飛鳥京香/SF小説工房(山田企画事務所)

飛鳥京香/SF小説工房(山田企画事務所)

■花郎(フアラン)未完成(1994年)■


作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
http://www.yama-kikaku.com/

空は、地下線に沈みかかる陽で、水色から紅色に染まろうとしている。海から吹き寄せる風は、防風林に囲まれている家をわずかに振動させている。その高床式の家の中から音楽が聞こえて来る。その音に合わせて華麗な動物が飛んでいた。

いや、それは人間だった。透き通った七色にきらめく絹の衣を着た若い女だった。踊りで鍛え抜かれた体は、小一時間ほど踊り続けているのに息切れひとつ起こしていず、汗もうっすらと滲んでいるだけで、上気した薄桃色の肌は沈み行く陽の中でもきらめいている。

その女の黒い目は、ねっとりと憂いを帯び、男から目線を外さないでいた。熱い気が二人の間に張り詰めている。女の前にゆったりと座り込み、手に酒盃を持つ若い男は、しかしながら鋭いまでの女の踊りを悲しそうな目で見ている。

「花郎(ファラン)見てくれた、新しい踊りを…」

「私の踊りを見てよ、花郎。どうしたの。あんなに私を愛してくれたお前なのに。お前の目は…何か隠しているね。はっきりおいい。お前と私の付き合いは長いのだよ。私は心の動きくらい読めるのさ」

蓮花の言葉の一言、一言はまるで鋭い槍のように、花郎の心にぐさりと突き刺さる。血が流れるほどだ。花郎は確かに動揺していた。その心の動きが読めるのだと思った。

「ひょっとして、先刻、王に呼ばれたことに関係あることかね。はっきりいってよ。男らしくないじゃないよ。私、この市一番の踊り手、蓮花の恋人、花郎がそんな女々しい奴とは思わなかった」

言葉が堰を切ったように花郎の唇からほとばしり出ていた。花郎の唇は男のごついそれではなく、蓮花がいつもいうのだ。お前の唇は男の唇じゃないよ。スモモの花だね。色気があるよ。

「蓮花、よーく聞いてくれ」
「おやおや、おおげさな男だね。一体どうしたの」

蓮花は、首をかしげ、語勢を落としている。一瞬の沈黙が、時の空白が、花郎にはとてつも長く感じられた。

「俺は倭の国に渡るように、大王からいわれたのだ」
「倭の国ですって… 一体… どうして」
「お前も知っているだろう。今、倭の国は女王、卑弥呼を失って乱れている。それで倭の国の東側に植民地を作れと大王が命じられたのだ」
いい終わった花郎は、首をうなだれている。大王の命令は絶対なのだ。
蓮花の反応は、花郎の予想を大きく上回っていた。顔が強ばっていた。

「いやだよ。倭の国だって。お前をあんな野蛮な国には行かせないよ。荒くれ者の土地。犯罪人たちの土地だよ。いいかい、お前は私の男だよ。この私を置いて行くのかい。行かせはしない。たとえ、お前を殺してもね…」

蓮花はキリッとした表情を浮かべている。蓮花は隣の部屋に駆け込んで行く。再び戻って来たときには、刀を手にしていた。その目は怒りを帯びて、真っ赤に変わっている。

「さあ、右腕をお出しよ。お前の腕が大王には必要なのさ。その右腕さえなくなれば、お前は役立たずになるよ。そうすりゃ、倭の国など行かずに済むよ」

蓮花は急に刀を振り下ろした。すんでのところで、花郎は逃れた。

「何をするんだ。たとえ、右腕を失っても俺は大王の命令に従わなければならないのだよ。大王のことぐらい、王の女だったお前だ、知っているだろう」
花郎は、蓮花の気性の激しさに、今更ながら驚くのだった。なおも蓮花は刀を向ける。目の中は炎で一杯だった。

「いやだよ。お前がいなければ、私はどう生きていけばいいのさ。ははん、お前、私がいやになったんだろう。大王の女だった私がね。そうさ、そうに決まっているさ」

刀の先が、怒りとともに、ゆらゆらと揺れているのだ。
家の中に騒ぎを不審に思った二人の男が、その場に飛び込んで来た。男の部下である。
「将軍、いかがなされました」
「これは…」

男は二の句が継げない。部屋の中の荒々しさに、思わず身を引いた。高価な敷物をひいた床には、踏みしだかれた酒盃や食器が、あちこちに散らばっている。蓮花はぎらぎらした目をして、入って来た二人を睨みつける。蓮花は夜叉に見えた。

「いいかい、二人とも。見ておいで。この私を裏切った男がどうなるかをね」

そういい終わると、踊り子の持つ恐るべき跳躍力に加えて、怒りという満身の力が込められた蓮花の刀は、花郎の頭上を目指していた。が、花郎は空気のように、それを受け流したのだった。

「いいかい、花郎、私から逃げようたって無駄さ。きっと追いつくよ。倭の国だって、地平線の彼方だって、きっとお前の目の前に姿を現してやる。そして、お前と新しい女を殺してやる。覚えておいで、いいね」
「いやはや、蓮花様の勘気には、私共もいささか辟易します」

同僚が脇をつつく。
「いや…はや…、これは失礼な言葉を使ってしまいました、将軍」
「よい。ところでシーラン。お主に頼んで置きたいことがある」
「いかがなされました」
シーランと呼ばれた男は、答えた。
「蓮花様の…」
「あのような性格だ。生まれたときからな」

蓮花は、この国の政治家が隣の中国に朝貢したときの土産として差し出された奴婢に、生ませた子供だった。母親は中国語も、この国の言葉も話せず、ずっと先のインド人、ペルシャ人、エジプト人でもなかった。もっと先のローマ国の人といった。その美しさは幼いときから知れ渡り、ついに大王の手のつけることとなった。が、子供のおりからちやほやされ、思うがままに育てられた蓮花の性格は記述するも恐ろしい。この当時の史書の一部が現在も残っているが、一言で片付けている。

『非人、人にあらず。礼節を知る人を人と言う。』

この場合、蓮花は礼儀知らずだった。そして、人ではなかった。

「蓮花、いいかい。私の手をお握り」
姿を見せない女は言う。
「どうしたんだい。私が怖いのかい。怖いもの知らずのお前がどうしたんだい。この牢獄の生活がお前の性格を変えたのかい」
「……」
「もう、美しくもない。いや、醜いだろうさ。それに若くもなく、大王にも将軍にも愛されず、裏切り者とされたお前だ。もう生きていても仕方がないだろう。え…。そのお前を私が助けてやるというのさ。いいから、早くお逃げよ」
その女の声は刺々しく、地獄の底から聞こえて来るようだった。蓮花はおずおずと、その手を握る。


「いいかい、ここから逃してあげよう。が、一生お前は私の言うことを聞くのだよ。いいかい。約束だよ」

「ど、どういう。この際だから私…を…逃がして」

蓮花は、もはや昔の蓮花ではない。打ちし抱かれた体が、半分にも減ってしまったような老女だった。
「いいかい。その心を忘れるんじゃないよ」

「あんたは…、一体…」
藁にも縋るつもりで言う。
「私かい。私は隣の国の間諜さ。私の命令は一つ、倭の国に渡り、花郎将軍を倒すことだった」
「花郎を…」
思いかけない名前が、蓮花の意識をはっきりさせた。生命が目の中に宿る。
「そうさ、昔のお前の恋人をね…。ほほう、目の色が変わって来たじゃないか。生きる目的ができたって訳かい」
「ど、どうか、私に武術を」

この機会を逃せば、恐らく蓮花に未来はない。残るは暗渠だけなのだ。
「むろんさ、教えてあげるさ」
含み笑いをするように、その声は答えた。

「花郎、なんて姿だ。それが貴方なの。我が国の美獣将軍花郎の今の姿かい」
「蓮花、お前は蓮花」


花郎は自分の目の前にいる、その姿が信じられないようだった。
「この国に来て、あんたは腰抜けになったのかい」
「お前、一体、何をしにここに。いや、よく生きていたものだ。王の死の牢獄でな」
「ああ、私もあの獄で生きて来れたのは不思議さ。でも、あんたに会いたい一心でね、生きて来たのさ。断って置くが、あんたを愛していたからじゃない。憎んでいたからさ」
昔の蓮花の目の色だった。

「あなたには誇りがないのかい、美獣将軍花郎。蓮花が愛した男がこの様かね。いい、私が一思いに降ろしてあげるよ。それを誇りに思いなよ」
蓮花は血まみれの花郎に刀を振り下ろそうとする。

「だめよ…」
背後から声がした。その声が、蓮花の刀の動きを止める。蓮花はゆっくりと後ろを振り返る。
「私の父様に何をするの」
蓮花は、その子供を見て、花郎に嘲りの目を向ける。
「ははん、そうか、わかったよ。お前が堕落した原因は、どうやら倭の国の女かい」
「雪という」
花郎は呟いていた。
「雪、それはこの子の名前かい」
「いや、母親の名前だ」
花郎が答えている。その間も蓮花の刀は油断していない。

大男が、蓮花の前に立ち塞がっていた。まるで仁王だった。
「どうした、蓮花。助けてほしいのか」
「お前はダン。どうしてお前がこの倭の国に」
「忘れてもらっちゃ困る。俺は放浪の剣士だった。雇い主がいるなら、たとえ地の果てでもな」
問って、ダンと呼ばれた男はにやりと笑った。男らしいゴツゴツとしたいい顔だった。
「わかった、お前の御託は多いよ。ともかくこの状況だ。早く助けておくれ」
「その子は…」
恐る恐るダンが蓮花に尋ねた。

「ああ、この子は花郎の子さ…」
「花郎とお前のか…」
「ばかをおいいでないよ。花郎が倭人に生ませた子さ」
ふんという表情で、蓮花は言う。
●未完●


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