息抜きしよ~よ。

息抜きしよ~よ。

麻痺

麻痺


全摘手術を受けず経過観察を選択してから、なんとか腫瘍が大きくならないように出来ないか、インターネットで調べたり、どこかから手に入れた薬(何の薬だったかは覚えていない)を飲んでみたり、良いと言われるものをいろいろ試していた。とにかく必死だった。
知り合いに「良い先生がいるから」と紹介された病院で撮ったCTを見て、その医師は「こんなのは見たことがない」と言った。そのとき腫瘍はブドウのようにぼこぼことつながって大きくなっていた。そこでもらった薬を飲んだりもしていたが、効果はなかったようだった。
そうしている間にも、腫瘍はどんどん大きくなっていった。

2001年1月。
年が明けると体調が悪い日が多くなり、仕事も休みがちになった。右足が重く、歩いていると「膝がロックする」ようになり、たびたび転びそうになることが出てきた。
そんな時、一番初めに手術を受けた市立病院の医師にメールで相談したようだった。その医師は本人と同い年ということもあり、入院当時「一番何でも聞ける」存在だったそうで、本人が退院後少しして横浜の病院に移ったと聞いていた。
その医師に自分の病院での受診をすすめられ横浜を訪れたときには、大きくなった腫瘍の影響か、今まで以上に右足が重くなっていたようだった。長時間歩くと足を引きずるようになり、階段では「膝がロックして」しまい、何度も転げ落ちそうになった。
診察後、入院して治療を受けることになった。もうこれ以上放っておけないと感じていたのと、その医師を信頼しての決断だった。

横浜の病院を受診して3日ほどたった日、「右足の指が動かない」と言う。
力を入れて動かそうとしてもピクリとも動かない。こんな数日で病状が進んでしまうとは。入院の予定は2月だったが、それまで待っていたらもっと悪くなってしまう。すぐ病院に連絡を取り、入院の手続きをした。1月の終わりだった。

入院後、その医師が主治医となり、2月終わりごろ手術をすることになった。それまでは脳のむくみを取る点滴をしたり体調を整えてその日を待った。しかし手術当日、喘息の発作が出てしまいその日の手術は中止になった。

今度は喘息の治療も同時に進めながら、3月6日再度手術に臨んだ。私たちはこの手術ですっかり良くなると思っていた。しかし腫瘍は主治医の予想するものとは違っていたようだ。以前の手術では、袋状の中にある液体を出せば袋がしぼんだようになって脳を圧迫することもなくなり症状が治まったので、このときも同じように液体を吸いだすつもりだったらしい。ところが、時がたつにつれてそれも変化していったのか、この時腫瘍は塊になっていた。そのため準備していた器具が使えず、また出来る限り腫瘍を取り除くということで終わった。

それで生活に支障をきたさなければ、やはり様子を見ようということになった。一番怖いのは、大きな障害が出ることだった。まだ年齢が若い、小さな子供もいる。出来れば社会復帰もしたい。あまり思い切った手術ををして脳に悪影響が出ることは避けたかった。

手術後間もなく、話をしていると、どうも入院してからの記憶が曖昧なことに気づいた。2月に喘息で手術が中止になったことも「(言われてみれば)そうだったかな。」といった感じだ。
そのうち、次第に様子がおかしくなってきた。なぜか時間をとても気にするようになった。今何時かわからない。時計がよめない。そして手術後始まったリハビリで「自分の名前を書いて」と言われて平仮名でさえも書けなくなっていた。脳の「記憶」の部分に影響が出始めたのだ。
どうも、その腫瘍は小さな出血を繰り返して大きくなるようなものだったらしい。出血すると本人の体調が悪くなる。ひどい時は自分で起き上がれなくなる。3月の終わりごろから頻繁にそれを繰り返した。

「大出血すると命に関わる」と主治医は言った。手術後1ヶ月で、病状はそこまで進んでいた。
その時の本人は、一刻の猶予もないような状態だった。いつ大出血するかわからない。もしそうなったら命まで失ってしまう。もう、障害が出たとしても仕方がない。大丈夫、それは家族みんなで乗り越えていける。どんなことになっても、死んでしまうよりはいい。
本人も家族も覚悟を決めた。「全摘手術をしてもらおう。」

4月10日、全摘手術。
長時間に及んだ手術は、無事成功した。ICUに入った本人に面会すると、麻酔がまだ醒めきらない状態なのに「どうだった?」と聞いてくる。「全部取れたって。」そう言うと、本人も安心したようだった。
後に、腫瘍は「良性の髄膜腫」だとわかった。

しかし本当に辛いのはその後だったかもしれない。
やはり、体に麻痺が出てしまった。
幸いなことに「記憶」の部分の障害は出なかった。手術前書けなかった名前も、何もなかったように漢字で書けた。(この時、本人は自分が名前を書けなかったことを覚えていなかった。)

麻痺は運動機能に大きくあらわれた。
手術直後は左手以外の左足・右手足が動かなかった。寝返りはもちろん起き上がることも出来ない。ベッドを起こしてもたれていても、座っていられない。食事も排泄も介助がなければ出来ない。今まで何気なくしていたことがなにも出来なくなってしまった。覚悟はしていたものの、本人の精神的ショックは計り知れないものだったと思う。
悔しくて涙を流すこともあった。

その後、左足は少しずつ、そして最後には元通りに動くようになった。しかし、腫瘍が左側の脳にあったため、右手足の麻痺は最後まで残ってしまった。右手は指先が少しずつ動くようになったものの腕を上げることは出来ず、右足は「まるで棒をぶらさげているよう」に重く、この時点ではまったく動かなかった。

長いリハビリ生活が始まった。




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