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2024/10/29/火曜日/霜降の候の曇天のち雨旅から帰国。自宅方面に向かうバスの中で聞き続けたのは衆院選速報だ。蒸し蒸しした闇夜、そぼ降る雨を背景に聞くそれはどこか寒々として、投票率の低さも今更話題になりはしない。戦後3番目の低投票率あと1割の人が投票したらどうなっていたか。独立自尊も重い税負担もアメリカ支配も終わらせる気が全くない、傀儡の国。あと1割の人が本気で望めば変わるかもしれないのに、とごまめが歯ぎしりする。それで満足して死ぬまで口をつぐむのか。トルコはどうか。トルコには国民が、投票する国民がいた。愛する祖国を持つ人がいた。大学に至るまで教育費は全ての国民が無料。アルバイトする大学生はいない。最低の生活費が支給され、学生は学ぶことが担保され、それが社会通念である。トルコツアーの最終訪問はアンカラのアタチュルク霊廟だった。↓霊廟の衛兵は陸海軍兵のように思われる。トルコは三方を海に囲まれた国だ。トルコではムスタファ・ケマル・アタチュルクとトルコ共和国の生誕の日である本日、10月29日を国を挙げて祝う。セレモニーは既に、訪れた土曜日にも開催されていた。↑衛兵が捧げ銃を行うと、押しかけた市民も観光客も皆静謐な沈黙に包まれ、会場に一体感が醸成された。元々、この地は遺丘であったというが、トルコ全体が西と東、北と南を結び、古代文明、ヒッタイト、パクスロマーナ、ペルシャ、十字軍、セルジュクトルコ、オスマントルコ、と歴史の表舞台で、踊り続けている国だ。何しろトロイ遺跡からはエーゲ海の向こうにアキレウスの大型古墳?も臨まれる国、なのである。考えてみるとツアーの一番目の訪問先はイスタンブールのスレイマニエモスクだ。ここにはスルタン スレイマンファミリーの廟があるという。パクストルコの最も栄えた16世紀の時代からスタートし、国民議会に基づくトルコ建国の父、以降の現在のトルコ世界までを古代を歩きながら眺め考える旅を構成しているのだった。私が旅行前にガイド本代わりに読んだのは内藤正典氏の『トルコ 建国百年の自画像』だけ。トルコのノーベル賞受賞作家、オルハン・パムクは借りただけで読みそびれてしまった。↓トルコでよく見かけるもの、アタチュルクと人なつこい猫たち。しかし内藤氏の本によってトルコ社会というものがよく掴めたと感じる。驚嘆したのはトルコ国民の、前回大統領選の投票率87パーセントという数字。どうすれば一人ひとりこんな意識を持てるのか。トルコは若い人でいっぱい、家族でよく観光している。お父さん世代が日本人びいきである。彼らはカミカゼを尊敬している。ドラマショーグンが始まる金曜日夕方、それを見るために必死で仕事を終えたお父さんたちはサムライを敬愛する。自分たちはアジア人であり日本人は遠い兄弟と感じている。トルコは重工業と農畜産と観光業、わずかの石油、天然ガス資源、他に地下資源がある。地震がある↑アタチュルク霊廟ショップはラッシュの電車内みたいにトルコの人で混んでいた。そこで求めたTシャツ向学心を持つ若い人が多く、東に行くほど失業率は高い。子どもは子どもらしく、かつ愛されている。トルコはこれから繁栄する熱い国である。日本は衰退に向かう国だ。日本はこの国をお兄さんのように敬愛して学ぶべきところが沢山あるのではないかと実感した。
2024.10.29
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2024/10/26/土曜日/快晴の夜アンカラ空港からイスタンブール空港へ。出国手続きが終わると、後は大きな免税ショップをよそにプライオリティパスで使えるラウンジを探す。イスタンブール空港で待ち時間が5時間という長丁場である。こんな日のための保険のようなプライオリティパス。ご利益が薄くなった昨今とはいえ。2時発という時間帯なら利用者も少なかろうとラウンジ一択。私のことゆえもちろん事前調査なし。あたって砕けるのが好き∑(゚Д゚)新しい空港のラウンジはたいてい吹き抜けの中二階みたいな所にある。という体験と動物的感覚で100mくらい進むと先ず出くわすのがビジネスクラス客のためのラウンジ。もちろんエコノミー客は利用できない。くっすん。そこから更に30m進むとターキッシュエアマイルス、とある。会員がマイルで利用できるラウンジと想像されたが、一応尋ねる。砕ける。ここでは使えないのでどこそこに行けと言われる。その、どこそこが聞き取れぬ(T_T)聞き取れた1stフロアだけを頼りに降りると、そこに案内カウンターが。庶民の味方、プライオリティパスを見せて、これで使えるラウンジどこ?と聞くと1stコーナーturn to the right.インサイドとかなんとか。エルガラウンジとかなんとか。従い行くと、右折れ後すぐの左手にIGA の文字。これが私にはエルガと聞こえるのであります。エレベーターで上階へ。チョー美人なコンパニオンさんに温かく案内された内部の広いこと。お料理、チラッと見では今ひとつだけどアルコールや飲み物は充実、シャワーブースも完備、ただしこちらは混んでいる。まっつぐ行くは空港砂漠のオアシスのようなこのスポット。これを最後?のFESSというトルコのスピルナ、軽やかなビールで喉を潤し、↓これはキオスクと呼ばれる、フリーWi-Fi利用時に必要なパスコードを請求する設備イスタンブール空港時には利用する間も無く、今回試みる。パスコードが無いと繋がらない。4時間無料。プリントアウトもできる。おもむろにフムスやギョフテ、オリーブ、クスクス?などをお皿に盛って、トルコ産白ワイン、あ、これがびっくり美味しい、を飲んでまったりボーディング待ち、をするのであった。完璧に作られたツアー、というのは久しぶり、のトルコ旅に参加した。これがまあ、日本人の要望に応える重箱の如きにぎにぎしさ満載。終わってみれば一体何処で何をしたか全て混然として、今や呆然と帰国便を待つ。ペットボトルのお水が頂けるのも嬉しい。
2024.10.27
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2024/10/21/月曜日/イスタンブールは朝から晴れ◼️ハンサムで愛想のいい青年に騙されてはいけないの巻◼️今回は初トルコ。しかも久しぶりツアーといってもイスタンブール空港の待合せ場所までは各自で行くのである。いつマネーエクスチェンジするのか、今回マネージメントしているツレからの事前情報がない。荷物を引き上げ、外に出ようとした直前、おや、こんな所にスポット的に両替所があるではないか。両替しちゃおう。ナニナニ円は0.56とある。確か50円割ってる筈。いかがか。ツレは面倒だからここで一人2万円で両替という。対応一人のこの青年がまたチャーミングなのである。日本語でありがとうはどういうの?なんぞと親近感、清潔感高い。ニコニコして渡されたトルコリラ…がこれ↑なんかすくなー。円負けてる?ブツクサ呟きながら申告なし通路から出て現地ガイドさんのいる所へ。徐に、トルコリラと交換場所へ行きます、とのこと。やはりそんな段取りであったか。↓レート表を見てびっくり。ナニこの違い!84380トルコリラだよ!私たちより12000も多いではないか!つまり私たちは4万円を3万4千円の価値に落としたのね_:(´ཀ`」 ∠):慌てる乞食でござんす。空港の外には、銀行ブースが4.5軒並んでいて、殆どの旅行者はこちらで取引しています。またも学習代を支払ったわれら、ハンサムくんの笑顔付き。銀行員はにこりともせぬ。次を虎視眈々と。
2024.10.21
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2024/10/20/日曜日/薄曇りわれらの結婚記念周年を昨晩、羽田のありそというお寿司屋さんで乾杯して機上へイカのげそ焼き、すごく美味しかった。↓朝5時半頃のやって来たのは、キエフの西、ソフィアの東。アテネの北、ローマの南、イスタンブール。ガイドさんがいうには人口1800万人⁈難民300万人の都市だという。紀元前1500年頃トルコ人のご先祖がこの地に暮らし始めた記録があるそうだ。その頃はトルコ人によってアスタブルク?というように呼ばれたという。これは神に最も近い土地、との意味を持つらしい。←wikiとは異なる?その後、呼び名はビザス王の進行でビザンチウム、ローマ皇帝のネオローマ=コンスタンチノープル、そしてオスマントルコ大帝国の時にイスタンブールと呼ばれるようになる。トルコ人ガイド氏が言うには古地名がなまって現在のイスタンブールになったそうだが、別にギリシャ語の「イス ティン ボリン」←街ヘ向かって←説が優勢なようだ。トルコギリシャ関係を眺めれば、我らの花の都、歴史の首都がギリシャ語由来は受け入れ難い、のに違いない。こうして様々に揺らぎ語られ、受容されるものが自明の理となるのだろう。もっとも現在の首都はアンカラ。アタチュルクが刷新させた新生トルコの世俗主義によって宗教色を脱色させた。エルドゥアンは穏健的イスラム教政党を率いて長年大統領の地位にある。2020年、あの開かれなかった東京オリンピックの年、イスタンブールハイライト、アヤソフィアはとうとう博物からモスクに戻った。それに従い女性はスカーフ着用、衣服の禁止事項も増えた。が、入場料はなくなった。★2025年1月15日から外国人観光客は有料。大人一人25ユーロとのこと。無料で観光客が押し寄せたことによる対処とのこと世俗的であるのはどちらかなぁ。形だけ頭から被り物?入場フリーが美味しい?トルコの人にとって行き過ぎた宗教禁止は心情と矛盾する点も多かったろうが、若い世代、都会に住む人にはまた違う関心があるのだろう。兎にも角にもターキッシュエアはモスクワにもキエフにも飛行機を飛ばす。テルアビブにもバグダッドにも。日本の政治家百人束になってもエルドゥアンにかなうまい。アラーは商売の神なのだよ。
2024.10.20
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2024/07/19/金曜日/梅雨明けなのに蒸し暑滞在期間 6/8〜15 滞在中は全てこのダイニングで3食を頂く。その全ての食事を担うのが若きシェフのニコライくん←ちなみにデンマークではポピュラーな名前だとか。ロシア名?と思っていたら。フィンランドの娘さん、アシストしながら編み物の講座にも参加。夕ご飯はテーブルサービスの上、テーブル毎にワインが一品提供されていた。↓朝一番の水分、嬉しい。でもこれは初日だけだった。この容器、いいなぁ。我が家の梅酒用に必要!↓牛乳と豆乳、美味しいお塩↑かなり本格的な設備のキッチンが奥に見える。そのカウンターに並ぶお料理から食べる分だけ頂く。これが中々難しい。お代わりしたいと思っても、割と早めに片付けられる。撮り過ぎて残すのだけは避けたいた思うと、ツイ控えめに取ってしまう。残りは全て、飼っている羊やアルパカたち動物が美味しく食べてくれるので気にしなくて良いのだと帰国前に知ったT_T↑デンマークの伝統的な食事。羊ラベルのワインはオーストラリアかニュージーランド産。お皿のナプキンが牧草の色!グレイビーがとても美味しい!しかしジャガイモ2つとニンジン半分インゲン三本添えるともう満腹。夕方ヨガに参加したとはいえ、編み物しかしてないので空腹感が無いのです。いやはや。こんなに食べまくってたんだなあ。パンはおろか、クロワッサンも焼けるシェフの、めちゃくちゃ美味しいイチゴジャムにはなんと!バニラビーンズや八角がホールで入ってた。あとキルシュも効いてたけど、実はさくらんぼが入ってたのかな?画像を何回か撮り忘れ最後の日のディナーが素晴らしかった。子羊の脚を丸ごと塩で包み焼きしたメイン!生まれて初めて食べた。シェフが陶器の大きな箱をひっくり返し、塩の塊から子羊のモモが御開陳!鯛の浜焼き風?食後酒はミード間も無くヨハネスマスだからかな。今画像を見返すとほんとうにここにいたのかしら?あれやこれやと食べたのかしらんいささか、夢のようではある。これが夢ではないことを確認するためにはまたTverstedのワークショップに参加するしかないという無限ループにはまる。どうやらそんな方が多いらしく、5回目の方が複数いらしたのはびっくり。8回の開催中、7回参加された方もいるのだとか。何とも羨ましい。
2024.07.19
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2024/06/30/日曜日/曇りのち雨6/7 館内でゆっくり過ごし受付に降りると、新たな入館は断られていたので、もう5時なのだろう。デン・ハーグで食べるつもりでいた塩漬けニシンは、これから戻ってもお店はクローズド。それならばデルフトで食べられないかとついつい受付のおばさま方に尋ねてみた。ハーリングが食べられる所は、この近所にあるの?開いてるかどうか分からないけど、直ぐそこの角っこにあるわよー、ということなのだ。このテのお店は閉まるのが早い、とそそくさ出かけると嬉しいことに開いていたT_Tハーリング、ハーリング!と訴え、え意外に高いのねというか日本円弱すぎを実感しつつ3.5ユーロと記憶する、ソレをビールも白ワインも無しにT_T頂く。あー、これこれ。旨し!お店の前にはテーブルスタンドが3つばかり。今度はビールと一緒に他の幾つかも食べたい!え!今度があるのか?だったらいいなぁーさてお口もお腹も嬉しくなって元気いっぱい。フェルメールが描いた小路の雰囲気の残る辺りをさすらえども見当たらず。帰国後に実はセンター側であることを知った。まあ、こんなものである。↑マルクト広場、素晴らしいお天気↑新教会の塔にはちゃんと鐘が収まっていた。フェルメールの絵には抜け落ちている。↑新教会、と幟に認められる。↑何とも絵になります、教会の裏側の街並み↓カクカクではない、なだらかなダッチハウス↓建具の高さは平均身長世界一のオランダ人には、とても低い。昔は小柄だたのね。観光地としての顔つきは否めないけれど、古い佇まいに少し満足を得ていよいよ駅に戻る道すがらの河岸を目指す。この辺りまで歩くと観光というよりは生活する人の手入れの行き届いた小さな植え込みの花々が。その先の運河に掛かる橋が工事中でずっと迂回して遠回りをする。↓ようやく到着ここは以前には来なかった。確かに一番高い新教会がよく見える。看板と平行に見える風景は、やや右寄り。400年前と変わってないのか、変わったのか。フェルメールがこの絵を描く前に起きたデルフトの大火災からどれだけ風景がかわったのか。彼は何を感じながら、町外からデルフトを描いたか。そんなことを思いながら電車に乗った。
2024.06.30
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2024/06/29/土曜日/曇り6/7 金曜日日本の公立美術館や博物館は、個人の撮影に吝嗇である。ことを海外の美術館で再認識させられる。ストロボなど発光するものを用いない限り、マウリッツハイスもこちらも撮影フリーだ。Google mapではフェルメール美術館とあるけれど、これはセントラム、センターが正しい。実物の展示ではなくデルフトの町の歴史やフェルメールの研究を中心に案内する施設なのだ。こちらでチケット購入、日本語解説のレコーダーが貸し出される。この解説はかなり優れものだった。地階の展示ではフェルメール作品の総覧と、彼の時代背景や交友関係なども紹介されていた。日本にも収蔵ひとつ。アイルランドにもひとつ。なるほど。この3人は同じモデルかな?右端のタッチはまるで、マリーローランサンみたい。帽子デザインもモダン真珠の耳飾りの少女がマダムになったらこうなる?黄色のトーンが作品ごとに異なるのが面白い。実物はどうなのかしら。デルフトブルー、或いはフェルメールブルーに最も映える反対色の黄色が、彼の絵の中ではろうたけて、うるむように温かい。展示されていたフェルメールのパレット絵の具も当時のもので、配色もこの並びだったらしい。光から闇へと色の階↓こちらはマウリッツハイスに展示されていたフェルメールが用いた材料見本。濃い黄色はweldとある。キバナモクセイソウ?薄いのはearth pigments 黄土かな?↑同じフロアに展示されていたデルフト焼の中で一番好みのお皿このフロアでは修復の様子のビデオ紹介や室内エスキースの技法、多消失点の用い方の説明がある。またカメラオブスクラの体験もできる。カメラオブスクラはマルクト広場への小道にアングルが向けられていた。上下は正常値に設定されていたが左右は逆転。小さな覗き穴からは広場と小道の陰影がややぼやけて、通りを歩く人がまるで動く絵画か初期の映画を見るよう。フェルメールの驚きと発見の追体験。《天文学者》と《地理学者》同じデルフトに、同じ織物商を営む家にほぼ同じ頃生まれたレーウェンフックがモデルと考えられている。商人ながら科学全般に興味を持ち、独学で工夫しながら幾つもの顕微鏡を作った。ここにはその内の一つが展示されている。彼との交友がフェルメールの絵を創造したと考えるのは理に叶うように思われる。交友といえば、ギルド聖ルカ組合。↑当時のギルド組合員の卓の再現。水は非衛生的で一般にビールが飲まれていた。女子どもも、である、もちろんアルコール度数は低いものだったろうけれど。そういえば断酒する男が平気でビールを飲む場面が何かの小説に出てきた。ビールはそういう扱い。ところで。この卓の奥行きは70センチに満たないほど。組合員は相対するのではなく交互に座す細長い設計だ。何を意図しているのだろうか。これは、何かの冊子で見た小池一子さんの熱海の別荘を思い出させる。断崖絶壁に建つその家の窓からは海しか見えない。その海に向かって、丁度このような細長いテーブルが据えられていた。それに吸い寄せられた。なるほど。異様に奥行きのないあの長テーブルはクリエイターギルドの卓だったのだな。↓現代のパールイヤリングガールそして《絵画芸術》
2024.06.29
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2024/06/26/水曜日/蒸し暑い6/7 金曜日本日の1日は長い。遅めランチを美術館で済ませ、デン・ハーグの駅まで急ぎ足、やはりデルフトに向かうことにした。↓とはいえ美しいギャラリエを通り抜ける。優雅な通りではあるけれど、意外にもビンテージショップなんかが幾つか。はい?みたいな日本語のコピーが。さて、無事電車の人となり、人懐こいマダムとシャイな息子さん。これから進学する大学の見学に行くらしい。お話ししている内にもうデルフト。息子と母が一緒に大学見学って、え?ここ欧州だよねえ、オランダはこんな感じなのかな?デルフト駅は運河の巡る旧市街から少し離れていた事を記憶していた。駅はこじんまりとしていて、駅前は少し広かったようなイメージで降りると、様変わりしていた。地下に着いて地上に上がる。地下には広大な自転車置き場からダイレクトに行き来ができる。なのに、駐輪場は外部からは視線がシャットされて、そこへのアクセスも道路面より一段下の運河沿いの自転車専用道路からアクセスできる作り。スマートである。ぼんやりとした記憶の風景と隔たりのある景色、なのにどことなく覚えのある小道や橋。以前訪れたのは2月、3月の暗い時期で人もまばら、観光客なんぞついに見当たらない時節だったことを思えば、まるで南仏のように明るいデルフトだ。正夢の中を歩いているような、何かの追体験をしているような気持ち。5時には閉館になるデルフト・フェルメール美術館へ急ぐ。フェルメールは43年の生涯、この町から出ることは無かった。絵はあまり売れなかった。これは画工たちのギルドだった建物で、彼は代表として数年その責務を担ったという。
2024.06.26
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2024/06/24日/月曜日/曇り気味の晴れ6/7 金曜日フェルメールの青と独特の薄い黄色に浸った後、もちろんマウリッツハイスの至宝と言われるレンブラントの「テュルプ博士の解剖学講義」も見る。絵の完成度は高いのであろうが、題材が私好みではないのだなぁ。腕の腱を持ち上げているところが、何ともねえ。しかし、近代的自我の顔たる博士の面持ちと、それを見る周囲の医師や研究者らしき面々の過去的な表情がリアルに表現されていることは確か。同じレンブラントでも、ここに収蔵されている中ではこの小さなオールドマン肖像画が好み。今回、私にとっての重要な発見は、当館にメムリンクの一点が所蔵されていたこと。レンブラントやフェルメールより150年以上昔の画家である。画家というより職工の時代。思えば、この作家の硬く、ぎこちなく、真っ直ぐな信仰心溢れ出す、マリアのタブローを観たことでフランドル絵画に関心を持ち出したのだった。メムリンクにしては上手すぎる!破綻しているデッサンが絶妙な持ち味、と私は勝手に理解していた。左からメムリンク(1485~1490の作品)中、クラナハ(1515~1520の作品)右、レンブラント(1635~1640の作品)17世紀半ばになると、人間の内奥や個別性がはっきり現れ、テクニックや画材もそのために奉仕している様子が見える。陰影によって深みが出ているが、クラナハのポートレートに、その走りが見られる。左目の二重はより深い。こちらはホルバイン他にも幾つかの好きなタブローリンドグレーンの絵本の時代とあまり変わらない庶民の暮らし振りニットより刺繍やレースに勤しむ女性が多い。内職の良い収入になったのだろう。他にも美術館ホールには生の花!ここが館であることを示す。みんなが大好きなミュージアムショップは地下フロアー。カフェは道路に面していて、ここだけの利用ももちろんダイレクトにに利用できる。外レストランを探す前に空腹過ぎてこちらでランチした。ビーフシチュー、お肉とジャガイモの量が多すぎ!味と値段はカルテプリナスタチュームみたいな葉っぱ、ほろ苦くていける。
2024.06.24
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2024/06/18/火曜日/雨降り続く長い一日の日曜日、お昼過ぎに帰宅。そして昨日はもうお仕事。本日は不在時に届いた4キロの梅仕事と休養土曜日ゲストハウスで早い朝食後、車で1時間ほどのオールボー空港に到着。スキポール空港のGATE BからDまで移動したり、パスポートチェックしている内に消化される程度のトランジット、ラウンジで時間を潰す事も無し。でもシェンゲン協定?とやらが発動されてないのかしら?ダブルチェックされた印象。↓ニットに勤しんだ教室前の廊下の羊毛ウマさん。私の宿泊していたハウスのダイニングの窓を賑やかにしてくれた燕のつがい↓↑夫婦で何やら相談しながら卵の寝床をせっせと作っていた、心和む風景よ。↑空港までの車窓。北部デンマークの風景が広がる。↓またいつか、このスペルの空港へ降りられますように!ここはデンマークスキポールはオランダ。当たり前だけど。なので、ここでしか買えない薄荷飴にくるまれたチョコキャンディー、マリアンネは買っておく。一行が買い占めて、気づいたらお得な袋の方は売り切れだったT_Tスキポール空港の免税ショップでは浴室壁用に、ゴッホひまわりのマグネットとのど飴だけ。のど飴といえば。オランダでは反応無しのアレルギーがトベルステッドで盛大に出た。喉もイガイガで咳も出て、おまけに白夜なので、十日ばかりまともな睡眠がとれていない。始終眠いのだけは辛かったT_T6年前、ほぼこの時期に初めて滞在した時、アレルギー反応は無かったのだけれど。他にもアレルギー反応者が数名。原因は何だろうか?さてさて。そんなこんなで、これに乗って日本へ機内では東京リベンジャーズ2 と湯のみち?を立て続けに見る。これら二つの映画に、こよなく日本の良さを覚える私。デンマーク田舎のイサガーの日々があっという間に塗り替えられてしまう。いかん。いかん。シャーロックホームズ、ジュード・ロウ様で北海方面の面影をしのぶ内に、はや、成田に着きにけり〜成田エクスプレスの中で、イサガーでのスワッチの残りを編んでみる。機内で残したパイも食べる。
2024.06.18
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2024/06/08/土曜日/曇天午後からやや晴れオランダ滞在わずか40時間。40年前に観られなかったフェルメールの〈真珠の耳飾りの少女〉に会うために、ストップオーバー利用の短期滞在、というはっきりした目的がある。その絵を所蔵しているマウリッツハイスはデン・ハーグにある。したがって、スキポール空港を挟んでアムステルダムとは逆の方向なのである。❶とにかく駅から徒歩8分内❷寝るだけなので経済的で清潔であればよしつまり時間もお金もセーブする観点で探すとヒットしたのはHoofddorpというスキポール空港駅の次の駅の、Intercity Hotelだった。私としてはもう少しハーグ寄りが嬉しかったのだけど夕方の到着便だし、予定より遅れるとか荷物受取りに手間取るとかも考慮した。しかし1人で2人用の部屋を借りるため、頗る割高ではある。そもそも大陸にシングルルームって存在するのかしらん。B&Bならいざ知らず。そしてB&Bはたいてい不便な場所にあるし、現地語がある程度使える方が望ましい。ホテルは一応、空港公園?の中にある振りなのだけど、どう見ても田畠の中にぽっかりと建っている。ZEN hotelsというサイトが一番お得だったのでそちらで予約を入れた。お嫁ちゃん曰く、香港かシンガポールチャイニーズ系のサイト?らしく中国の団体さんも泊まっている様子で中国語を理解するスタッフは在中。アメニティは一切無し、ミネラルウォーターとコーヒー、お茶バッグは最低限という感じであり。今朝ホテルを出る時にエレベーターで一緒になった男性はプライベートジェットのパイロットだという。へー、セレブとか⁉︎と聞くとにんまり微笑んでリムジンみたいなものだ、とのこと。機内で見たロマンスコメディを思い出してしまった。彼らクルー4.5人は大型ワゴン車へ。一方、私は荷物を引きずり駅まで行くもホームへのエレベーターは故障らしく動かない。長い階段を荷物を持ち上げ、ゼイゼイ登る。ああ、間に合わないと思いきや電車はディレイ。運が悪いのか良いのか。空港へ。利便性を考えればホテルはまあ良い選択。ただし運河にかかった橋の階段はマイナス点
2024.06.08
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2024/06/07/金曜日/爽やかな晴れ宿を8時半頃出発↓駅までの右側風景チューリップ畑だったと勝手に妄想しておく。↑左手には可憐な草花があちこちにある、長閑な風景のわずか5分後余りで駅に着く。デン・ハーグまでの乗車券は予めインストールしていたオランダ鉄道の優れものアプリにて購入済み。一番早いパターンで40分弱、だけどそんな電車は1時間に一本あるかどうかの小さな駅にお宿を取ったのだった。ところで、最寄り駅は上り下り?のホーム毎に改札口が異なっていることに気づいたのは、間違えてホームを選択した後のこと。駅内部での通行ができないので、一旦外に出なくてはならない。え!ノーWi-Fi環境でチケット再購入して、メンドーなカード入力を一からやるの⁈と額にタテ線が入るのだった。ナーバスになっているのは電車のミス手配でエキストラチャージを支払わされた、デンマークでのトラウマによるのだ。この時はデンマーク人の大学生が奮闘してくれて、一ヶ月後に返金された。忘れられない思い出だ。彼とはその半年後に日本で再会して、神田藪蕎麦でご馳走したのだった。因みにこのお店は現金のみ。昨年までは。さて、本日の事である。駅は無人。とりあえず通行人に聞くしかない。私の出たい改札から入ったビジネスマン男性に突撃。教えを乞う。実は昨日もスキポール駅のチェックイン機の反応がないままが気になり、降りた駅でたまたま列車の駅員さんに尋ねたら、問題ないからそのまま出て大丈夫とのこと。その様子を観ていた、レゲエな雰囲気の男の子がとても心配してくれて、どうやら私が間違って駅を降りたと感じたらしく、ホテルは何処なのかと聞いてくれた。ホテルまでの適切な道を見つけてくれて、階段で荷物を運んで、それじゃあね!と彼の道を帰って行くのだった(T-T)じわわーん。私は欧州でよくこんな体験をする。日本では未だかつてこんな体験をしたことはない。自分をクリスチャンと自覚する欧州北部の人は少ないように思うので、これはクリスチャン的な行為というより、彼らの自由意志による、困った人に手を差し伸べる友愛が基礎に固くあるのだ、と感じる。つまるところ、シチズンの矜持。これが貧弱なのでは?我が祖国よ。老いも若きも男女や祖先の出身地も問わず、とりわけオランダの人は心が開かれた印象を持つ。ほぼネイティブな英語スピーカーの彼らだが、たどたどしい私の英語をちゃんと把握、想像を駆使して理解しようと努める姿に、もはや感動する。アメリカでは英語ができないと先ず軽蔑されるし、彼らの英語も英国人の英語も聞き辛いのに、オランダ人の英語は比較的聞き取りやすい。さてその寛容がオランダ鉄道にも反映されている?同じ駅なら出入りしてもチケットは失効しない、とのこと。また購入区間の乗り降りはチケットの有効な時間内なら何度もできる。そしてラッシュ時間外の早割率がコスパ高い!私は直前までデルフトまで行くか、ぐずぐず迷ったのでフルrateでしか買えなかった。しもた!場合によっては6割引きもあるので、とにかく先の先の駅まだ買ってもはるかにお得なのだ。次回の反省点としておく。
2024.06.08
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2024/06/07/金曜日/茫洋とした晴れ肩身の狭いお尻の痛くなるような空間に、お昼前に乗って、ようようスキポール空港に着いたのは日付の変わる時間。改めて気づいたのは、欧州に入るときは入国カードなどの記入が不要ということなのだった。考えてみると2019年秋にチェコとハンガリーを訪ねて以来の欧州なのだった。この空港での最大の後悔は、カレンシーエクスチェンジをここでした事!ユーロなどの流通の大きな現金は成田ですべきでした。手元に2日分くらいのユーロ現金があったので、これで大丈夫とばかりに事前のチェックが不足していた。荷物受取で話した日本人旅行者の方は出張でも成田でユーロに替えるのですと!しかし試しに一万円を交換してみると、コミッション分を引くと手元には38.24ユーロ!これって、1ユーロ261.5円!の驚きのレートですよ。決してスキポールで円ユーロを替えてはいけないと身に沁みた。高い学費を払ったと思って、万が一また欧州に来ることがあれば、私は断じて成田でユーロ交換、若しくは現地のキャッシュディスペンサーでカードで下ろします!鬼門の両替コーナー反対側にあるオランダのイオン?みたいなスーパー。朝のフルーツなど物色。キャッシャーは手前で行う。決済にクレジットカードはほぼ対応しない。オランダで流通しているデビットカードが主流みたい。アメックスもダイナースも✖︎な中、何とエポスカードはアクセプトされましたΣ(゚д゚lll)オランダの神カードでございます。この季節のヨーロッパの恵み、ラズベリー2ユーロ。今のレートなら323円くらい。スキポールレートなら530円である。ほろ苦し。
2024.06.07
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2024/06/06/木曜日/早朝晴れていたバゲージドロップもセキュリティチェックも凄くスムーズで搭乗まだ余裕の時間あり今までダイナースカードで利用していたラウンジを今回初めてプライオリティカード←付帯につき限定的?で成田で試す。やはりねえ、ゲート15辺りの上階にある、ハイクラスのラウンジは使えませぬ。その様子はまるで雰囲気が違います。はいはい、私目お断りでございました。ゲート26そばのラウンジ何とかへ行けとのこと、ちょっと足を伸ばす。↑ここかしらん。受付で尋ねると、こちらはビジネスクラス以上のお客様対応でして、プライオリティパスは受付できません。まあ、急にぞんざいな顔つき態度じゃございませんか。それしたらお客さん失わないか。ラウンジのあ、に行けとか。はいはい。大韓航空ラウンジからほど近い所にありました。気さくでカジュアル、私向きのラウンジ。一応、軽食と飲み物はアルコール類もアベイラブルな広々した、混雑気味のラウンジが。働く人はいかにもアルバイト風だけど、大変気持ちよく働いていました(^^)ありがとうございます!あんぱん、クリームパン、マスカットA赤ワインご馳走様
2024.06.06
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2024/05/30/木曜日/曇り5/21-22↓シュタイナー学校の生徒さんが作ったらしい、ワックスペーパーの星↑最高に気持ちのよいコンポストトイレ2種シャワーは使わずに殆ど登山の過ごし方だったので、釧路に戻る道すがら温泉に寄って夕ご飯を回転寿司のお店で摂ることになった。こんな気ままなプランが成立するのも、移動を一手に引き受け、かつこの地域に詳しい旅仲間がいればこそ!この辺りでは、道の駅的な複合施設に温泉が一緒にあるというケースが多いみたい。その名も可愛いい赤いベレーという温泉!赤いベレーは丹頂鶴の事を示すようで、すぐ側には渡りの丹頂鶴を観察する場所もあった。やや、熱めの湯の、こじんまりとした温泉狭いけれど、こちらのサウナが私にはとてもよい温度で、直ぐに汗が出たのだった。夕暮れの日の名残りが幣舞橋を照らす頃、釧路っ子お馴染みらしいなごみ亭春採店にて、晩餐。名称を忘れてしまった、釧路ソウルフードなんぞも注文できてバラエティに富む。ただし。神田で回転寿司をばたまにランチする身には、江戸のお寿司を贔屓するかなぁ。夜分に訪問客の方との会合もあり、2時間ほど歓談する。充実の最終夜となる。翌朝久しぶりに7時近くまだ眠りこけて、雨の音を聞く。今まで好天だったが最終日は雨降り。最終訪問地の、釧路湿原西側の恩根内の木道を歩くプランは、同行の方が膝を痛めて躊躇したが、当人の希望もあって少しだけ過ごした。↓湿地の中の底なし沼?に竿をさして深さを測る。水芭蕉に似た花が群生していた。↑サトイモ科 ヒメカイウ というらしい。お天気だと野鳥観察も楽しめるようだった。その後空港からほど近い、山花温泉隣接の、レストランはなしのぶで、そういえば北海道に来たのに、ラーメンを食べてない!事に気づいて塩ラーメンを食べたのだった。雨に濡れて冷えた身体も温まる。こうして道東釧路の旅が閉じる。
2024.05.30
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2024/05/29/水曜日/空気やや重く日差し強い5/20 朝早く、別棟の住人、台湾の若者はファームを出た。私は早朝目覚めたので周囲を少しお散歩した。遠くで母牛と子牛が草をはんでいる。昨日は、一泊するゲストハウスの清掃をしたくらいで、何もお手伝いができていない。↓右端に小さく一晩過ごしたハウスその向こうには平原が見える。十勝平野?今日は少しお役に立てると嬉しい。昨夜バーベキューをした場所に集合。トラックの荷台の水タンクを満杯にするチーム、おやつの、オーガニックなジャガイモをざっくりカットするチームに別れ作業。やや離れた放牧地まで車移動する。私たちが到着すると、大好きなオヤツがもらえるとぞろぞろ牛が集まり始める。大人は大人、子牛は子牛でまとまって移動しているのが面白い。その数20頭ほど。おや、どうしたことかボスのモーリーが来ない。みなでトラックに乗り込み牧草地一帯を偵察。ツイに姿を見せなかったモーリーはこの2日後、何もなかったようにオヤツを食べに来たそうだ。牛にまみれて私たちは、次なる作業の搾乳小屋へと移動する。このファームでは全ての牛たちが角をカットされない。考えてみたら、牛が本来持っている角が不要な筈がない。何かの感覚器官⁈かもしれないではないか。人間の都合という枠からはみ出すものは当人の生理を無視して削除されるって怖いことだ。人間、いつからそんなに偉くなったのか。神をも恐れぬ所業なり。お産も自然に進行して、朝覗くと産まれてた、というノリだという。穏やかで無理がない。抗生物質もホルモン剤も投与されない。オーナーさんは手で牛の乳を絞る。優しく歌をうたいながら。この清潔な質素な小屋から、歌声は漏れて有機的に育てられている牧草の上をかすめる。平安と平和そんな朝である。絞ったばかりの牛乳を味わい、朝ごはん作りデザートの自家製ヨーグルトには台湾の生徒たちのお土産、桑の実ジャムをかけて。みんなで食卓を囲み、日々の糧に感謝を捧げる。我が家、と呼べるに相応しい場所。その後は、種から育てた3種類のバジルをポットに移植したり、ポット用の土を混合する作業に没頭。これらが立派に育てばファームプロダクトの人気者、ハーブソルトになる。これをソフトクリームにかけてもオツ!らしいささやかなささやかな援農の後、わーいお待ちかねのソフトクリーム!お代わりはファームからのプレゼント!24時間で三つのソフトクリームを平らげた私たちはまたここを訪ねることを胸に刻み、温泉地へ向かう。のだった。
2024.05.29
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2024/05/28/火曜日/雨に風5/19-20さて、かもめ食堂というレストランを見つけお昼はそちらに立ち寄る。シナモンロールとおむすびの食堂ではなかったT^T焼肉屋さん。ホルモンラーメンとか豚丼を提供する駅前食堂なのでした。我らが目指すは本別町にあるソフィアファームドライバーを引き受けてくれている知人は数回訪ねたことがあるらしく、今回コーディネートをしてくれた。感謝!Googleにはソフィアファームコミュニティと表記されている。釧路市内から車で1時間半ほど。脇道に入る時にファームのソフトクリーム販売看板が出ていて迷うことはなかった。週末の午後3時までオープンということで、何としてもそれに間に合うように出かけた私たちである。ここのソフトクリームが、実に実に素晴らしいお味なのだ。今まで食べたどんなソフトクリームとも違う。身体が喜ぶ!そんな美味しさ。私は抹茶とクランベリーソースをチョイス。そのどれもがオーガニックのもの、をまぶして掛けて。うーん、きらきらと美味しい!コーンの部分はサクサクの薄焼きワッフル?ソフィアさんでは様々な地域のシュタイナー学校生を引き受けているのだとか。このコーンは台湾のシュタイナー学校生が作った。これも美味しすぎる!ソフィアさんはバイオダイナミズムを実践している放牧農園だ。昨年有機認証を受けた。今後はデメター認証を目指すという。ドイツ、デメターの歴史は古い。人智学者シュタイナーの凡ゆる社会活動実戦の中で最も発展している分野が、これに関わりの深いバイオダイナミック農法ではないだろうか。オーガニック認証は国ごと地域ごとによって百花繚乱の観を呈しているが、デメター認証は人智学という哲学に基づき、生態系全体を治癒し身体のみならず精神の健康なウェルフェアに寄与するためのスタンダードだ。虫も土も水も空気も植物も人間も家畜も星、月の運行も全体の一部を為すネットワークであり循環なのだ。難しいことは分からなくても一口食べれば、身体はよく理解する。昨今、その身体が怪しいのが喫緊の課題なのだろう。私たちは自然から余りにも遠く離れてしまった。どんな環境でどんな作業をしているのか、少しでもお手伝いができたら嬉しい、そんな軽い気持ちのお邪魔だったけれど、それもあり!なのだった。かつて台湾のシュタイナー学校からエポック授業でやって来た台湾の青年が、3週間の援農を終えて明日台湾の台中に帰国するという。彼のお母さんは学校の先生で、教育現場への疑問が尽きず、仲間とシュタイナー学校を始めたのだとか。そんな両親をとても敬愛して感謝している、という。料理人になりたいという夢があるそうだ。よく気がついて、気持ちよく楽しそうに仕事をする。こんな青年が世界をより良い所にしていくだろう。頼もしい。↓ファーム脇の小川で自生するクレソンのサラダファーム経営者のKさんは料理が旨い!しかも手際が良い!ファームのグラスフェド牛さんの3つの部位の食べ比べも!味にも歯ごたえにも濃淡がある。ジューシーだ。私は元々あまり肉を食べないけれど、このお肉からは素直な、嫌味のない、ほのぼのとした柔らかさが体内にやって来る。なので肉に疲れる、という印象がない。集会所から車で5分くらい上った牧草地の、スコットランドヤード?と命名された丘の5畳ほどの小部屋にお布団を運び、掃除していつでも寝られる準備パートナーのB氏は、ただ今バイクツーリングしながら房総辺りのシュタイナーコミュニティを訪問中らしい。藁のブロックや佐官作業、家作り、牧畜とまあ、何でもこなす、ローラー・インガルス・ワイルダーのお父ちゃんみたいな人だ。
2024.05.28
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2024/05/25/土曜日/やや晴れ、夕方寒い5/19/日曜日↑朝散歩、浜辺で釣りやワカメ採り?本日はいよいよ第1ミッション、湿原カヌーの日ありがたいことにお宿まで迎えに来てくれた知人の車で、ヒライワさんと待ち合わせの細川駅へ。↓道端で撮影している方に会い、お花の名前を教えたいただく。白いエンレイソウ、紫はエゾオオサクラソウだとか。群咲いてのお迎え嬉しいな。市内から45分程度のドライブ。駅の可愛いこと!←画像撮り忘れT^Tここからヒライワさんの車でポイントに移動。すなわち釧路川上流へ向かう。車で20分ほどか。昨日は風速8メートルで出廷不能が、本日は4.5メートル。お天気にも恵まれ絶好のカヌー日和。100分程度の路程を下る。私たちはキャプテン?ヒライワさん含め5人の大所帯。そんな大きなカヌーは、もちろんヒライワさんのお手製なのだった。聞けば元々造船所に務めていたけれど、時代の趨勢でカヌーを作ることに。怪しいシイナ氏とも交流があったかな?湿原の中の川なので、高低差は殆どない。川の様子は日本というより外国に来たような印象。川幅は狭くなったり広がったり、その間にヒライワさんが、チンした人を助けたり、汀から出られなくなったバンビを救出した話など楽しく語るままに、悠々と水面をゆく。おしゃべりしながらも、動物観察をしっかりと。国の天然記念物、オジロワシ遠目にはハートの形で佇むツガイ。川の反対側の高木にヒナがいたようだ。エゾシカは両岸から何度か見かけた。好奇心いっぱいに追いかけて来る?姿に大きく手をふると、更に追いかけて来る╰(*´︶`*)╯♡極め付けは丹頂鶴。特別天然記念物ヒライワさんがヒナがいる!ほらほらと仰っていたのだけど、私たち熟女?4人は全然目に入らず…ところが画像を見てびっくり!ちゃんと両親の間でおつむを出してありました!まあ嬉しい。他に泳ぎ、土手の巣穴に入るミンクを見たのだけど、何かな?と訝しんでいる内の、あっという間の出来事だった。ミンクはバブルの頃養殖されて、釧路市内には扱う業者が何軒かあった。今は無い。その時以来湿原に棲みついて湿原の環境に適応し、今や生物相の一部となっている模様。静かに滑るように、低木と空と川以外見えない空間を進む心地良さよ。ここから車で5.6分ばかりの所にある細岡展望台は、釧路川の蛇行が見られる唯一の場所。たまたまボランティアさんがいらして、紙芝居スタイルで湿原の話をしてくれた。日差しは強くてもこの服装!涼しい、夜は寒い。列島改造時代、何とこの蛇行を一部真っ直ぐにする工事が行われたそうだ。湿原の環境のために、今は復元したという。二重に無駄な工事!何と勿体無いことだろう。展示されていた、細岡展望台から眺めた湿原に沈む夕陽の息を呑む美しさ。オオジシギなる渡りの鳥は一度も休むことなくオーストラリアから釧路へ真っ直ぐ飛来するという。それが昨年から姿を見せないのだ。太陽光パネルの劇的増加との因果関係が心配されている。自然エネルギーとは何か、考えさせられながら展望台を離れ、次なるミッションへ向かう。
2024.05.25
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2024/05/22/水曜日/薄曇り5/18 釧路博物館へ設計は毛綱毅曠(もづなきこう)。彼は釧路出身で、市内にいくつか手がけた建築を見るツアーなんていうのもたまにあるらしい。ポストモダンな建築家のイメージがあったけれど、この建物は割と大人しめ?尤も博物館なんだから、展示物がメインとなりつつ清浄な空間であること、建築物がうるさくないことが望ましい。先ずは4階から。丹頂鶴の展示が比較的充実していた。背景画は特殊撮影で活躍された方の手になるのだとか。撮影のセンス次第でとてもリアル感が出る。お仲間が、まるでホンモノみたくパチリと。4階から降りる。エレベーターは3階の表示はあれど、反応しない、止まらない。なぜ? 3階は2階の吹き抜けになっていた。ここではアイヌの人びとの暮らしや技術が観られる。興味深い船は丸太くりぬきの底に胴腹は板をヨロイにはぎ合わせてある。しかも縄で。おそらくヨシを編んだ帆のデザインがモダン。あ、ゴールデンカムイが!博物館を出て春採湖から釧路の街や太平洋を眺める。桜は終わり、たんぽぽとアザレアが賑わっていた。更なる眺望がある、とMさんが連れてきてくれたのは仏舎利塔。これは一人の篤志家の寄贈で建立されたそうで、好景気に沸いていた釧路が偲ばれる。ところで炉端焼きは釧路のお店が初めて開いたスタイルとのことで、夕飯はみなでぬさまいさんへ。小さなお店は人気で予約必須らしい。お魚はもちろんだけど、しいたけや野菜がとても美味しい。美人姉妹が焼いてくれます。
2024.05.21
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2024/05/21/火曜日/釧路は小雨時々強い18/土曜日/晴天、風強し、の中を釧路に向かう。羽田発 7:45 釧路行きは満席朝一番のフライトに合わせて4:30起床で長い一日の始まり。釧路空港に降り立つのは初めてこじんまりとしているけれど新しい。今回の旅は知人が釧路でお宿を始め、そこを訪ねて自然やオーガニックな仲間と出会う、が目的参加者3名プラスお宿の当主夫人いきなり午後予定の釧路川カヌーツアーは風速8メートルのため中止に。急遽、行き先を釧路博物館に変更その前に明日のバーベキュー材料を仕入れるべく、釧路駅前の名高い和商市場へ今が旬のトキシラズ←鮭とか、キングサーモン←鱒悩みに悩んで、キングサーモンにしたけれど、やはりこの時期、この地でしか手に入らないトキシラズにすべきと後悔、先に立たず。この市場は一般客や観光客で賑わうけれど、人口減少に苦しみ、市場も経営が厳しいのだとか。バーベキューにはあとイカの一夜干しとまホッケ、カキを購入。このカキに感動するのである。一般には厚岸のカキが有名だが、実は仙鳳趾(せんぽうし)産が質は上とかで七個購入。見ているうちに、他の参加者尻込みする中で、その場で生を一つ頂く。一番小さいサイズですら、ようやく一口で食べられる大きさ。身はぷっくらとして味は濃い中に磯の香り爽やかで甘味がある。うーん、これが食べられるならぜひ来たいと思う人も増えるのでは⁈釧路にオイスターバーはないのかしらん。お昼は釧路ならではのクロレラ入りの鶏ツユ蕎麦を頂く。蕎麦がみどり色、ツユは濃い味付け生姜を添えて温まる。
2024.05.18
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2024/04/26/金曜日/春の日の芽吹き4/15 ようやく巡り会えたお茶やさん◼️プロローグ前々回だったかの台湾訪問は阿里山で過ごした。そこへのアクセスは嘉儀市で現地ツアー申込みの上、マイクロバスでうねうねと手入れされた茶畑を上り詰めて行った記憶がある。後からホテルの往復バスが嘉儀と高雄から利用できることを知ったのだった。統治時代に建てられたクラシックなホテルには蒋介石とその妻、宋美齢の資料展示室もあった。日米戦争の真の立役者は宋美齢では?と思わされる内容をそこで知った。彼女は客家の出身だが、9歳での米国留学を考えれば精神構造は米国人である。米国芸能界や報道、ホワイトハウスへの働きかけなどの手法を知ると単なる令嬢ではない。稀有なロビーストである。おっと、お茶から遠く離れてしまった。さて、その折に求めた高山茶が無くなり、前回訪問の2020年2月には知人が教えてくれた茗心坊で幾つかのお茶を買った。残念なことにその日ご当主は不在で、留守番のお客さんの対応だった。そのお客店長がやたらとお茶の投資を勧める。お茶のビンテージはシンガポールや上海のオークションで高く落札されるのだとか。お茶はお店がキープするそうで、日本人名の書かれた壺を幾つか見たけれど、そんな景気が今、大陸にあるのかしらん、とコロナを挟んで思う。日本人を応援したい彼が親切で言ってくれたとはいえ、お茶を投資と考えるのはいかがなものか。茗心坊の独特な焙煎発酵で臭みのないプーアール茶と阿里山茶、小梨山茶がまだ少し手元にある。後者二つは香り高く美味しい。それがお茶の全てだ。と思っていた。◼️興華名茶しかし、良いお茶はよい人をも育てる、そんなことも学んだ、今回のお茶体験。オーガニック、お茶などのキーワードでお茶やさんを探すと、乗り降りしている東門駅のお茶やさんがヒットした。お店に入ると直ぐに先客と私に小さな紙コップでお茶が出された。ご主人に挨拶して、陳列されているお茶の試飲ができるか尋ねると一瞬の間の後、構わないという。後から知ったが試飲一人500元と案内が出ていた。どんなお茶が好きか、と尋ねられ高山茶、でも東方美人茶も好きだなんぞと返答し、何年か前に阿里山で美味しいお茶を飲んだ、と伝えると阿里山茶を出してくれた。◼️台湾茶の淹れ方↑興華名茶のパンフレットから茶壺←急須茶海←急須のお茶は一旦ここで受けて聞香杯に配ら れる。湯冷し、片口の形態聞香杯←筒型の小さな湯呑み茶杯←茶碗小さい筒形の茶碗に入れてくれる。それを平たい小さな茶碗に自分で移す。初めの茶碗で残り香を聞くのである。平たい方では色を見る。2杯目の時、急須の茶葉を茶匙で優しく天地替えみたいな作業をしている。それは何かと尋ねると茶葉に空気を触れさせているのだとか。3杯、4杯、味は力強くなってくる。5杯目くらいがピークで7杯ではカタンとばかり弱くなる。お茶を楽しみながら、四代目ご当主の台湾茶の講義が延々と始まる。お茶のバイオダイナミクスについて。農薬と消毒薬、化学肥料の問題について。モンサント社のことまで話が及ぶ。もちろん日本語である。或いは喫茶の哲学について。うちの店のお客さんは夜、夫婦で静かにお茶を愉しむ、本を読み音楽を聴く。そんな時間を持てるのがお茶なのだ。お茶は瞑想だ、ともいう。本物のお茶を飲むと身体は忘れない。脳の感覚が開く、というようなことを説明してくれる。ときどき私のお茶体験について質問をする。そんな話をしている内に特別なお茶の試飲をしてくれるというではないか。茶館に向かったツレに急遽電話して、そちらをキャンセルしてこのお茶やさんに至急来るよう伝える。何処の茶館?何で茶館?と聞かれて、ツレはその雰囲気が好きなようだと応える私。ご当主のお茶好きな知合いは、見晴らしの良い所でお茶を楽しみたいとき九份の茶館に行く。お茶は自前で、お湯だけ貰う?買う?のだとか。あんな観光地に美味しいお茶はない、という。なるほど。観光客=私、の知らないことだらけだ。先ほどの阿里山茶は花の香り。色は蜂蜜。私の薔薇ピローと似た香りだと帰宅後感じた。ご当主が直接管理している茶園は阿里山と梨山にあるという。梨山の茶園は高度2300m。雪は降らないとのこと。寒暖差が大切。日が昇る頃、霧が立ち込めその霧にはお茶の香りが漂うのだという。見せてくれた茶園の動画には鳥の鳴き声も聞こえ、まさに深山。お茶はこの高山の土のミネラル、草、花、熟した実、と杯を重なる毎に変化するのだと教えてくれる。確かに梨山茶は香りも味も阿里山茶の変化とは次元が違う。お茶の中に大自然が映り込んでいる。梨山のお茶の色は翡翠のよう。香りは深山とでも言うのか。香りと味の境界がないような、渾然一体の深山の体験、とでもいうのか。味の言葉の表現が追いつかない、とでも言うべきか。とにかく体験、体感するしかない。ということを知った。お茶がパワフルな時に感じる渋みは、これが甘さの元であることが分かる。間に呑んだお水がびっくりの甘さ。うーん、これが自然。ポリフェノールやタンニンに転じる土、虫、樹木、雨、風、太陽人間が沢山入り込むような茶園ではよいお茶は育たない。土がダメになる、汚れる、というようなことも言う。彼の梨山の茶園の堆肥は大豆だそうだ。発酵させているのだろうか。大型トラック一台分で120万元⁉︎←聞き間違いかも←だから店で売ってるお茶の価格は割に合わないとか。阿里山の茶園の堆肥は大豆ガラ、高度も自然環境も梨山とは違う。まあ価格が順当に反映している。ご当主のお茶の話には一切うそがない、と私は感じた。日本の水は軟水だが台湾の水はどうか?お茶には水が重要なのだ、こんな会話が弾むお茶やさんに出会えたことが今回の台湾訪問の最大の喜び。喜びはごく近い所にあったのだ。廃棄する茶葉はどうするのか聞くと、有機栽培の茶葉は政府?市?が回収して堆肥にするのだとか。そんな循環が組織化されている台湾、市民自治と公共がうまく噛み合い、羨ましい。私たちは阿里山茶と梨山茶を購入した。どちらもそれぞれのミドルクラス。このお茶やさんに私は何度も戻って行くだろう。渡りの鳥のように。
2024.04.26
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2024/04/24/水曜日/終日こぬか雨4/15 旅も4日目、明日は空港本日は月曜日。一日を猫空予定でいたらロープウェイが月曜日はお休み、もちろん美術館なども。それで三箇所目のお寺を訪問することに。行天宮 今までの観光客も信者もごった返すような寺の雰囲気とは少し違うのは朝早めの訪問ゆえか。↑手水がある。心を洗い、心に問いなさい、とある。お静かに、みたいなプラカードを掲げた人や、お寺参拝の正しいやり方を教えてくれる奉仕者の方が沢山いた。みな真剣に祈願していた。気持ちの落ち着く廟だ。元々は関羽を祀る廟で、財産家が寄進して建立したのだとか。宗教としては台湾道教といわれる。商売の神様でもある。↓これなんかは道教的?タオイズム龍山寺では占いの仕方の勉強不足だったので、今度こそと予習して出かけたら、こちらはコロナの名残で未だ封鎖中だった。明後日くらいから再開らしいT^Tお守りが頂けると聞いて建物に入ると日本人なら奥の女性に尋ねなさい、とのこと。彼女は流暢に日本語を話し、お守りを私に下さり、お守りの言葉を唱えながら祈願しなさい、と仰る。無料だという。ありがとうございますと謝意を伝えると、また来なさい、とのこと。はい!やはり正しく占いをしないと(´∀`*)↓交差点地下の通路にびっしりブースがあった。有名な廟やお寺の界隈には占いのブースが沢山並んでいる。2度も占いが不発なので、占いついでにこの近所で人気の占い師さんの所に行ってみた。私が訪ねたのはこちら。先客がいて、外の椅子に腰掛け待つ。日本語が達者で日本人に人気らしい。出て来られた方も日本人親子だった。マスコミにも随分登場している様子。こちらの先生は毎年日本までも出張されていて、当たると評判。15分で3つの手法による占いで1300元。え、かなりお高めなんですけど。これが相場なんだろうか。特に占ってほしい切実感なくふらふらやって来てしまった。まあ仕事の事や、さほど長くはない将来のことなど尋ねる。本当は聞きたいことをちゃんとメモして時間を有効に使うのが良い。名前の字画、生年月日、米粒占いが用いられた。アドバイスをいくつか頂く。宿曜占星術や四柱推命でみてもらったラッキーナンバーとカラーが同じ。細々と考えたり妄想せず、とにかく好きなこと楽しいことを何でもやりなさい、ですと!聞いたか、ツレよ。そのように生きさせて頂きますと力強く頷く。先生はさっぱりしていて好感の持てる方でした。↓先生から頂いた春節に売られる運気アップのお菓子!これ普通に美味しいゼリーみたい。おまけに商売繁盛のお守り占いの後はマッサージ。鉄板な台湾でございます。肩凝りからくる腰のモヤモヤを解してもらう。オーナーは日本人。台湾で生きるためのあれこれをレクチャーしてくれたりして興味深い。時間がなければそれなりなアラカルト対応もしてくれます。日本語が通じるのはやっぱり嬉しい。何だか本日午前はみなさまにお世話をやいて頂きました。ありがとうございました。ランチは昨日の持ち帰りフードを捨てたくない!ということで、東門市場の反対側に広がるエリアでお惣菜やご飯をテイクアウトしてホテルの朝ごはんの食堂←24時間、自由に使える、コーヒー、お湯あり←で食べる。ワサワサと残り物が片付いて主婦的満足度高し。
2024.04.24
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2024/04/23/火曜日/寒さを感じた曇り4/14 午後と夕ご飯の過ごし方さささと周囲を偵察するとノレン?にAKAcafeとある。おやびん、見つけましてござる。こんな奥まった所にいかがわしいとも思えぬキャフェバァとやら。 うむ。ここでよか。てなわけで、入店。細い路地を入る。お店の人はあまり関心を向けてくれぬが、先客と思しき人が2組ばかり。声をかけると予約されてますか?とのこと。ここは基本予約らしい!そうなの⁈でも幸運なことに、隅のテーブルをあてがわれました、親分。席に着きましたら。入店してびっくりな、良き時代の古い洋館。新建材とは全く違う空気の中でゆっくりコーヒーを啜る。予め連絡しておくと超人気で予約の取れないお店のにゅうろう麺も頂けるらしい。それ相当なお値段かと。値段以外は私のツボなカフェである。どうやらここで半日のんびり過ごす人もいるらしい。これでは予約必至である。2階はスペシャルなことで使うらしいけれどそれ以外は見学できる。細長い廊下の左右に、リノベ以前のこの洋館のモノクロ写真が並んでいる。オーナーは台湾の方で、働いている人数名の、私たち対応組は日本の方。アジアでは今やこうなのか。奥まった所から見る油化街の内側は案外バタくさい中華の風情が漂う。おやびん、もといツレとはここで別れて私は国立博物館と中正紀年堂の見学を目指す。かれこれ5.6回は来ている台湾なのにその二つを訪ねていない。実は故宮美術館も∑(゚Д゚)B級グルメを堪能して市場を冷やかしお茶やコーヒー飲んでぼーとしているだけだった、という。博物館は台北駅南だから駅から歩くつもりでバスに乗る。バスは駅前北側に停車。駅前道路は横断出来ず、地下からアプローチ。台北駅地下のどの出口が最寄りかは分からず。出鱈目に地上に出たらお巡りさんがいるではないか。博物館への行き方を教えてもらう。謝謝。建物は帝冠様式というのか、堂々として、例のクラファン国立博物館にも似る。しかし内部空間はちょっと狭い。係の人にマストシーは何?と訊ねると2階、とのこと。え?なのだがまあとりあえず2階へ。一番関心を引いたのが、台湾の街や村で暮らす様々なルーツをもつ家族の暮らし振りのスライドショーだった。主に2013年前後の、ごく普通の暮らしのスナップ。その10年以上前から大陸の成長を果実として豊かになった台湾の人びとの変化をこの15年ばかりの時間の中に強く感じる。↓天皇、台湾滞在時の銀食器。初日コーヒーブレイクした建物は昭和天皇即位を祝した建物だった。束の間の滞在、ここから公園を抜けて台湾のシンボル、中正紀念堂を目指す。徒歩30分くらい?道路幅が広く、横断待ちもなかなかなのだ。このスケール感は立派、さすが中華文化だなぁ。建物の中にまでは入らず仕舞い。1975年亡くなった、中華民国初代総統である蒋介石の巨大な座像だけ、ちらりと眺める。今回旅では北甫や故宮美術館側の蒋介石邸も予定には入れてたけれど全部パス、というハメに。ここから宿までは徒歩で12分ばかり。街を知るには歩くに限るのだ。ツレ、午睡中昨夜ホテルで予約してもらった享鴨さんへ北京ダックの夕飯に出かける。↓サインが何もなくて戸惑うけれどレストランはここの2階二人前コースを頼んだのだが、これがまあ凄い量で失敗。何しろ残せない性分なので中華は飲茶以外は要注意なのだった。↓付け出しとかビールとかで半分満たされていたらギャルソン風の店員さんが私たち胃の小さな日本人向けにアラカルト対応をしてくれようとするのだけど、お互いカタコトの英語な訳で上手く伝わらず、結局コースにしたのだった。↓まあ、これの半身だしねえ、余裕。↓皮が美味しい!生姜もっと欲しいええ⁈チョイスの4品の量、半端ない!熱々の大根餅の揚げ炒め、とても美味しいが二つ食べると鴨肉が入らぬ〜ツレは何としてもお粥=ご飯は残せぬ、とビール腹にかき込む。殆ど罰ゲームのようなディナーである。二品は持ち帰りにしてもらう。もし次回行くことになったら、時間をとってメニューをながめ、断然アラカルトである。
2024.04.23
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2024/04/21/日曜日/薔薇2本植樹、レオの夢みる4/14 旅も3日目朝一番で台北植物園に出かける。3日目も曇天で、思ったほどには暑くない。バスに乗って植物園みなみ口から入る。こちらが正門の様子。台北はそんなに大きくない都市だけど、緑が豊富で道路が広い。↑木の根?菩提樹の仲間かな?都市計画に基づいた姿と、庶民的な活気のある市場がちゃんと立派に活躍している姿。そのバランスがよい。スクーターでもあれば、直ぐにお気に入りの場所に行けそう。↑紫の花以外はみな月桃の仲間公園の大きさに比して随分大きな蓮池がある。幸運にも蓮が昨日から咲き始めたらしい。アマチュアがプロか、頗る本格的なカメラを携えている。花を眺めれば、そこだけ天上である。これは、一体どうした花ぞ。桜、薔薇、蓮しかし、こんな花も!台湾の方はみなさん大変親切だ。日本語が使える人に今回は以前より多く出会った気がする。そんな方から↑これはバナナの花だと教えてもらった。バナナには芭蕉の名札が。ストリート太極拳先生の姿の、中心の備わった清らかさよ。今日我最美、いいですねえ。蓮もそれはそれは美しいけれど、園の中で今、一番命を燃やしているのは私。目に留めてね、そんな風に呼びかけている地面には金平糖みたいな小さな小さな花が白く光っていた。台湾の植物相や分類学の礎を築き、その発展に貢献したのは日本統治時代。そんな資料がここでも垣間見える。大東亜戦争を平かに省みる必要があるのではないか。日本が100%悪だった訳ではない。小林秀雄や藤田嗣治、山田風太郎の言動にも触れ、そう感じる。あの時代を反省し二度と戦争に与しないために、世界の平和貢献とアメリカからの独立を願う。そして軍隊のない独立国というものは存在しないことも含めて、熟慮と対話ということを考える。台湾という微妙なポジションを保つ場所が私に内省を促す。森林浴とバードウォッチングを楽しんだ。植物園を出たのは北口。ここから地下鉄緑ラインの小南門駅←北口出たのに、駅は南門←がすぐ側にある。これに乗って北門下車し少し北上すると永楽市場、油化街へ出られる。歩行者道路になっていた永楽市場界隈は、若い人や観光客でいっぱい。植物園とは真逆。素の台湾は植物園や朝市にあるのかな。永楽市場は日曜日は半分以上お休み。名物の油飯←台湾チマキ←も食べ損ねたT^T果物店とすごい人気のお寿司屋さんは観光客の長蛇の列。私たちはパパイヤのミルクセーキ70元を頂く。永楽市場の建物の9階には大稻埕戲苑という人形劇を中心とした劇場があり、その使い手に人間国宝指定となった方がいるらしい。この日は休演だけど。8階の展示室は時間内なら、いつでも誰でも無料で楽しめる。人形のための楽器も精工にこしらえられている。指の仕掛けが小動物の骨のようで怖い。人の技がどんどん深みにハマるよう。辻村ジュサブローの人形が蠢く「我こそはたまずさが怨霊〜」の南総里見八犬伝を思い出す。子ども心にも恐ろしく、記憶にこびりついてしまった。江戸は中華文化のトンキンのごたる。↓好きなカシラ三つ館を出ようとすると受付の女性が追いかけて来て、立派な冊子を下さった。人形劇演目あらすじなんかを北京語と英語と日本語で解説するもの。これを無料でとは、台湾は豊かになったことを実感させられる。さて、この界隈の人気な昼ごはん屋さん、共に市場内が休店のため台南料理の度小月で台南に何店舗かあったと思う。海老ロール揚げとたんずーみーふん台南でも海老ロールは人気だったと思う。油化街を行ったり来たりして、お茶屋のピンとくるところはないか、とか。探す。ピンとくる所がなくて、結局は前回も買い物をした爵林堅果坊で一通りお土産を仕込む。お腹もいっぱい、お土産も買った、そこでツレ、コーヒーを所望と宣わるなり。へい、斥候まいりやす。
2024.04.21
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2024/04/19/金曜日/武蔵野丘陵の初夏風4/13 夜 まだ台湾2日目立派なオフィスビルの中に劇場、台湾戯棚 がある。企業メセナなんだろうか。それとも政府の肝煎か。何しろ伝統芸能だ。劇場のフロントには千里眼と順風耳の大きな鬼神像鬼神のように、ようく目と耳を働かせて京劇を堪能しなされ、という計らいかな。エレベーター脇の窓口で予約を告げチケットを貰い、劇場フロアに上がる。エスコートの素晴らしいスタッフは丁寧で、楽しんでほしい気持ちが伝わる。劇場前に様々なアトラクションがあり、これならもっと早く来ても良かった。中国琴の演奏で迎えてくれる。めちゃイケメンなメイクアップアーティストが、腕や首に絵を描いてくれたり、京劇衣装を着ての撮影もあり。顔の隈取りデザイン。それぞれ役向きがあるのだろう。歌舞伎に比べるとパワフル。レスラーの仮面マスクのようでもある。化粧に関心のある人が多い?主役の女優さんが、メークの経過ごとに役の中の人物へと変容するみたい、顔つきが変わる。眠るなんてとんでもなかった。台湾EYES は 観客を楽しませる事に徹した芝居集団。舞台装置はない。壁の、おそらく白蛇伝のシンボルのみ。舞台右奥の演奏陣は充実している。川を渡る舟に揺られる場面など登場人物の呼吸のあった動きや音楽で、その情景を表す。トーンの高い声のミュージカル仕立て。白蛇の精が風光明媚な場所に遊んで、見染めた美しい男に恋をするが、高名な僧侶がこの結婚を怪しみ、男を救い出そうとする。白蛇軍と僧侶軍の闘い場面が見せ場アクロバティックな動きや、舞踏のような武闘にハラハラワクワク、大人も子どもも大喜び白蛇は僧侶に向かい、私は千年の修行を積み、ずっと昔からこの村のものたちの病を治し霊験あらたかだ、などと字幕スーパーでは読める。僧侶の寺は水に沈める寺となりぬ。白蛇に属する水の精の激しい連続バック転がそれを暗示しているかのよう。さて、どちらが勝者かは俄かには分からない。西湖のような、美しい風景に思わず人間以外のものも呼び寄せられるのだろう。異類婚姻譚であり、アニミズムと新興宗教の転換でもあるのだな白蛇伝は様々なバリエーションがあるようだが、日本長編アニメの嚆矢となった作品とも聞く。高いキーも柔らかい中国語で聞くと気にならなかった。動画は撮れないが、画像はOK日本のエンタメも少し見習ってはどうだろうか。
2024.04.19
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2024/04/18/木曜日/昨晩四国南西部で地震4/13 お昼前に駅に着くと、目の前の広い花博公園ではファーマーズマーケットが開催中奥の方は農産物展示販売、前方では何かの催し、プロダクトワークショップ、チャリティーなど。マッサージブースを見つけて思わず立ち寄る。溜まりに溜まった肩凝りを20分1500台湾ドルくらい、の施術所をしてもらう。結構痛い。しかし目や胃に来ていたモヤモヤは時間が過ぎると消えていた。担当してくれたのは屈強なお兄さん、え〜力強いはず?暑さの中、今がシーズンの桑の実ジュースを飲む。虫さんも冷蔵庫上、0の下で休憩中どうやら一村一品運動みたいに、台湾中の特産品が並んでいるらしい。試食するとツイ買ってしまうので、要注意。あーあ、搾菜のお漬物買っちゃったよ。どうするの、手に一杯ぶら下げて。日本では食べたことのないさっぱりとした浅漬けな塩味、美味しい。フレッシュ&ジューシー。花蓮県の少数民族らしきブースで足が止まる。お茶の実?種?から採ったらしい苦味の強い油を勧められて飲んだり肌に塗ったりする。油の味はツレのお気に召さないらしく、苦茶油を用いた石鹸を3つ買うことにした。白、ベージュ、茶の色の濃さが茶油の濃度を表すらしい。真ん中を求める。娘たちへのお土産。そんなこんなで、時間が過ぎ公園北にあるMadison ACME を観てうっとり。館内は、いかにも若手アーティストの作品展示中。台北市では古い雰囲気を壊さず生き帰らせて、とにかく若い人びとに開放している。明るい指向。その小さなガーデンを眺め市立美術館前工事につき公園の横断ができない。向こう並びのローズガーデンと林安泰古暦文物館の見学は諦める。既にお天道様は真上にあり、お昼ご飯は断じて諦めない、B級グルマンとしては。この界隈なら美食通りとして有名な夜市場所にある黄記魯肉飯だ。並ぶけれど、旨い、早い、安い。魯肉飯、魚団子のスープ、イカ団子のスープ、揚げ豆腐の煮物。ふむふむ丁度良いボリューム。杏仁脆片やドライマンゴー、ラー油にお漬物に石鹸と妙な生活臭を漂わせながら一旦ホテルに戻り身軽くなるや、コーヒーで一服。ホテル側に素敵な書店発見。純良社書店。2冊新刊を買うと古本を一冊プレゼント。グッドアイディア!↓真ん中はそう、『成瀬は天下を…』なのだ。早い日本の翻訳も揃っている。小さいスペースに小さなカフェテーブルが二つ。コーヒーと確かシナモンロールが頂ける。ヘルシンキのアアルト設計の書店みたいだ。規模は違えど本好きの空間は同じ。オーナーが助けたノラネコちゃんも、店内でケアされていました。すてき。こんな本屋さんに浸りたい。しかし。うちらはドヤドヤと永康街へ。歩けばこんな家にも当たる。おやおや。足は自然と阿原ユアンに。結局待合せのレストラン前ではなくここでツレに遭遇して、よもぎや月桃、ドクダミの石鹸を買う。日本で買うとめちゃ高い。台湾で買っても円安でやはり高い!しかし一度使うとまた使いたいと感じます。ここの石鹸のインパクトは絶大で、台湾に魅せられた最初の事件?事故? 2番目が高雄のサニーヒルズ魚介類の中華店、府岸台菜海鮮城←17:00オープン、と同時に夕飯をとり、8時からの京劇を観るのだ。カニは何と一万超え。ムリ。海老と貝と芝海老チャーハンとその他野菜料理、台湾ビールで満腹。殆ど生感覚のシジミ老酒醤油漬け?これ後を引くなあ、ニンニクと共に。京劇で寝ないだろうねえ、われら。
2024.04.18
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2024/04/17/水曜日/小雨のち曇り4/13/土曜日朝一番は東門市場を通り抜け、自家製辣油を購入。円安日本人としてはカラスミは諦める。きんぴらごぼうやお稲荷さんも。ここに来ればオックステールが簡単に手に入り羨ましい。地元の人でいっぱい。食べ物屋さん意外は早い終わり。人気らしい御園坊には並び待ちの人もナチュラルな仕上がりのドライマンゴーも購入。小さくカットしてグラノラに。辣油とドライマンゴーを携え我ら、台北で一番古い龍山寺へ老若男女に観光客も入り乱れる中、午前の早い時間のためか、何といっても台北の発展と共にあった古いお寺。熱心な祈りの渦が巻いているのである。赤い半月型の石?を投じて、筮竹をぐるぐる回し一本を引いてその数のおみくじを引く、という方式。事前の予習も無いまま手前勝手に試みたら、禍々しいような内容。ありゃま。お賽銭とお祈りで罪咎憂いを洗い流してくださいまし。龍山寺の辺りは古い街並みや建物が残り、お散歩が楽しい。お寺といえば街のお菓子屋さん。以前にもここ、太和で買った杏仁脆片。大好物なのだ。ここのは素朴で美味しい。しかし円安か値上がりか。以前は一袋200円もしなかったのに、今や300円!大人買いはムリ。日本統治時代の古い公設市場建物は、地域の文化施設や若い人の活動拠点に、古いものを残しつつ、リノベしては上手に利用しているケースがここにも。お次はちょいとスイーツ休憩。消極的なツレのゆるゆる歩きもこらえて萬華仙草冰へ。あーこれが食べたかった!めちゃくちゃ美味しい。甘味はサトウキビ、それにミルクプラス。店内壁には仙草の説明があるのだけれど、解読できず。おウチの方に頼まれたかしらん、マイ容器で買いにくる男性も。気づくとツレも、お裾分けのつもりがしっかり半分食べているではないか。さて、疲れも暑さも癒すお味の次は、目を癒しにローズガーデンと林安泰古歴へ行こう。赤いラインの地下鉄で円山駅下車。
2024.04.17
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2024/04/16/火曜日/曇り桃園空港の楽しみはラウンジ!成田みたいにしょぼくないのだ。第1ターミナルの場合、ボーディングの後、左に進むと免税店と医療施設がある。その先左奥のエレベーターで上へ。降りるとすぐキャセイパシフィックのラウンジ、その奥にPlazaプレミアムラウンジがある。貧乏旅では利用価値大、なのだ。ランチワインを赤白いただく♡しかし楽しみにしていた牛肉麺の提供はなかった(;ω;)そもそも今回の台湾発動はそれ。次男オススメの御牛殿麺の側に宿予約したのに、タイミング合わず、最後の望みのラウンジも…で、チキンヌードルとるーろー飯などやけ食い気味に、しっかりとデザートも頂く。機内用に最後の台湾のお味を帯同。携行ドリンクは人気らしく、これ一つだけ。今回はジェットスター利用につき、飲み物などは全て有料なのである。13:10の桃園空港発で17:00には荷物回収あらまあ、もう日本なのだった。台北はずっと曇りでたまに晴れ間が見えた。気温もそんな時27度くらい、多湿ではあったけれど過ごしやすかった。
2024.04.16
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2024/04/15/月曜日/本日だいぶ晴れ間ありもう台北4日目あっという間の明日、帰国。さて4/12 午後の部ホテルを出たのはチェックイン後の3時半頃この時間帯は飲茶か茶館がオープンしているけれど、レストランは殆どお休み時間。まともなお昼を食べれない移動なので腹ペコなのだ。しかし双月食品店チェーンの内、大安森林公園店のみ休まず営業。バスで移動。かなり並んでいる。店頭で必要事項を入力し、番号札をプリントアウトし、待つ間にお店の外の画面で日本語とメニューを照らし合わせて決定し、オーダーにチェック。↓この汁なしピリカラ坦々が美味しい!お代わりしてしまう。350円程度!量的には控えめ。後は貝柱入りのスープと筍炒めをシェアこのお豆腐の煮込みも惹かれたがもう満腹。ここは高くない。実感でいうなら値打ち、お安い。一人700円くらい?消費税無しが痺れる。満腹の後はコーヒー、確かヘリテージビル中山堂の4階でコーヒーが飲める。地下鉄で最寄り西門駅へ。表ホールはロックされている。え〜と思いながら諦め切れずぐるぐる建物を回っていると、以外とひっそりした通りに面した扉に守衛さんがいて、カフェに行きたいと伝えると入れてもらえた。時間は既に5時過ぎ。7時までだけどよいか?と聞かれる。え?一体他のお客さんは何時間滞在しているのだろう?まあ、確かにコーヒー一杯は千円以上。場所代を含んでいるわけね。空間と美味しいカフェラテを堪能しつつ、次の行き先である饒河街觀光夜市への経路その他を確認。ここへは二つの目的お寺、慈裕宮参拝と有名な胡椒餅を食べること。お寺は縁結びで有名なんだとか。足元のスヌーピーも探せ無いごった返し状況の中、台湾の地震を含め、世界の災害が少しでも小さく収まりますよう祈念する。この熱気、日本に無いなあ。と思いきや、夜市入り口にいきなりその胡椒餅名店がありました。うーん、これは美味しい!石窯、炭火焼きで肉あんの芯まで熱々。お腹が満腹で、二人で半分こ。今度は丸々一つを食べるのだ。
2024.04.15
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2024/04/13/土曜日/曇り昨日早朝5時!自宅出発。2020年2月以来の台湾たび、二人、再び。↓LCC専用の第三ターミナルに、ヘラルボニー作品展示が!ツレにここのネクタイを3年ほど前にプレゼントしたのに、きゃつは何にもご存知ないのだった。早い出発は一度首都高事故にハマり、飛行機出発を逃した苦い経験があるから、だ。↓出発ゲートの数字も大きい。正確にいうと20分前にギリギリチェックインできたが、LCC便の哀しさで対応して貰えず、新たにチケットをその場で買うという、ケチケチ旅に相応しくない事態に陥った。思えばその頃日本円はまだ力があった。タイも台湾も確実に豊かになるのに反比例し、日本は沈む太陽の如し。↑LCCはトランクも有料故か、預ける人が少なく瞬く間にピックアップは心地よし。↓4年ノーチャージの、ちゃんとチャージできました。2年未使用だと使えないと記憶していたけどコロナ対策か、期限が延びている。カワイイお弁当屋さんは休店中。公衆電話も駅の何ヶ所かには設置されていた。今回逗留するホテルはぎりぎり、台北城市の東↓ホテルの周辺で
2024.04.13
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2024/04/02/火曜日/穏やか晴れ日、桜二分昨年冬に益子今年春には常滑と陶磁器、手仕事の旅の続く3/30 常滑は初めての訪問だ。焼き物散歩道という細い路地にはギャラリーやカフェが並ぶ。↓実はここに友人が作品を出していて、彼の作陶場を訪ねることが目的でもあった。↑モリーナ。ご主人が大変勉強熱心で彼の眼力の適った陶磁器が並んでいる。ここで発行している手作り新聞が勉強になります。無料!古い家並みが、土地の区分も曖昧なままに開発を逃れてぽっかりと残ったらしい。↓モリーナご主人のお母さまのギャラリーも週末開催。スペースとこなべここで、浜比嘉詩子さんの観音さま購入しました。↑童女のようなふっくらした可愛らしさ甕や下水管が地場産業として栄えた往時を偲ばせる廻船問屋のお屋敷もある。アニメ聖地というよりも新鮮な郷愁を呼び起こすのか、こういう場所には古いもの好きな若い人が案外多い。みんな大好きな路地、何故モダンな都市計画はそれを見落とす?お昼はカメラ好きの知る人ぞ知る、すぎカフェへ。タイカレー、デザートアイス、初飲みのブルンジコーヒーが付いて1300円!驚きのクォリティである。カレーもデザートもコーヒーも全て大変美味しい。オーナーの方は京大理学部卒らしい?こだわりがランチ意外にも随所に。彼自身の写真作品やカメラコレクション、著名な写真集など、カメラ女子も一日満喫できそう。とうとう、友人の急須を購入。すごいなあ!こんな美しい作品を造形できるようになって、おめでとう。
2024.04.02
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2024/03/02/土曜日/鶯の初音を聴く薄曇り2/20 ツレは旨い朝ごはんを食べに行くという。私は大体朝はお茶程度だし、首里城再建の様子を見に行くことにした。方向違いのバス停で待って何台もバスを見送る。ようやく正しいバスに乗る。スイカは使えない。それでもバスからの風景が捨てがたい。↓朝の国際通りはこんなに静か。バスで移動すると、改めてお城は山上にあるのだ、という地形を実感する。尤も首里の前に中山城は浦添にあったそうだ。そうか。浦添にもゆっくり滞在してみたいもんだ。↓バス停降りてそぞろ行けば、あちこちに謂れのありそうな建物が。この側には尚氏のご先祖代々のお墓、ウドゥンあり礼を守る国、そうありたいものを。これは今の、今までの日本政府に投げかけられている言葉に他ならないだろう。この辺りまでは無事だったのだろうか。神を奉る、と門に掲げたお城を他に知らない。自分が神になろうとした俗人は歴史に暇無し。入場券、これが安い。復興の寄付金も含めるということでもう少し高くても良いのではないか。子どもや学生は無料にして。↓ここからが消失した首里城再建の建屋を右に見ながら進む。建屋内は二層に分かれていて、初めより見学できる仕組み。オープンキッチンなレストラン?焼け落ちたものや素材の展示もある。構造にどんな木材を用いるのか、実際同じ大きさの木材を持ち上げ実感できる。南洋材は軽いイメージがあったが、認識が新たになった。上左二つは私でも持ち上がる。ヒノキは特に軽い。素直で加工がしやすい故の人気材なのだ。上右の沖縄ウラジロガシ、これは重くて私では持ち上がらない。土台や船の材にもなるだろうか。恐らく腐食の耐用年数も長い。プロジェクトに関わっている方のビデオ。首里城へのひとかたない思いが伝わる。伝統建築に関心を持つ若い人が増えますように。帰りはゆいレール駅へ向かう、お城下には昔ながらの風景が残る一角がある。弁財天が祀られているようだけど、その昔は納経堂だったと記憶する。さて、チェックアウト11時近くまでゆるゆる部屋にいて、そぞろ那覇空港へ。ここで最後の沖縄そば今帰仁のスイカ、宮古島のマンゴーを夢見て再度沖縄へ、次はいつ?
2024.03.02
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2024/03/01/金曜日/昼前から晴れ那覇から休まずに、高速も運転で2時間半は軽く超える距離なので、次に来られるかは分からない。何しろ1年に一度来るのがせいぜいなのだから。いつだって一期一会である。風景や感動した記憶は心に留めおきたい、といつも願いながらあっさりと表面からは消え去る。心の深いところには地層のように重なっていると信じたい。眩しい日差しの中を展示会場へ向かう。今は使われていない保育園だった建物へ撮影者はこの方、金サジさん。はたむん、良い響きだ。やちむんは焼き物はたむんは機織りのもの、というような意撮影してよい、とのことで、お顔は外して、はたむんのみ撮らせて頂いた。それでもこの方だけはどうしてもお顔もそのままに写させていただく。ありがとうございます。はたむんとからだはいまその言葉に実に見事に応える、黒一点だ。こんなに説得力のあるからだ、それを包む年月を経た芭蕉布。確かに人間がいる。園庭に置かれたオブジェ↓特別参加のアブ?ミツバチ?喜如嘉を後に、沖縄の東を少し走り途上の食堂で沖縄そばを食べる。テビチーとソーキのミックス普段はこんなにお肉は食べられないけれど、沖縄そばは別。お肉があっさりしている。そこから名護のやんばる市場に寄る。ご当地ならではの食材を眺めるだけで楽しい。↓食べられる花!なんかが市民の胃袋を満たす市場で普通に売られていた。食いしん坊の私としては、どうしても食べたいうるま市のチュラーナというジェラート店へ丁度休憩にも良いタイミングなのだけど、お店にお手洗いはありません、念のため。↓このボードを見ると納得、沖縄本島北部は元々昭和30何台までは水田が豊かに広がる場所だった。それが花卉栽培に転じたのだろうか。今帰仁では2月下旬、そろそろスイカが売られ始めていた。本部のシークワーサーもアセロラも有名。私はマンゴー、ツレはドラゴンフルーツ。加糖をできるだけ抑えた、グルー?で粘度や照りはもちろん添加されていない印象。限りなく果物に近い、しかも沖縄産。ここだけの店舗なので、ここでしか食べられない。販売用のトラックはある模様。さてさて市場で買った沖縄のイチゴはホテルで夕食後に瞬く間に平らげた。沖縄のイチゴは甘い!パパイヤ、モンキーバナナ、赤と黄色のパッションフルーツをお土産に。果物食べてればしあわせ夕飯はホテルからほど近いなかむら家で。待っていた間は随分並んでいた魚も瞬く間に消費並んで待った。月曜日と甘く見ないで予約が必要な人気店。当日仕入れた魚と人数や調理法のおすすめをしてくれる。
2024.03.01
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2024/02/28/水曜日/日差しに力あり昨夜はちゃんやーで豚しゃぶを頂いた。しらぱまの宿の冷蔵庫で冷えていたオリオンビールを持ち込み、また道の駅で買った泡盛も持参。お店には沢山のワインが用意されているにも関わらず、このノリは嬉しいなあ。黒豚の掛け合わせで、まろりとした甘さがある。けれど脂肪分は通常の豚肉の3割程度とか。締めに出される雑炊とアーサーのお汁!内臓璧の繊維?が喜ぶような、DNAに振動が加えられるような?私にはとてつもなく美味しく思われた遅いお昼で空腹ではないのに全部頂けたのは、色々な付け合わせが少量の配慮もあったかな?一品どっさり、ではない沖縄料理。↓ちゃんやーダイナーの壁の絵は、オーナー喜屋武家のお父さんかお母さんのご実家の昔の頃と思われる。19日月曜日朝。今夕はもう那覇のホテル。3泊の沖縄はあっという間に過ぎ去る。短い滞在はあれもこれもと欲張らず、基本は一日一つ、と決めている。朝も近在を散歩のあと、沖縄らしい食材で健康な食事をちゃんやーで。味付けは薄めであっさり。 女将さんがおっとりとして素敵な方だった。この新しいちゃんやーは二代目なのだとか。さて本日は山原ヤンバルの、大宜味村、喜如嘉キジョカにある芭蕉布会館へ。その後は、一般道をのらりくらりと那覇のホテルへ向かう予定。随分前に芭蕉布を復活させた平良敏子さんのドキュメントを見たことがある。私はこういう女性に、ひどく弱い。生涯迷うことなく一つの信じた道を生き尽くす。平良敏子さんはそのように生きて、この世を去った。101歳の境涯は児童文学と共に生きた石井桃子も思い出さずにいられない。彼女もまた101歳。平良さんはここで芭蕉を育て収穫し、繊維をほぐして糸を紡ぎ、図案を考えて染色し、この会館の2階で布を織った。本日はたまたま芭蕉の畑の手入れとかで、2階の作業見学は叶わなかった。会館に設置の芭蕉布の案内ビデオは是非見たい。6分ほどと随分短い。↓敏子さんの織地に直筆喜如嘉の芭蕉布は涼しい。柄を考えて後世に残そう↓敏子さんの作品どうしてこんなに薄い、丈夫な、軽い、美しい、トンボの羽のような布地が生まれるのか。その難儀な過程が理解できる。私にはとても手の届かない反物だし、また私如きが着て良いとも思われない。そういえばプラスチックのしか持ってなかった、と思いついて、せめてハギレで作られた印鑑ケースとそれに付けられる浄めのお守りを買った。帰り際に、スタッフの方から芭蕉布に関心があるなら、それをテーマにした写真展が近所で開催されていますよ、と教えていただき足を伸ばす。時間ならたっぷりあるのだ。
2024.02.28
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2024/02/27/火曜日/穏やかな陽だまりの18日の夕方5時をいくらか回った頃から、お部屋でごろごろからむくりと外へ↓この歌碑のある辺りまでフクギ並木の道を通り、浜に出る。こんな防風林が沖縄の海辺の集落にはかつて沢山あったが、所々細い各所が車の通行を妨げるなど嫌がられてすっかり姿を消した。そんな中にあって、昔の姿を残す備瀬のフクギ並木は3.11の悲劇の半年後に、その景勝が頌栄される事になった。守り通した人の尽力があったのだ。住んでいる方は樹木のせいで大量の蚊の発生に悩まされているそうだ。短期滞在者は申し訳ないがこの風景を満喫する。そてさて。少しずつ日は落ちて、夕日を眺めるおじいたちがポツンポツンと。夕陽が沈みゆく様をゆっくり愛でる、そんな行為は日々の暮らしから失われて久しいが、ここでは誰かれ、見るもの見られるものの厚情が交わされる。それが有り難いのだ。2月の沖縄は好天に恵まれないことが多い中で、それはそれは美しい太陽と空と海の、刻々変化する様子に溶け込んでいく体験を得られたことも感謝。ところで、夕陽の散策中に出会った海亀のおっちゃんに色んな事を教えて頂いた。夕陽の位置が水納島と伊江島の間を一年でどんな風に変化するか。伊江島には戦前帝国軍の、東洋第一の滑走路があり、沖縄でいち早く徹底的に攻撃されたという。今はそれを米軍が使用している。黒潮の流れと3.11の漂流物、北風と南風↓備瀬の浜に打ち捨てられていたペットボトル心無い観光客がポイ捨て?と思いなんだか申し訳ない気持ちでいたら、バーコードの仕組みから国番号を教えられたのだった。一番始めの二桁、71は中国。因みに日本は49。確か生産地では無く、どこの国の企業によるプロダクトであるか、という規定もたると聞いた。この方は、20年ほど当地で海亀の子どもの成長を見守っているそうだ。↓おっちゃんは絵も描く。満月の満ち潮、小亀が海に帰る様、目に浮かぶよう。機会があればその場に居合わせたいもの。
2024.02.27
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2024/02/26/月曜日/寒いけれど晴れましたもはや先々週、18 遅いお昼ご飯を本部町で。というとやっぱりここは外せない、そんな風に考えるのは私たちだけではない、のだった。Googleで混み具合を確認したら通常よりは空いてる。ところが移動の内に瞬く間に並んだ模様。駐車場スペースはこの混雑でも潤沢だから、やっぱり30分越え待ち店なんだろう。そばは大小選べる。大を頼みジューシーは分け合う通常の沖縄そばより麺がコシが強く独特の風味がある。意外に量が多く、2時近いお昼でもあり夕飯にしわ寄せが。ジューシーはあっさりした味付けしかし、新垣さんところの氷ぜんざいは諦められず、しっかり食後に頂く。これまた、意外に小豆の量が多い。何事も控えめに、と思いながらもツイ完食残す、なんて選択肢はないのだ。あとはまっすぐ、しらぱまの宿に戻り備瀬崎の海に沈む夕陽をまったり待つ。
2024.02.26
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2024/02/25/日曜日/寒い朝、晴れず乙樽おとぅだる、の物語今帰仁城の東に流れる志慶真川のふもとにあり、今は川の名にのみ残る村に、光輝くような絶世の美女がいた。城の大主はその美女乙樽を側室に迎え寵愛した。大主には正室にも乙樽の間にも後継の子が無かったが、臨終の前に正室懐妊を知りみまかった。乙樽は、正室の安産と世継ぎの男児誕生を御嶽、クビ山に向かい一心に祈った。願い叶い無事男児が授かり、その後間も無く本部グスクの大主が今帰仁に攻め上がってきた。正室は産後の肥立が優れず、王子千代丸を乙樽に託し逃れるよう促す。乙樽はわずかの随身と山原の森に分け入り逃げおおせた。匿い育てた千代丸が8歳に成長すると、乙樽は貴人流離の事実を明かす。千代丸は長じて今帰仁に凱旋する。或いは北山を滅ぼした中山王、第一尚氏王統の64年後に第二次尚氏王統クーデターが起きるが、この時に王にまつられたのは、金丸という尚氏とは血外の者。これが千代丸の孫だ、という説もある。因みに金丸は伊是名島の出身と教科書にはある。伊是名島と伊平屋島は今帰仁城からは重なり見える。伊平屋島の洞窟には天戸開きの伝説が残り、神武天皇はこの島で生まれた言い伝えもある。沖縄でもっとも神秘的な島かもしれない。そして、今現在も血縁の人びとはその島じまを遥拝するために今帰仁のうがんしょにやって来る。私もそんな方がたとすれ違ったのだった。その発起、時期はただ、「呼ばれたから」というものだという。さて、金丸の孫にあたる尚真の時代、琉球というクニが整い繁栄した。この尚真、早くに父王を亡くし12歳で立つが暫く母后が政を担ったという。ある日、海難から救出され、やがて故国に帰った朝鮮人一行は、お后の行列に遭遇した。后の籠の後から馬に乗った立派な様子の少年の顔が大変美しかった、との記録が半島に今も残されているが、これが若き日の尚真だという。千代丸+金丸=千代金丸、元今帰仁王の所有であったあの国宝の剣と重なるではないか。琉球統一の王、尚真に今帰仁王の血が流れていると想像するのは、また乙樽の美が映し出されたと思うのはいかにも面白いではないか。これらは沖縄の組踊やおもろ草子にも歌われ、知れば知るほど、沖縄への愛着はかぎりなく湧く。
2024.02.25
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2024/02/21/水曜日/雨、寒く。雨水2/18 ちゃんやー(喜屋武家)で朝ごはん8:00しらぱまのおうちで少しのんびりして本日のメイン、今帰仁城址へ向かう。宿からは車で18分くらいかな。今帰仁城址は北山(ほくざん)部の精神的中心なのだ。ありゃ。途中、こんなお店に引っかかる。引っかかるお客さん多数。何ならここでお弁当も買える。私たちは今帰仁訪問を記念して、今帰仁の古酒5年千年の響を購入高価な古酒は2万円を超えていた。ここには与那国島の花酒43度も何本か在庫あり。↓バンコクに続いてまたもやこの方!どこにもいるなぁ。気を取り直しいざ世界遺産今帰仁城址へ。オープン時間間も無く入場、駐車場も未だ空いていた。無償ボランティアの方も直ぐにお願いできた。桜まつりは一月中には終わりなのだけれど、今年は寒さが不足のため?桜はまばらに咲いて、今ぞ満開、といった風情の樹も。30分程度の案内を大きく上回り案内くださったのは大阪出身のAさん。40名はいるらしいボランティアさんの半分が沖縄の方、残りは内地の方で構成されているらしい。老後を沖縄で、と考える方が大勢いる模様。Aさんの沖縄の歴史への造形と愛がとても深い。そんな方のお話を聞けるのは本当に嬉しい。琉球三山の歴史、殊に今帰仁城を中心とする話は一晩泡盛呑みながらできる長さだとか。ご縁があればぜひ次回お願いしたいものだ。自然の要塞という地理的条件もさることながら、今帰仁城の最初の拝所からは、沖縄でも重要な聖地であるクバ山の神奈備た姿見を正面に拝見できるからだろうか。風景が雄大で素晴らしい。面積は首里城と並ぶほどもあるという。ただ資料が無いため建物の復現ができない。城のための城壁ではなく、王や王の一族が住う場所を設けた建物や庭を囲み、外敵を防ぐ石垣として機能したらしい。何区画かある中にはは沢山の馬の骨が出土した場所もあったという。戦に備えて馬を育てたり明への朝貢馬にもなったらしい。↓沖縄行きの直前に読み始めたのはこれ。沖縄の高校生のために書かれた歴史資料。沖縄の歴史が理解しやすく編集されている。この度のガイドさん説明の良い復習になった。今帰仁城の北山王は交易で財を築き、栄華を誇ったが、やがて琉球を統一した中山の尚氏に滅ぼされ、中山の役人に管理統治されたのは二百年あまり。今帰仁城最後の王が所有していた霊剣、千代金丸。城の中でもノロ、女性しか入れない最大の霊所である御嶽の大石にこの剣で切付け、返す刀で自害を試みたが果たせず、側を流れる川に投げ入れた。結局、王は小刀で果て、ここに北山の歴史が閉じる。この剣はその後村びとが川から拾い上げて、琉球王尚氏に奉じられた、という物語がある。本物は那覇の博物館に展示されているが、立派なレプリカを併設の歴史文化センターで見られる。
2024.02.21
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2024/02/19/月曜日/朝夕は上着のいる晴れ間02/17/土曜日に着いた午後2時の那覇空港は少しむっとした。空港で迎えてくれる沖縄のお花沖縄ではいつも鮮やかな花が道みち見られ、いつも楽しみだ。今回は花ではなくフクギという木の並木道を味わうことを最大目的に沖縄北山を2日巡るのが目的フクギ並木が有名な備瀬という集落は名護の西北、今帰仁や本部町からほど近い。先ずは車。那覇空港を外し美栄橋側のレンタカー手配したのは、前々回空港から那覇市内までのラッシュに懲りた記憶が後を引いて。美栄橋からそのまま羽地の道の駅へ。迷いながら2時間くらいでたどり着く。↓バッソという車で2泊3日、沖縄北山部をのんびりとそこで今晩の夕食や飲み物、地元の食材を手に予約した二晩の宿へ向かう。20分ほどで辿り着く。↓古民家しらぱまのチェックインはこのチャンヤーというレストランがレセプションになっていた。宿はフクギ並木の終わる辺り、チャンヤーからは2分も歩かない。あー、これこれ。なんという眺めだろうか。敷地内に3棟の小さな家があり、私たちの泊まった民家は綛掛カセカキ。3棟の中では唯一昔の姿のままと思われる。リネン類とアメニティは充実している。お布団もシーツもタオルも清潔で質が良い。滞在中TVを付けることはなかった。Wi-Fiも快適だけど電子レンジやコンロは無い。自炊はムリだけど、近場に軽食できるお店がそこそこある。冷蔵庫にはシナモン風味のお水、名護の名水、オリオンビールとアセロラジェリーが日数分冷えていた。部屋ですっかり寛いでしまい夕陽を見過ごすとは、抜け作夫婦なり〜名残惜しく眺めて目と鼻の先の宿に戻るとフクギ並木はすっかり夜の風情だった。まあ、今日見逃しても明日がある。というのが嬉しい。あとは天気次第でケセラセラ。羽地道の駅で求めた味比べ泡盛をシナモン水で割ってごっくん、おやすみなさいませ
2024.02.19
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2024/01/23/火曜日/少し日差しも旅に持参したガイド本はこれだけ。正確に言うと『ザイム真理教』も持参して空港や機内では読んだけど。旅名人ブックス322004年8月30日 第2版第一刷日経BP企画谷克二・鷹野晃 著このガイドブックはスコータイの紹介から始まる。なぜなら、スコータイは最初のタイ人国家の都だから。なのだろう。タイの複雑な歴史背景を丁寧に解説している。元旦バンコクのワットプラケオ、とにかく凄い人で炎天下並んで入るのは考えられない。なんか同日の浅草寺を思い出すけど、あちらは邦人以外も無料だし。寒い時なので押合いへし合いもおしくらまんじゅうみたいで暖かい。タイ人以外は入場料500バーツには驚く。2300円くらい。美術館の発想であろうか。バンコクは今から40何くらい前に2、3泊したことがある。丁度10年前に訪ねた時のベトナムの街のような姿だった。この10年でベトナムも随分変わったのだろうけど、バンコクはさすがに40年。大都会になっていた。地下鉄なども6ラインあり、ちょっと不在にしているとどんどん伸びて知らない駅ができているらしい。私は古いもの、地方、自然、手仕事、ダンスなんかが好きなので、あまりバンコクに留まりたいとは思わなかった。都会はどこの国も似たり寄ったりでその国らしさが感じ取れない。ただ一つ、暁の寺 は見逃したなあ。『豊饒の海』を読んでからいらっしゃい、ということかしらん。辻政信にも目を通した上で、暁に染まるかの寺をじっくり眺める。それを次の旅縁としておきたい。あ、体調万全の胃袋でカニカリーも再び。今回のアイテネラリーホテル出たのは4時!だったんだ。はやっ。
2024.01.23
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2024/01/23/火曜日/曇ると寒い、大寒1/3 朝5時 スワナンプーム空港に向けて車を手配ホテル指定のナンバーを忘れてしまってのだけど、そこを通して決済なので、運転手と現金のやり取りは発生しない。誰が支払ったかというと私たちより後にチェックアウトした次男と思われる。タイエアラインカウンター付近には、辰年向きなオブジェが到着とお見送りをしてくれる。空港のセキュリティに手間取るからバンコクではデパーチャーの3時間前にカウンターに行け、と助言されたけど早朝のためかスムーズ。セキュリティチェックを終えてゲートに着いた時点でまだ1時間余裕である。早朝でも、私には無縁なハイブランド免税店は開いている。ラウンジを探すとゲートそばに幾つかあったけど、営業中はターキッシュエアのラウンジだけ。他はみな8〜9時オープンだったような。この日はターキッシュエアがお当番かな?トルコ風ではなくあくまでタイ風の朝ごはん。お魚ダンプリングの温かいスープは嬉しい。それに、あのお豆原料スイーツも!あら、食欲ややカムバックなり。ラウンジもガラガラ。日本人年配グループの方が朝早くから賑やかによく食べて異彩を放つバンコクは晴れて暑い一日になりそう。おかえり成田、はどんより曇りで思ったよりも温かい。やれやれ旅は愉し!コロナ雌伏四年。こんな旅を有難く思いつつも殆ど自前のことと思い暮らしていたのか。旅心に火を灯して家路に就く。
2024.01.23
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2024/01/22/月曜日/雨上がる1/2 ランチに来たのはプラウチャイ、Saithongriverというレストラン。駐車場からは伺いしれないけれど、奥まった通路の向こうは、川に面して明るいレストランが現れる。この川でしか取れない立派な手長えび?←オニテナガエヒ というらしい。他を頂いた。相変わらず食欲の戻らない私一人恨めしげにみなの食欲に圧倒されるのだった。故にアジも殆ど分からずT_T↑立派なメニューは写真付きなので注文に便利↓ドライブようにとお嫁さん一家の方が朝ご飯の後用意してくださっていたヘルシージュースが私にはとても良いありがたかった。これ、アユタヤのお土産ショップにも置いてあったけれどスムージーよりもお高い高級品なのだった。お腹を膨らませた一向は、バンコクの悪名高いラッシュを避けるために5時までには市内に入るべくアユタヤを後にした。↓途中、タイ風のシュガーコットン固い麺付き?をお試し用にドライブスルー方式で買ってくれた。ここら辺の名物らしく、沢山お店があった。ホテルに戻る前にお嫁さんが学んだカセサート大学へ。トイレ休憩かねて立ち寄る。↓高校生みたいに見えるけど、大学生は上は白下は黒、の制服がある。足元はフランク。つい最近まで髪を染めることもできなかったとか。なかなか厳しい。驚くことに車で誰でも出入り自由。学食や縁日の屋台風、キッチンカーで食事が取れる。マンゴースムージーを見て俄然食欲戻る。わーい、一人に丸々一個のマンゴー!それにしてもマンゴーの実を実に上手にカットします。これを飲んでかなり気分がスッキリ。ホテルに戻る。明日早朝ホテルを去る前にこんなホテルだったのか、と改めて確認。3泊もしたのに。最後の晩餐も食欲湧かず、スーパーで求めたマンゴスチンやデリカテッセンお買い物で部屋食。刻々変化する窓外の眺めがご馳走だった。
2024.01.22
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2024/01/21/日曜日/雨のち晴れ1/2 ワットプラマハータートで菩提樹の根本に囲まれた仏頭と向かい合ったあと、もう一つの遺跡とお寺へ車で移動する。その名の通り、菩提樹であった。遺跡からは、あちこちに池や水辺が伺え、素晴らしい環境にアユタヤ遺跡群は散在している。全て見ようとすると一日では済みそうにない。実は日本人村も割愛してしまった。この土地に日本人ツーリストが多いのは山田長政らの日本人村が17世紀初めに、このアユタヤの地に建造された歴史的背景もあるのだろうか。山田長政はバタビア王国に加勢してスペインを2度まで退けたという。日本史授業でそんな一コマを聞いた記憶があるが、この史実はタイ側には何も残っていないため、授業で触れられることもなければ、タイの人は全く知らないのだった。アユタヤには王室特級の重要なお寺がある。その名も ラーチャウォラウィハーン が寺名の最後に付き第一級の王室寺院を示すのだとか。お寺の名称ワットニウェート タンマプラワットの後にこれが付くのでやたらと長い。まるでイタリアの教会のような寺院が、日本で言えば明治の半ばから建てられたそうだが、離れた場所にあり、これも割愛。残念なこと。↑プラシーサンペット寺の駐車場で車から降りた途端少し先で土煙りを上げながら小さな竜巻が。瞬く間に上空へ駆け上がり消えて行った。その駐車場のおばあさんからお供えの蓮の花を買う。蓮は必ずつぼみ。これは合掌の形だから。アユタヤで訪ねたもう一つの遺跡ワットプラシーサンペットには、お参りできるお寺もあった。タイでは曜日生まれ毎にキャラクターカラーが決まっている。この黄色い旗は現国王の色?その国王は実は殆どタイにいない。どこにいるかというとドイツに構えた豪邸に愛人20人を引き連れて暮らしている。王不在の王国タイ。タイ国人は先王を深く尊敬し、現王を嫌っていることは確か。先王と王妃の若い頃の写真を見た時、とっさに美智子さんがお手本にしたのではなかろうか、という王妃の佇まいだった。しかし王室と皇室はその役割が明らかに違う、と私は思う。質素を旨として国と民の安かれを祈祷する、そのための祭祀を司る。これが本来の在り方で、その姿が民の敬愛に繋がったのでなければかくも永きお代が続く筈もない。平成流の反省の上に本来の姿を取り戻してほしいもの。お寺では寄進をするとお線香と紙包を頂いた。お香をたてる。紙包には、薄い金箔が入っており、これを入り口の仏像に貼り付ける。このお寺の仏像二つ。左はクメール的。右はガンダーラ的。アユタヤ遺跡の再現された仏頭はどれもほぼクメール的。右のお顔は珍しい。
2024.01.21
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2024/01/19/金曜日/春来るらしアユタヤはタイ語族の人にとっての古都でバンコクからも近いため、観光客がいっぱい。タイの他の街では見かけなかった日本人ツーリストにもたくさん出会う。食いしん坊にとってはここでしか食べられない、特別な川海老が食べられる街らしく。アユタヤに着いたら、最も有名な木に覆われた仏頭のある遺跡へ。↓なぜか、本日はアユタヤの遺跡やお寺はFREEentryなのだった。一番最初に目にするのがピサの斜塔よろしくかしぐ仏塔だった。ここは日差しを遮る所が少なく、日傘が自由に借りられるように用意されていた。私は時計回りに回ったが、それは最も最後に木の根本の仏頭を見るコースとなった。廃墟となった、祈りと王の居場所としての一大施設。殆どの仏像は首なしなのだ。↑首がないのは怖い、とかで新たに首が据えられた仏像も幾つかある。胴体と同じような仕上なので違和感はない。大勢の観光客がふと消えるような時間があり、不思議な時間が訪れる。ベネチアで感じたような不思議な光と影と音が思い出されるのも興味深い。こういう時はできる限り一人でへめぐりたくなってしまう。一見の価値のあるものは等しく見るものの心を揺さぶる。
2024.01.19
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2024/01/18/木曜日/好天続き乾燥注意1/2 旅もツゴモリ、明日は帰国という日本日予定はアユタヤへ、レンタカードライブその前にぜひ連れて行きたい朝ごはんの場所がある、との先方さまのお言葉に甘えマーケットへホテルまでお迎えしてくださる。本日の午後からお仕事開始のようなのに、ありがたや。連れて下さった方は、足元が濡れてないマーケットがお好きなのだとか。なるほど。そんな選択ポイントがあるのだなぁ。ここでは始終清掃の方がこまめに掃除しています。清潔で心地の良い空間。オートーコー市場というらしい。↓すごい銀杏の山!甘い味付け?テーブルの並ぶ感じはシンガポールのホーカーズが彷彿とする。テーブル席に面する朝ごはんのお惣菜店で何品か頼んで席につくと注文品が運ばれ、清算する。みんなすごい食欲だなぁ、朝というのに。私は未だ胃のモヤモヤが取れず、お粥を啜る。左下は高菜漬けみたいな味がして、お粥と相性がよく、幾分か食が進む。鮒の唐揚げらしき濃いめお味もお粥に合う。さて、この市場に素晴らしいスイーツショップがあった。王室にも納めるお菓子やさんらしい。基本はお豆でできている。カタチが華やかで可愛らしい。ほんのおちょぼ口向きのお菓子で、ひな祭りにぴったり。お豆とフルーツがミックスしたお味で、特にマンゴーやココナッツを感じた。賞味期限は半生で1週間くらい。↑右下は創立者?私が買ってきたのはこれ。頗る美味しい。日本でも手に入るのだろうか?お土産まで頂き、空港のレンタカーまで送って頂き、さあアユタヤへ。
2024.01.18
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2024/01/17/水曜日/好天1/1夕方 次男のお嫁さんファミリーとソンブーンシーフードパンタットン本店へ。これが今回の旅の第一目的。ホテルからは車で30分弱。行こうと思えば地下鉄もあるのだけど。タクシーを使う、あちこちでスムージーを飲む、つまみ食いを楽しむ、という東南アジアスタイルなのだ。郷にいれば郷に従う。タクシーが付けたのは裏口側で、お店の駐車場もこちらにあったみたい。丁度ご先方とそこで出会してご挨拶をする。↓おやおや裏口通路には写真が掲げられていて、A宮氏が美女に囲まれ思わず緩んだ表情ばっちり。ここは日本人観光客にとても人気らしく日本語がメニューに記載されていた。何といってもカニカレーが評判とかで、ごろごろと蟹の身が入ったカレー、殻付きカレー、川海老、川魚、蟹チャーハンなんぞをみなで中華風に分け合い食べる。あああ、美味しそう!でもいかんせん。先ほどのマンゴーと餅米のスイーツを欲張った私は天罰で食欲が湧かない。美味しいのに食べられない!胃の口まで餅米が_:(´ཀ`」 ∠):これは辛い、悲しい。みなさんの食欲、特にウチの次男坊と旦那は遠慮を知らぬ勢いで、団欒より食べるが先行。遠慮がちに小食の人、と思われているかもな私。いえ全然違うんです〜普段は旦那より食べるんです〜楽しく美味しいひととき、色々安心して再会を誓いそれぞれの帰途に着く。顔を合わせて美味しいテーブルを囲むっていいなぁ道々マーケットを冷やかす。地面はびしょびしょなので、足元注意。魚介にお肉、お惣菜にお菓子、果物にお花、色々ある。この季節なのにシャインマスカットも!どこ産なんだろう。ホテルに戻り、正露丸を飲んで休む私はタイの喜び、マンゴー、マンゴスチンに辿り着けず寝る。次回訪問して必ずや味わい食べたい、食い意地は横にならない私であった。
2024.01.17
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2024/01/15/月曜日/晴れ2024/0101 ゆっくり起きて朝食を摂りに近所の食堂街に出かけたが、お目当てのお店は元旦?のためか閉店だった。その隣のお店で頂くタイらしい朝ごはん汁なし汁ありにチキンボール安い、早い、旨い。バンコクでもほとんどの女性は食事を作らない。働くことが当たり前なのだ。さて、Chom phon とかいう食堂街に近い地下鉄に乗って、件のエメラルド仏が鎮座するワットプラケオ界隈を目指す。↓感心したのがクレジットカードで乗り降りできること。外国籍の観光客もOK。観光立国を目指すなら日本も取り入れてはどうだろう。↑タイのスマートな地下鉄は日本の協力でできた、と頌栄されていた。何事も後からの方が改良、改善されている。タイの新年は4月、とはいえ27日辺りからお休みでやはり人びとはお寺詣に勤しむ。そして、バンコクはとにかく暑い。チェンライ、チェンマイの気候とはまるで違う。スパイダーマン看板のお店でミックスフルーツアイスキャンディを食べる。最初に訪れたのはワットポー涅槃寺。入場料は300バーツ、本日から値上がりしたらしい。タイの人は無料なので、あれ、列を無視してない?と思うとそれはタイの方。タイのお寺は入ると広大なのに入り口は狭い。ここでも入るのに混雑。王様やお妃様の墓陵と思われる装飾パゴダが三基この中ではマッサージの施療が受けられる。敷地内には世界遺産?になったタイマッサージなら歴史資料館が併設されていた。元々お釈迦さまに施術したお弟子さまのテキストがあったらしい。それが書写されタイまで伝搬した。随分以前に戦災で消失したが、技そのものは細々と残っていたらしい。前国王はこれの復活を目指し、先ずマッサージの学問所をこの寺域に設立した、のだそうだ。寺内では、菩提樹を見ながら木陰で屋台で買ったランチやデザートが食べられる。靴は脱いでね。↑前々から聞いていた餅米とマンゴーの取り合わせ。ギョッとしそうだが、フレッシュなマンゴー餡と餅米がお口の中でおまんじゅうに仕上がる、と思えばよろしい。ほぼ一人でこれを平らげてしまった。とにかくマンゴー好き。しかし、これが後々敗因となる事を思い知るのである。長大なお釈迦さまの涅槃像観光客の私たちも敬虔な仏教徒も入り乱れ。タイの古式マッサージについて少し学んだので、涅槃のお釈迦さまはむしろ気持ちよくマッサージを受けられている姿に見えた。◼️その後、肩と頭部のみのマッサージなら直ぐできると聞いて受けてみた。思ったよりも痛くない。15分か20分くらい。終了間際に耳を手のひらでぽっかり塞がれた時、不思議な感覚があった。時空が何も感じられない、というような。その手ががぱっと開かれた時、一斉に音も時間も空間も開かれ、まるで産まれたて、みたいな感じ。そして次なる予定のワットプラケオへ↑暑さと食い意地に負けてサトウキビジュース。東南アジアの路上で買い食いしない戒めなんかとうに忘れ果て門前まで日差しの強い中をよろよろ辿り着くと長蛇の列。長時間は待つと聞かされる。炎天下を歩き続けへとへと、気持ちはとにかくクーラーの効いたベッドへ。しかし、これがタイの冬なのである。真夏の再訪は絶対ムリ。過去にプーケットを訪れたことがあったが、あれも3月だった。それでもひどい日焼けでうつ伏せでなくては寝られなかった記憶が…↓最寄りの地下鉄駅までトゥクトゥクに乗る。交通ラッシュで進めない。排気ガス吸いすぎで気分が悪くなる。大都会バンコクの移動は地下鉄+日陰を歩く、がよろしいかも。↓小洒落たウェルカムドリンク飲んで部屋でバタンキュー、夜の会食に備える。
2024.01.15
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2024/01/14/日曜日/晴れさようならアカマッドハウスのある村、また来れたら嬉しいな。12/31 タイ旅の5日目も暮れようとして、バンコクに戻るその日は大晦日、チェンライ空港へ。ここで3日お世話になったティンさんともお別れ。パーソナリティが素晴らしく、運転はもちろんカメラの腕が抜群。次回にもチャンスがあればぜひお願いしたい。この費用は13000バーツ。それに別途ガソリン代はこちら持ちで支払う。最大五人乗りなので、一人当たり11000円。これだけディープな旅、偶然の場所、常に駐車場を気にせず最短の場所で乗り降りしてくれるサービスを思えば大変お得だと思う。チェンライ空港はコンパクトなので搭乗も楽。やはり民族衣装やプロダクトが人気。例のプランテーションのお茶屋さんショップがあった!高級品でございますー。さすがタイ。こんな小さな空港でもお坊さん専用のラウンジがあり、待合室のコーヒーサービス棚の上にはお釈迦さまこの日のこの便を持ってスマイル航空は、タイエアの傘下に入る、最後のフライト。に乗り合わせてしまい、何やらノベルティを重役が機内サービス。バンコクの空港に着くと、空港で待っていた取締役らしき方やスタッフと記念撮影が待っていた。バンコクは何といっても大都会。デパート、ショッピングモール併設ホテルに宿泊部屋に入ると間も無くニューイヤーの花火があちこちから上がる。
2024.01.14
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2024/01/14/日曜日/雪残る朝12/31、午後わりとアバウトな時間予約で現地へいやはや。運転上手のティンさんはこの村を出た後で、2度とこの道は走りたくないなぁ、ともらすほどの危険な悪路、ではあった。そんなこともツユ知らず。えええ、怖い道だねえ、落ちたらおしまいだあーと我らは呑気なものである。そうして辿り着いた。先ずはウェルカムティーでもてなしてくれるご主人。プランテーションのお茶とは違い、この辺りに自生するお茶の木にジャスミンをブレンドしたもの。旅人に先ずはお茶を振る舞うのはアジアのマナーこの方はアカ族で、一人で20室のコテージを作り、経営している実業家だ。50室に増やす気満々。健康で温かく知力も行動力も胆力も充実して大きな人、という感じ。久しぶりにこんな男性を見た。草葺きの屋根は90度ほどパカっと開く仕組み。夜星を見るため?何故かは聞きそびれた。それが彼らの住まいの古典様式であるのかははっきりとしなかった。どうやって開け閉めするのか尋ねたら、実践してくれた。何と電動式。彼が自分で作ったという。昔は紐て゛開け閉めしたよ、とこれも見せてくれた。奥さんがお食事サービスして下さる。因みに奥さまはタイ人でチェンライで公務員として働いていられるとのこと。奥さまもみなぎるような健康な温かさの持ち主と見えたのだが、例のワクチン以降体調が元のようではないそうだ。こんな自然の人びとは免疫力は相当高いと思われる。不要なものを用い残念なことだと憤る。↓美しく盛られたお食事下の左の山草はこの地域でしかフレッシュで食べられないらしい。私たち日本人にはどれも美味しい。山野草を中心にしたメニュー、お出汁はキノコや野菜から。お代わりも望むだけ継ぎ足してくれる。おかわりの方が多かったりする。何度もお代わりしてそれを空にして満腹。↓フロント。カフェサービスもあり、アカ族の民族衣装を付けて写真を撮るサービスは無料だ。お腹がくちくなると探検私たちの後から、マレーシア辺りから宿泊しに来たカップルが食料などをコテージに運んでいた。アカ族の人とのウォーキングみたいなエクスカーションもあるみたい。ハウスの外に出てみるモン族の人の村のように、犬が寝そべり、女性は輪になっておしゃべり、子どもたちはどこかでつるんで遊んでいる。花が咲いている。私たちがランチを取った建物を遠くからみるとまるで清水の舞台だった。若しくは宮崎駿の世界建造物は全てこの土地ならではの赤い土で作られている。ここのコテージはプランテーションのそれの半額、およそ五千円。部屋の向こうから朝日が昇るのが見えるそうだ。
2024.01.14
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2024/01/13/土曜日/天気予報では雪?旅日記の私は12/31お昼前タイ北部チェンライの一大お茶の産地で、人気プランテーションのお茶屋さんに辿り着いた。どこまでも広いお茶園と洗練されたカフェがある。敷地の高低差を巧みに取り入れた建物の、屋外屋内のあちらこちらで、まるで鳥たちのように、自分の好みの止まり木場所を見つける。ここぞお茶を囀る場所、と座り待っていると間も無く選択したお茶が運ばれて来る。↓若い人たちはお茶系ドリンク、私共夫婦は高山茶と烏龍茶例年の大晦日といえば、一日中台所に立ち続ける習わしが、強い日差しを避けながら、目前で摘まれたお茶をゆっくり頂けるなんて。僥倖でございまする。何者かのおわするや、かたじけなさに涙零るる。ショップを覗いてみると、結構なお値段がする。タイの普通の暮らしではかなり高額だろう。お茶器なども扱っていて、どことなく台湾のお茶屋さんが思い出される。台湾では阿里山、日本では宇治の滋賀県側、お値打ちのお茶が買えるなぁ。記念にティーバッグ1袋のみ購入、庶民の懐なり。ここの風景が一服のお茶空間なのだ。見渡せば欧米系はおらず。アジアの様々な人びとがうち揃い、明るい顔でみなそれぞれにお茶を楽しんでいる。幸せだなぁ。↑座った場所から見えるのはバンガロー。一棟一泊確か日本円で一万円くらい。部屋から見えるのは茶畑とお山と空。朝日や星空がさぞや美しいだろう。再び訪ねることがあれば泊まってみたい。この辺りはアカ族が沢山暮らしている。アカ族の人はクリスチャンが多いとか。車上からも小さな村に教会を見た。こんな所までミッションにやって来た当時の彼らの情熱をしばし考える。幾千の言語辞典を作り、住民の病気を治癒して教化し、その土地の植物や種や文化財を収集し、地図を作り資源を記し、総本山に持ち帰る。総本山はその情報や資源を元に大資本と結びついて巨万の富を蓄えた。総本山に戻れなかった者は異郷で骨となったか。そんな歴史も畳み込まれた山襞なのである。ワットプラタートドーイトゥンは、この眺望の更に北にある。昨夜私たちを乗せてくれたトゥクトゥクの運転手さんがチェンライに来たならぜひそこを訪ねてほしいと教えてくれたお寺。今回は時間不足でそこまで行きつけず心残りだ。メーンライ王国の最初、つまりタイで最初のお寺。そこにある二つのパゴダの左にはお釈迦さまの鎖骨が納められているという。右のパゴダにはお釈迦さまにまつわる聖遺物。上座部仏教の人の聖地ともいえるお寺なのだ。いつからそこに建っていたかは未だよく私自身調べていないけれど、Google情報ではほぼ紀元前後のこと述べている方も。当時どんなルートでお釈迦さまのお骨が伝搬されたか。インドとの距離を見てみると、悟りを開かれたブッダガヤとお寺は徒歩でも24日で行ける。インドとタイはミャンマーを挟んですぐそこ、おそらく山の民にとっては。なんだなぁ。
2024.01.13
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