You’s World

You’s World

普通の裂け目◆3◆


耐えがたい空気。
味わった事のない緊張。

そんなものについ負けて再度小説に目を落としてしまった。

先程よりもさらに気まずい空気が流れ出す。

こうなる事は判っていたはずだった。
危険を顧みず目を落として読み始めた小説。
西沢に呼ばれた時、あんなに続きが気になった小説。
そのはずなのに
内容が全く頭に入ってこない。

それほど、桧埜の頭の中は大混乱だった。

―ヤバイ!!
  何この雰囲気!!!
  私のせいか?!…んんん!!私のせいだぁ!!

せめて小説をソファに置いてくればよかった…と桧埜が後悔し始めた時だった。
詩夷が口を開き、先手を打ってきたのだ。

―助かった!!

しかしそんな思いとは裏腹に、桧埜は顔を上げることは出来なかった。
このときほど後悔した事はない。

それでも、詩夷は諦めず話し掛けてくれた。
意外な話も出て、それでやっと小説から顔を上げ
桧埜は詩夷と他愛もない話をし始めた。

最初に感じたのは
人懐っこくて、明るい人。
桧埜にはないものを持っている人。

こんな性格に生まれたかった。

その時はただそう思った。
何も知らずに。
強い憧れを抱いた。


―明日、あの人はあそこに来るのだろうか。

桧埜は帰り道そんなことを思った。
はっきり言って、来て欲しくなどなかった。
アノ姿は見られたくなった。
アノ姿だけは、見られるわけはいかなかった。


はっと目がさめた。
革の匂いがした。

―何時だろう…

そう思って桧埜は
むくっと起き上がり時計を確認しようとした。

とその時だった。

「おはよぉ。」

横からなにやら聞き覚えのある声がした。
何だっけ、と昨日の出来事に思いを巡らせていたときだった。

全身の血が逆流を開始した。

見られたのだ。
アノ無様な姿を。
この昨日出逢ったばかりのササヤマ シイという人物に。

そぉっと首を回し、寝起きのふざけた顔で詩夷の顔を確認する。

―最悪だ。

そう。
起きてしまったのだ。
見られたくない姿を見られてしまったのだ。
昨日に負けないくらいの気まずい空気が流れる。

なんて言訳しようかと考えていると
詩夷が答えをくれた。

「おはよぉ。
 大丈夫??」

そうだ。
挨拶を…
とりあえず、挨拶…

「お…おひゃよう…」

考えに考えた末、口から出たのがこれだ。
裏返った変な声。
なんとも気味の悪い挨拶をしてしまった。

しかし詩夷は、別段気にするでもなく
にっこりと笑い返してくれた。

その笑みを見て
アノ姿を見なかったことにしてくれた。
そう思うことでとりあえず桧埜は安心した。


なんだか暖かくて。
なんだか優しくて。
なんだか悲しくて。
なんだか懐かしくて。
なんだか同じで。

そんな感じ。
詩夷の「おはよぉ」は。
詩夷のあの笑みは。

詩夷の笑みが悲しそうに見えたからか。
詩夷が自分と同じ空気を持ってるように見えたからか。
そう感じた。
なんだかそう感じた。

あのとき、気のせいだと思ったこの感情は
あのとき、思い込みだと思ったこの感情は
ごく近い未来に
悲しい事実とともに
本当だよ。と詩夷が教えてくれた。

その時の詩夷の笑みはあの時の
無様な姿を目の当たりにしても微笑んでくれたあの時の笑みと同じだった。

なんだか暖かくて。
なんだか優しくて。
なんだか悲しくて。
なんだか懐かしくて。
なんだか同じで。


なんだか

無性に泣きたくて。


<世古月 柚side>


© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: