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飛鳥京香/SF小説工房(山田企画事務所)
義経黄金伝説■第一章
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YG源義経黄金伝説■一二世紀日本の三都市(京都、鎌倉、平泉)の物語。平家が滅亡し鎌倉幕府成立、奈良東大寺大仏再建の黄金を求め西行が東北平泉へ。源義経は平泉にて鎌倉を攻めようと
―――――――――――――――――――――――――――
■義経黄金伝説
―――――――――――――――――――――――――――
第1章 一一八六年 鎌倉八幡宮
■二 一一八六年(文治二年) 奈良東大寺
おなじころ、奈良東大寺。大仏の鋳造も終わり、大仏殿の建築にとりかかろうとしている時勢である。
治承四年(一一八〇)、平重衡の手で東大寺をはじめ興福寺の伽藍が焼かれ大仏が焼けた折は、京都の貴族はこの世の終わりと思ったものだが、、勧進聖の手でその姿を再びこの世に現せている。
牛車が荷駄を載せ、大工、石工、彫師、何かわからぬ諸業の人間が一時に奈良に集まり、人のうねりが起こっている。その活気に囲まれ東大寺の仮屋でこの勧進事業の中心人物が、もう一人の若い僧と湯釜からでる湯気を囲んで話し合っている。
「どうでございますか。西行さまは」、
若い僧が年老いた僧に尋ねる。
「それは西行殿が我が東大寺にためにどれほどの事をしてくださるかという問いかな、、」
何か言外に言いたげな風情である。
「左様でございます」
若い僧ははこの高名な僧の話し振りにヘキヘきする事もあるのだが、なんと言っても当代「支度一番(したくいちばん)」の評判は彼の目から見ても揺ぎ無いところだ。このような難事業はやはりこの漢(おとこ)にしかできまい。
「蒼いのを、、」
「といいますと」
言葉には、少しばかりの怒りの棘が含まれていた。
「西行殿はのう、あるお方の想いで、動いておられる。人生の最後の花と咲かせるおつもりじゃ」
「では、平泉の黄金は、この奈良の大仏の屠金はいかがなります、、
いやはやしかし、重源(ちょうげん)さまは、西行さまの高野の勧進事業をお手伝 いされたのでは、、」
若い僧は、重源の返事に困惑していた。
「蓮華乗院の事か。ふう。あれはあれ、これはこれよ。伊勢参拝の件で恩は返してくれている。はてさて物事どう転ぶか、な」
高野山蓮華乗院の勧進を西行が行っていた。治承元年(一一七七)の事である。
また、西行の働きで、日本の歴史始まって以来初めて、、仏教僧が伊勢神宮に参拝している。重源の一団である。西行は神祇信仰者であった。本年文治二年(一一八六)の事であった。
「重源様は、西行様と高野山では長くお付き合いされたと聞き及びます」
「そうじゃ、西行殿が麓の天野別所に妻と子供も住まわせておったこともしっておる。また、弟、佐藤仲清殿が佐藤家荘園の田仲庄の事で高野ともめておった事も分っておる。さらに、西行殿と、相国殿(平清盛)との付きあいもな、よく存じ上げておる」
田仲庄は紀州紀ノ川北岸にあり,粉河寺と根来寺の中ほどにあった。
「ああ、そういえば、和田の泊まり(神戸港)も重源様の支度でございましたな。そうか。 それで、十蔵殿を、、」
「そうじゃ。すべての結末は、黄金の行方は、西行殿が平泉に行かれてからじゃな」
二人は、若い僧、栄西が、中国・宋から持ち帰り、栽培した茶をたしなんでいる。
独特の香ばしい馥郁たる香りが二人をゆったりと包んでいる。
■三 一一八六年(文治二年) 鎌倉
文治二年(一一八六)四月八日のことである。 鎌倉八幡宮の境内、音曲が響いてくる。
「京一番の舞い手じゃそうじゃ」
そこに向かう雑色(ぞうしき)が仲間と声高に話していた。 相方がこれも声高に答えた。
「おまけに義経が愛妾とな」
「それが御台所様のたっての願いで、八幡宮で舞うことを頼朝様がお許しになられたのそうじゃ」
「大姫様にもお見せになるというな」
「おう、ここじゃが。この混み様はどうじゃ」
鎌倉の御家人たちもまた、この静の白拍子の舞を見ようと、八幡宮に集まって来ている。大姫は頼朝と御台所・北条政子の娘であり、木曽義仲の子供である許婚を頼朝の命令で 切り殺されたところでもあり、気鬱になっていた。
去年、文治元年(一一八五)三月平家は壇ノ浦で滅亡している。その立役者が義経。その愛妾が話題の人、静。
平家を滅ぼした源氏の大祝賀会である。その舞台にある女が登場するのを、人々はいまか今かと待ち兼ねて、ざわついている。
季は春。舞台に、観客席に桜の花びらがヒラヒラと散ってきて風情を催させる。
その時、どよめきが起こった。
人々の好奇心が一点に集中し、先刻までのどよめきが、嘘のように静まっている。
舞台のうえにあでやかな人形があらわれた。
舞殿(まいどの)の上、ひとりの男装の白拍子が舞おうとしている。
頼朝から追われている源義経の愛妾静その人であった。この時、この境内の目はすべて静に注目している。
衣装は立烏帽子に水干と白い袴をつけ、腰には太刀より小振りな鞘巻をはいている。
静は、あのやさしげな義経の眼を思っている。きっと母親の常盤様そっくりなのだろう。思考が途切れる。
騒がしさ。ひといきれ。
静の母親の磯禅師は今、側にはしり寄って執拗に繰り返す。
「和子を救いたくば、よいか、静、頼朝様の前での舞は、お前の恭順の意を表すものにするのです。くれぐれもこの母が、どれほどの願いを方々にしたか思ってくだされ。わかってくだされ。よいな、静」
涙ながら叫んでいる。
が、静にも誇りはあった。
母の磯禅師は白拍子の創始者だった。その二代目が静。義経からの寵愛を一身に集めた女性が静である。京一番といわれた踊り手。それが、たとえ、義経が頼朝に追われようと…。
静は母の思わぬところで、別の生き物の心を持った。
要塞都市、鎌倉の若宮大路。路の両側に普請された塀と溝。何と殺風景なと静は思った。
その先に春めいた陽炎たつ由比ガ浜が見えている。その相模の海から逃れたかった。
かわいそうな一人ぼっちの義経様。、私がいなければ、、
そう、私がここで戦おう。これは女の戦い。知らぬうちにそっと自分の下腹をなででいる。義経様、お守り下させ。これは私の鎌倉に対する一人の戦い。別の生き物のように、ふっきれたように、静の体は舞台へ浮かんだ。
しかし,今、舞台真正面にいる革命家、源頼朝の心は、別の所にある。
頼朝は、二つの独立を画策していた。ひとつは、京都からの独立、いまひとつは、階級からの独立である。武士は貴族の下にいつまでもいる必要がない。とくに、東国では、この独立の意識が強いのだ。西国からきた貴族になぜ、金をわたさなければいけなにのか。だれが一番苦労しているのか。その不満の上に鎌倉は成り立っている。
しかし、義経は、、あの弟は、、
義経は人生において、常に逃亡者である。自分の居場所がない。世の中には彼に与える場所がない。義 経は、頼朝が作ろうとしている「組織」には属することが不可能な「個人」であった。その時代の世界に彼を受け入れてくれる所がどこにもない。
頼朝はまた平泉を思う。頼朝に宿る源氏の血が奥州の地を渇望している。源氏は奥州でいかほどの血をながしたのか。
頼朝は片腹にいる大江広元(おおえひろもと)をみる。土師氏(はじし)の末裔。学問を生業とする大江一族。頼朝は京から顧問になる男を呼び寄せる折、あるこだわりを持った。なぜなら、彼の曾父は大江匡房(まさふさ)。博学の士。八幡太郎義家に兵法を伝授し、奥州での勝利を確約したといわれている。頼朝はその故事に掛けている。奥州との戦いのために学問の神、大江家が必要だったのだ。
さらに別の人物を、頼朝は眺める。文覚は十年前、後白河法皇の密命を受けてきた荒法師で、今は頼朝の精神的な支えとなっている。皮肉な運命だった。法皇はそこまで、頼朝が大きくなるとは考えてなかった。
その想いの中を歩む心に、声が響いて、頼朝はふと我にかえる。
「しずや、しずしずのおだまき繰り返し、昔を今になすよすがなる。吉野山みねの白雪踏み分けて、入りにし人の跡ぞ恋しき」
ひらひらと舞台の上に舞い落ちる桜吹雪の中、静は妖精のようだった。人間ではない、何か別の生き物…。
思わず、頼朝をはじめ、居並ぶ鎌倉武士の目が、静に引き寄せられていた。
感嘆の息を吐くのもためらわれるほど、それは…、人と神の境を歩んでいる妖精の姿であった。
あの女、手に入れたい。頼朝はふと思った。たとえ、義経の思いものであったとしても…。義経の女の趣味は良い。誉めてやりたいぐらいだった。
頼朝は今でも心のうちは、京都人である。京都の女が好きなのであった。この田舎臭い鎌倉近辺の女どもには、あきあきしている。が、そのあたりには、異常に感の鋭い政子のために、今までにも、散々な目にあっている。いままた、頼朝はちらりと…、横目で政子の方を向く。視線がばったりあう。
いかぬ。
政子はその頼朝の心を見抜いているかのようだった。が、政子は、そんな頼朝の思いを知らぬげに、静の舞に見ほれている。よかった。感づかれなかったかと、頼朝は安心した。
政子の思いは別のところにあったのである。北条家・平政子は、この日本の武家革命政権の妻であるという自負もあり、肌色も よく、つやつやしている。新しい阪東独立国が、京都の貴族王朝にもかなわぬ国が、我が夫、頼朝の手でなったのである。うれしくないはずはない。
義経のことは、気にならなかった。「静」という、コマを手に入れているのだから。それに静の体には。
「ふふう」と、思わず政子は笑った。
大殿もそのことはご存じあるまい。せいぜい、京都から来た白拍子風情に、うつつを抜かされるがよい。私ども、関東武士平家の北条家が、この日本を支配する手筈ですからね。あなた、大殿ではない。
誇りが、政子の体と心を、一回り大きく見せている。頼朝はある種の恐れを、我妻、政子に感じている。
やがて,後に政子は、日本で始めて、女性として京都王朝と戦いの火蓋を切るのだが、その胆力は、かいま見えているのだ。
この政子と頼朝に共通している悩みと言えば、それは…愛娘大姫のことであった。
舞台上の静なりの元気さ、あるいは華麗さを見るたびに、比較して打ちし抱かれたようになっている大姫の心の内を思い悩む二人であった。
その問題は、二人のこの鎌倉の内にたなびく暗雲である。
大姫は、うつむきかげんに静の舞いを見ている。
舞台を見て嗚咽が会場のあちこちに広がっている。
静は、、見事である。
それが、武士達にとっての正直な感想であろう。いわば敵に囲まれながら、どうどうと義経への恋歌を歌うとは、、歌姫・白拍子・女の戦士としては、静は十分にこの鎌倉の戦場で勝利をおさめようとしていた。
大江広元(おおえひろもと)は、これから奥州平泉を攻めようとする頼朝にとっては勝利を確約する、いわば勝利の女神であった。なぜなら、大江広元の曾祖父は、奥州攻略を成功させた八幡太郎の知恵袋だったのである。。占いの専門職。占いはこの時期の総合科学である。
その大江広元は、現状に恐怖を感じて青ざめている。このままでは、静は、会場にいならぶ鎌倉武士を味方にしてしまう。大殿はいかにと、頼朝をかいま見る。
政治顧問である,荒法師の異名をとる文覚(もんがく)でさえ、静の舞に内心は心動かされていた。文覚は若い頃、北面の武士の折、色恋沙汰で殺傷事件を起こしている。感情の高ぶりをおさられないのである。この感情の濃さがいい具合に発露すると、それが、勧進となった。また、頼朝に対する挙兵の発案者であった。いわば、頼朝の導師である。頼朝とは幼き頃、朝廷で顔を見知り置いている。その後、文覚は数々の荒行をこなし今は、江ノ島で、奥州王者藤原秀郷の呪殺を、頼朝から依頼され、とり込んでいる。
先年、文覚は、後白河法皇から許可を受け、京都から頼朝の父義朝の遺骨を発見し、その猪首にぶら下げ、東海道を下るという、鎌倉人の宣伝告知であり威嚇行為を行い帰ってきたばかりである。この義朝の骨を収めし寺の名は、勝長寿院・大御堂という。
骨の髄から、源頼朝は、平泉を恐れている。
十六万の軍旗が、義経という天才に率いられて鎌倉を背後から、また海から襲ってくる事。おそらく、この日本で、義経は最高の軍事指揮官であろう。それは頼朝もいらなぶ、坂東武者もわかっている。傍らに控える大江広元も、文覚も理解しているだろう。この鎌倉革命政権の勝利はまさに義経のおかげである。
そのため、義経のおもいものである静が、ここで、頼朝に対して恭順の意いを著わすべきであった。
が静の行為は、政子の意図ではなく、わずかながら、意思の疎通がうまくいかぬ。
当時最大の交渉家である「西行」が、この鎌倉を目指していると文覚から、聞いている。京都王朝で、始めて伊勢神宮と、東大寺の手を握らせた男。
後白河法王の意図で動く男。そして義経とも、平泉とも、近しい。この坂東でも、佐藤家の威光は輝いている。
加えて、当代一の詩人・この文学的功名は、京都貴族の中において光り輝いている。いわば京王朝の最後の切り札。
また、平泉にとっても最強の交渉カード。まして、民衆の指示を受けつつある 思源(ちょうげん)の友人。後ろには結縁衆。恐らくは東大寺を始めとする京宗教集団の力も。意図は何か。西行は一万の武装集団よりも怖い。頼朝はそう思った。
源氏は鉱山経営と関連が深い。祖先・源満仲は、攝津多田の庄(現・兵庫県川西市)の鉱山経営の利益を得ている。能勢・川辺・豊島三郡における鉱脈を支配し、最盛期2000を越える抗を穿っていた源氏独立王国である。鉱山の警備隊として武士団を養い、鉱山経営のうまみを知った源氏は、その後、京都大江山鉱山の利権も手にした。
いわゆる大江山鬼退治の伝説である。つまり、源氏一族は、血の記憶として,鉱山経営のうまみをしっている。
目指すは、征服すべきは、奥州金山である。源氏の護り神、八幡神は、産銅・産鉄神である。源氏の最終目標は奥州。また、そのためにも、鎌倉を中心とした独立王権はまもらねばならぬ。東国王朝打倒は、源氏の悲願である。奥州平泉王朝を打ち倒す事。それぞれの思いの中、やっと頼朝は、言葉を発した。
鎌倉八幡宮観客席の中央にいる源頼朝は、怒鳴っているのだ。
「あの白拍子めが。この期に及んで、ましてや鎌倉が舞台で、この頼朝が面前で義経への恋歌を歌うとは、どういう心根じゃ。この頼朝を嘲笑しているとしか思われぬ」
頼朝は毒づいた。それは一つには、政子に対するある種の照れを含んでいる。
「よいではございませぬか。あの静の腹のありようお気付きにありませぬか」
政子はとりなそうとした。政子のほほに薄笑いが浮かんでいることに、頼朝は気付かぬ。
「なに、まさか、、義経が子を…」
「さようでございます。あの舞いは恋歌ではなく、大殿さまに、我が子を守ってほしいというなぞかけでございます」
「政子、おまえはなぜそれを……」
疑惑が、頼朝の心の中にじっくりと広がって行く。 今、このおりに頼朝殿に、自分の腹の内を探らせめる訳にはいかぬ。あのたくらみが、私の命綱なのだから。政子は俯きながら黙っている。
「……」
「まあよい。広元をここへ」
頼朝の部下、門注所別当・大江広元が頼朝のもとにやってくる。
「よいか、広元。静をお前の観察下に置け。和子が生まれ、もし男の子なら殺めるのじゃ」
「では、大殿。もし、女の子ならば、生かして置いてよろしゅうございますな」
「……それは、お前に任せる」
広元はちらりと政子の方を見ていた。
頼朝は、広元と政子の、静をかばう態度に不審なものを感じている
政子は静を一眼見たときから、気に入っていた。美貌からではなく、義経という愛人のために頑として情報を、源氏に渡さなかった。その見事さは、一層、政子を静の支持者とした。
また、京の政争の中に送り込まれるべく、その許婚を殺されたばかりの、政子と頼朝の子供大姫をも味方に取り込んでいた。
義経の行方を探索する人間は、何とか手掛かりを取ろうと静の尋問を続けた。
が、それは徒労に終わった。尋問した者共も、顔には出さなかったが、この若い白拍子、静の勇気を心の中では褒めたたえていた。
観客席の中で、静の動静を悩む者が、もう一人。
静の母親磯禅師(いそのぜんし)が、固唾を呑んでその舞いを見ていた。
(裏切られた)そういう思いが心に広がっている。愛娘と思っていたが、
「あの静は、この母が苦労を無にするつもりか……」
(やはり、血の繋がりが深いものは…)
この動乱の時期に女として生き残って来た者の思いが、頭の内を目まぐるしく動かしている。その思いは、しばらくの前の記憶に繋がる。
禅師は、政子の方を見やった。
■四 一一八六年(文治二年) 鎌倉
「どうか、政子様。我が子静の腹を痛めし子供。生かしてくださいませ」
この舞いの数日前、鎌倉・頼朝屋敷で、許しを得て、床に吸い付くほどに、禅師は頭を下げている。
「それはなりませぬ。禅師殿。私が頼朝の妻たることを頼んでこられたと思いますが、私も頼朝殿と同じ考えにございます。思い起こせば平清盛殿の甘さ、頼朝殿や義経殿を生かしておいたが故の平家の滅亡。この源氏も同じ轍を踏みたくはありません」
冷たく、政子は言い放った。
禅師は、もはやあの計画しかあるまいと思い詰めた。頭を上げる。その目には、政子のふくふくしい顔がある。が、その目は冷徹な政治家の目であった。
(さてはて、どのような反応をするものか)禅師は心の中でほくそ笑んだ。
「が、政子殿。政子殿も頼朝殿も、現在祈願されしことございましょう」
「われらが祈願すると………」
思った通り、政子の顔色が変わる。
それを見て禅師は続けた。ずるがしいこい表情をちらりと見せる。
「大姫様を天皇の後宮にお遣わしになること、本当でございましょうか」
小さく呟く。禅師の言葉に、政子は驚ろいている。
「どうして、それをあなたが」
大姫のことになると、政子も甘いのである。政治家ではなく、母親の顔になっている。
「そのこと、すでに都では噂でございます。思い起こせば、平清盛様も同じように娘を皇家に捧げられた。平家の繁栄の礎はその婚姻から始まっていること、京都の童でも知っております。遠くは藤原氏が天皇の外戚となり、権力を握ったこと、知らぬものはござりますまい。それゆえに頼朝殿も大姫様を宮中にあげしことを願うは、これは親の常」
禅師は政子の表情が、少しばかり落ち着いて来るのに気付く。政子は、ここは一つ、この女の話を聞いてみてもよい。悪い話ならば 断り、最悪の場合この女を亡き者にすればそれで済む。
「して禅師殿、大姫の話と、義経殿の和子を助けるのと、いかような拘わりがあると申すのか」
「私、少しばかり、京、宮中には詳しゅうございます。いかにすれば、大姫様のこと、速やかにはこぶか。その者共紹介できぬ訳ではございません。すこしばかりお耳を……お貸し下さいませ」
この勝負勝ったと禅師は思う。
禅師の話を聞くうちに、政子の冷たい表情が少しばかり打ち解けて来たことが、禅師にもよくわかった。
「おお、そのような方をご存じか。さすがは禅師殿じゃ」
京の暗黒界で、平清盛の頃から活躍してきた禅師である。田舎育ちの政子とは、素性経験値が違うのである。
■五.一一八六年(文治二年) 黒田荘・(東大寺荘園)
奈良にある黒田荘(くろだのしょう)(現三重県名張市)は東大寺に属している荘園である。先月の東大寺があげての伊勢神宮参詣もこの地で、重源を始め多数の僧が宿をとっている。いわば東大寺の情報中継基地である。
あばら家の中、どぶろくを飲んで横たわっている二人がいる。太郎佐。そこに弟の次郎佐が訪れる。
「兄者、兄者はおられぬか」
「おお、ここじゃ、次郎左」
「何じゃ、なぜそんな不景気な顔をいたしておるのじゃ」
「これがよい顔をしておられるか。お主、何用じゃ俺に金の無心なら、無用じゃ」
「兄者、よい話じゃ。詳しい話は、ここにおる鳥海から聞け」
蓬髮で不精髭を生やした僧衣の男が汚らしい格好で入ってくる。着物など頓着していない様子なのだ。顔は赤銅色に焼けてはいるが、目は、死んでいる。鳥海は興福寺の僧兵として、かなりの腕を振るったものである。園城寺、比叡山との僧兵たちとの争いでも、引けを取らなかった。
が、東大寺炎上の折りから、腑抜けのようになっていた。一人生き延び、この太郎左、次郎左のところに転がり込んでいいのである。
鳥海は、話を始めた。
「太郎佐殿は、先年、東大寺が焼き払われたこと、ご存じでござろう」
「おお、無論、聞いておる」
「東大寺の重源が、奥州藤原氏への勧進を依頼した。さてさて、使者は西行法師じゃ」
「たしか先月、重源と、、そうか、あのおいぼれか。確か数え七十ではないか」
「供づれはおらぬ。いかに西行とて、この黒田悪党のことは知るまい」
「ましてや、みちのくが行き先。旅先にて、七十の坊主が死んだとて、不思議はあるまい」
「お前、そうか、東大寺勧進の沙金を…ねらうか」
太郎佐は言う。
「そうよ、東大寺勧進の沙金を奪えというのじゃ。この話しはのう、京都のやんごとなき方から聞いた。ほれこのとおり支度金も届いておる」
「さらば、早速でかけねばなるないな」
「まて、まわりがおかしい」
太郎左が、皆を圧し止めた。動物のような感がこの男には働く。
「ようすを見てみろ」
次郎左が命令を聞き、破れ戸の隙間からまわりをみやる。鳥海も他の方向を覗き見ている。
「くそっ、お主ら、付けられたのか。馬鹿者め」
まわりは、検非違使(けびいし)の侍や、刑部付きの放免(当時の目明かし)らが、十重二十重に取り囲んでいる。検非違使の頭らしい若侍が、あばら家に向かって叫んでいた。
「よいか、我々は京都から派遣された検非違使じゃ。風盗共、そこにいるのはわかっておる。おとなしく、縛につけ。さもなくば討ち入る」
「くくっ、何を抜かしおる」
太郎左、次郎左は、お互いをみやって笑った。戦いの興奮の血が体を回り始めているのだ。
「来るなら来て見ろ。戦も知らぬ京都侍め」大声で怒鳴った。
「何、よし皆、かかれ」若侍が刀を抜き言った。
「ふふっ、きよるわ。きよるわ」
「よいか、次郎左。ここは奥州の旅の置き土産。一つ派手にやろうぞ」
「わかったわ」
太郎左と次郎左は、後手に隠してあった馬に乗り、並んで頭の方へ駆けていく。侍は、急な突進にのぞける。
「ぐわっ」
太郎左の右手、次郎左の左手に、握られていた太刀が交差した。
瞬間、検非違使の頭が血飛沫を上げ、青空に飛びあがっている。後は蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。
「ふふっ、少しばかり、馬をいただいておこうか」
三人は逃げ去る侍の方へ目がけて駆けていく。
近畿地方の馬と、阪東や泉王国の馬とは、種類が違っていた。脚力、身長とも、平泉の馬が勝っている。近畿の馬が、軽四輪ならば、平泉や関東の馬は、四輪駆動である。
太郎左たちは、関東に入りつつ、盗みを立ち働いていた。まず、第一の目的はよい馬を得ることである。
関東平野の何処か・屋敷武者の家が焼けている。中には多くの死人。そこから阪東の馬に乗り飛び出してくる三人の姿がある。
「さすが阪東の馬よのう。乗り心地、走りごこちが違う」
次郎佐は叫ぶ。
「それはよいが、次郎左、屋敷に火を放ったか」
太郎佐が、その言葉を受ける。
「おお、それは心得ておる。この牧の屋敷は、もうすぐ丸焼けじゃ」
「行き掛けの駄賃とはよう言うわ。地下に埋めたあった金品もすべてこちらがものよ」
鳥海が言う。鎌倉に向かう三人だった。
■六 一一八六年(文治二年) 京都・後白河法皇の宮殿
遠くに見える比叡山を背景に人々のざわめきや歌声が 響いていた。
後白河の宮殿である。この時期、法皇はよく宮殿を移動していた。部下の貴族の邸宅をそれにした。
後白河法皇は望みもせず、運命のいたずらでこうなってしまった天皇であり、上皇であった。 若い頃より今様に打ち込み、政治のことなどはまったく知らぬ政治を治める天皇の器には程遠い、ほうけもの、不良少年、不適格者であると見なされていた。
このあやまって天皇になってしまった男が、日本最大級の政治家になろうとは、京に住む公家の誰もが思わなかったに相違ない。
「あの、ほうけの四つの宮(四人目の王子)が…」というのが、貴族の一般的な反応であった。
法皇はもの想いにふけっている。
法皇にとっては、頼朝は、単なる地方の反乱軍のひとつにすぎす。平家六波羅政権を打ち倒す方策にすぎなかった。それが坂東平家・北条にとりこまれ、このような大勢力になるとは、想像もつかなかったのである。
法皇が仕掛けた手紙(奉書)による爆弾は次々に効果を産み、日本全土を混乱のちまた。京都王朝始まっていらいの動乱へと導いていた。
「朕が悪いか?いやいや、そうではあるまい。崇徳(すとく)上皇じゃ。あの兄の怨霊が、戦乱・地震・飢餓を次々と呼び起こしているのだ」
法皇はこう考えている。
保元元年(一一五六年)兄の崇徳上皇を讃岐に流し、八年後に上皇は亡くなっていた。世に言う保元の乱である。
その頃、京都鴨川の河岸には、鳥べ野で処理できない死体の山がはみだし、川が氾濫する度に腐乱した人間であったもの腐乱した肉片が陸地におしもどされて腐臭を放ち、犬や烏が群れをなしてがそれをついばんでいる。混乱の京都から、何人かの貴族が流れて行った。
「あの大江家のせがれがこれほどはまるとは、、」
法皇はため息をつく。
「それに比べて朕の傍には、、、よほど才能というものが、この京あたりには枯渇しておるらしい」
いつも考えているのは坂東・奥州の位置つけ格付けの問題なのである。征服王朝である京都王権にとっては、この両地方の重軽が大切なのである。
「源頼朝はこの両地方を手にいれようとしている。それは許しがたい。何らかの方策が、、ひとつは西行。もう一つは義経じゃ」
どう転ぶか。予断を許さない。ましてや、西行の計画は法王自身の精神問題にもつながっている。怨霊である。近頃崇徳ののろいが、日々法皇を苦しめているのだ。憂さ晴らしとして、今様(いまよう)を歌ざるを得ない。騒がざるを得ない。
「しかし、時代は代わってしまったものよ」
後白河法皇は、京都政権を守らねばならなかった。
武士はとは、殺人をないわいとする職業集団。いみ嫌うその集団を、北面の武士といういわば、親衛隊をつくり自分を守らねばならない。その矛盾はある。
二六年前の事だ、源頼朝の事は覚えている。
彼の父を、この平安京始まって以来、殺人刑に処した。
「あの折の頼朝の表情は覚えている・たぶん、朕をうらんでいるであろう。文覚もあの折には、、、」
それゆえ今、後白河法皇は、白拍子たちを集め、宴を開らこうとしているのである。白拍子は流行歌手であり、一種のアイドルである。今様は流行歌であった。
「殿下、もっと見目形のよい白拍子を呼ばれた方がよろしいのではごじゃりませんか…」
関白九条兼実(かねひら)が、その甲高い声で言った。
「乙前(おとまえ)のことか。兼実殿は不思議に思うであろうな。あの八十才にも手が届く白拍子を俺が呼ぶのを。が、兼実殿、人の値打ちは見目形や身分や年ではないぞな」
「で、何でお決めになるとおもわれます」
「才じゃよ」
「はっ」
「才能じゃよ。あの乙前は、今様を数多く謡えることにかけては、当代並ぶものもあるまい。この才においては、兼実殿、藤原氏の長者(代表)のお主ですら、及ばないであろうのう。それに…」
後白河法皇は、思わず言い捨ててしまいそうになる。
(氏(うじ)が何になろう。この現世の人間の世は才能よ。それも天賦の才に加えて、才を磨くことに長けたものが生き残ることができるじゃ。現に朕がそうじゃ。その才能という武器に、お前は気付かぬのかのう。兼実、所詮、お前は藤原の貴族よのう)。
「それに、何でごじゃりましょう」
やや、惚けた顔で、兼実が尋ねた。
「よいか、今様は、民の心の現れだ。民の心知らずして、何ゆえにこの朕は頼朝や秀衡と比べても、民の心がわかっておらるだろよな。ましてや、この民の心の歌を、朕の手で、書物に纏めて、後の世に残して置こうと思うじゃ」
「ご立派なお心でおじゃります」
(民のことを考えるじゃと、恐ろしいことを言う方じゃ。この法皇は、今までの院の方々とは少しばかり違うのう。考え方が桁外れじゃ。麻呂も考え方を変えねばなりますまい。いままでの院や天皇のように扱うことはできせぬのう)。
「よいか兼実殿、殿上人は申しているであろうぞ。朕、後白河法皇は、下々のこともとてもお好きじゃとのう。が、この世の中は殿上人や武家だけのものではあるまいの。世の中は民で成り立っておるのじゃろう。後の世に名が残るのは、、果たして、朕か、鎌倉の頼朝か奥州平泉の藤原秀衡か」
「それは法皇様でごじゃりましょうぞ」
兼実は追従を打った。が、後白河はにやりと笑い、その大きな目を向け、大きな声で言った。
「いや、むしろ兼実殿、お前様かもしれませんのう」
法皇は笑みを兼実に返した。しかし、兼実は心の奥底にこの冷たいものを感じている。
しかし、法皇はもうすでに、兼実の方を見てはいない。
■七 一一八六年(文治二年) 京都
西行は、奥州に旅立つ前に、後白河法皇を訪れて何かを相談していた。
その西行が出て行った後、京都公家政治の代表的人物である後白河法皇と寵臣の関白、藤原兼実は、西行に頼んだ企みを毎日のように話し合っていたのだ。
「どう思う兼実殿、あのはかりごとの可能性はどうじゃのう」
「あくまで平泉の秀衡殿の心次第でございましょう。秀衡殿の黄金と東北十七万騎、加えて義経殿のあの武勇、三つが揃いましたなら、鎌倉の頼朝殿も危うござりましょうぞ」
「そちは義経びいきじゃからのう。が、安心はできまいのう」
「と申しされますと」
「鎌倉の頼朝には、大江広元という知恵袋がついているからのう。まあ、よい、いずれに転んでも、朕に腰を屈せねば、この日の本の政権は維持できまいぞ」
「誠にその通りでござります、法皇様」
「ふふう。さよう、頼朝ごときは、朕を(大天狗)とか呼んでおるようじゃが、朕は天狗どころではないのじゃぞ」
「が、法王様、天狗と申せば、あの弁慶はどうしておりましょうや」
「さよう、弁慶もくせ者じゃ。何しろ、あやつの背後には、全国の山伏の群れがついておるのう」
「あの弁慶はたしか、法皇さまの闇法師だったのでは……ごじゃりませんか」
「そうじゃ。昔はのう」
「あの弁慶は、どちらの味方をするか、決めかねておるのでござりますか」
「さよう、あやつら山伏も、古くは、持統帝の頃より情報網を、この日本中張りらしておるからのう、そら恐ろしい奴らじゃわ」
「彼らの唐より伝わる武術書・『六闘』からあみだした武闘術恐れねばなりますまい」
「そうじゃ。ともかくは、西行の報告をまとうかのう」
法皇は院御所に植わっている桜の木を見て言う。
「ところで、兼実殿、桜がなかなかきれいじゃのう。一節(ふし)歌うてみるか。どうじゃ」
「はっ、これ、誰か白拍子をこれへ。ほんに法皇様は今様がお好きじゃ」
白拍子の一団が、庭に入ってきた。
「兼実殿、これも我が書物、梁塵秘抄のためじゃ、書物のためじゃ。皆歌のじゃ」
梁塵秘抄は、法皇がまとめている今様の歌集である。
白拍子も、法皇も歌い始めた。めざとく年かさの白拍子に気づく。
「おお、これは乙前殿、朕が師匠殿、一節たのむぞのう」
白拍子の乙前が、目の前にあらわれていたのである。
「乙前殿、今日はどんな新しき歌じゃのう。はよう謡って下され」
乙前はろうろうと歌い上げた。年を感じさせない。
「おお、それはどんな者が謡っておのるじゃ。詳しく聞かせてくれぬかのう」
法皇は今までの兼実に見せていた顔と、違う面を見せている。それが、兼実には恐ろしくもあった。この法皇は底知れぬ。
「ほほ、ほんに法皇様は歌がお好きですこと」
「乙前殿、この世の中で、今様が一番好きなのは、、この朕じゃ」
「ほほう、殿下はおもしろいことをいわれますなあ、、ふふ」
乙前は、ほとんど歯の残っていない口をみせた。
突然、乙前は歌を急にやめる。
「法皇さま、西行さまは、、、」
怪訝な顔つきである。
「そういえば、乙前殿と西行殿とは知り合いじゃったのう」
「さようでございます。西行殿の外祖父様、源清経殿は我が母を囲っておりました」
「そうじゃった。が源清経もわしの今様の師匠じゃ。悪ういうではないぞ」
西行の外祖父源清経は、目井とその養女乙前を囲っていたのだ。
■八 一一八六年(文治二年) 四月七日 鎌倉 静の舞前日
静の母、白拍子の創始者磯の禅師が頼朝の御台所、北条政子(ほうじょうまさこ)に呼ばれている。
「よろしいか、禅師殿。このたびの静(しずか)殿の舞にて、頼朝殿の心決まりましょうぞ」
「舞とは…」
禅師は、娘の静とは、しばらくの間会っていなかった。いや会えるはずがなかった。静は義経の行方を調べるために、獄につなぎおかれたのだ。
「その舞に頼朝殿への恭順の意を表されれば、頼朝殿もお考え改めましょう。
それに私が内々のうちに、静殿の和子生かす手立て考えましょう」
「ありがとうございます。このご恩、決して忘れませぬ」
禅師はまた床に、はいつくばった。その頭上から政子の冷たい声が聞こえた。
「よろしいか、宮中への事、大姫のこと、くれぐれも… 」
「わかりました」
禅師は深々と頭をさげた。
四月八日鎌倉。静の舞当日
その思いにふける禅師の前で、ようやく静の舞は終わり、舞台の袖にいる禅師の方へ戻って来るのが見えた。
磯禅師が静を問い詰める。
「静、なぜお前は、この母の言うことを聞けぬか」
激しい口調である。
「母上、私はあの義経様に愛された女でございます。私にも誇りがございます」
「義経殿の和子を、危険な目にあわせても、私の言葉をきかぬのか」
「それは……」
静は言葉に詰まり、涙ぐんでいた。
「もう、いかぬ。残る手だてはあの方か……」
禅師は、期待するような眼差しで、観客席の方を見やる。頼朝と政子は退席しようとしていた。頼朝の怒りが、禅師には手に取るようにわかった。諸公の前で、笑い者にされたのである。頼朝はプライドの高い男なのだ。それがあのような形で…。
静の舞前日
政子を訪れた同日、磯禅師は大江広元(おおえひろもと)屋敷を訪れている。
「よろしい、広元の一存じゃが、禅師殿、静殿の生まれた和子、私に手渡してくれ」
「和子をどうなさるおつもりですか」
「よいか、義経殿、すでにもう平泉に入っているやもしれん。秀衡殿と示し合義経殿が、この鎌倉へ軍を進めたときの人質に、その静殿の和子がなろう」
「和子を人質になさる……」
禅師の顔色が変わっていた。そのような、人質だと。
「どうした、我が処置に不満か」
広元は強気で禅師を追い込む。広元としては、万全の方策をとっておきたかったのである。今や、鎌倉の中枢は広元が握っている。
「いえ、そのようなこと」
禅師は、ここは広元の話に乗って置く方が善策と考えた。
「よろしいか、禅師殿、和子を助けるだけでも、ありがたいと思い下されよ」
と、広元は押し付けがましく言う。が、その時、禅師は、別の人物に話す言葉を考えていた。
同日、磯禅師は、源頼朝と関係深い勧進僧の文覚の前にいる。
「文覚殿、お願い申し上げます。どうぞ義経殿の和子生き残れますよう、お力をお貸しください」
「禅師殿、わかり申した。この文覚、いささか頼朝殿とは浅からぬ縁がござる。この伊豆に源氏の旗をあげさせ、決起するもとを作ったのは拙僧でござる。まかされよ、頼朝殿の心を反してみましょうぞ」
「よい話でありがとうございます」
禅師と文覚がふと目が会う。お互いが、今の言葉からおこる出来事を考えているのだ。
静の舞当日
「大姫様、あなた様のお気持ち、この静はわかります」
静は舞いの後、大姫の前に呼ばれている。
「まて、姫のおん前であるぞ。直接お話を申し上げるとは何事だ」
警備の武士が静を引き離そうとする。
「よい、静の好きにさせるがよい。それが大姫がためじゃ」
政子が許しを出した。
「大姫様、志水冠者様のこと、それほどお思いでございましたか」
志水冠者は木曽義仲の息子であり、頼朝の命で殺されていた。
志水冠者の名が静の口から上ると、大姫の嘆きは一層激しくなるのだった。
「わかります。大姫様、お泣きなされ。それしか、方法 はございますまい。この私とて、義経様には恐らく二度と会うことなどできますまい。いっそ死んでしまいたいくらいです。が、私には、義経様の和子の命が宿っております」
「禅師殿、お願いじゃ」
「これは政子様。何かこの静が」
政子は舞の日の夕刻、密かに禅師のもとを尋ねて来たのである。
「静殿の舞いを、今一度見せてはくださらぬか」
「政子様、それはお許しください。そんなことを繰り返せば、頼朝様の怒りが増すばかりでございます」
「いや、そうではない。この政子の娘、大姫一人のために踊ってほしいのです」
「大姫様のため、一体何のためでございます」
「この子気鬱を晴らしてやりたいのじゃ。のう、禅師殿も母親ならば、おわかりであろう。娘を思う親の気持ちが」
結局、大姫一人のために、静は政子の別棟で舞うことになった。
「しずやしず、しずのおだまき繰り返し…」
その静の踊りを見て、大姫は泣き崩れたのである。静はすぐさま大姫の前に跪いていた。
「静、それ以上しゃべるでない」
禅師が止めた。
「いえ、言わせてください、お母様」
「よい。話されよ、静殿」
「私は頼朝の手にありましても、常に義経様と一緒なのでございます。義経様と二度と会うことはできなくても、私はこれからの一生、義経様を愛し続けます」
「お前は何ということを」
禅師が絶句する。
「静殿」
かぼそい声で、大姫が初めて口を開いた。まだ一三歳のあどけなさが残る。が、すでに婚約者を殺されている。心の傷は大きい。
「この世で、初めて、友を得たような気がします」
「ありがたい、お言葉でございます、大姫様、、、、」
二人の女性は、お互いに手を取り合って、泣き崩れる。
そばにいる二人の母親も、その光景を目にして、しばし言葉がでない。やがて政子が口を開いた。表情が変わっている。
「禅師殿、私は心を決めました」
「はい」
「この政子がお約束いたしましょう。必ずや、静の子供を助けると」
「政子様、そのお言葉、ありがとうござります。力強ございます」
禅師は「京都」ばかりでなく、「鎌倉」も手に入れていた。
■九 一一八六年(文治二年) 鎌倉への街道
鎌倉に向かう西行の頭の中に奈良での会話が思い起こされた。
一一八〇年の平家による南都焼き打ちにより、東大寺及び大仏は焼け落ちていた。
都の人々は、何と平家の横暴なことを考えた。また、貴族の人間にとっては、聖武帝以来の、いわばふれざる東大寺を焼き打ちする平家の所業が人間以外のものに思え、また自分のために属する階級に危機が及んでいると考えざるを得なかったのである。
東大寺大仏は硝煙の中、すぐに再建に着工され、すでに大仏は開眼供養が一一八五年、後白河法皇の手で、行われていた。大仏を囲う仮家屋や、回りの興福寺を中心とする堂宇の修復が急がれていた。今、南都は建築が錯綜し、活気に満ちていた。
西行は東大寺焼け跡にある仮建築物にいる重源(東大寺勧進僧)を訪ねている。
重源は齢六十五才であったが、精力的に各地を遊説し、東大寺勧進を行っていた。また全国に散らばらせている勧進聖から、諸国の様子が手にとるように分かった。
勧進聖は、当時の企業家でもある。技術集団を引き連れ、資材を集め、資金も集める。勧進の場合、費用のために半分、残りの半分は聖の手元に入る。西行は、佐藤義清という武士であった頃は、鳥羽院の北面の武士であった。西行の草庵は、鞍馬、嵯峨などで、草庵生活を送っていた。
草庵といっても仙人のように山奥に一人孤独に住む訳ではない。この当時の聖の住む位置はほぼ決まっていた。そして藤原家を縁とする寺塔が立て並んでいる。別に難行苦行の生活をするのではない。政事の流れから外れて、静かに物事を考えるのである。
日々の方便については、佐藤家は藤原家の分家であり、大豪族であった。その日々の心配はないのだ。
「重源殿、お久しぶりでございます。このたびの大勧進抜でき、誠に祝着至極」
「おお、これは西行殿。わざわざ伊勢から奈良まで御足労おかけいたします。実はお願いがござる。西行殿の高名にすがりたいのです」
数日前、伊勢の庵に重源の使いが訪ねてきて、ぜひ東大寺再建の様子を見に来てほしいというのだ。重源が呼ぶからには、これは大事と思っている西行だった。
若き頃、高野山の聖時代に知り合った二人だったが、すでに重源は二度宋に渡って、建築土木の高級テクノクラートとして帰国していた。
国の政府と結び付いていた宗教は、南都北嶺であり、中世は禅宗となる。栄西は臨済宗の禅宗である。
「はて、それは……」
「奥州に行ってきていただきたい。奥州は遠く聖武帝の時代より、黄金の産地。できますれば、金をこの東大寺のために調達いただけまいか。平泉は黄金の仏教地と聞き及びます。もし、藤原氏との交渉なれば、黄金が手に入りましょう」
重源は、西行と奥州藤原氏とのかかわりあいを知っていた。この言葉は重源から出ていたが、無論,話の出所は朝廷に違
いなかった。それに時期が時期だ。この時期に奥州へ、それは朝廷から藤原氏へのある種の意向を伝えるために違いない。思ったより大きい仕事。が、これも私を信じておられるゆえんか。私の最後の一働きになるかもしれん。西行は思った。
「それと、これは平泉におられる方々への手土産じゃ」
「何でござりますかな。重源殿のことでございますから」
「これは…」
鎌倉の絵図面だった。
「ありがたく頂戴いたします」
西行の顔色は変わっている。
「あの方の役に立てばよろしいですが」
「役に立ちますとも。では、重源様は、私に都市をよく見て参れと」
「そうです。その鎌倉が様子を、詳しく書状に認めてきだされ。さすれば、重源、いろいろな技術と語らい、新たな図面をお作りしましょうぞ」
「ありがとうございます」
「よろしいか、重源がかようにするは、京都のためにでございます」
が、西行は、重源がまたさりげなく秀衡たちに、自分の腕前を披露しようとしていることに気がついている。
西行が去ったあと、重源に、雑色(ぞうしき)が話しかけた。
「お師匠、この御時世でございます。西行様がため、東大寺闇法師を護衛に付けた方がよろしいのではございませんか」
「おう、よい考えじゃ。誰か心当たりの者はおるのか」
重源は、はたと気付く。
「十蔵が、いま高野山から降りてきております」
「わかった。ちょうどよい。十蔵を呼べ」
僧衣の男、十蔵が重源の前に呼ばれる。十蔵は東大寺のために荒事を行う「東大寺闇法師」である。「闇法師」は僧兵の中から選ばれた、いわばエリート戦士である。十蔵は陰のように重源の前に、出現していた。
その突然の現れ方は、重源を驚かせる。
「十蔵、わざわざ、かたじけない。今度の奥州藤原氏への西行殿の勧進、大仕事だぞ。西行殿にしたがって奥州に行ってくれるか」
「あの西行さまの……わかりもうした」
「さて、十蔵、今述べたのは表が理由じゃ」
「重源様、まだ別の目的があるとおっしゃいますか」
「さようじゃ。西行殿、俺が思いどおりには動いてくださらぬ可能性がある。ましてや、この時世。頼朝殿、奥州藤原氏と一戦構えるかもしれぬ。いいか十蔵、西行殿が我々を裏切らぬとも限らぬ」
「西行様がお師匠様を裏切ると。しかし、西行様は、もう齢七十でございましょう」
「いや、そうじゃこそ、人生最後の賭けにでられるかもそれぬ。西行殿は義経殿と浅からぬ縁がある。この縁はばかにはできぬ。こころしてかかれよ」
重源は気迫のこもった眼差しで、十蔵に命じた。
重源にとっても、この大仏再建の仕事は大仕事。失敗する訳にはいかなかった。重源は、すでに自らを歴史上の人物と認識している。
重源の使命。いや生きがいは、今や東大寺の再建であった。先に重源は平家の清盛から依頼され、神戸福原の港を開削していた。この日の本に、重源以上の建築プロデューサーは、存在しないのである。「支度一番」の名声は、重源のもの。
重源は世の中に形として残るものを、生きている間に残しておきたかったのである。
重源の背後には宋から来た陣和慶という建築家がいた。
また朝鮮半島から渡ってきた鋳物師もいる。そして、有り難いことに運慶、快慶が同時代人であった。このミケランジェロたちは、運慶工房とも思える工房システムを作り上げ、筋肉の動きを正確に表す、誠に力強い存在感のある彫刻像を続々と作り上げていった。日本の始まって以来、二度目の建築改革の波が押し寄せて来たかのようであった。
「重源様のご依頼ならば。断るわけにもいきますまい」
十蔵はにやりと笑う。そしてつけくわえた。
「承知いたしました。が……」
闇法師は、自らの意志などもたぬ。その闇法師の十蔵が、何らかの意向を重源に告げようとしていた。不思議な出来事であった。
「何か、まだ疑問あるのか」
切り返す十蔵の問いにはすごみがあった。
「死に場所がありましょうか」
重源はその答えに冷汗をかき答えた。
(死に場所だと、闇法師は東大寺がために死ぬことが定め)
その十蔵とかいう男は、別の死に方を求めている。それも自らが闇法師中の闇法師という自信を持って言っているのだようやく重源は答えた。
「時と事しだい」
それにたいして平然と言う十蔵。
「わかりもうした」
十蔵はすばやく姿を消した。
「十蔵め、この仕事で死ぬつもりか」
重源は、十蔵が消えた方向を見遣り、つぶやく。
「まあまあ、重源さま。そう悩まずともいいではないですか。十蔵殿にまかしておかれよ。茶を一服どうですか」
話を聞いていたのか、後から一人の重源より若い僧が手に何かを持って現れている。
巨大な頭のハチに汗がてかっている。栄西であった。重源と栄西は、留学先の中国で知り合い、友人となっていた。
そして、栄西は、仏典とともに、日本の文化に大きな影響をもたらす「茶の苗」を持ち帰っていた。栄西が手にしているのは、茶である。まだ、一般庶民は、手に入れることができぬものである。
「ほほう、どうやら、茶は根付いたと見える。よい匂い、味じゃ。妙薬、妙薬」
重源は、栄西が差し出す茶碗を、うまそうに啜った。
「さすがじゃ、栄西殿。よい味じゃ」
その重源の様子を見て、栄西が尋ねる。
「重源様、どう思われます。この茶を関東武士たちに、広めるというのは」
「何と、栄西殿。あの荒々しい武者ばらに、この薬をか…」
重源はすこし茶に噎せた。
重源は少し考え込む。やがて意を決して、若者のように眼を輝かせながら言った。
「いい考えかも知れぬ。思いもかけぬ組み合わせだが。貴族よりも、むしろあの武人たちをおとなしくさせる薬効があるかもしれぬ」
(なるほど、栄西殿はおもしろいことを考える)。
重源や栄西には、自負があったのだ。日の本を実質動かしているのは、貴族でも武士でもない。我々学僧なのだ。僧が大和成立より、エリート階級として、日の本のすべてを構築してきたのだ。それを誰もが気付いておらぬ。が、大仏再建がすでに終わり、この東大寺再建が済めば、我々の力を認めざるを得まい。
重源の作るものは形のあるもの。そして、栄西は、茶というもので、日の本をいわば支配しようとしている。おもしろいと重源は思った。
第一章 完
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