佐渡飛鳥碑に別れを告げて、国分寺を目指すが道がよく分からぬ。仕方がないので、真野御陵○kmの道路標識に従い、真野御陵を目指す。真野御陵は以前訪れたことがあるので、何となく道に記憶がある。
真野御陵入口バス停の先の信号を左に入って、道なりに行くと、左手に真野宮と佐渡歴史伝説館が見えて来る。
(真野宮)
真野宮は、元は真言宗真輪寺という、順徳陵に奉仕をしてきた寺であったらしいが、明治元年(1868年)の廃仏毀釈で寺が廃され、寺僧は神職となり、本堂を改修して宮としたもの。
明治7(1874)年8月県社に認められ「真野宮」と称した。祭神は順徳天皇で、菅原道真、正中の変で佐渡に殉節した日野資朝も配祀している。
順徳天皇の遺品とされる短刀、硯、扇子などを社宝として保管している。
真野宮の隣が佐渡歴史伝説館で、日蓮や世阿弥など佐渡に流された人物について、ドラマ仕立てで解説するなどの展示があるのだが、以前入館したことがあるので、パス。
今回はここのレストランで昼食だけをお世話になろうと裏から入って行くと、道の奥からやって来たおじさんから「何処へ行かれるのかな。」と声を掛けられた。「食事を・・」と告げると、自転車を駐輪する場所、レストランへの道順を懇切に教えて下さった。
昼食を済ませて出て来ると、先程の道で、今度は反対側から来た神官装束の男性から「これから何処を回られるのかな。」と話掛けられる。聞き覚えのある声、口調なので、よく見ると、先程の冴えない(失礼)「おじさん」ではないか。神官装束にて別人の如き立派な出で立ち。見間違う処でした。
おじさんは真野宮の神職の男性であったのだ。「真野御陵へ行く」と言うと、かなりの坂道だから気を付けて行け、と優しきお言葉。礼を言って御陵への坂道にとりかかる。
その前に、ちょっと。
食堂を出た処の土産物売り場の「お煎餅コーナー」でジェンキンスさんを見かけました。
煎餅売り場で販売のお仕事をされているのですな。観光客のご婦人が握手を求めたり、一緒に記念撮影をしたりされていました。この煎餅を買うと拉致被害者奪還運動への支援に売上の一部が回されることになっているらしい。
(ジェンキンスさん)
(石抱き梅)
(真野御陵への道)
(真野御陵)
<参考>
承久の変
順徳天皇
順徳陵を下って来ると道標に国分寺の標識。
分り難い矢印表示なので迷っていると、「国分寺はこっち」と散歩の方が教えて下さる。佐渡の人は皆親切だ。
しかし、国分寺は何度もアップダウンを繰り返してやっとという、思いの外の遠さであった。ただ、その道すがらの風景は長閑な田園風景。明日香を走っているような気分になってしまう、何とも素敵な秋の道でありました。
(真野御陵から国分寺への道)
やっと、国分寺に到着。道は、真野御陵からは登りもあるが、総じては下りが多いので、巡るコースとしてはこちらが正解のようだ。
(佐渡国分寺・仁王門)
(瑠璃堂)
佐渡国分寺の詳細は下記の<参考>をクリックして下さい。
<参考>
佐渡国分寺
(客殿)
白萩の 咲きか散るらむ みほとけの
笑みにもあるや 佐渡国分寺 (偐家持)
(仁王像)
現在の国分寺の隣に旧国分寺跡がある。
(佐渡国分寺跡)
(国分寺道の道標)
小さな地蔵堂の脇の桜の木の下葉が色づき始めている。既に落葉して枯葉となったのが、カサカサと乾いた音を立てて風に吹かれて行く。
総社神社とある処までやって来ると10名余の人だかり。佐渡ではこの程度の人数でも十分に目を引く人だかりなのだ。
(総社神社)
何をしているのかと思いきや、新潟市内からの狂言体験ツアーにて、只今、先生から狂言の手ほどきを受けている処とか。しばらく見学させていただいた。
かくするうちにバスの時間も近付いて来たので、真野新町バス停へと向かう。初日、自転車で走った道をバスで両津へ。
両津港到着。いよいよ佐渡ともお別れである。
(両津港)
船が出る。
両津港は何やら水墨画の中のよう。
背景の山の左の一番高い山が金北山だろうか。
金北山に登ったのは、もう、随分昔のことだ。
(佐渡ヶ島)
(佐渡の夕日)
(日本海の夕日)
新潟港に着く頃は夕日が日本海を朱に染めていました。
やっと、佐渡旅行終了です。
長らくお付き合い下さり、有難うございました。
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