しばたに中国を行く

しばたに中国を行く

今までを振り返る



新疆大学

さて。
こちらのページでは、2004年1月現在迄の中国語学習を振り返ってみたいと思います。
なんと言うか、『己を知り敵を知ればウンヌン』って奴ですね。
それに、いきなり私の中国語学習を掲載しても、今現在の私のレベルが分からなければ意味ない気がするし。
というわけで、マズは時系列で(?)中国語学習を振り返ってみたいと思います。ま~、んなたいした物はないんですけどね。よく考えれば一昨年ぐらいに勉強始めたんだし(笑

中国語学習黎明期。
⇒2年前。社会人やっているころに 何かのきっかけで (何だっけ)中国語学習を始めました。あ、思い出した。 仕事ばっかりに集中していると、世界が狭くなっちゃって人生楽しくないから だわ・・・。ごめんなさい、なんだかたいしたことない理由で・・・・。でも 人生ってそんなもの でしょ?(笑

中国語学習初期
⇒社会人であったと言っても、ほとんど派遣のような形態の職業であったため、週に何回・・・・と中国語教室に通うことは出来ません。何時どこに飛ばされるか分からないので。
そこでNOVAの門を叩く事になるわけですね。
NOVAには1年ぐらいお世話になったんじゃないでしょうか。ただ、やってる内容に比べて 『値段が高い』 のと 『セールストークがウザイ』 のが気になりましたね。まぁ、1年ぐらいNOVAに通ったところで中国語が身に付くはずもありません。それに、中国語を学び始めた途端に仕事が忙しくなり、なかなか通えない日が続きました・・・。
でも、当時は問題ありません。仕事の息抜きとして始めたので、時々通えればこの時は十分だったのです。
この当時中国語を話すというだけで全身に 脂汗・・・・冷や汗 が出て大変でした。それが今は日本語で話す方が・・・・・・(ボソ

留学決断の頃
⇒社会人はとりあえず 3年でやめよう と思っておりました。理由はないんですが、周りに3年は勤めないとキャリアにならないよ、と言われまくったので、逆に『じゃ、3年でやめて良い訳ね』と思ったのだと思われます。
ので、2年目に入った時点で3年経ったら何をするの~?と、自分に問いかけたところ、特に日本でやりたい事があるわけでもなし、せっかく中国語を(ほとんど行っていないとはいえ)やってるんだし2年ぐらい中国で留学しながら勉強するか~。と、決断。悲壮な覚悟とかやる気とかが感じられないですね・・・。
ただ、留学開始の半年前ぐらいから朝少し早めに出勤して中国語の勉強などをやり始めました(起きられなかったりしたけど)。
夜は遅かったので。週末はNOVAに通えるときは通いました。
でも、結局7A(初級の一番上)ぐらいまでしか行きませんでしたけどね(笑 1年もすれば中級レベルの上まで上がる人も居るというのに・・・。やる気のなさがひしひしと伺われます。
なんだか自分の働きと評価(給与)がマッチしないよく分からない社会人生活に嫌気が差してたって言うのもあるんじゃないかな・・・。あ、自分の働きに対して給料が安いとかではないですよ。逆です。何しろ・・・いや、やめましょう。過ぎたことさ(フッ

留学開始。
⇒留学開始当初、ま~それなりに1年も勉強したわけだしNOVAも行ったし(まさに『行った』し)、留学先の新疆までは何とか一人でもたどり着けるさ・・・・・と。ゴメンナサイ。甘かったです。北京に到着後、 運ちゃんが話していることが分からない、ホテルの場所も分からない(笑)、右も左も分からない(涙) であることが分かりました。つか、挨拶以外の勉強ってよく考えたら 『この部屋の中にあるものは・・・』とか『銀行での両替』とか『道を尋ねる』 ぐらいしか勉強してません(by NOVA)。これって、確かに必要なんだけど、そもそも空港で道に迷ったらどうすりゃいいんですか(笑
道を尋ねようにも、ホテルの名前そのものが読めないんですけど(笑
つか、発音悪くて通じないんですけど。
NOVAに過度な期待は抱いてはいなかったんですが、挨拶以外ほとんど通じないとは思いませんでした・・・。その上、こちらが言葉が分からないのに・・・・いや、やめよう。過ぎたことだ(フッ
まぁ、何とか間とか身振り手振りと 男の子はこんな所で泣かない! という意地もあって新疆までたどり着きました。
辿り着くまで出一番つらかったのは、

・現地受け取りの汽車のチケットを受け取りに行ったら住所が間違ってて、道に迷って、公安に『んな住所はねぇ!(これは理解できた・・・でも、理解したくなかった)』と言われて、北京の路地裏で途方に暮れ、死を覚悟したこと(笑

・始めだし贅沢に行こう♪と、購入した『軟臥(1級の汽車の寝台)』で中国人3人と部屋に閉じ込められる事になり(コンパートメントだから)、意地悪されないために(笑)必死で会話をした事。・・・まぢ疲れた。

・北京のホテルで、中国のトイレは紙を流せないという知識はあったのに思わず流してしまって、滞在1日目にして部屋のトイレが凄い事に(描写は控えます)。直してくださいって言えずに、後3日間ホテル内共用のトイレで用を足し、最後に黙って出て行ったこと・・・・。ゴメンナサイ。時効ですよね(汗

でしょうか。
まったく中国は、当時の私にとって恐ろしいところでした・・・。ほとんど自業自得だけど、住所だけは消さないでください(涙

留学1学期目
⇒留学1学期目は、とりあえずそーゆー経験もあったので、到着する頃にはすっかり スレテ いました。
でも、この頃には中国人に対する(私の)必殺技『笑顔で低姿勢で迫る(相手の言うことは聞かない)』に磨きがかかっていたので、通じなかろうと通じようと笑顔で(中国人にはこれが効くと、個人的には思います)話し続けるようにしてました。
授業のクラスメートと老師に恵まれた為、数ヶ月も経たないうちに日常会話は何とかなるようになりました。これは 寮の入り口で日本人に目を光らせていた 日本語学習者のモンゴル人のおねーさんのお陰が一番大きいと思います。
ある日、授業から帰ってくると寮の入り口の管理人室から『ちょっとそこの日本人、ちょっとお待ち!(もちろん中国語で)』と声をかけられフラフラ除きに行くと彼女がいたわけです。当時彼女の仕事が忙しくなかった時期らしく(社会人なので)毎日のように 夜になると私の部屋のドアを叩き、 しゃべりたいだけしゃべって お帰りになられる という日が1ヶ月も続いたでしょうか・・・・。始めのうちは気を使って『日本語教えなきゃ』という意識もあったのですが、最近はまったく消え去りました。単なるお友達です(笑
本人のやる気とは裏腹に、仕事が忙しいようでまとまった時間もとれず、ホボ趣味でやってるようなので・・・。最近は聞かれたときだけ教えてます。
あ。
話がずれましたね。
という、半ば強制的に日常会話とお喋りの特訓ギプスを装着させられた為に、後半は初級クラスと掛け持ちで2つ上のクラスの授業まで取っ付き易そうな所に首を出すというような事をしておりました。
本当は普通の新疆大学の留学生は1週間に12時間の授業なのですが、私の最終的な1週間の授業数は26時間(笑)にまで膨れ上がってました。
これでお金は一緒なわけですから、ま~他の国の留学生に文句言われたわ(笑
まぁ、それはそれとして。かなり適当な新疆大学の留学生管理を最大限利用して楽しくやっておりました。
ただ、最後の半月は日本人の留学生の家に遊びに行くことが増え、中国人と中々話さなくなったので(来期以降日本人のいない所に行く事にしたので、今のうちに飽きるほど日本人と付き合っておくことにしたのです。新疆では日本人は希少です。100人ぐらいいると思うけど)急激に中国語力が落ちました(笑
やはり日々の(雑談の)積み重ねは重要です。
特に口語です。毎日話していないと言葉が口から出てきません。
聴力は問題ないです。嫌でも毎日中国語が耳に入るので(ドラマに嵌ってたから)、そちらは落ちることもなく上昇中(笑
スランプを抱えながら、一時帰国に至るという訳です。
一時帰国中の生活については別のページで。

皆様、ご清聴ありがとうございました。

※画像は見てのとおり新疆大学の正門です。雪の色を見れば分かると思いますが、真っ黒。そして後ろにうっすらと見えるのが総合楼。霧のようなのは現地人に言わせると 『汚染』 ・・・・。実際大きく息を吸うと咳き込んだりするんですが、それは言わないお約束(笑




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