・大学のESLと最初の3ヶ月

・大学のESLと最初の三ヶ月


約三ヶ月、1タームのESLに同じ代行社を通じて来た人たちがたくさん
いた。年齢は様々。
看護婦のAちゃん、肉体労働をして一生懸命お金を貯めたSくん、
高校卒業したてのCちゃん、ゆくゆくは大学編入目的のTさんなどなど。
とりあえずみんな代行社を通じて一ヶ月分ほどの仮の住まいは確保して
いた。
すでに交換留学生として来ていたEちゃんは校内の寮に住んでいた。
ビザが取れなかったMちゃんは、アラモアナの語学学校に通っていた。

何回もハワイに来ていたのはCちゃんだけだったので、まるでCちゃんを
ツアーガイドのように、初日はみんなかたまって大学へ行った。
そして、Placement Test。私はちょうど、ど真ん中のクラスになった。
やはり日本人だけ・・・と思ったら、数人の韓国人と中国人のクラス
メートがいた。日本人でも、ダンナさんがアメリカ人でもっと話せる
ようになりたいから、というRちゃんのような人もいた。
みんなビザを取って来ている人たち。さすがにクラスを休む人はほとんど
いなかった。出席率が悪ければ、Certificateはもらえない。
授業内容は語学学校に比べて興味深いものが多かったと思う。
しかし日本人が多いのはガン。『別に日本語でもいいじゃーん』という
空気が蔓延していた。そしてクラスごとにキャンパス内を走り回るのは
大変だった・・・。

そして困ったちゃんの私。理由はまったくわからないが、今度はホーム
シックになってしまったのだ!
代行社のハワイでの世話人に相談。すぐにカウンセラーの予約を取って
くれた。そして次のアパートを自分で探す前にホストファミリーの手続き。
ところがカウンセラーには2回通っただけですっかり回復。
しかしホストファミリーのキャンセルはできない。
ということで、私は一ヶ月、大学にかなり近い一般家庭にお世話になった。

もしかしたらタイミングが良かったかも。私はその家庭でThanksgivingを
経験し、ママと一緒にChristmas shoppingにも行った。体調を崩さな
ければ、一般家庭をのぞくことはなかっただろう。
とにかくその家庭にお世話になっている間、銀行口座を開き、新聞から
アパートを探した。ママはとても親切な人だったが、私がやっていることに
口出ししたりしなかった。

電話でどうにかアポを取り、不動産屋には2件物件を見せてもらった。
1件目は1BEDROOMでもテレビがない。「お願いー、つけてー!」と
食い下がったがダメ。
もう1件あるというので、一応そちらへ。STUDIOだが、広い。テレビも
もちろんあった。早急に買うものは電話機だけ、ということで決まり!
三ヶ月以上借りる、という前提で家賃を$50安くしてもらった。
そしてクリスマス前にこのコンドのあるワイキキへ戻ったのでした。

ESLは12月で終わろうとしていた。最初は宿題の多さに閉口したが、すぐ
慣れた。クラスは午後からで、ワイキキに戻るのは5時近かったから、
平日に海に遊びに・・・ということはできなかったし、嫌なことは
さっさと済ませたい私。日本のニュースを見ながら夕食を作り、宿題を
済ませ、友達と夜に人通りが多い所に散歩に行ったりした。

卒業式を迎える前に、今後どうするかを考えなければならなかった。
そのまま大学のESLに残るか、Transferするか。
いろいろ情報を仕入れ・・・アラモアナの語学学校に移ることにした。
今現在はどうかわからないが、その学校は噂では先生の評判が良かった。
とにかくその学校の1ターム、二ヶ月を済ませ、だめならまた他の学校を
考えようと思った。

たくさんある語学学校。私と同じ学校をTransfer先に選んだ人はいなか
った。ビザの心配の無いRちゃんはちょっと主婦業に戻りその後Junior
CollegeのESLへ。Cちゃんは他の語学学校へ。そしてほとんどの人は
そのまま同じ大学のESLへ残ることを選んだ。もちろん帰国する人もいた。
そしてワイキキのホテルで卒業式。無欠席の人へなど、いろいろちょっと
した賞がもらえたりした。私も何かもらったが何だったか忘れた(笑)。
ESLは終わり、次の年までの、2週間程のバケーションが始まった。



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