ゆきあけのボヤキ

結婚願望


私は昔から人一倍結婚願望が強かった。

10代の頃は、21歳で結婚して22歳で子供生んで・・・とか普通に考えていた。

叶わぬ夢とかじゃなく絶対そうなる、出来るって思っていた。

う~~~ん、若かったな・・・・

私もそうだけれど、両親も親戚も友達もきっと私は結婚が早いだろうって思ってた。

22歳で初めて自分の友達の結婚式に出席した。

当時は成人式で買ってもらった振り袖を着れるのが嬉しくて、羨ましいとかそんな感情は全くなかった。

次は私やな、とか簡単に思っていた。

けれど、私が振り袖を着る機会がどんどん増えていくにつれ、あれっ?とか思うようになった。


彼氏がいなかったわけではない。

高校3年生から21歳まで付き合っていた彼氏とは結婚すると思っていた。

何で別れた・・・??

まぁ簡単に言えば彼氏の浮気!?

本気じゃなく浮気なんだからと当時はサナにもよく言われたけれど

何事も一直線できた私にとってそれは裏切りであり、一気に信用を失う出来事であった。

腹立たしさとショックの度合いが同じだった。

浮気なんかするとは思っていなかったし、信用してたから。。

土下座をして謝る彼氏を殴って蹴った(笑)

学校内で私達カップルは結構有名だった。

生徒も先生もほとんど?いや、ほぼ全員が私達が付き合っているのを知っていた。

彼氏は後輩の女の子によくモテていたので、私は後輩から羨ましがられていた。

誰も別れるなんて思っていなかっただろう。

でも結局4年弱で別れた。

たった一度の裏切りは21歳の私には許せる事ではなかった。


この歳になってみると“あんな浮気ぐらいで”って思える。

今では過去の笑い話としてその元彼とも当時の出来事を話せる。

その元彼はもう結婚して一児の父親になっている。

元彼のお兄さんは私達が付き合っている時に亡くなった。

元彼が結婚してしばらくした頃、私は実家にお線香をあげに行った。

元彼の両親は私をよく可愛がってくれていたので

「あの時何で別れたの?」とか「し~ちゃん☆がお嫁さんにくると思っていたのに・・・」

とか、おいおいっっていうような話をたくさんされた。

母が亡くなった時は両親揃って松山まで告別式にも来てくれた。

あの時、たった一度の浮気を許せる私だったらこの元彼と結婚していたんだろうなぁとかたまに思う。


この元彼と付き合っていた事や私の性格をよく知っていたのが次の彼氏。

元々中学校の同級生で仲のよい男友達だった。

まさか私がこの子と付き合うなんて思ってなかった。

誰も思っていなかっただろう。

元彼と別れる間際ぐらいによく「俺と付き合えや」とか言われてたけど、本当に冗談だと思っていたし。。。

それがまぁどうしたことか付き合う事となり、これまたこの子といずれ結婚するんだろうなぁって思ってた。

この彼氏の家は建築の会社をしていた。

23歳の頃、ハワイへ慰安旅行に行くから一緒に行って式挙げてしまえって彼氏の父親に言われた。

え?そうなの?みたいな軽い感じで私は聞いていた。

結局行かなかったけど。。。

別にいつでも結婚していい状況ではあった。

私一人で彼氏の部屋で留守番をしていると

「あら、一人?先にお風呂に入りなさい」とか普通に言ってくる彼氏の母親。

何だか私は知らぬ間に“長男の嫁”扱いだった。

4人兄弟の長男だった彼。

別に私は同居してもよかった。しようと思っていた。

彼氏の妹に「し~ちゃん☆が同居してもいいって言うてるで~って言ったらお母さん泣いて喜んでたで」とか言われた。

マサ姉には「簡単に同居とか言うたらあかん!!」って怒られたけど・・・

私は今でもそうだけれど、同居については何も思わない。

してもいいって思ってる。

結婚反対とかそんなこと全くなく、いつでもお互い結婚出来たのにしなかった。

ん~~~何でだろう。。。

私が24歳で松山に来たのも原因の一つであるけれど

これが当時分かってなかった“タイミング”ってやつなのかな?

“結婚はタイミング”って結婚した人はよく言ってたけれど、今なら分かる。

ほんとタイミングだなぁ~って。

まぁ結局愛が続かなかったってのも大きな要因の一つだけど。


大阪と松山での遠距離恋愛が始めから上手くいかなかったわけではない。

彼氏はしょっちゅう松山にも来てたし、突然来られた事もあった。

電話も毎日してた。

でもやっぱり電話だけでは駄目だった。

お互い何も悩みが無かったらまた違ったかもしれない。

私は母の看病を必死でしてた。

それは相手もよく分かっていた。

私は彼氏の事、大事な問題を気付かないままだった。知らなかった。

彼氏の家の会社が危機になってたこと・・・

私は大阪にいてたわけではない。

言ってくれなければ分からない事がたくさんあった。


母が亡くなる年のお正月。

彼氏は松山に来ていた。

母は自分の体の事があった。いつどうなるか分からないという思いがあった。

そして私の心配をとてもしていた。

母は彼氏の事を中学生の時から知っている。

だけどもういい大人だ。

これまでは何も言わなかったけれど彼氏から一言でいいから聞きたかったらしい。

「今すぐじゃなくても、将来は絶対し~☆と結婚するから安心してな」って言葉が。。

親としては当たり前の心境だろう。

もうその頃は付き合ってから4年半が経っていたから。

どちらの家にも気を使わない関係だったけど、やっぱり一人の男としてのケジメの言葉、一言でいいから聞きたかった母。

でも彼氏からはその言葉は聞けなかった。

母以上に、父以上に私は激怒した。

母の想いを分かっていたから・・・

かなりあとから知った、彼氏がその言葉を言えなかった理由。

会社がかなりの危機に陥っていて、今結婚しても私を幸せに出来ないからっていうことを・・・

でも私は母の前で嘘でもいいから言って欲しかった。

母の状況を考えて、、、安心させてやりたかった。

そんなことがあって以来、彼氏の悩みを知らないままの私は彼氏を受け入れられなくなっていた。


母の死後、彼氏と色々話をした。

お互いおかれた状況を分かり合えた中ででも、考えの食い違いが多々あった。

何度もやり直して欲しいと言う彼氏を、私は二度と受け入れる事は無かった。

彼氏だけが100%悪いわけではない事は分かっている。

でも、人生最大のどん底に落ちた私を拾い上げてくれなかったことが、支えきれなかったことが

私の中にある“愛情・安心・信頼”を全て流し去ってしまった。

そして5年の付き合いにピリオドを打った。


よく伯母に「3年で決めなさい。3年以上もだらだら付き合ったら駄目。長すぎた春になる」って言われていた。

はい、結局私は2人とも“長すぎた春”で終わってしまった。

最終的には縁が無かったんだろうけれど。。。

こんな歳まで自分が独身でいるとは思ってなかった。

簡単に出来ると思っていた結婚。

それは、壁がなくともタイミングと縁なんだなと実感した。


私の夢。

ありきたりだけれど結婚して温かい家庭を作ること。

とても愛し合っていた仲の良い両親を見てきただけに

旦那さんとはいつまでも愛し合い、子供は3人、笑いの絶えない明るい家庭!が目標。

毎朝玄関までお見送りをしていってらっしゃいのKISSをしたい。

尽くし型の私はそこに愛があれば別に亭主関白でもいい。

その昔のチャーミーグリーンのCMではないけれど

おじいちゃん・おばあちゃんになっても手を繋いでいられるような夫婦になりたい。

ずっとずっと旦那さんのことが大好きでいたい。

既婚者の人にはそんな甘いもんじゃないって笑われるかもしれないけれど

私の結婚像とは結構、かなりロマンティックなのである。

オイオイ ソノユメ イツ カナウ???



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