不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

2010/03/24
XML
カテゴリ: 日本旅行記
◇御手洗の海沿いを歩き「江戸の町屋」がある通りを歩きました。
小さな説明看板はありました。
でも、外観を見て楽しむ感じです。
なかなか良い感じでした。
安芸灘d1江戸の町屋

少し山の方に歩いた所に「天満宮」があります。
御手洗という名の起りは、神功皇后が三韓侵略のとき、この地で手を洗われたという所から、この名が付けられたといわれ、古くから神功皇后伝説があった。
明治に入ると御手洗の主人公は菅原道真に移った。
901年に菅公が太宰府に左遷された時に、船をこの地に寄せ、天神山の麓のところで、口をすすぎ、み手を洗われ、天神地ギにお祈りした。
このところを菅公御手洗いの井戸として文筆の神にあやかって、正月の書き始めは必ずこの若水をくんで書いてものである。
1871年に芸州藩の貿易官船越寿左衛門のすすめによって、古くから満舟寺の三社堂に安置していた菅公像を、この裏の小高い所へ移し、小さな社を建てた。
これが天満宮の起源である。

境内に「菅公の碑」があるので見に行きました。
碑って普通は小さなのが多いですが、ここのは大きかったです。
100年ぐらい前の碑なので看板が無ければ何をかいてるかわかりませんね。
碑で読めるのは少ないんですけどね(笑)。
本殿の横に「菅公の井戸」があります。
その横には「可能門」という本殿の下をくぐるトンネルがあります。

「若胡子屋跡」の前には 金子邸 があります。
1866年1月、坂本竜馬の仲介で、長州藩・桂小五郎と薩摩藩・西郷隆盛との間で薩長連合が成立し、反幕の勢力は巨大となりました。
広島藩も薩長土肥の各藩と連携して、この動乱に対処していくことになりました。
1867年11月26日に長州軍と広島藩が、この金子邸で約定が結ばれ、その夜(翌朝)に、汽船震天丸を先発として、長・芸の討伐軍は京阪へ向けて出発しました。
これが有名な御手洗条約です。
坂本竜馬・中岡慎太郎などの志士も度々来島して会談を行ったといわれています。

両方とも外観のみです。
幕末の事は、細かい事までは知らないので、参考になりました。
瀬戸内海の通り道として発展してのもわかりました。
安芸灘e1金子邸
安芸灘とびしま海道 で訪れた所


安芸灘とびしま海道は、まだ続きます





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2010/03/24 07:43:41 PM
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

Calendar


© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: