番台の本格的な置き換えが実施され、常磐緩行線の車両の冷房化率アップに貢献しました。置き換えられた103系は常磐線・成田線我孫子支線などの地上線に転用されたほか、一部は105系に改造され、和歌山・奈良・広島地区で現在でも活躍しています。(当ブログでも和歌山地区の105系を掲載しています。)同じマト52編成を新松戸駅で撮影しました。新松戸駅で撮影したマト54編成です。綾瀬駅で撮影したマト56編成です。綾瀬駅で撮影したマト57編成です。2009年~2010年ごろの千代田線の主力は、JRが203系、東京メトロが6000系で、まだまだ古い車両が多かったです。203系の車内です。基本的に201系と似ていますが、戸袋窓がないこと、ドアがアルミ製であることなどが201系と異なります。このドアは軽いためか、地下鉄内でバタバタと音を立てていたのが印象的でした。マト57編成の車内の車番プレートです。
2018.06.19
「その1」の続きです。蘇我駅で撮影したケヨK3+53編成です。スカイブルーの車体色とブラックフェイスがスタイリッシュで格好いいです。南船橋駅で撮影したケヨK4+54編成です。海浜幕張駅で撮影したケヨK4+54編成です。海浜幕張周辺の近代的な街並みとマッチしています。ケヨK3+53編成のクハ201-111の車番プレートと車番表記です。「111」というぞろ目の車番が良いですね。ケヨK3+53編成の車内です。
2018.06.12
京葉線で2011年まで活躍していた201系を掲載します。京葉線の201系は、それまで活躍していた103系に代わって中央・総武緩行線から転属してきた車両で、スカイブルーのカラーリングが印象的でした。中央快速線から201系が撤退した後も活躍をつづけ、JR東日本では最後まで残った201系でもあります。京葉線用の201系は10両編成が4本あり、6両編成と4両編成に分割することができるようになっていました。これは、朝晩に外房線と東金線から京葉線に直通する「通勤快速」が存在するためで、外房線誉田駅では分割、併結が行われていました。(E233系5000番台に置き換えられた現在でも、E233系に分割対応編成が存在し、直通運用が行われています)また、外房線・東金線では深夜に201系による線内のみの運用も行われていたことが特筆されます。写真は蘇我駅で撮影したケヨK1+51編成です。(京葉線の201系は4両編成が「K○」、6両編成が「5○」という編成番号でした。)早朝の成東駅で撮影したケヨK1編成です。(4両編成のみ)成東から東金線・外房線を経由して京葉線に直通する「通勤快速」に使用されていました。車内の車番プレートです。ケヨK1+51編成は、クハ201-37、クハ200-36という201系の最も若い番号の車両が含まれていました。ちなみに、現在でも活躍が続く関西地区の201系の最も若い番号はクハ201-61、クハ200-61です。201系のうち1984年までに製造された車両は、車外の車番表記が特急形車両などと同じステンレス製の切り抜き文字を採用していました。この車番表記も、201系の好きなポイントの一つでした。海浜幕張駅で205系ケヨ27編成と並ぶ、201系ケヨK2+52編成です。2009年ごろの京葉線は国鉄型通勤電車がまだまだ多く、私にとって魅力的な路線でした。海浜幕張駅に入ってくるケヨK2+52編成です。ケヨK1+51編成の車内です。JR東日本の201系は、座席モケットが水色のものに交換されたものの、廃車まで大きな改造やリニューアルは施されず原形をよく残していました。戸袋窓の残る側面や、2段窓など国鉄の通勤電車らしさを感じる要素が満載でした。
2018.06.01
今回は、山手線から転属してきた車両を掲載します。山手線のE231系500番台の導入によって、それまで活躍してきた量産先行編成4本と初期量産編成2本が京葉線に転属してきました。このうち、量産先行編成4本と初期量産編成1本は京葉線にE233系5000番台が導入されるまで活躍しました。初期量産編成の一つであったケヨ22編成です。クハ205-11の編成で、205系末期の京葉線では唯一、側面窓が下降式(205系全体では一般的なタイプ)でした。この編成は京葉線205系の中でも遭遇率が高く、私の好きな編成でした。現在はこの編成のうち3両が富士急行へ譲渡され、同社6000系6501編成となっています。量産先行編成で、205系のトップナンバー(クハ205-1の編成)のケヨ24編成です。量産先行編成は1985年に山手線に導入された10両編成で、側面窓が田の字型の2段窓となっているのが大きな特徴です。この編成は205系のトップナンバーであったためか富士急行への譲渡はされず、現在は大宮総合車両センターの研修用車両となっているようです。こちらはケヨ25編成で、クハ205-2の編成です。205系の量産先行編成は、10両編成が各メーカーで1本ずつ製造されており、1が東急車輛、2が日立製作所、3が川崎重工業、4が日本車輌製造となっています。現在はこの編成のうち3両が富士急行へ譲渡され、同社6000系6001編成となっています。ケヨ26編成で、クハ205-3の編成です。海浜幕張駅で撮影しました。こちらも、この編成のうち3両が富士急行へ譲渡され、同社6000系6002編成となっています。海浜幕張駅で、ケヨ26編成と27編成が並んでいます。205系がすべて撤退した現在では見られなくなった光景です。ケヨ27編成で、クハ205-4の編成です。蘇我駅で撮影しました。現在はこの編成のうち3両が富士急行へ譲渡され、同社6000系6003編成となっています。ケヨ22編成の車内です。京葉線の205系は、他線の205系と異なり、座席モケットが青色となっていました。ケヨ24編成の車内です。ケヨ22編成とは窓の形が異なるのがわかります。車内の車番プレートです。記念すべきトップナンバー車両で、アクリル製のものが残っていたので撮影しました。
2018.05.12
かつての京葉線で主力車両として活躍していた205系を掲載します。京葉線の205系は10両編成で、赤帯を巻いているのが特徴でした。「その1」では京葉線に1990年から導入された、通常の205系と前面デザインが異なる編成(通称「メルヘン顔」)を掲載します。蘇我駅で撮影したケヨ4編成です。ケヨ4編成のうち4両は現在、小山車両センターに転属してヤマY3編成となり、日光線の観光列車「いろは」として活躍中です。蘇我駅で撮影したケヨ5編成です。E233系導入前の京葉線は205系が本当に多く、205系が好きな私はよく足を運んでいました。ケヨ5編成のうち4両は現在、小山車両センターに転属してヤマY6編成となり、日光線で活躍中です。京葉線全線開通20周年の記念ヘッドマークが装着されたケヨ6編成です。このヘッドマークは2010年から1年間付けられていました。ケヨ6編成のうち4両は現在、小山車両センターに転属してヤマY5編成となり、東北本線(宇都宮線)宇都宮~黒磯間などで活躍中です。南船橋駅で撮影したケヨ10編成です。ケヨ10編成のうち4両は現在、小山車両センターに転属してヤマY9編成となり、東北本線(宇都宮線)宇都宮~黒磯間などで活躍中です。こちらは蘇我駅で撮影したケヨ1編成です。私が初めて購入したデジカメを使用して、最初に撮影した205系です。(最初に撮影した電車は房総地区の113系でした)ケヨ1編成のうち4両は現在、小山車両センターに転属してヤマY2編成となり、日光線で活躍中です。当時、房総各線に導入されたばかりの209系2100番台(マリC604編成)と並ぶケヨ12編成です。この編成は宇都宮地区に転用されず、すべて解体されてしまいました。
2018.05.01
2010年の1月に、成田駅で偶然撮影した183系・189系です。当時は成田山新勝寺への初詣客を輸送する臨時列車の多くが183系・189系で、主に国鉄色の編成が成田に度々やってきていました。現在はここに挙げた編成はすべて消滅してしまっているので、貴重な記録と言えます。大宮総合車両センターに所属していた6両編成のOM102編成です。(クハ183-1505、モハ183-1028、モハ182-1028、モハ183-1045、モハ182-1045、クハ183-1012)当時から貴重であった、耐寒仕様の1500番台が組み込まれていた編成です。クハ正面の特急シンボルマークは1505のみに装着され、1012には装着されていなかったので前後で印象が異なる編成でした。「初詣」のヘッドマークが良く目立ちます。夕日を浴びる国鉄色の183系です。房総特急が国鉄色の183系だったころは当たり前だった光景ですが、2010年当時では貴重な光景になっていました。現在ではさらに貴重なものです。こちらは、旧・田町車両センターに所属していた8両編成のH81編成です。(クハ189-508、モハ183-1013、モハ182-1013、モハ183-1020、モハ182-1020、モハ183-1018、モハ182-1018、クハ189-8)この編成は両端のクハが189系で、正面の特急シンボルマークは装着されていません。
2018.03.17
255系、E257系500番台導入前のかつての房総特急では国鉄色の183系が主力で、幕張車両センターには数多くの183・189系の配置がありました。E257系500番台の導入終了後の2005年以降は編成単位での廃車や転属が進み、末期には「旧あずさ色」のマリ31・32編成(6両編成)の2編成が残るのみになっていました。マリ31・32編成は主に臨時列車などに使用されていましたが、臨時列車の運用が185系になった影響や車両の老朽化もあり、2013年12月に引退しました。マリ31編成です。(クハ183-1017、モハ183-1025、モハ182-1025、モハ183-1015、モハ182-1015、クハ183-1018)「ホリデー快速富士山」で富士急行線に入線した時に撮影しました。183系による「ホリデー快速富士山」も貴重なものになっていますね。マリ32編成です。(クハ183-1021、モハ183-1034、モハ182-1034、モハ183-1004、モハ182-1004、クハ183-1022)千葉駅で撮影した臨時列車です。
2018.03.10
総武本線の前身、「総武鉄道」の成東~銚子間が開業した1897年に開業した横芝駅。横芝駅の駅舎は、屋根のリニューアルが施されているものの、開業時からのものを現在でも使用しています。遠くからでもよく目立つ特徴的な屋根の形が印象深いです。改札口です。首都圏のローカル駅によくある「簡易Suica改札機」が設置されています。現在ではこの簡易改札機が新しいものになっています。屋根を支える木製の柱が味わい深いです。当ブログで以前紹介した国鉄型の電照式駅名標です。この駅名標は今となってはとても貴重なものなので、末永く残っていてほしいと思います。当駅にはホーロー製の乗場案内標も現存しています。ホーロー製の駅名板もあれば最高なんですけどね…跨線橋から千葉方を見ます。駅の様子がよくわかりますね。跨線橋を渡って銚子方を見ます。千葉県内のローカル駅は屋根のない跨線橋が多く見られます。2番線側から駅舎を眺めます。歴史ある木造駅舎のたたずまいがいいですね。夜間は電車の留置に使用され、日中もあまり利用されない3番線の線路です。使用頻度が低いためか若干草が生えています。ホームの千葉寄りにある東京起点86キロポストです。駅名標と名所案内です。千葉支社管内でよく見かけるタイプのものが設置されています。このタイプは私はあまり好きではありません。撮影日:14.03.11/14.09.09
2015.01.08
3月6日に最後に訪れた駅は内房線江見駅。開業時のものと思われる木造駅舎が残る小さな駅です。屋根などは近年水色に塗装され、海沿いの駅にふさわしい爽やかさを演出しています。利用者が少なく、ゆったりとした時間が流れていきます。入り口にはホーロー製の駅名標が掲げられています。駅舎のわきにあるトイレはなんと汲み取り式でした。近年では珍しいですが、あまり使いたくはないですね…隣にある花壇はボートを再利用しています。海沿いの町らしい光景ですね。駅舎内部です。木造の壁や椅子がいい味を出しています。駅構内です。ホーム上にもボートが展示?されていました。2番線にあった木造の待合室。こういう小さな待合室、好きです。駅名標と名所案内です。やはりこの形でした。千葉エリアでは国鉄型駅名標はほとんど見られませんね…撮影日:14.03.06
2014.04.03
次に訪れた駅は、上総興津駅。この駅は興津海水浴場などの最寄駅となっていて、夏の海水浴シーズンなどに多くの人が訪れる駅です。この駅の駅舎は水色に塗られた屋根が特徴的です。海辺のリゾート地の雰囲気が満点ですね☆正面に掲げられた駅名標は、国鉄型の電照式駅名標でした。近年は次々と姿を消しているこのタイプの駅名標。末永く残っていてほしいです。駅舎内は窓口もあり、切符の購入もできます。駅構内はこんな感じです。日中だったので利用者は少なく、のんびりとした時間が流れていました。駅名標です。以前はここにも国鉄型の電照式駅名標がありましたが、既になくなっていました。こればっかりは本当にショックでした。駅から徒歩数分で行くことができる興津の海。3月上旬はまだ人も少なく静かでしたが、これから夏にかけて賑わうものと思われます。それにしても本当にいい景色。撮影日:14.03.06
2014.03.24
3月6日に、「青春18きっぷ」を使って房総の旅に行ってきました。今回の旅は、外房線、内房線に残る古い駅舎を訪ねる旅としました。まず最初に訪れたのがこの長者町駅。大原に行くときに通るので、毎回気になっていた駅でした。やはり、思った通りの歴史を感じる駅舎でした。瓦屋根と木造の柱がいい味を出していますね。駅名板はホーロー製です。国鉄時代から変わっていないものと思われます。駅舎の遠景です。ローカル駅らしさが漂う、のんびりとした佇まいを感じられます。ホーム側はこんな感じです。構内です。木造待合室と跨線橋があります。ちなみに、この駅は東浪見駅から続く複線区間の終端となっていて、ここから大原方面は単線区間となります。駅名標です。千葉支社の駅はこの形のものが多く、国鉄型の駅名標はあまり見かけません。駅舎の柱にこんな表記がありました。かなり古いものと思われますが、何を表しているのでしょう?駅の近くに古いホーロー製の看板を掲げた倉庫がありました。撮影日:14.03.06
2014.03.20
内房線で活躍中のマリC408編成。中央・総武線のE231系と並びます。こちらはマリC418編成。マリC431編成の先頭車、クハ209-2006(川崎重工製)の車内です。先頭車はセミクロスシートに改造されています。車番はステッカーを張り、書き換えられています。平成5年製で、209系では初期の部類に入ります。(元車番…クハ209-6)マリC429編成の先頭車、クハ208-2005(東急車輛製)の車内です。少しわかりにくいですが、川崎重工製の車両とは天井の形状が異なっています。こちらも初期車で、ステッカーで車番の書き換えがされています。(元車番…クハ208-14)中間車の車内です。基本的にすべての中間車の内装は同じで、座席モケットは京浜東北線時代のままとなっています。編成番号は忘れました。私は混雑時などを除き、209系に乗車するときには必ず先頭車に乗車してクロスシートの座席を確保します。
2013.02.17
209系は、製造にあたって車両メーカーの意見を取り入れたため外観・内装に若干の違いがみられます。このマリC604編成は新津車両製作所で製造された編成で、窓枠が白く縁取られているのが特徴です。(東急車輛製の車両と同様です)こちらのマリC441編成の先頭車は川崎重工製。川崎重工製の209系は窓枠が銀色で、角の丸みが大きいのが特徴です。このほか、連結面がギザギザになっていることも大きな特徴で、外観だけで見分けることが可能です。房総の209系では、川崎重工製は先頭車のみで、中間車はすべて東急車輛もしくは新津車両製作所製となっています。私はどちらかというと川崎重工製のほうが好みです。
2013.02.15
113系に代わり、現在房総地区の「顔」となっている車両は209系2000・2100番台です。この車両はかつて京浜東北線で活躍した209系0番台を改造した車両で、113系だけでなく211系も置き換え、一気に房総地区の電車を完全制圧しました。写真は総武本線運用につくマリC413編成です。総武本線運用につく、マリC433編成です。置き換えが進んでいた頃は、113系との並びもよく見ることができました。写真は113系マリS70編成と並ぶ209系マリC604編成です。かつて多数の113系が並んでいた千葉駅も様変わりし、現在では多数の209系が並ぶこの光景が当たり前になっています。
2013.02.14
2月11日は「211系の日!」ということで、今回は房総地区の211系を紹介。房総地区には2006年から、113系のうち老朽化した車両の置き換えとして東北本線や高崎線などで使われていた211系3000番台(5両編成)が導入されました。3000番台は寒冷地仕様車で、押しボタン式の半自動ドアに対応しています。房総各線でも、始発駅や冬季の長時間停車時などで半自動扱いが行われていました。この211系は鹿島線を除く、房総各線で使用されましたが、2011年に内房線、外房線、東金線から一足早く撤退しました。残る総武本線、成田線も2013年3月のダイヤ改正で撤退することが決まり、房総から211系が消滅することになります。房総地区で第2の人生を送ってきた211系は長野への転属が決まり、今度は長野で第3の人生を歩むことになりました。すでに115系と同様の「長野色」をまとう211系が登場し、活躍が待たれています。満員の乗客を降ろし、再び銚子へ向かうマリ405編成。(12.04.15 千葉駅)外房線から東金線に直通する場合は、「外房・東金線」の幕が出ていました。マリ408編成で、この編成は3000番台のラストナンバーでした。(撮影日不明 千葉駅)千葉駅にたたずむ211系マリ502編成。(10.05.03 千葉駅)211系は日中の総武本線の運用が多く、私も通学などでよくお世話になりました。線名を表示する幕がなぜか真っ白のマリ503編成。(09.11.23 千葉駅)ここは内房線のホームなので「内房線」と表示するはずなのですが…成東駅3番線に停車中のマリ508編成。編成番号が500番台の編成は、クモハのパンタグラフが2基搭載されています。(12.01.16 成東駅)☆車内多くの車両で、シートモケットが深緑色に変更されています。また、サハ以外の車両にはドア横に防風板が取り付けられています。これはおそらく長野への転属を見越したものと思われます。(10.05.15 横芝駅)一方、長野に転属せず廃車される予定のサハはシートモケットの色が登場時と同様のえんじ色のままで、防風板も取り付けられていません。営業運転中から差別化が図られ、ちょっと悲しいです。(一部のサハは深緑色モケットとなっています。)この車両は211系の中では後期に製造された平成3年製で、吊革がすべて三角形となっています。211系の中でも比較的新しい車両が廃車になってしまい、非常に残念です。(10.05.15 横芝駅)
2013.02.11
2011年7月30日、成東駅で撮影したマリ116編成+マリ217編成の組み合わせです。この撮影が私の113系最後の撮影となりました。先頭車には「ありがとう113系」のヘッドマークが付き、もう長くない113系の活躍を前に泣いているようでした。東海道線で、横須賀線で、総武快速線で、そして房総でおなじみだったこの側面も、まもなく見納めになると思うと本当に泣けてきました。113系の最盛期から引退まで、たくさんの113系を支えてきた幕張車両センター。国鉄書体の「千マリ」も、現在では見ることができません。当たり前のように乗っていた113系も、今や懐かしいものになってきました。撮影日:11.07.30
2012.12.29
「その3」では、車内の細部を掲載します。☆席番表示国鉄のクロスシート車には必須の装備のひとつで、現在でも115系などで見ることができます。書体は車両メーカー毎に微妙な差異があるようです。私はこの表示で、「通路」を表す英単語「aisle」を覚えました。☆非常用ドアコック表示113系に限らず、国鉄型の車両なら必ず付いているこの表示。こちらも車両メーカー毎に書体の微妙な差異があります。☆車内スピーカー車内放送用のスピーカーです。レトロな箱型のもので、こもった音が聞こえるのが特徴の装備です。同様のものを415系1500番台(初期車)でも見たことがあり、長きにわたって採用されていたようです。☆フック座席の少し上についているフックです。0番台と未更新の1000番台はこの形状で、1000番台更新車、1500番台、2000番台は少し角ばった形状のものだったと思います。
2012.12.17
「その1」の続きです。☆方向幕これについてはもっと撮影しておくべきだったと後悔しています。現在お世話になっている115系の方向幕は、もっとたくさん撮れるようにしたいです。☆指定席表示臨時快速「白い砂」で撮影したものです。普段の運用ではこうした表示は掲げられませんでした。☆編成番号札書体にはいくつか種類がありましたが、あまり撮影していません。
2012.12.11
11月の当ブログで特集した「房総の113系」は、編成や車内の写真が主で、銘板など細かい部分はほとんど紹介していませんでした。ここでは、「細部編」と称して房総の113系の細部の写真を掲載していきます。☆車番プレートモハ112-2074(マリ103編成)モハ113-1088(マリ215編成)モハ113-1511(マリS65編成)モハ113-1252(マリ218編成)クハ111-533(マリ118編成)クハ111-551(マリ217編成)クハ111-1135(マリS222編成)クハ111-2152(マリ117編成)
2012.12.05
昨日12月1日をもって、久留里線から国鉄型気動車キハ30、キハ37、キハ38が引退となりました。私も何度か足を運んだ久留里線ですが、やはりローカルな路線には古い車両が似合いました。国鉄型の車両に乗ったり、撮影したりするのが本当に好きでした。久留里線の気動車は、いずれも日本でここだけでしか見られない車両でした。1966年製で、高度成長時代の通勤型気動車のスタイルを今に伝えていたキハ30。5両しか制作されなかった悲運の車両で、個性を発揮し続けたキハ37。スマートで軽快なイメージの通勤型気動車キハ38。3月のタブレット交換廃止に続き、また国鉄時代の記憶が消えていきます。以前当ブログで紹介した写真も、ついに過去のものになりました。これからは新型気動車キハE130に世代交代です。新型車両もよいですが、国鉄型には国鉄型にしかない乗り心地や旅情を誘うスタイルなど、新型車両以上に良さがあると感じます。最新のキハE130も気になるので、また乗りに行こうと思っています。でも最後の国鉄型気動車の聖地だった久留里線から、国鉄型が消えることは惜しい限りです。ありがとうキハ38。ありがとうキハ37。そして、ありがとうキハ30。久留里線の国鉄型気動車、長い間お疲れ様でした。
2012.12.02
前回に引き続き、S編成の紹介です。先頭車に唯一、2000番台のクハ111-2146を組み込んでいたマリS65編成。(09.12.20 千葉駅)S編成全体でみても2000番台はこの1両のみで、貴重な存在でした。蘇我駅に入線するマリS69編成。(09.11.29 蘇我駅)1500番台クハのトップナンバー車両、クハ111-1501を組み込むマリS70編成。(10.02.05 千葉駅)この編成はクハが1500番台と0番台、モハは1000番台となっています。同じくマリS70編成。(10.02.05 千葉駅)こちらのクハは0番台のクハ111-552。全車が1000番台のマリS71編成。(09.12.15 成東駅)この編成は後に4両編成となり、マリS221編成(2代目)となりました。両国から運行された快速「白い砂」。ヘッドマークをつけたマリS71編成が活躍しました。(10.08.01 千葉駅)ヘッドマークのデザインがレトロさを演出します。☆車内S編成の特徴は、座席がヘッドレスト付きのバケットシートに変更され、化粧板や床がクリーム色でまとめられていることです。先述の車両更新車と異なり、網棚は原型を保っています。これはマリS221編成(2代目)のクハ111-1129の車内です。(11.05.06 成東駅)こちらはマリS224編成のクハ111-1504の車内。(11.05.18 成東駅)数少ない1500番台のクハです。1500番台なので網棚はステンレス製となっています。マリS224編成の中間車、モハ113-1261の車内。(11.05.18 成東駅)1000番台の後期の車両で、網棚はステンレス製となっています。モハ113-1261の車端部。これをもって113系特集は終了です。房総の113系は、私の中で最も思い出深い車両です。3年間の通学や、お出かけなども113系をたくさん利用させてもらいました。また、私はかつて横浜に住んでおり、その時から113系は身近な存在でした。私の人生とともにあった113系が消滅したことは、本当に惜しいことです。今は、時折当時の写真などを見て、113系が当たり前のようにいたあの頃を思い出しています。
2012.11.13
113系特集、今回は1000、1500番台リニューアル編成の「S編成」の紹介です。内房線運用に就くマリS221編成(初代)。(10.03.30 千葉駅)S編成の運行番号表示器は、LEDになっているのが特徴です。また前面強化改造は全編成とも行われておらず、ほぼオリジナルの顔つきです。木更津駅にたたずむマリS222編成。(10.08.17 木更津駅)外房線安房鴨川行の運用に就くマリS223編成。(10.08.01 千葉駅)この編成も全車が1000番台となっています。両先頭車が1500番台のマリS224編成。(10.03.30 千葉駅)幕張では、1500番台の先頭車はすべてS編成に含まれていました。1500番台クハの特徴はライトとタイフォンの位置がかなり上にあることです。こちらは6両編成のマリS61編成。(10.08.01 千葉駅)6両編成はS編成が多数を占めていました。1000番台と1500番台、0番台などが混在した編成も多く、両先頭車で顔つきが異なる編成もみられました。このS61編成は中間モハは1500番台(トップナンバー車も含まれます)で、反対側のクハは0番台です。S61編成の反対側のクハ。0番台クハ111-244。(09.12.18 成東駅)以前紹介したマリ117編成とともに、湘南色に塗り替えられたマリS62編成。(09.12.12 本千葉駅)この先頭車は0番台のクハ111-249です。反対側のクハは1000番台のクハ111-1450。(09.12.20 千葉駅)この編成も両先頭車で顔つきが異なります。(その8へつづく)
2012.11.09
今回は1000番台の車内を見ていきます。幕張の1000番台標準的な車内。マリ211編成クハ111-1057のものです。(11.05.18 成東駅)総武快速時代に車両更新が行われ、内装や床が暖色系となり網棚もステンレスパイプに変更されています。クロスシート部の座席は原型です。こちらはマリ215編成モハ113-1088の車内です。(09.12.16 成東駅)上の写真と同様、車両更新が行われた1000番台。これと同様な内装は、豊田車両センターの115系M1、M9編成でも見られます。マリ218編成クハ111-1072の車内。(09.12.21 成東駅)こちらはシートがバケットタイプになっていて、印象が少し異なる車両更新車です。床の色もクリーム色でより明るく見えます。また、ドア部分に吊革が増設されています。こちらは未更新のマリ207編成クハ111-1385の車内。(09.12.17 成東駅)以前紹介した0番台と基本的な内装は同じで、国鉄標準の薄緑色の化粧版にグレーの床が懐かしさを感じさせます。また0番台同様、網棚の支持部は鉄製で白く塗装されています。こちらはマリ210編成クハ111-1363の車内。(10.08.01 千葉駅)内装は上とほぼ同じながら吊革が三角形になっています。少しぼやけてしまいました。1500番台未更新車のマリ207編成モハ113-1520の車内。(09.12.17 成東駅)1500番台は次回紹介する「S編成」としてリニューアルされた車両が大半を占めていましたが、一部に未更新の車両が残されていました。この番台は2000番台に準じているため、内装は基本的に2000番台と同様のものです。(その7へつづく)
2012.11.07
11月3日、「113系の日」にお送りする房総の113系です。今回も1000、1500番台を紹介。私の好きだったマリ207編成。(10.11.28 千葉駅)総武快速時代に車内のリニューアルが施されていた車両が多かった1000番台の中でも、この先頭車はリニューアルがされておらず原型に近い車内を残していました。中間車には1500番台を組み込み、こちらも原型を残していました。外房線安房鴨川行で運用されるマリ211編成。(09.12.20 千葉駅)この編成は私がよく遭遇していた編成のひとつで、1000番台の他の編成が続々と廃車される中、113系末期まで残っていました。こちらもマリ211編成。(10.11.12 千葉駅)こちらはマリ215編成。(10.08.01 千葉駅)携帯電話での撮影のため画像サイズが異なります。私の遭遇率の低かったマリ216編成。(09.12.30 千葉駅)両先頭車が0番台で中間車が1500番台という異色の編成だったマリ217編成。(10.08.01 千葉駅)おそらく中間車の関係から200番台の編成番号が与えられたと思います。オリジナルに近い顔が特徴だったマリ218編成。(10.08.01 千葉駅)この編成の中間車は1000番台ながら車内がリニューアルされていませんでした。幕張車両センターの訓練車を兼ねていたマリ236編成。(09.12.30 千葉駅)この編成のみ、何故か番号が大きく飛んでいます。東金線から外房線に直通する運用に就くマリ236編成。(10.09.25 成東駅)編成番号札は手書きです。(その6へつづく)
2012.11.03
今回から、113系1000、1500番台の紹介です。この番台は横須賀、総武快速用として製造されました。東京駅周辺の地下区間にも対応するように設計されていて、0番台と同じシートピッチの車両が1000番台、2000番台に準じてシートピッチが拡大された車両が1500番台です。幕張の113系の編成番号は、200番台が採用されていました。成田線で運用されるマリ201編成。(09.12.20 千葉駅)幕張に所属していた多くの1000番台クハは、総武快速時代に前面強化改造を受けて見た目がオリジナルと異なっています。朝に存在した成田空港行の運用に就くマリ202編成。(10.07.25 千葉駅)「成田空港」の表示はとても貴重です。側面の方向幕です。快速ではないので「成田空港」のみの表示。ちなみに、見にくいですが前面の方向幕の下の英語表記は「NARITAKUKO」となっています。鹿島線直通運用(鹿島神宮行)に就くマリ205編成。(09.12.30 千葉駅)この編成のクハは前面強化改造を受けておらず、オリジナルの顔つきが見られます。私のこの編成の遭遇率はかなり少なく、写真も逆光下のこの1枚のみです。幕回しの時に撮影したありえない両国行のマリ206編成。(10.05.03千葉駅)房総地区以外の行先は白地に黒文字での表示です。蘇我駅にやってきた内房線運用のマリ209編成。(09.12.12 蘇我駅)またしてもありえない久里浜行のマリ210編成。(10.08.01 千葉駅)この表示が横須賀、総武快速線時代に使われていたかは不明。確か総武快速時代は、「横須賀線-総武線」の表示だったと思います。このマリ210編成は、両先頭車で顔つきが異なっていました。(09.12.20 千葉駅)(その5へつづく)
2012.10.31
前回に引き続き、113系0番台、2000番台です。幕張の113系といえば、湘南色になったマリ117編成も外せません。(09.12.30 千葉駅)湘南色はマリ117(4両)と、マリS62(6両)の2編成しかありませんでした。以前横浜に住んでいたときは、東海道本線の113系をよく見ていたので、千葉で湘南色を見た時は嬉しさと懐かしさでいっぱいでした。外房線大原行きのマリ117編成。(10.08.30 千葉駅)マリ113編成とマリ119編成が並びます。(10.03.31 千葉駅)千葉駅で日常的に見られたこの光景も、今や過去のものになってしまいました。113系が当たり前のようにいた、あの頃に戻りたいです。総武快速のE217系クラY-18編成と並ぶマリ115編成。(10.10.21 千葉駅)新旧車両の共演。☆車内クハのみ存在した0番台車内。マリ118編成クハ111-224のものです。(10.11.12 千葉駅)国鉄時代をよく残す薄緑色の化粧板と、グレーの床が特徴的。元東海道線の113系の大半は車両更新が行われていませんでした。また網棚の支持部は鉄製で、白く塗装されています。これと同様の車内は、現在も豊田車両センター所属の115系の一部で見られます。マリ108編成モハ113-2066の車内。(09.12.15 成東駅)こちらも国鉄時代の雰囲気をよく残しています。2000番台はシートピッチの拡大のほか、網棚がステンレス製に変更となっています。シートモケットはすべてこの柄となっており、甲信地区や高崎地区の115系と共通の柄です。
2012.10.25
その1に引き続き、今回も0番台及び2000番台です。東金線の線内運用に就くマリ113編成。(09.11.09 成東駅)東金線、鹿島線の線内運用に就く場合は、行先表示器は黒地に白文字の「普通」が使われました。(中央本線などの115系と同様)夜の113系は通勤通学客で賑わいました。千葉駅から外房線経由で直通してきたマリ102編成。(09.12.10 成東駅)東金線内も赤地の「成東」の幕で運転されます。総武本線、銚子行きのマリ111編成。(09.12.10 成東駅)東金線からの乗り換えも、113系でした。つい3年前とはいえ、懐かしいです……ちなみに、幕は黄色地に「銚子 八日市場回り」と表記されています。成田線で運用に就き、千葉駅に戻ったマリ107編成。(09.12.12 千葉駅)幕は緑色地に「千葉 成田回り」と表記されています。文字は白のため、ちょっと見えにくいです……編成番号札は「○幕」というマーク入りの古いものです。先ほどのマリ111編成も同様です。本千葉駅高架ホームでのマリ104編成。(09.12.12 本千葉駅)内房線上総湊行きで、幕は紺色地に白文字です。今回最後を飾るのは6両編成のマリ51編成。(10.02.05 千葉駅)113系の中でも遭遇率が低く、1回遭遇したことがあるのみです。隣には209系が停車していて、世代交代を感じるようになってきた頃でした。(その3へつづく)
2012.10.19
房総地区から113系が撤退してもう1年が経過しました。あんなに見られた113系も、今や元京浜東北線の209系にとって代わり、房総各線の新しい顔として定着してきました。私の中で113系といえば、通学やお出かけにいつも利用していた思い出深い車両であり、また横須賀色も横浜に住んでいた小さい頃から親しんできた色でした。この特集では、「わさびくま」が撮影してきた名車113系を、少しずつ紹介していきます。私が鉄道を撮影するようになった頃撮影した113系。(09.11.23 蘇我駅)マリ108編成。マリの113系で、編成番号が100番台の編成は元東海道本線の0番台(クハのみ)または2000番台です。こちらはマリ103編成。(09.11.23 蘇我駅)こちらはマリ115編成。(09.11.23 蘇我駅)113系の前面行先表示機は、各路線のラインカラーがベースとなっており、バリエーションは様々でした。6両編成のマリ53編成。(09.11.23 蘇我駅)2000番台の6両編成は少数派で、私の遭遇率もかなり低かったです。マリ53は2回のみ、マリ51は1回、そして早くに廃車となったマリ52はついに遭遇することはありませんでした。基本的に6両編成は外房線、東金線、内房線のみの運用に就いていましたが、まれに総武本線などへ入ることもありました。(その2へつづく)
2012.10.12
首都圏で活躍する電車にはドアステッカーが貼られていますが、久留里線で活躍する気動車にもステッカーが貼られています。キハ30のドアの外側に貼られているステッカーです。久留里線の気動車にはこんなのステッカーがあります。絵が可愛くて好みです。いつから貼られているかわかりませんが、かなり劣化しています。上のステッカーの裏側。笑顔でドアに注意を促しています。乗務員室のドアに貼られています。敬礼する乗務員さんの絵が可愛いですね。タブレット交換があったころに撮影したステッカー。現在はもう貼られていないと思います。
2012.09.19
上総亀山駅から、キハ38に乗って馬来田駅を目指します。 途中の久留里では、キハ30 62との交換がありました。猛暑の中でも、非冷房のキハ30は頑張っています。 このような国鉄型同士の交換が見られるのもあとわずかです。 馬来田に到着。 空がきれいで本当に素敵な場所ですね。ホームには木造の小さな待合室があります。 現在は1番線(駅舎側)のみ利用されていますが、この写真で分かる通り以前は2番線もあり、列車の交換もできた駅でした。2番線には行けなくなっていますが、点字ブロックが残されており近年まで使われていたのではないでしょうか? 駅名標です。新しいものですが、国鉄の規定を踏襲しています。(ローマ字表記が小文字という違いはありますが) おそらく国鉄時代から変わらないであろう木造駅舎。 ホーロー製の駅名標も残っています。 風情あふれる駅舎の内部。まさにローカル駅といった雰囲気。この駅は有人ですが、業務はボランティアの手で行われています。ちなみに、ホームは高い位置にあるため改札の先にある階段でホームに上がります。 馬来田からは「踏切の旅」がスタートしました。猛暑のため、駅周辺の踏切の撮影にとどめました。 キハ38の2両編成を線路脇で撮影。夏空の下を走り抜けます。 踏切撮影後、駅に戻るとこんな表示を見つけました。 久留里線も木原線(現・いすみ鉄道)同様に廃止が議論されたこともあるようなので、おそらくその時のものだろうと思います。4の「貸し洋傘」ですが、この日は晴天のためありませんでしたが、雨天時は用意されるのでしょうか? 今度は先ほど交換したキハ30 62+キハ37 1002がやってきました。私はキハ30に乗車しました。非冷房のキハ30ですが、窓を開けて走行するためむしろ涼しかったです。列車の窓を開け、その土地の空気を感じるのも旅の一つの楽しみだと思いますが、新型のキハE130の導入でそれも難しくなりそうですね。 木更津に戻って今回の旅は終了です。 木更津駅の車庫で休むキハ37 2。唯一のキハ37型0番台です。 今回は暑かったですが、活躍が残りわずかとなった気動車を楽しめたので良い旅でした。
2012.09.18
ついに久留里線用の新型気動車、キハE130型100番台が完成し、久留里線の国鉄型気動車は最後の夏を迎えました。私は終焉が迫った久留里線の国鉄型気動車を見るため、再び久留里線へ行きました。今回は、2012年8月21日に撮影した写真の紹介です。 今回乗車したのはキハ38 1001+キハ38 4の2両編成。私のキハ38 1001の遭遇率はかなり高いです。今回はキハ38 1001の冷房装置が故障していました。でも元々キハ38の冷房って効きが悪いんですよね。 キハ38 4の車内。 私が座ったキハ38 4のクロスシート部分。キハ37、38の0番台はトイレ付きの車両で、トイレ前の座席は利用者の視線に配慮してクロスシートとなっています。現在はトイレは閉鎖されているため、このクロスシートの意義も薄れていますが、窓を開け、沿線に広がる風景を楽しむのには絶好の場所です。 閉鎖されたトイレ。垂れ流し式の構造のため衛生面などの関係で使用できないようです。 久留里駅にて。青空に映えるキハ38 4。 透き通る青い空のもとに線路が伸びる・・・・・・ローカル線らしい美しい光景が広がります。ちなみに奥の公団住宅のような建物は「久留里団地」で、現在も多くの方が生活しています。こんな山奥にも団地があるなんて驚きです。 久留里駅では検測車の「East i-D」(キヤE193系)と交換。この車両は秋田車両センターに所属しています。わざわざ遠く離れた千葉までやってきました。 上総亀山駅に到着。 いい空ですね。 この先で久留里線の線路は終わりです。 今回は猛暑の中でしたが、やはり鉄道ファンや観光客が多かったです。このアングルの逆側からの撮影は、このときはできなくなっていました。気動車の形がよくわかる写真が撮れたので、残念です。 3月になぜか撮影していなかった上総亀山の木造駅舎。ローカルなムードが漂う木造駅舎です。この駅は以前は有人駅でしたが、現在は無人駅となっています。 この後は、先ほどと同じ車両に乗って「馬来田駅」を目指します。 (その2へつづく)
2012.09.17
〈「わさびくま日記」の開設から、本日で100日を迎えました。これからもよろしくお願いします。〉前回に引き続き、2012年3月の久留里線です。東清川駅から乗車したのは、キハ37 1002+キハ30 62の2両編成でした。キハ30のほうはかなり混雑していたため、キハ37に乗車しました。久留里駅で撮影したキハ37 1002。乗客の大半は久留里駅で下車しました。このあと亀山までは乗客は数人でした。先ほど、上総清川まで乗車したキハ30 100+キハ38 1001と交換。徐々に日も傾いてきました。ここから終点まではキハ30 62に移りました。キハ30の車内は昔の通勤列車そのもの。車内はかなり空いていました。そして終点、上総亀山駅に到着。夕陽に照らされるキハ30 62。のどかでいい景色です。この景色が見納めになると思うと、残念でなりません。キハ30 62の車両紹介でも登場した写真です。少し汚れてきた国鉄色がいい味を出しています。キハ37を先頭に撮影した写真。この位置だと気動車の形が分かりやすいですが、現在この位置からの撮影はできなくなっています。キハ37 1002の車内。2ドアでロングシートのため、シートはものすごく長いです。まさに「ロング」シート。キハ40系の後継となるべく開発されたキハ37は、国鉄末期に開発されたこともあり徹底したコストダウンが図られた車両となっています。窓割りはクロスシートにも対応するようになっていますが、結局クロスシートになった車両はありませんでした。また、2両連結した時にドアの位置が均等になるように設計されているため、ドアの位置は変則的です。外吊りドアが特徴的なキハ30。こんなにまじまじと撮影したのは久しぶりです。国鉄型ってやっぱり素敵です。このあとは木更津駅に戻っていきます。途中の横田では交換がありました。キハ30 62。もう暗くなりかけていますね。先ほどのキハ38 1001+キハ30 100の編成に、朝から休んでいたキハ30 98を連結した3両編成が横田に到着。このキハ30はキハ30 98です。キハ30同士が交換しました。夢のような景色に感動していました。国鉄時代のローカル線の景色が現在も見られる、それが久留里線のいいところです。今回の旅は久留里線を満喫した、とても楽しく充実したものでした。木更津駅に到着したとき、思わず「楽しかった~!!」と言ってキハ30 62を下りました。久留里線、本当にいい路線です。
2012.09.13
木更津駅に行くと、キハ37 2を先頭にした2両編成が戻ってきました。この車両は下りにはならず、車庫に戻りました。朝、シャワーを浴びていたキハ30 98はまだ休んでいます。奥にはキハ38+キハ37も見えます。しばらくすると、車庫から次に乗車する車両が登場してきました。キハ38 1001+キハ30 100の二両編成。私は以前にキハ30を撮影したことはありましたが、乗車するのは初めてだったので感動しました。日光に照らされるキハ30の車体。特徴の外吊りドアが際立ちます。塗り替えられてピカピカだった以前と比べると、少し汚れてきて味が出てきました。木更津駅のホームに入線。大勢の人が乗り込みます。私もこれに乗って上総清川まで行きました。上総清川~東清川間は「踏切の旅」をしたので、徒歩で移動しました。東清川駅。ホームと小さなトイレ、待合室があるのみの無人駅です。この時の利用者は私のみでした。駅名標は国鉄型で、駅の所在地が併記されているタイプです。ここから再び上総亀山まで向かいます。(その3へつづく)
2012.09.11
今回は、2012年3月に久留里線を訪れたときの写真を紹介します。まずは木更津駅の機関庫界隈の写真。三角屋根のかわいい機関庫の中にキハ30 100、キハ37 1002+キハ30 62、そしてDE10が休んでいます。キハ30 98はシャワーを浴びています。気持ちよさそうですね。今回乗車するのは、キハ38 2+キハ38 1003の2両編成。これに乗って、2009年に行かなかった上総亀山まで向かいます。スマートな車体が特徴の、キハ38。上総亀山にて。春休みなのでたくさん人が乗っていました。久留里線の国鉄型気動車が引退間近ということもあり、それ目当てのファンも多かったです。キハ38 2の車内。以前紹介したキハ30の車内とは異なり、座席は1人分が独立したバケットシート、網棚は201系や国鉄製造の205系、211系などと同じタイプとなっています。右側に見えるのは冷房用のダクトです。この撮影のあと、木更津駅に戻って昼食をとり、その後にもう一度久留里線に乗車しました。(その2へつづく)
2012.09.10
今回は、私が初めて久留里線を訪れた2009年11月23日に撮影した写真の紹介です。木更津駅の機関庫にたたずむ久留里線色のキハ30 62。当時は、キハ30 98が国鉄色に塗り替えられたばかりで、62と100はまだ久留里線色でした。キハ30の久留里線色は今となっては貴重ですね。今回乗車するキハがやってきました。キハ37 1003を先頭に、4両編成でした。ちなみに現在久留里線で活躍するキハ37は、トイレ付きの2、トイレなしの1002と1003の3両です。これらの車両は、キハ37が新製された1983年よりずっと房総地区で活躍しています。全車が富士重工業製です。ちなみに、トイレは現在閉鎖中です。新潟鉄工所(現・新潟トランシス)製の1と1001は姫路第一機関区に配置され、加古川線などを経て山陰で活躍しましたが、2009年に廃車されたため現在は久留里線のみで見られる形式です。後ろ2両のキハ38 2とキハ38 1003の切り離しが行われています。見えにくいですが、旗を持っている乗務員さんの肩にはタブレットが掛けられています。上総亀山まで運行される2両の先頭に立つのはキハ38 1001。キハ38は元々は八高線で活躍していたキハ35系の置き換え用として、キハ35型からの改造という名目で製造された車両です。改造扱いですが車体の大部分は新製されており、キハ35系の特徴だった外吊りドアも一般的なものになってスマートなスタイルになりました。久留里線には1996年に転用され、現在まで全車が活躍しています。トイレ付きの1~4、トイレなしの1001~1003の7両があります。逆光で見えにくいですが、キハ37 2+キハ38 1と先ほど切り離されたキハ38 1003+キハ38 2が休んでいます。キハ38 2とキハ38 1。久留里線色のキハ30 100。今回はキハ30への乗車はできませんでした。このあと切符を購入し、横田駅まで行ってきました。横田では交換がありました。もちろんタブレット交換もありましたが、撮り損ねたため今となっては激しく後悔しています。構内です。のどかな風景に癒されますね。駅舎は木造でした。小さくてかわいい駅舎で、国鉄型のホーロー製駅名標もあります。花や植木も手入れされ、駅や久留里線を大切にしている気持ちが伝わってきます。今回の旅は時間の制約もありここで終了です。久留里線の乗車は2012年3月までお預けとなっていたのでした。すべての写真撮影日:09.11.23
2012.09.06
今回は、前回に引き続き「久留里線のキハ30」です。前回紹介できなかった細部に迫ります。特記以外の撮影日は10.08.17です。一部画質の悪い写真が含まれていることをご了承ください。キハ30の大きな特徴といえば、外吊り式のドア。これは国鉄の他の電車や気動車には見られない装備で、キハ35系では車体の強度を確保するためにこれが採用されています。キハ30 100の扉。ステップもそのまま残っているため、段差があります。(関東鉄道への譲渡車では、ステップが埋められたものもあります。)キハ30が2両連なって木更津駅に停車中。国鉄時代の非電化通勤路線の様子そのものです。ちなみに、私が通っていた高校の体育館のドアがキハ30と同様の外吊り式で、そのドアを見るたびにキハ30を思い出していました。ドアに付いている半自動扱い用の開閉ボタン。キハ30には元々付いていたものではなく、ローカル線への転用にあわせて追加で設置されました。車内側の開閉ボタン。現代の車両の半自動スイッチと比べると、古さを感じますね。外吊りドアのため、室内にはこんな表記が。「手をださぬよう」という言い回しも古さを感じます。キハ30 100の運転台です。2010年当時はタブレット交換があったため、運転台には「タブレット再度確認」のステッカーが付いています。運転台には、なんとJNRマークの入った扇風機がありました。ちなみに客室の扇風機は全て「JR東日本」と書かれています。キハ30 98の運転席には、なんと鉄製ではなく布製の「網棚」がありました。旧型の客車のようで、おそらく製造時からの装備だと思われます。こちらは乗務員室との仕切りに付いている注意書きのプレートです。キハ30 100のみで見られました。元々は赤で書かれていたと思いますが、色褪せています。キハ30 62の運転台周辺。(12.03.20 上総亀山駅)他の気動車と連結する場合は、乗務員室が折り畳める構造となっています。初期の113系なども同様の構造だったと思います。こちらはキハ30 62の銘板です。(12.03.20 上総亀山駅)現在久留里線に所属するキハ30は、全て昭和41年、日本車輌(名古屋)製です。2012年で、製造から46年を迎えます。
2012.09.04
JR久留里線は、木更津~上総亀山間32.2kmを結ぶ非電化のローカル線。今年は木更津~久留里間が開業100周年を迎える記念すべき年です。久留里線を走る気動車はいずれも日本でここだけでしか見られない国鉄型で、とくに3両が存在するキハ30型は、かつて400両以上が製造され、関西本線、房総各線や相模線、八高線などで活躍した通勤型の気動車で、現在でも非冷房のまま活躍する非常に珍しい車両です。以前は他のキハと同じ久留里線オリジナルカラーに塗られていましたが、2009年より3両とも国鉄一般色に塗り替えられ、懐かしいイメージに変わりました。今回は、そんな久留里線のキハ30型3両を紹介します。まずはキハ30 62。(12.03.20 上総亀山駅)3両の中で番号が最も若く、最初の配置が勝浦機関区と、千葉にゆかりのある車両です。久留里線には相模線を経て入線しています。自分が最初に使用された千葉で、最後の活躍の場を与えられた幸運な車両です。キハ30 62の表記。(10.08.17 木更津駅)サボ受けがありますが、現在ではサボは使用されていません。62の車内です。(12.03.20 上総亀山駅) 車両更新工事が施されているため、網棚がステンレス製に変更されていますがそれ以外は国鉄時代の雰囲気を色濃く残しています。車内の銘板。(10.08.17 木更津駅)大宮工場のプレートは車両更新工事のものだと思われます。(2012年8月現在、この大宮工場のプレートはなくなっています)こちらはキハ30 98。(10.08.17 木更津駅)3両の中で、最初に国鉄色に塗り替えられた車両です。この車両は長く八高線で使用され、その後に久留里線にやって来ました。そのため更新工事の内容が相模線から来た車両とは異なります。車外の表記。(10.08.17 木更津駅)キハ30 98の車内。こちらは網棚が原形です。62に比べると床や壁の色が明るみのある色になっているのがわかります。車内の表記。(10.08.17 木更津駅)車内の表記はプレートではなく、直に書かれています。最後に、キハ30 100です。(10.08.17 木更津駅)この100はキハ30型のラストナンバー車で、最初の配置は三重県の亀山機関区です。関西本線などで活躍したのち、相模線を経て久留里線にやって来ました。62同様、こちらの車内も車両更新工事が施されています。車外の表記。(10.08.17 木更津駅)車内です。(10.08.17 木更津駅)車両更新工事で網棚がステンレス製に変更され、さらに吊革も三角形のものになっています。久留里線のキハ30の車内は3両とも微妙に異なっていて面白いです(^^)キハ30のもつ様々な経歴を表しているように思えます。車内の銘板。(10.08.17 木更津駅)今回はキハ30の車両紹介でしたが、次回はキハ30の各種装備などを見ていきます。現在、すでに久留里線の新型車、キハE130型100番台が完成しているため、キハ30など国鉄車の活躍は残りわずかとなります。最後まで頑張ってほしいですね。
2012.09.02
現在、横須賀線や総武快速線などで活躍するE217系は全編成が機器更新を完了しています。更新済みの編成は前面ロゴマークの変更(E217→JR)のほか、帯の色合いも変化しています。この写真は更新済みのY-12編成です。未更新車の編成(Y-21編成、現在は更新済み)と比較すると、帯の色合いの変更でイメージがかなり変化したことがわかります。車内には大きな変化はありません。
2012.08.25
横須賀線や総武快速線を中心に、外房線、内房線、成田線などでも活躍しているE217系。2012年7月に全編成の機器更新が完了し、写真のような登場時からのロゴが入った車両は見られなくなってしまいました。写真は2010年11月に撮影したY-4編成。「E217」というロゴが格好よくて好きだったのですが…こちらも同じ日に撮影したY-7編成。先頭車の車内と車番ステッカー。私の好きな川崎重工製です。撮影日:10.11.28
2012.08.21
キクハ32を撮影した後は、キハ185を撮影します。キハ185はJR四国の特急や一部の普通列車で活躍する特急気動車で、特にトロッコの控車として使われているキハ185-20、26は国鉄時代に近い緑帯を巻いています。国鉄時代末期の登場で、ステンレス車体、短編成化対応などコストダウンの工夫が至る所でみられる反面、デザインは力強さと優しさを兼ね備えた秀逸なものとなっています。キハ185を見るのは初めてなので、色々なところを撮影しました。独特なデザインのステンレス製折戸は2箇所にあります。このデザインは個人的にかなり好感が持てます。車外の銘板には「四国旅客鉄道」とありました。製造は富士重工。千葉県で見られるなんて本当に例のないことです。13:30発の千葉行き普通列車と交換。キハ185と209系2100番台とのコラボレーション。世にも珍しい光景でした。[おまけ]横芝駅にある国鉄型電照式駅名標。かつては主要な駅には何処でもありましたが、近年はほとんど見られなくなりました。ちなみに、現在は節電のため夜間でも照明は点灯していません。撮影日:12.06.30
2012.07.03
JR四国で活躍する「アンパンマントロッコ」が、被災地の子供たちを元気付けるべく東北地方の路線で運行され、子供たちに人気を博していましたが、この度千葉県内の総武本線、成田線でも運行されました。総武本線での運行区間は成東~旭間で、銚子では撮影会も行われました。私はたまたま山梨から千葉に戻っていたので、地元である横芝駅で撮影することにしました。横芝駅には13:25、2番線に到着予定。朝夕のラッシュ以外は静かな横芝駅ですが、この日は子供連れや鉄道ファンで賑わい、警察も出動していました。ちなみに、横芝駅の1番線、2番線は11両編成までに対応しており、そのための標識もあります。(3番線は6両編成まで)したがって、近隣の成東駅同様ホームはかなり長くなっています。そろそろ、お目当ての列車が見えてきました。編成はDE10 1202+キクハ32 502(トロッコ)+キハ185-26(控車)でした。JR四国の車両が総武本線に入線するのは初のことです。(DE10はJR東日本の車両です。)子供たちが撮影に夢中となっていたアンパンマントロッコ、キクハ32 502。この車両は運転台はありますがエンジンがないため、「キクハ」の記号が与えられています。トロッコに楽しそうに乗る子供たちが印象的でした。これに乗れたのは抽選で選ばれた人のみで、横芝など途中駅での乗車や下車はできません。私の目当てはキクハ32よりも控車のキハ185です!早速撮影に向かいます。(つづく)
2012.07.02
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