サダム国際空港に行くにはIraqy Air Ways(イラク航空)を使用しなければ行く事が出来なかった。東京国際空港成田からバンコック経由であった。Iraqy Air Waysの機内食はJALと比較したら格段の差があったが、それでもまずまずじゃったなあ。十時間ほどの苦労の末、いつも夜イラクサダム空港に到着した。空港の空気はなぜかひつじ臭かった。あれはなぜか。なんでだろう?なんでだろう?あれは何でだろう?それは、イラキーがいつも羊を食べているからだろうか。きっとそうだ。そうに違いない。イラクのイミグレーション(入国管理)は対応がすごくのろい。三十分以上は待たされた。外国から来た客人に大変失礼な国だと思った。そして、手荷物検査では検査官が荷物を角から角まで検査し内容物をひっくり返す。そして大体いつも何かを取られた。ビデオテープは必ず没収。無線機も没収。ついでに電気製品まで没収された。文句は言えない。戦時下だ。兵隊がマシンガンを持って警備しておる。日本の週刊誌は持ち込み不可だった。写真がだめだった。さて、荷物検査がすみ空港のArrival Gate(到着ゲイト)に向かうと、サダム国際空港にはインデアンのドライバージャグディシュと事務長が迎えに来ていた。『ご苦労様です。シュクラン(有り難う)』サダム空港からバグダッドの太陽熱研究所新築工事現場事務所に向かった。暗くいて何も見えないが道路は高速道路のようにすばらしいものだった。あれはオイルダラーで外国に作らせたものだろう。現場事務所には所長。建築技師。建築技師。事務長。○○電気小村ともう一人。○○調温青山の踊子と田中と溶接工石やんがいた。ワシを入れて日本人十人。皆忙しそうだったなあ。事実非常に忙しかったのだわい。
さてワシは休みの日はドライバージャグディッシュとあちこちに出かけた。バビロン。何回いったか数え切れない。イスタール門。アスファルト舗装をした道路。空中庭園跡。その近くにあってバベルの塔跡と言われる小山。バビロンの遺跡からイラキーの子供が掘り出し物の土偶を持ってくる。『10ディナール10ディナール』『1ディナールにしとけ』今この掘り出し物の土偶は数千年の時を経て我が家の玄関に飾ってある。総額壱千万円じゃ。むふふ。冗談。冗談。またバビロンの近くのユーフラテス河。舟で対岸へ渡ったぞや。バグダッドのチグリス河。アガルクーフ遺跡。ウハイダル遺跡。サマラのスパイラルタワー。クテシフォン。カルバラのモスリム寺院。ああ何というすばらしい遺跡の宝庫だろう。ワシゃ、何回行ったことだろう。何回行ってもあきが来なかったもんじゃ。Badhdad International Musiam。良く行った。近年になって(2003年)USAがIRAQを攻めた時Baghdad International Musiamから国の宝を略奪した輩がおったが、いったい何を考えておるのか。まあもっともIraqy にとっては過去の遺産は自分達が略奪した国の過去の遺産じゃから、タリバンにだまされて金にしようとしたのじゃろうなあ。まあしかし人類の遺産を守れないとは嘆かわしい限りじゃ。