After school




音楽室から聞こえる、ピアノの音色に誘われ、弥生は歩みだした。
「誰が弾いているの?」こんな時間に・・・。
東城学園小等部での放課後。
朝から降り続く雨の一日。
そおっと、ドアの隙間を伺うと、ピアノを弾いている少年は、三杉淳だった。
「誰?」三杉の声に弥生は、驚き、体を震わせた。
「マネージャー?」
「ごめんなさい」
覗き見なんて、恥ずかしい行為を、しかも、一番知られたくない人に、知られてしまった。
最近、心の大部分を占めるようになってきた、あの人に。

「そんなところにいないで、こっちにおいでよ」彼は、いつものあの笑顔で私を見つめていた。
「さっき弾いていた曲は?」
「ベートーベンのソナタ悲愴の第2楽章だよ。」
「キャプテンって、ショパンを弾くイメ-ジ・・・」
「そう?ショパンも好きだよ。ピアノの詩人だしね。」
「いい曲ですね。悲愴って。前にどこかで聴いたような、懐かしい感じ」
音楽版デジャブ(既視感)みたい。
「ありがとう。ショパンと違って、泥臭いというか、変に洗練せれていないけれど、人生という大きなスケールを彼の曲には、感じるよ。
まったく、ベートーベンには、失礼な話だね。
聴いてくれたのが、君でよかったよ」と彼は言った。

「僕は、ショパンとリストを弾きこなす、ピアニストになりたい。
ショパンのロマンティックな旋律と和声。
テクニカルなリストに関しては、僕も挑戦してみたい・・・。」
「ピアニストですか?キャプテンが・・・」
サッカーを諦めてしまうのだろうか?
持病の心臓病と戦いながら、サッカーをするなんて、尋常じゃないと
わかっていても、サッカーをしている彼の好きな自分がいた。
「サッカーはもう諦めちゃうんですか?」自然と口調もきつくなる。
「サッカーはやめない」
「でも、さっきピアニストになりたいって・・・」
「それは・・・職業としてのピアニストになれるかどうかも、わからないけれど、サッカーをする人が
プレイヤーだとしたら、ピアノを弾く人が、ピアニストという意味で。
ところで、君は、音楽家では誰が好きなのかい?」
「私は、シューマン」
彼はきっと、ショパンやベートーベン、モーツアルト、そのあたりを予想していたのだろうか。
音楽室の壁に飾られた肖像画を見たときに、一目惚れしたのが、シューマンだった。
何かで、シューマン程、激しい人生を歩みたくても、誰も歩めないと書いてあったのを見て、
どうしても、キャプテンとリンクしてしまったのだ。
そんな事は、本人を目の前にしてはとても言えない。
私は、聞かれてもいないのに、その理由を、内声・外声がなんとかって先生が言っていたけれど・・・
「シューマンの曲は、自然とか、動物が出てくる様で、のどかだから・・・」と答えた。
彼なら、躍動感なんとかって言葉が続くのだろう。
なんで、私には、こんなボキャブラリ-しかないのだろうか。

「弾いてくれないかなぁ?」
さっき、キャプテンのサッカーのイメージみたいな、『ショパンの黒鍵のエチュード』を聴いちゃった後で、
かなりきついよ。
まるで、『華麗なる、フィールドの貴公子』そのまんま。
まぁ、私が、次はショパンでと、リクエストしたのだけれど・・・。

「いいです。私」彼は、それを、肯定したと思ったらしく、椅子をすすめてくれた。
私は、本意ではなかったのに、彼の機嫌をそこないたくなくて、弾き始めた。
いつものあの曲を。

「ドビュッシーのアラベスク第1楽章?」
「あたりです」な~んだ。やはり、知っていましたね。
私が弾いている間中、彼は、ピアノの先生がするのと同じ様に、目を瞑って黙って聴いていてくれた。
「シューマンが好きって、言っていたから、ドビュッシーだとはね」
人差し指で、頭をちょこんと撫でながら、α波が出ていたみたいだよ。
と、ほめてくれた。
正直嬉しい。お世辞でも。なんでも。
他の誰よりも、彼が、ほめてくれることが。
ピアニストやキャプテンには、腕前ではかなわないけれど、この曲は、私のお気に。
何回弾いたかなんて、他の比じゃない。
私の解釈(私の場合想い入れなんだろう)を彼は、理解してくれたのだろう。


 実は、シューマンのトロイメライとか弾いてみたかった。
でも、ピアノの先生に「まだ、無理ね」と言われてしまったのだった。
ショパンの小犬位なら弾けるようになったし、楽譜見て、楽勝って、思ったのに・・・。
シューマンの曲は、聴いているとそんなに難しいと感じさせないのに、弾く人泣かせな曲が多い
とは、後から知ったのだった。

「キャプテンって何をやっても、完璧ですね」
「完璧?」
「女の子だって、こんな上手な人はいないですよ」
同じピアノなのに、奏でる音色が明らかに違っていた。もちろん、テクニックも。
先生の言う、『デコレーションケーキ』そのものだったから。
先生曰く、「ピアニストの弾いた曲自体は、もう、完成されたデコレーションケーキで、始めから、それと自分とをくらべては、苦しい」
私には、少しずつ、土台から作っていければ、いいのではないかと。

「僕は、ピアノの音やタッチが好きだよ。微妙に違うしね。こうして・・・つい試したくなる。
後で音楽をやるときにも、ピアノは有利だし。一台で、オーケストラになりうる音域がでるのも、
奇跡だね。それに、サッカーに似ているところもたくさんある」
キャプテンは、この事は、皆には、内緒だよと心臓病のことを知ったときみたいに、私に言った。

また、私は、三杉淳の秘密を知ってしまった。
なんで、私ばかり・・・と思ったけれど。
そうだ、最近、頭の中でぐるぐる回っているあの曲でも、そのうち、リクエストしちゃおうかなぁ。
キャプテンは、ショパンが、得意みたいだから。
『ショパンのバラード4番』あの旋律とコーダが、たまらなく、好き。
1番もいいけどね。

外に出ると、紫陽花の花が、雨に濡れながら、綺麗に、咲いていた。
赤い傘を柄のところで、くるくると、回しながら、
弥生にとって、思わぬ、楽しみができ、雨の日の下校は、思いの外、足取りも軽かった。




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