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自然への畏怖と感謝の蔓たぐり 雨の止み間にゴーヤの蔓たぐりをしました。 鬼怒川堤防が決壊した様子がテレビに映し出され、「また被災地と呼ばれる地域が出てしまいました」と中継ヘリのアナウンサーが叫んでいました。 しばらく固唾を呑んで見守っていましたが、離れた場所でテレビを見ていても何の役にも立てず、かえって無駄な電力を使うだけだと気が付きました。 被災地はこれから多くの電力が必要になると思い、テレビを消しました。 自然は本当に恐ろしいと思いましたが、自然はまた多くの実りも与えてくれます。 この夏、ゴーヤもたくさん採れました。 畑の横に氏神様がありますが、なるべく被害が広がらないように祈るとともに、実りへの感謝も祈りました。
2015.09.10
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秋出水池の幼魚よ溺れるな 夕べから激しい雨が音を立てて降っています。 朝起きてみると、一段低くなっている庭の池が溢れていて、この状態が今も続いています。 夏に生まれた金魚が6~7匹いるはずですが、姿は見えません。 大人の金魚は大雨が降ると、石の下に隠れるという経験がありますが、子供の金魚は初めての経験です。 迷い出てしまうか心配ですが、自然に任せるしかありません。 家の場合は今のところ金魚の心配で済みますが、秩父市近辺には大雨警報や土砂災害警報が出ていて、これから被害が出ない事を祈るばかりです。 すでに各地に被害が出ているようですが、御見舞い申し上げます。
2015.09.09
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雨最中奉仕の妻や杜鵑草 朝から雨が降り続いています。 石垣の上の大きな桜の木から少しずつ葉が落ちていて、濡れた道路がだんだん黄色く染まっていきます。 日赤のボランティア活動をしている妻が、慣れない車を運転して出掛けていきました。 車が出て行くと、杜鵑草が随分咲いている事に気が付きました。 花言葉は幾つもありますが、「秘めた意志」が合っているように感じました。
2015.09.08
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湯屋までの道一面に稲垂るる 月1回の昔の職場仲間とのハイキングは、川越散策としましたが、霧雨が降っていたので途中で切り上げ、川越温泉という立ち寄り湯に直行しました。 バス停を下りると、道の両側の田圃に稲の穂が垂れていましたが、一部は刈ってあったものの、ほとんどの場所は刈り残されていました。 雨が続いていて、稲を干せないのかもしれません。 それでも天候不順が続く中、稲刈りが出来る程実ったようで、人の田圃の事ですが、畑に携わる者としてちょっと安心しました。 1ヶ月ぶりに会って親睦を深めましたが、わずか1ヶ月の間に、また一人の物故者の名前が話題になりました。 そういう年になったのだなあと、つくづく思いました。
2015.09.07
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秋蒔きを済ませ安堵の旅支度 午後から雨の予報が出ています。 空模様を気にしながら、聖護院大根、蕪、小松菜、春菊、水菜などの種を蒔きました。 何もなく、広々とした畑がだんだん埋まっていきます。 8月下旬から9月上旬は、秋蒔きの最盛期を迎え 白菜や玉葱などは、種を蒔く日にちが決まっているものもあります。 明日は出掛けるので、8時頃からお昼のチャイムが鳴るまで作業を続け、予定していた作業をすべて終わらせました。 午後から予報通り雨が降り出しました。
2015.09.06
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秋の蝶花を選んで飛びめぐる 山の畑の脇に、百日草を蒔きました。 夏の間楽しませてくれましたが、百日の名前の通り、今でも咲いていますが、やはり勢いは衰えてきました。 花が萎れ掛けたものも出てきましたが、セセリチョウの仲間が、勢いの良い花を選んで蜜を吸っています。 今のうちにたくさん蜜を吸ってほしいと思います。 人間もお盆以降、仏花として重宝していますが。
2015.09.05
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蟷螂の意地と吾の意地にらみ合う 庭のカポックに蟷螂がいました。 カメラを向けるとこちらに顔を向け、斧を折って戦闘態勢に入りました。 負けてなるもんかと、カメラをマクロにして近付けていきました。 下の写真は今年の5月12日に撮影したものです。 臘梅の葉陰の巣から、次々に生まれていました。 1センチにも満たない小さな蟷螂で、無事に育ってくれと応援しましたが、今はその面影もなく、眼をつけてくる程になりました。 蟷螂は動体視力で、動くものに敏感に反応するようですね。 蟷螂の斧とは、力のない者が、自分の実力もかえりみずに強い者に立ち向かうことのたとえだそうですが、これから枯蟷螂になるまで、精一杯生きて欲しいと思います。
2015.09.04
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束の間の晴れ間逃さず大根蒔く 2回目の大根の種を蒔きました。 昨日晴れたので畑も少し乾いてくれました。 ただ天気予報は午後から雨の予報になっているので、雲の動きに注意しながら作業をしました。 武甲山の左側から雲が掛かると雨になると、昔から言われています。 中央辺りから雲が下りてきましたが、もう少し大丈夫のようです。 大根の種を蒔き終わると、やがて武甲山が雲の中に隠れ、ビニールマルチに当たる雨の音が聞こえ始めました。 秋の作業の一つが終わりましたが、昨日の午後と今日の午前中晴れ間が出たのは、天の助けです。
2015.09.03
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久々の空の青さや九月の日 昨日秩父神社で朔日参りをしてきました。 止雨と太陽が顔を出す事をお願いしてきましたが、願いをお聴き下さったのか、朝まで降っていた雨が止み、忘れかけていた青い空と武甲山が見えました。 祈雨や止雨の神社としては奈良吉野の丹生川上神社や、京都の貴船神社が有名ですが、朝廷から祈雨には黒馬、止雨には白馬か赤馬が献じられたとありました。 私は秩父神社に心ばかりのお賽銭を献じただけで、お恥ずかしい限りですが、昔から雨の降る降らないは大事だったようですね。 畑仕事の手を休めて、空の青さを見上げていましたが、やはり青空は気持が明るくなりますね。
2015.09.02
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止雨祈る二百十日の神社かな 毎月1日に秩父神社にお詣りしていますが、今日も雨の中出掛けました。 本殿では厳かに月次祭が行われていて、それを見ながら手を合わせてきました。 今日は二百十日です。 「立春から数えて 210日目の日。9月1日頃にあたるが,この頃はちょうどイネの着果時期であるうえに,台風の来襲する季節とも一致するので,昔から農家には厄日として警戒されている」と説明がありましたが、今年は日照時間が極端に少なく、雨ばかり降っていて、厄日と言えばそう言えるかもしれません。 稲の作況指数や、畑の野菜の生育にも影響を及ぼし、野菜の高騰に繋がるのではないかと心配です。 止雨を祈り、太陽が顔を出してくれる事を願ってきました。
2015.09.01
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秋冷や育ち気になる野菜の日 今日は野菜の日です。 「や(8)さ(3)い(1)」の語呂合わせから、全国青果物商業協同組合連合会をはじめ9団体の関係組合が、1983(昭和58)年に制定した記念日です」という説明がありました。 その後に、「この時期は残暑も厳しく、夏バテになっている方も多いハズ。こんな時こそしっかり野菜をとって、元気に秋を迎えてほしいと願っています」と書かれていました。 朝の天気予報で、8月として4日連続の低温は、2003年以来だと言っていました。 まして32年前には、こんな低温が続く事は想像もできなかったものと思います。 写真は白菜です。 23日に蒔きましたが、芽は出したもののその後太陽がほとんど当たらず、育ちが良くありません。 太陽の光が欲しいところですが、予報によると5日まで期待できないようです。 私などは趣味で農業をやっているので、しょうがないなあで済みますが、農家の方はもっと深刻だと思います。 そしてこの低温が、野菜の値段にじわじわと影響を及ぼすのではないかと心配しています。 天照大神様が天石屋戸にお隠れになったという神話がありますが、古事記が編纂された時代も、農業への影響が大きかったのでしょうか。 天宇受売命という女性の神様が、天石屋戸の前で胸をはだけて踊ってお出ましを願ったようですが、畑の真ん中で踊るわけにもいきません。 ・・・日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き・・・ 太陽が顔を出すのをじっと待っています。
2015.08.31
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藪蛇にあらず藪より葛の花 昨日に引き続いて畑と駐車場との境の草刈りをしました。 境界線として植えられている桑の木が、天を衝くくらい大きくなり、根元付近からノコギリで切りましたが、引っ張っても動きません。 葛の蔓がガッチリ絡まっていました。 今度は鎌を持ち出し、蔓を切っては少しずつ引っ張り出しました。 ある程度蔓を切っておいて、力を入れて一気に引きずり出すと、葛の花が出てきました。 藪から蛇ではなく葛の花が出て来たので、きつい作業が癒やされたような気がしました。
2015.08.30
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草藪の中で生き抜く南瓜かな 山の畑と駐車場の間の境に、5月下旬南瓜苗を15本植えました。 毎年草が蔓延ってしまう為、大きな葉の南瓜を植えれば、草除けになると考えたからです。 小さな草を1本1本抜き、綺麗にしてから植え付けをしました。 あれから4ヶ月、私の腰くらいの草が蔓延ってしまいました。 昨日雨の止み間に草刈りをしました。 草刈り機ではすぐに絡まってしまうので、鎌で切り倒していきました。 南瓜の蔓を引っ張ると、ずしりと重さを感じ、中から大きな南瓜が出て来ました。 中には動物に食べられた跡のあるものもありましたが、草藪の中でちゃんと育っていました。 ところで、当地は26日から学校が始まっていますが、9月からは全国で2学期が始まりますね。 先日のテレビで「子供の貧困」という番組を見ました。 「今、子どもの6人に1人、およそ325万人が国が基準としている“貧困ライン”(一人世帯122万円未満)以下で暮らしている。昨年8月に政府は「子供の貧困対策に関する大綱」を閣議決定し・・・」とありましたが、その後も改善されずに、夏休みになると給食がなく、食べさせるものもなく、日に日に痩せていくのを見るのが恐ろしいというシングルマザーの声もありました。 子供の貧困は、豊かな先進20カ国のうち、4番目の高さにあるという報告もありました。 以前も書きましたが、こんなネット記事もありました。 「首相の外遊は計31回。60か国以上を訪れ、総計6兆4,477億円にのぼる支援を表明した形となっていた。消費税3%アップにともなって平成26年度に見込まれる増収額は約5兆円。いささか乱暴だが、消費税アップによる今年度の増収分をはるかに上回る金額を、対外支援に充ててきたも同然。増税分は、首相の顔つくりで帳消しにされたと見ることも可能だ」 対外支援は必要ですが、日本の貧困より「顔つくり」を優先し、多額の金を持ち出す姿勢に疑問を感じます。 「女性の輝く社会」と美しい言葉が語られますが、どうも心に響きません。 またやっと決着したオリンピック競技場に関しても、以前に「国がたった2500億円も出せなかったのかね」という組織委員長の発言などもありました。 日々の苦しい生活の中から納めた貴重な税金を「たった」という神経も理解できません。 美しい言葉を何百回発言するより、日本の未来を背負っていく子供達の貧困に、公的支援を具体的に取り組む事が先決だと思います。 南瓜は雑草の中で生き抜いていました。 困難に負けずに生きていってほしいと思います。 私も年金生活者ですが、せめて孫の事を見守っていきたいと考えています。
2015.08.29
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雨に倦む朝に楚々と薄荷咲く 昨日の午前中晴れ間が出ましたが、今日は朝から霧雨が降っています。 庭の隅で、咲き始めた薄荷の花が濡れていました。 和種薄荷とミントと2種類ありますが、放任しておいても地下茎でどんどん増えていきます。 薔薇や植木の周りに蔓延ると、根を掘って整理しますが、秋になるといつの間にか増えています。 そうした逞しさとは違って、花は楚々とした白い花です。 鼻を近づけても匂いはしませんが、葉を千切って揉むと、あの薄荷の良い香りがします。 薄荷の花が咲き始めると、ああ秋が来たんだなあと感じます。
2015.08.28
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久々の日差しに跳ねる飛蝗かな 午前中何日ぶりかで晴れました。 妻は「今日は乾くわ」と言って、部屋干ししていた洗濯物を、外に干していました。 畑に行くと、野菜の色が鮮やかになったように見えました。 気になっていた玉葱の種蒔き用の苗床作り、大根を蒔く畑作り、白菜を蒔く畑作りが出来ました。 畑の脇で飛蝗が葉表に出て日なたぼっこをしていました。 飛蝗の種類が多くて名前はわかりませんが、やはり雨より晴れの方が活動的です。 夜から雨の予報が出ていますが、8月中に予定していた農作業を全部終わる事が出来ました。 太陽の有り難さを久しぶりに感じました。
2015.08.27
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糠雨に紫紺際立つ秋茄子 朝から雨が降っていて畑仕事はお休みです。 ただ収穫だけはしないと育ちすぎてしまいますので、収穫だけして帰ってきました。 5月に茄子苗を8本植えましたが、7月の下旬にそのうちの2本を秋茄子用に葉を2~3枚残して剪定しました。 元の6本の茄子は最盛期を終えましたが、剪定した2本から秋茄子が採れ始めました。 9月に入るとこの2本が中心となって、しばらくの間秋茄子が楽しめます。 それにしても異常な低温が続いていて、これからの秋冬野菜の作業に、影響が出ないと良いのですが。
2015.08.26
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蟋蟀の塒奪って畑作り 午後から雨の予報が出ていますが、今はまだ降っていません。 畑の叢でコオロギが鳴いています。 それもそのはず、7月23日に一度草刈り機で刈った草が、1ヶ月を過ぎるとご覧のようになり、コオロギの格好の塒になりました。 また草刈り機でと思いましたが、根を残すと同じ事になるので、1本1本根毎抜くことにしました。 今頃の草は根を張っていて手強く、8月1日に始めた草取りも、やっと今日終わり耕耘機を掛け整地しました。 農事日誌には「やっと半分終わった。少しずつ頑張ろう」とか「あと四分の一、もう少しだ」などと書かれていて、読み直すと折れそうな心を鞭打っている様子がうかがえます。 8月1日の頃はコオロギの鳴き声は聞こえませんでしたが、だんだん聞こえるようになり、今日はかなりの鳴き声があちこちから聞こえていました。 叢がなくなっていくにつれて、コオロギの鳴き声もどんどん遠ざかりました。 そして今日、この畑からコオロギの声は聞こえなくなりましたが、秋蒔きの準備は着実に進みました。 塒を奪っておきながら、上の写真の雌とカップルができれば良いと思いましたが、人間の身勝手ですね。
2015.08.25
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水引の花を濡らして水落ちる 武甲山の登山口にある湧き水を汲みに行きました。 この前来た時は夏真っ盛りでしたが、山はすっかり秋の気配になっていました。 水引草が咲き出し、玉紫陽花が咲いていて、涼しいと言うより、ちょっと肌寒さを感じる風が吹いていました。 秋は山からやってくるようです。
2015.08.24
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留まるも落ちるも風の芋の露 雨が止んだので、山の畑の様子を見に行きました。 ぬかっていて畑には入れないので、道から見回りました。 芋の露ができていたので写真を撮っていると、急に風が出て来て雨も降ってきました。 芋の露は何度か葉の上を行ったり来たりして揺れていましたが、持ち堪えることが出来ず、一気に零れ落ちました。 里芋は乾燥に弱いので、今頃は水遣りの心配をしなければなりませんが、このところ雨が多いので、順調に育っています。 今日は畑仕事は諦め、今までの農事日誌を見返し、次の作付けの計画を立てることにしました。
2015.08.23
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秋耕の土生き返る匂いかな 玉蜀黍の畑を整理し、耕耘機をかけました。 夏野菜の畑が次々に整理され、冬野菜を蒔く畑に変わっていきます。 ちょっと寂しい季節ですが、毎年この時期には欠かせない作業です。
2015.08.22
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正門右側より望む噴水と南面外観巡り行く迎賓館の庭さやか 迎賓館の見学をしてきました。 昨年8月昔の職場仲間と見学しましたが、今年は妻と一緒に見学に行きました。 5月の連休明けに申し込み、期間中20,000人、1日2,000人の抽選に当選して見学できました。 本館、正門、主庭噴水等が平成21年12月に国宝に指定されたそうです。 外観のみ撮影が許され、内部は撮影禁止なので、パンフレットを使いました。 写真の彩鸞の間は、表敬訪問の為に訪れた来客が最初に案内される控えの間として使用されたり、晩餐会の招待客が国・公賓に謁見したり、条約・協定の調印式や国・公賓のテレビ、インタビュー等に使用され、他の花鳥の間、朝日の間、羽衣の間も首脳会談に使われたり、晩餐会に使われたりすると説明がありましたが、紛争の解決の使者ではなく、平和の使者としてのお客様を、何時までもお迎えできれば良いと思いました。
2015.08.21
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色褪せて雨に打たれる木槿かな 木槿の花が咲いています。 朝咲いて夕に萎んでしまうことから「槿花一朝の夢」とか「槿花一朝の栄華」などと、ものの儚さの譬に言うようですね。 今日は朝から雨が降っていましたが、雨に濡れた花はよけい儚さを感じます。 この間までは安保法案に反対する学生の団体に対して、「だって戦争に行きたくないじゃんという自分中心、極端な利己的考えに基づく」とツイートして一躍脚光を浴びた議員が、今度は 「週刊文春によると、武藤氏は昨年10月、ソフトウエア会社の未公開株の購入を「国会議員枠で買える」などとして知人に持ちかけ、23人から計約4100万円の出資を受けた。しかし、未公開株は購入されず、出資者が返金を求めたが、いまだに約700万円は返済されていないという」という記事がありました。 自民党に離党届を出しただけでは収まらず、今度は国会で追及されたり、法的の場での説明もしなければならない立場に追い込まれてしまったようですが、まさに「槿花一朝の栄華」ですね。
2015.08.20
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朝顔の蔓を取り合う鉢二つ 朝顔が咲き出しましたが、放っておいたら蔓が隣の鉢まで伸び、別の色の鉢で咲いていました。 早めに蔓を戻さないと、種採りの時にわからなくなってしまうので、あわてて戻しました。 朝顔とか、種採りの季語の季節になってきました。
2015.08.19
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朝の日に緑濃くなる蔓茘枝 ゴーヤが次から次へと採れるようになってきました。 去年収穫した種を採り蒔いたものですが、朝日が昇ると緑が濃くなり、大きくなっているような気がします。 今朝も凌霄花の花をバックに、また太ったようです。 ゴーヤチャンプルや、ゴーヤの酢味噌和えにして食べますが、出来すぎると近所にお裾分けして食べて頂きます。 頑固そうなゴーヤですが、野菜外交に役立って、人間関係を丸く収めてくれます。
2015.08.18
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小さき手で酸いか甘いか西瓜抱く 小玉スイカが雨に濡れています。 昨年収穫した種を採っておいて、今年蒔いたものです。 雑草に埋もれていますが、藁を敷いて特等席を作りました。 全部で6個なりましたが、その内の1個を、昨日帰った孫に収穫させて持たせました。 甘くなっていてくれれば良いのですが、切ってみなければわかりません。 雨が止んだらじじばばも収穫して、どんな状態か見てみましょうか。
2015.08.17
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送り火の消えるを待たず孫帰る 孫一家が帰る前に送り火を焚きました。 義父の遺影が古くなったので、新しいものに替えて一緒にお炊きあげをしました。 孫は二人とも顔を知らないので、「この人は誰?」と聞きました。 「ばあばのお父さんだよ」と言うと、「フーン」と言って手を合わせていました。 台風が上陸したような慌ただしい日々でしたが、お盆の終わりと共に、老夫婦だけの静かな日常に戻りました。
2015.08.16
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百年を見つめた駅舎終戦日 今日は終戦記念日です。 これは秩父鉄道の旧秩父駅です。 大正3年に秩父出身の坂本朋太郎によって設計され、秩父駅として使われてきましたが、昭和59年に秩父市聖地公園内に移築されました。 私も就職の為にチッキ(手荷物輸送)という制度を利用して、この駅の改札を潜り東京へ出て行きました。 私の出発点の駅です。 そして大正から昭和に掛けての激動期をこの駅舎はずっと見続けてきました。 この駅舎の改札を潜って出兵していった多くの人達の中で、無事に改札を潜り帰ってきた人、戦死して遺骨だけが帰って来た人、南方の島で戦死して遺骨も帰ってこなかった人を、ずっと見続けてきました。 今日の天皇陛下の「さきの大戦に対する深い反省」というお言葉があるより先に、集団的自衛権をめざす安倍総理は、その前日に70年談話をは発表しましたが、いろいろな国に配慮し、支持率低下に配慮した内容だったような気がします。 積極的平和主義と言って、地球を俯瞰する外交と豪語しこれまで多くの国を訪問してきました。 ネットで調べると次のような記事がありました。 「首相の外遊は計31回。60か国以上を訪れ、総計6兆4,477億円にのぼる支援を表明した形となっていた。消費税3%アップにともなって平成26年度に見込まれる増収額は約5兆円。いささか乱暴だが、消費税アップによる今年度の増収分をはるかに上回る金額を、対外支援に充ててきたも同然。増税分は、首相の顔つくりで帳消しにされたと見ることも可能だ」とありました。 国内の貧困も増大しているのに。 集団的自衛権が60日ルールで成立すれば、当面は自衛隊の派兵になりますが、次のようなネットの記事がありました。 「米国の先制攻撃で開戦したイラク戦争(2003年開戦)への派兵では、陸上自衛官が20人、航空自衛官が8人の計28人が自殺しています」 また日本に帰って来た後で、ノイローゼになったり、家庭崩壊した例も報告されているようです。 いずれも「因果関係は不明」との防衛省の発表のようですが。 それだけ重い法案なので、安倍首相の取り巻きの議員さん達の軽い口調には怒りさえ覚えます。 60日ルールで押し切るのでしょうが、自衛隊員の覚悟、その家族の覚悟、偶発的にしろ銃の引き金を引いてしまった場合の戦闘の開始で、相手を殺してしまった場合の報復のテロの可能性など、考えすぎかもしれませんが、国民も他人事ではなく、真剣に考える必要があると思います。 テレビで100人中52人の若者が【終戦の日】を知らなかったという放送もありましたが。
2015.08.15
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盆最中神の試験の結果くる 6月21日に受けた神社検定弐級の結果が届きました。 当落選上にあるとは思っていましたが、ギリギリ合格しました。 はじめて見た事柄もありましたが、テキストに出ていた事は覚えていても、記憶に残っていなかった問題や、勘違いした問題もあり、一発勝負の難しさを感じました。 お盆の最中に神様の話はどうかと思いますが、神仏習合の時代もあり、神仏隔離の時代もあり、時の権力者によって国家の鎮護をどうするかで方針が違ったようですね。 お正月には神道になり、お彼岸、お盆には仏教になり、バレンタインとクリスマスはキリスト教になる、今の日本の宗教は自由で良いですね。
2015.08.14
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顔知らぬ曾孫の作る瓜の馬 昨日の夜小二の孫が遊びに来て、今朝は総出で盆飾りをしました。 小二の孫には茄子の牛と、瓜の馬を作ってもらいました。 割り箸を物差しで計ってちょうど半分に切って足を作りますが、「算数みたい」と言っていました。 家の畑で採れた育ちすぎた胡瓜を使いましたが、「大勢乗っても落ちないように、大きな胡瓜を使うんだよ」と言うと、「フーン」と言って一生懸命割り箸を挿していました。 迎火を焚きましたが、顔も知らない曾孫の作った瓜の馬に乗って早く帰って来て、お盆が終わる日には、茄子の牛に乗ってゆっくり帰ってほしいと思います。
2015.08.13
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誰も来ぬ墓を横見に墓掃除 お墓の掃除に行きました。 家の墓の前の石段の横は空き地になっていて、今年も石段を隠す程草が蔓延っていました。 空き地なので草が蔓延るのは当たり前ですが、その奧の古いお墓も今年も誰も来ないようで、草が墓石を被っていました。 6年くらい前までは、私よりちょっと年配の人が訪れていて、この空き地の草も刈ってくれていました。 その人の父親が戦死して眠っていると話していましたが、ここ数年はその墓はお盆になっても草ぼうぼで、空き地の草刈りは私の役目になりました。 この草むらの中には、この墓地の全部の墓に供えられる位の鬼灯があるので、周りの整理と背の高い草だけ抜いて、後はお盆が終わった後、一気に草刈り機を掛けようと思っています。 ただこの空き地だけで、その古い墓には許可無く入れないので、そのままにしておきますが。 11日の夜、NHKのアニメドキュメント「あの日僕らは戦場で」ー少年兵の告白ーを見ました。 沖縄決戦の時、14~17才くらいの約1000人の少年が、護郷隊(ごきょうたい)という名の少年兵として招集され、「1人で10人殺せば死んでも良い」という教育を受けて、ゲリラとして闘ったというものでしたが、その当時の事を証言する元少年兵の口は重く、特に歩けなくなった友達が毛布を被せられて軍医に銃殺されたという事を、銃殺された事を知らされてこなかった遺族にはじめて話す時の場面では、見ている私も心が重くなりました。 私の父も朝鮮に出兵していたようですが、「あの時の事は話したくない」と言って、語らないまま今は墓に眠っています。 思い出すのも厭なほどの事をしてきたのだろうなと、今は想像出来ます。 このところどこのテレビ局も、戦争の悲惨さを取り上げています。 その悲惨さを見ると、安保法案も軽い言葉ではなく、当面は自衛隊の命に関係する重大な問題なので、60日ルールなどという事で押し切ることのないように、国民への説明をキチンと行う必要があると思います。 まして、安倍さんに近い国会議員が「SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ」とツイートしていますが、命に関わる事をこんな軽い乗りで語ってほしくありません。 今年のお盆は何時もの年と違い、特別な思いで迎えなければならないようです。
2015.08.12
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恋人に届けと翅擦るきりぎりす 庭の小式部の葉の上で、キリギリスが鳴いていました。 家の庭で鳴くのは初めてで、妻を呼んでそっと見ましたが、「子供の頃以来久しぶりに見た」と感動していました。 お盆の頃墓参りに行くと良く鳴いていますが、姿を見た事はありません。 キリギリスは警戒心が強く、足音がしただけで葉から落ちたり、葉の陰に隠れてしまうようですが、このキリギリスは目の前で鳴いていました。 翅を振るわすと鳥などに見つけられてしまうので、早くパートナーが見つかれば良いのにと、応援したくなります。 明日小二の孫が遊びに来るので見せてやりたいと思いますが、下手に捕まえて死なせてしまっては元も子もないので、写真だけ撮ってそのままにしました。 せめて鳴き声だけでも聞かせてやりたいですが、だんだん鳴き声は移っていき、隣の駐車場の草藪まで遠ざかりました。 ぎりぎりそこから離れてほしくないのですが。
2015.08.11
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山歩き切り上げ湯屋へ秋暑し 月1回のペースで行っている、昔の職場仲間とのハイキングは、川越の日帰り温泉での納涼としました。 ハイキングはアリバイ的に行い、すぐに温泉に直行しました。 冷たいビールで親睦を深めましたが、この頃前回のハイキングから1ヶ月しか経っていないのに、昔の職場の誰かの訃報を聞く事が多くなりました。 お互いそういう年齢になったんだなあと改めて思い、健康に気を付けて9月も会いましょうと約束をして別れました。
2015.08.10
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消させない少女の笑顔長崎忌 今日は長崎忌です。 私のブログ名の元になっている近所の薬師堂の大修理で、隣組の人と一緒になって腐食している床板を根太ごと全部切り出したり、コンクリートを敷く作業をしている途中で、止めてある軽トラックから聞こえてくるラジオに向かって、頭だけを下げました。 長崎平和記念像の作者の北村西望は、昭和20年3月から昭和23年まで、秩父長瀞町矢那瀬の高徳寺に家族と共に疎開していました。 寺の裏にあった竹を使って考案したのが、竹の骨組みに石こうを直接塗って仕上げる、「石こう直付け法」で、粘土原型から石こうで型取りする従来の技法より、大型作品の制作に適していて、昭和30年に完成した平和祈念像(高さ9.7メートル)の制作に活かされたと言われています。 疎開中、畑でキュウリやトマトを育てながら、地元の祭りや行事に積極的に参加し、地元住民との交流を深め、資材不足の中で制作した書や絵画も含めた作品が、長瀞町の町内には150点残されいると言われていて、今年の2月末から3月のはじめにかけて、その内の80点が長瀞宝登山神社で北村西望展として展示されました。 上の写真は「喜ぶ少女」という作品です。 70年前、この少女のような笑顔が一瞬に奪われたのですね。 70年後の現在、世界の核兵器はずいぶん増えてしまいました。 唯一の被爆国の日本は、もっと積極的に世界に訴えなければならないと思いますが、安全保障関連法案の法文上は核兵器の輸送が可能だとした防衛相の答弁や、首相挨拶も、広島では非核三原則の堅持を盛り込まず、批判されて長崎では盛り込むという一貫性のない姿勢が伺えます。 語り伝えていく人もだんだん高齢になり、どのように継承していくかが課題だとテレビで放送していましたが、私も含めて、日本の将来について、真剣に考えなければと改めて思いました。
2015.08.09
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立秋の風に捗る農作業 今日は立秋です。 暑くなるまでに作業を終わらせようと、朝早く山の畑に行きました。 馬鈴薯を掘った跡地が草ぼうぼうで、今まで暑くて手を付けられませんでしたが、その草を取り始めました。 空は曇っていて、時折涼しい風が吹いてきました。 何時もは午前10時頃になると、強い日差しが照りつけ、作業を中止して帰ってきますが、今日は予定していた以上の面積の草を抜く事が出来、おまけに耕耘機まで掛けられました。 お昼のチャイムが鳴ったので帰って来ましたが、昨日までの猛暑が秋という言葉を聞くと、どこかへ行ってしまったのが不思議です。 このまま涼しくなってくれれば、農作業も捗るのですが。
2015.08.08
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陰りても熱は剥がれず都会灼く 所用で東京へ出掛けました。 帰りに池袋から秩父への直通電車に乗ろうとしましたが、乗り換え時間が合わずに出てしまいました。 次の電車を待つ間に、池袋駅東口に出てみました。 ビルの谷間で陰になっていましたが、アスファルトの照り返しは消えず、熱気が充満していました。 山国も気温はあまり変わりませんが、土とアスファルトの違いは歴然としています。 そう言えば、人の歩く速さも随分山国とは違っていました。 私も9年前までは、東京駅近くの職場だったので、人混みの中を何の違和感も感じずに歩いていましたが、今では人にぶつかりそうになり、歩く速度も遅くなってしまったようです。 それでも残り少ない人生、ゆっくり歩むことにしました。 明日は立秋ですが、秋はまだまだ先のようですね。
2015.08.07
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過ちの言葉薄れる広島忌 今日は広島原爆の日です。 テレビに向かってですが、遠い山国から黙祷を捧げました。 広島には二度、長崎には一度行ったことがありますが、ご存じのように原爆死没者慰霊碑には、安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬからと刻まれています。 70年経つと、いろいろな意味で風化していっているようですね。 昨日のNHKの「クローズアップ現代」では、長崎の被爆者が中学生を前に語っている時、「この死に損ないが・・」と罵声を浴びせられたと報道していました。 安全保障関連法案をめぐり「誤った報道をするマスコミには広告は自粛すべきだと発言した同じ議員が、党本部で開かれた原子力政策に関する会合で、原発に批判的なテレビのコメンテーター(解説者)らに関し「個別にどんどん正確な知識を知らせていくべきだ。各個撃破でいいからぜひ行って、皆さんの持っている知識を知らしめてください」と資源エネルギー庁の幹部らに求めたという報道もありました。 別の議員は自らのツイッターで、安全保障関連法案に反対する学生団体について、「『戦争に行きたくない』という自分中心、極端な利己的考えに基づくと非難していたことがわかった」という報道もありました。 撤回はされましたが、「法的安定性は関係ない」という補佐官の発言など、「思想及び良心の自由」が脅かされた戦前に回帰するするような発言が、次から次へと責任政党から出ています。 この写真俳句ブログも、いつか検閲が入るのではないかと、よけいな心配まで出て来ます。 今日高校野球100年の筋目を迎える97回大会が開会されました。 戦争によって中断された時期もあったと解説がありましたが、その間戦死したり、空襲で亡くなった高校球児もたくさんいたようですね。 元気に行進する高校球児達が、バットを銃に持ち替えることがないよう願うと共に、孫の為にも平和が続くようにと思いながら見ていました。散った子も歩む100年甲子園
2015.08.06
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胃カメラを飲んだ後先夏痩せる 7月31日に人間ドックを受けましたが、今日は残った検査の胃カメラの検査を行いました。 朝食抜きで、水も口を湿らせる程度に飲んだだけで病院に行きました。 朝からの強い日差しで、車のクーラーも効きません。 麻酔、血管収縮剤などの処置を行っただけで、かなりの疲れを感じましたが、胃カメラが胃の中で動く段になると、相当な体力を消耗したような気がしました。 あまりやりたくない検査だと、誰に八つ当たりする事も出来ずに外に出ると、ちょうど病院の送迎車が着いたところでした。 介護士に支えられて、車椅子の患者さんが次々に下りてきました。 その不自由そうな様子を見ていたら、自分の不満などは些細な事だと思いました。 なるべく介護のお世話にならないように、自分で健康は守らなくてはいけないと、改めて思いながら帰ってきました。
2015.08.05
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空蝉や空き家の増える過疎の町 庭の隅の木賊に、蝉の殻がありました。 この間見た時にはなかったので、最近生まれたようです。 7月のはじめに生まれてくるものもあれば、もうすぐ立秋という時期に生まれてくる蝉もいて、蝉の世界も大変ですね。 山梨県境に秩父市大滝という集落があります。昨年2月の大雪で孤立した集落です。 昨年3月に閉校した大滝小学校の利用者募集の記事が、市のホームページに載っていました。 農業や林業で暮らしていた町ですが、高齢化に加え、猿や鹿などが作物を食い荒らし、農業ではやっていけなくなってきました。 林業も衰退し、若者が都会に出て行くお決まりのパターンになりました。 限界集落という厭な言葉が、現実味を帯びてきました。 秩父市の中心地でも、高齢化と国道沿いに進出してきた大型店舗の影響で、旧商店街のシャッター街化が進んでいます。 何とかしてほしいと思いますが、「自民党の武藤貴也衆院議員が自らのツイッターで、安全保障関連法案に反対する学生団体について、「『戦争に行きたくない』という自分中心、極端な利己的考えに基づくと非難していたことがわかった」というニュースなどを見ると、地方を何とかしてくださいという主張も、「日本全体を見ないで自分中心、極端な利己的」と言われるかもしれませんが(;_;)
2015.08.04
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うち続く炎暑に狂う人と花 毎日猛暑が続いています。 朝早く山の畑に行き、10時頃には帰って来るようにしています。 日中は休養し、午後3時過ぎに畑に行くようにしていますすが、午後から雷が鳴ってきて、予定が狂ってしまう事がしばしばです。 今朝も畑に行きましたが、夕べの雷雨で畑はぬかっていて、泥に足を取られて思うように作業が出来ません。 予定の半分ほどの作業を終えて帰ってくると、庭の藤の木に3房藤の花が咲いていました。 猛暑で人間も狂わされますが、花も季節を違えて咲き出してしまいました。 もうすぐ立秋ですが、この猛暑も収まってほしいものです。
2015.08.03
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いかだ師も転けて笑いの川涼み 荒川の上流で秩父青年会議所主催の「荒川源流いかだコンテスト」が行われました。 消防団や企業、個人など20チーム以上のいかだが参加しました。 スタートからゴールまでの200mのタイムと独創性を競うものですが、順調にスタートしたと思っても、波のある所へ差し掛かると、いかだが壊れて転覆してしまうものもあり、川岸から大笑いが起きていました。 厳しい日差しが照りつけていましたが、川に足を浸けていると、涼しさが伝わってきました。
2015.08.02
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梅干して辺りに満ちる日の匂い 梅を干しました。 今日で二日目ですが、猛暑がよく乾かしてくれます。 雷が近付いてきたので、慌てて取り込みましたが、ベランダには温められた梅の匂いが充満していました。 明日干せば終わりですが、気の抜けない三日間です。
2015.08.01
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七月の終わりに閉じる日記帳 暑中御見舞い申し上げます。 本日で今まで続けてきた写真俳句ブログともお別れです。 日々の出来事を綴ってまいりましたが、見返してみると、懐かしいことばかりで、ずいぶん励まされました。 写真俳句ブログ事務局の皆様、ブログのお仲間の皆様、閲覧してくださった皆様、本当に長い間ありがとうございました。 明日から楽天写真俳句ブログへ正式に移りますが、楽天ブログのスタッフの皆様、楽天写真俳句ブログの皆様、今後ともよろしくお願い申し上げます。 まだまだ暑さは続きますので、どうかご自愛の上お過ごし下さい。
2015.07.31
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鳥獣に隠せぬ程にトマト熟る 山の畑のトマトが次々に赤くなってきましたが、カラスやハクビシンが狙っています。 鳥獣除けネットを張って防いでいますが、いつまで通用するかわかりません。 秩父市のもっと山奥では、猿や鹿、イノシシの被害で、農業を止める人が出て来ています。 動物愛護という考え方との狭間で、市の方としても困っているようです。 先日動物除け電気ネットの事故が起こりましたが、被害に遭われた方にはお悔やみと御見舞い申し上げます。 管理がキチンとされていなかったようですが、動物除けネットは動物から農業を守る為に、これからますます必要になってくると思います。 獣との共存は無理なので、設置する人も、通り掛かった人も、お互いに注意していく必要があると思います。
2015.07.30
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そつと来て急に鳴き出す油蝉 網戸でいきなり油蝉が鳴き出しました。 ちょっとビックリしましたが、そっとカメラを向けてマクロ撮影する事にしました。 カメラを近付けても、生きている時間を惜しむかのように、お腹を動かして鳴いています。 この場面はどこかで見た事があるぞと、過去の写真俳句ブログを見返してみました。 2012年8月2日と2013年7月29日に、ほとんど同じ写真が掲載されていました。 同じ蝉が来るはずもなく、今年生まれた蝉なのでしょうが、この網戸が好きなのでしょうか。 日々の出来事を記録しておくと、新たな感動を覚えます。 必死で鳴いている蝉に、何となく哀れを感じました。 しばらく鳴いていましたが、満足したのか網戸から飛び去っていきました。
2015.07.28
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明け方の眠りを破る雷雨かな 明け方にシャッターを叩く雷雨で目を覚ましました。 最近は、遠雷で終わったり、いきなり頭上で1回鳴って終わる雷が多かったのですが、今朝は久しぶりに雷らしい雷で、次から次にやってきました。 玄関を開けると、道路の水が庭に勢い良く流れ込んでいました。 先日は植木のプランターを土嚢代わり並べて防ぎましたが、今朝はどうしようもありません。 雨雲ズームリーダーを見ると、しばらくすると止みそうなので、畑仕事はお休みにして、高校野球埼玉大会の決勝戦を見ることにしました。 こちらでは暢気な事を言っていられますが、九州などではこうした豪雨が降り続いたようなので、産地の野菜などはどうなっているか心配です。
2015.07.28
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大河へと旅立つ細き山清水 武甲山の登山口にある、延命水という湧き水を汲みに行きました。 今日は月曜日なので水を汲みに来る人も少なく、ゆっくり汲む事ができました。 この樋の湧き水の3mくらい上流に水汲み場はあります。 武甲山からの湧き水ですが、これが生川(うぶかわ)という渓流に注ぎ、横瀬川と合流し、横瀬川は荒川に合流し、やがて東京湾に流れ込んでいきます。 全国には分水嶺になっている山もたくさんあり、太平洋や日本海へと水は旅立っていきます。 清らかな水が汚染されることなく、ずっと湧き出し続けたら良いと思いながら汲みました。
2015.07.27
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山里に祭太鼓の響きけり 地元町会の子供達の柿沢祇園まつりが行われました。 安政2年の「祇園祭事帳」などから、幕末期から行われていたことが推測され、明治19年の「祭禮事務課簿」に傘鉾(山車)を牽引した事が窺え、この頃から祭りの形が整ってきたようです。 昭和17年から20年までは戦争によって祭典のみが行われ、その後付祭も復活しましたが、昭和38年から諸般の事情により再び祭典だけに戻りました。 平成になってから地元の育成会、青年部が中心になって付祭の復活の機運が高まり、今年で傘鉾復活20周年を迎えました。 傘鉾に飾られている紙の花も、2ヶ月くらい前から、育成会をはじめ、シルバー友の会、民謡クラブ、町会役員、秩父夜祭関係者などが、決められた日の夜に公会堂に集まり、一つ一つ作ってきたものです。 40°近い猛暑の中で、囃子子(山車の上から囃す)、拍子木係、曳き子、太鼓連の子供達も元気に頑張っていました。 もう60年も前の話になりますが、私もこの傘鉾の囃子子をやりました。 ちょうど背中におできが出来ていて、背中が傘鉾の高欄に触れると、飛び上がる程の痛さを感じましたが、夢中で「ホーリャイ、ホーリャイ」(蓬莱へ)と声を張り上げているうちに、おできが破れて、白い襦袢が血膿で真っ赤に染まりました。 当時の事ですから、「お陰で医者にも行かずに早く治った」と、父母が喜んでいたような気がします。 孫のような子供達が元気に囃していくのを見送りながら、遙か昔の事を思い出していました。
2015.07.26
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峰雲に激しく弱く遠太鼓 山の畑にいると、武甲山の向こう側から峰雲が生まれ、だんだん大きくなってきました。 明日は地元の子供達の柿沢祇園祭りが行われますが、今日は傘鉾(山車)復活20周年を記念した前夜祭が公会堂で行われます。 その後、育成会、青年部の祭り関係者が、公会堂の下から湧き出ている清水を汲み、町内の各所に撒いて清める儀式があります。 これ以上雲が太らないで、無事に儀式が終わる事を祈っています。 遠くから聞こえる、子供達の太鼓の練習にも熱が籠もってきたようです。
2015.07.25
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