この高専生五年の頃ワシには、三つの命題があったのじゃ。1自衛隊2ヤーウエー3女性であった。 1 に関しては三島由紀夫のように、日本を憂い、ワシは自衛隊に入隊すべく、活動したのだわい。日本の為にどうかしてやりたい、まあ青春の余った力を投じる何かを探しておったのだわい。青年の心の病気だわいのう。母の弟坪倉勇次さんは陸上自衛隊員であったから、さっそく教えを請いに行った。仁徳天皇陵の近くに坪倉勇次さんの家はあった。しかし坪倉勇次さんは言った『民間の平和産業に就職した方がいい、そうしなさい、そうしなさいよ。それが一番いいよ。それが一番懸命だよ』そしてワシは説得されてしまった。その後ワシは仁徳天皇陵に出向いた。『うわー、ばかでかい古墳じゃった。親王塚古墳なんて比べ物にならん。日本にはとんでもないものがあるもんじゃのう。』その後、ワシは平和産業の方に方向転換したのだ。三島の考えはもう昔のこととなってしまった。今は嘉孝兄の息子山口貴裕が海上自衛隊に入隊してイラクあたりに行っている模様だ。彼は何を考えて自衛隊に入隊したのか。ワシは何も聞いてはいない。今となってはこの時の坪倉勇次さんの説得はワシに非常にプラスに作用したと考えておる。 2 に関しては『ものみの塔』を研究した。叔父嘉も相当勉強したようにワシものう。しかし二年くらいで先は見えたのじゃよ。これは異国の宗教じゃのう。詰まらん。ワシの求めるものは違うのじゃ。ワシは自分の哲学(大和魂)で生きるのじゃ。自分自身が神である。日本人はすべて八百万の神がおる。ワシは神である。今は妻、が異国のヤーウェーの勉強している。しかし、たいしたものではないわいのう。みればよくわかる。女子供の戯言でしかないのじゃよ。その頃ワシにはワシの哲学(大和魂)が芽生えていたのだった。それ以降はワシは我道を行く。Going My Way じゃよ。わかるかい。 3 に関してはやはり女性は母に勝るものはないというのがワシの女性遍歴の結果である。まあたいした遍歴はないのじゃがねえ。ははは。