息抜きしよ~よ。

息抜きしよ~よ。

退院後

退院後



「髄膜腫」の全摘手術をした後遺症で右片麻痺の障害を負った本人は、とても前向きにリハビリに取り組んだ。
もともと、社会人野球をしていたので体力はあるほうだった。また、そのときに鍛えられた精神力、そして持ち前の明るさとパワーで、辛いリハビリも乗り越えた。
そのおかげで、衰えた筋力も少しずつ回復し、手術直後にはまったく動かなかった右足も徐々に動くようになった。
右手もだんだん腕が上がるようになり、食事も左手で右手を支えるようにしながらだが、出来るようになっていった。
そして、退院するころには、どうにか歩行器を使ってなら歩けるほどになっていた。手術直後では考えられなかった回復だ。

本人も家族も、この障害を乗り越えて、みんなで頑張っていく決心をして、11月退院した。入院から10ヵ月後だった。


退院後、やはり自宅での生活は慣れるまで大変だった。
歩行器で歩けるようにはなったが、ずっとは無理なので、ほとんどは車椅子の生活だった。
当時、まだアパート住まいだったため、狭いし段差もある。また、私が看護士のようにスムーズに介助出来ないこともあり、イライラすることも多かった。
体調も良かったり悪かったりで、本人自身スッキリしなかったのだろう。

2002年1月、入院中から障害のことも踏まえ、自分で設計を考え、建築を進めていた今の自宅に引っ越した。
車椅子で移動できること、トイレは車椅子が中で回転できる広さにすること、風呂は介助者がともに入っても十分な広さであること、寝室は1階にし、たとえ2階に上がれなくなっても1階だけで生活できるようにすること。でも、パソコン部屋はあえて2階に配置し、階段を上り下りすることでリハビリにつながるようにすること。
そんな中で、遊び心も必要だと、玄関に囲炉裏を作った。これが本人が一番こだわったところだ。

引っ越してからは、段差などの問題がクリアできたことや、お互い少しずつ慣れてきたこともあり、気持ちに余裕が出来たようだった。
相変わらず、体調が悪く寝込むようなこともあったが、その頻度が少なくなった。

3月、やはり自宅での生活だけでは専門的なリハビリは無理なので、近くの病院にリハビリ通院を始めた。
そこでのリハビリの最終目標として本人があげていたことは、『車の運転が出来るようになること』。
その目標に向けて、後には自宅の車を自分の障害に合わせて改造している。右足が悪いので左足でアクセル・ブレーキが踏めるように、または足が動かなくても手だけで運転できるように、と2パターンを考えた。
まだどのくらい回復するかまったくわからなかったのに、早々改造を進めたのは、自分にそれを課題として与え、前向きにリハビリに臨みたかったためかもしれない。

このころは、短い時間ではあるが職場にも通えるようになった。もともとは経理の仕事をしていたが、パソコン中心の仕事に変えてもらい、自分のペースで進めていたようだ。
常に「自分は仕事をしに会社に行っているんじゃない、リハビリをさせてもらっているんだ。」という気持ちだった。

このままずっと、良い方に向いていけば・・・
そう願っていた。




もどるつぎへ
戻る 次へ


© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: