( 承前 )
水天宮から小樽公園を目指す。ここに3つ目の啄木歌碑があるそうな。
これがまた結構な坂道になっている。小樽は坂の町です。
( 日本基督教団小樽公園通教会
)
小樽公園への道の途中にあったキリスト教会。この建物も小樽市指定歴史的建造物になっている。
教会から先の坂道が右にカーブして勾配がきつくなっているが、其処が小樽公園の入口である。啄木の歌碑は入口左側の小高い場所の一角にありました。
こころよく 我にはたらく 仕事あれ それを仕遂げて 死なむと思ふ (啄木)
不本意な仕事、生活のためだけの仕事はつまらないが、それは仕事の方の問題ではなく「自我の思い」の問題に過ぎない。何であれ全うな仕事であるなら無心に取り組めば其処に自ずからなる面白さというものが見出せるというもの。
「こころよき疲れなるかな息もつかず仕事をしたる後のこの疲れ」と詠い、「何に限らず一日暇なく仕事をした後の心持ちは喩うるものもなく楽しい。人生の深い意味は、けだしここにあるのだろう」(啄木ローマ字日記)と書いた啄木だから、そのことはよく分かっている筈。職場での人間関係や生活苦からの諸々の問題が、仕事と無心に向き合うことを妨げ、労働から「快い疲れ」を奪う。小樽での啄木も亦そのような状況にあったのでしょうか。
こころよく 我に走れる 道のあれ 銀輪駆けて 死なむと思ふ (石川冗談)
小樽公園から来た道を引き返し、偶々見付けた小さな町のレストランで遅めの昼食。注文して料理が出て来るのを待っていると、祭囃子の音が近付いて来た。店の外に出てみたら運河付近で見かけた住吉神社の祭礼の行列である。街中をくまなく練り歩いているのだろうか。カメラを向けて4枚写真を撮りました。
昼食後、店の人に住吉神社の所在を尋ねると、歩くとかなりかかりますよ、と言う答え。自転車だと言うと、それならスグです、と道を教えて戴く。
住吉神社は国道5号沿い、入舟十字街から200m余坂を上った処にある。鎮座150年記念祭という旗がありましたから、幕末期に創建された神社である。
住吉大社は大阪の神社であるから、一応ご挨拶して置くことに。尤も、神輿は神様の乗り物、現在神輿は街中を行進中の行列の中だから、それに乗って居られるなら、こちらは留守宅ということになるのであるが。
神社を後にし、南小樽駅方向に走り、海岸べりへ。
海岸通りを暫し銀輪散歩するも、自転車で走ることに専念、写真がない。日が暮れる前にはホテルに帰るべしで、帰途に。出鱈目に走っていたので、道がよく分からなくなったりもしたが、やがて見覚えのある道に出て、トンネルを三つ越えて、ホテルへの坂道に取りかかる。小樽水族館までも坂道であるが、そこから先の展望広場へは更に急坂。ホテルはその展望広場から更に上らなくてはならない。途中から押して行く。
ホテルの6階に展望デッキがあり、そこから夕日を撮ろうとカメラを向ける。しかし、日没までは未だかなり時間がある。半袖のTシャツ1枚では海からの風が強く寒くなって来て、ひとまず部屋へ。
再度出直して来て撮ったのが下の写真。他の宿泊客の方も何人かが写真を撮りに来て居られました。しかし、も一つの夕日でした。
翌日は帰る日。タクシーでフェリー乗り場へ。朝10時半の出航である。海上から神威岬をもう一度眺めてみようと船で帰ることに。物好きなことです(笑)。
船室のデッキには見送りのカモメさんたちが。
神威岬と神威岩が見えて来ました。
やがて遠くに富士山のような姿の山影が見えて来ました。蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山なのでしょう。
船は一夜明けての翌朝6時に新潟入港であるから、スローな旅である。しかし、たまにはこういうのも悪くはない。粟島も以前銀輪散歩でちょっとだけ立ち寄ったことがあるがこの角度から島を眺めるのは初めてである。
新潟からは空路で伊丹へ。トレイン・アンド・バイシクルの旅であったが、飛行機、船、列車、バス、タクシーと全ての乗り物と併用の自転車旅という邪道トレンクルの旅となりました。
長らくお付き合い下
さり有難うございました。これにて積丹、余市、小樽の銀輪散歩お開きと致します。<完>
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