ゆきあけのボヤキ

父の事


父は6歳で父親を亡くし、7人兄弟の末っ子として育ってきた。

とても優しくおだやかな人間だ。

幼い頃からとても周りに気遣う人だったらしい。

女手一つで子供を育てている祖母を兄弟誰よりも大切にし、 そしてまた祖母もそんな父を一番可愛がっていた。

祖母が入院し、薬のせいで子供達の事が分からなくなった状態の時でも、 父の名前だけはいつも叫んでいた。

父が来るのを心待ちにしていたようだ。

人間の培われた潜在意識とはスゴイものだと当時の私は実感した。


小学生の頃、父は腕を骨折した。

病院へ連れて行こうとする祖母。

けれど父はガンとして病院へ行こうとはしなかった。

怖いから?ううん、そんな安易な事ではない。

病院へ行けばお金がかかる。

そんな事まで小さい頃から気にしていた父の腕は、今でもほんの少し歪みがある。

祖母からその話を初めて聞いた時、母は涙せずにいられなかったと言った。


とても頭の良い人だったらしい。

「高校へは行かない」と言う父を何度も学校の先生は説得しに来たようだ。

祖母を早く楽にさせてあげたいという思いが父にはあったのだろう。

兄弟なんとしてでも父を高校へ行かせようとしたが、 父は勝手に仕事を決めてきて働きだした。

そう、父は中卒だ。

けれどそんな父を恥じた事は一度だってない。

むしろとても立派で素晴らしい人間だと尊敬している。


父と母が結婚する時、母方の祖父母は大反対した。

父がどうのこうのの問題ではなく、愛媛から大阪へ嫁ぐ事が何よりも悲しかったそうだ。

当時は本州と四国に架け橋なんてあるわけでもなく、アメリカにでも嫁がせる気分に陥ったのであろう。

今でこそ父と母の結婚式は、母方はお葬式のようだったと親戚が笑う。


結婚してしばらく経った頃、祖母が大阪に来た。

父が一人で空港まで迎えに行った。

車中、祖母と父二人。

会話という会話なんて無かったに違いない。

祖母は母に 「言葉は無くとも、優しさが滲み出ていた。

こんなに優しい人がいるんだと思った。良く分かった。これで安心してお前(母)を(父に)預けられる」

と言って松山へ帰って行ったそうだ。


お酒が大好きだけど決して外で飲んで帰ってくるという事は無かった。

仕事が終われば真っ直ぐに家に帰ってくる父。

私が幼い頃はいつもお菓子のお土産を買って帰ってきた。

仕事の忘年会・新年会でも一次会で家に帰ってくる父。

普段は無口なのに、酔っ払って母にラブコールしてくる人父。

今でこそスロットをするけれど、趣味は妻と娘の送り迎え。

私は今まで父に怒られたり、ましてや叩かれた事など一度もない。

家族の為だけに生きてきた人だ。

そんな父を“頼りない人間”だと思う人もいるであろう。

けれど私にとっては最高で大好きなパパである。




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