風光る 脳腫瘍闘病記

結核検査



あたしはその3ヶ月という短い間で出来るだけ貯金をしなくてはならなかった。

日本でも小料理屋でバイトしていたおかげで仕事の内容を覚えるのは早かった。ただ一つ、英語を覗いては・・。ここはオーストラリア、いくら日本料理屋と言っても日本食好きなオージーは沢山いた。

外国人相手にオーダーを取るというのはとても勇気がいるものだった。

「Are you ready to order?」

このひと言を同じウェイトレス仲間であるカリーナに教えてもらった。このひと言さえ言えればあとは何とかなったものだ。何とかなったというより、オージーが来たらカリーナが接客。日本人が来たらあたしが接客という風に割り当てて何とかしたものだった。

伝票には日本語ではなくローマ字を使っていた。厨房には日本人に混ざってオージーもいたからだ。「肉うどん」なら「nikuudon」ただ、お味噌汁の場合だけ「miso soup」と英語で書いていた。

お父さんの仕事の関係で中学から移住している日本人のSちゃんとは仲良くさせてもらった。仕事が暇な時、よく英語を教えてもらっていた。

ジャパレスで働くとこんな利点がある。

オーストラリアはチップ制度はないのだけれどもたまにくる諸外国の方がチップを置いてってくれること。チップをくれるたびにウェイトレス仲間であるカリーナやSちゃんとで分けていた。時にはあたし個人に20ドルという大金をくれた日本人のおばちゃんがいた。

後、日本食がまかないでつくという事。オーストラリアで日本食を食べようと思っても日本食は高い。とても貧乏なワーホリの若者には手が出ない。でも山桜ではいつも自分の好きなメニューをお弁当に持たせてくれていた。おかげで食費は大分浮いた事になる。

それにオーストラリアに在住している日本人も多数お店に来てくれてその度にオーストラリアの情報が生で入る事だ。おかげで現地で暮らしている日本人のお宅に何回か訪問させてもらって美味しい食事にありつけた事もある。

ワーキングホリデーで一番大切なのは人との繋がりだ。

あっという間の3ヶ月間、最後はレジ閉めまで任されるようになっていた。最後はお店のおごりで止める人にご馳走する恒例の握り寿司。あたしは板前さんのヒロさんが握る寿司を堪能した。

山桜を辞めて数日後あたしは山桜に遊びに行った。そこで信じられない事を聞いたのだった。

「愛ちゃん、インド人のディッシュウォッシャーさん覚えてる?彼ね、結核で亡くなったの」

「えっ!?今時、結核で死ぬの?」

あたしは思い出していた・・インド人、インド人。

「あーーっ!いたっ、思い出した!そういえば咳してた!」

「だからお店の人全員で病院に行って検査しないといけないの、愛ちゃんも行ってくれる?」

(オーストラリアにきてまで結核検査かよ・・)

かくしてあたしはみんなと共にゴールドコーストホスピタルへ結核検査をする事になったのだ。

「愛ちゃん、カリーナが車で連れてってくれるって」

後日、あたしはカリーナと待ち合わせをし、ゴールドコーストホスピタルへ行った。信じられない事に日本語が一切通じない病院だった。

英語もろくすぽ話せないあたしに必要事項記入用紙。猫に小判と言ったところか?

「name」ぐらいしか分からない。あたしは見よう見まねでカリーナの用紙に目を通した。

(これでいいのか?)不安を覚えつつも用紙を看護士さんに渡した。何も言われなかったからアレでよかったんだろう・・。

とにかくレントゲンを一枚撮って終わり。異常はナシ。

まったくワーホリで来てる日本人で結核検査をしたのはこのあたしぐらいなもんだろう・・。


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