ゆりママのヒミツ

ゆりママのヒミツ

入院(平成5年12月)



 12月25日、クリスマスの朝、私は母と夫に付き添われ、入院した。
 流産回避のための長くても1~2ヶ月のつもりで、家を後にした。

 I市民病院の産婦人科病棟は、女性泌尿器科病棟を兼ねていて、若い妊婦さんから、年輩のご婦人まで年齢層に幅のある階だった。生まれてはじめて入院した私は産科の6人部屋に入室した。入院手続きを終えると早速昼食だった。初めての病院食も「おいしい。」とたいらげて夫や母をあきれさせた。このときの私は、このあと出産までの長い入院生活のことなど想像もしていなかった。

 流・早産の兆候となる子宮の張り(腹部の表面が硬くなる)を防止するための(張り止めの薬と呼んでいた)錠剤2錠を食後に飲む。そして安静にすることがそのときの私の仕事だった。

 同部屋には産後のママさんの他、流・早産回避のための安静入院の妊婦さんもいた。
 産後のママさん達は3時間毎の授乳や見舞客の応対などとあわただしい1週間を送り、新生児を抱いて退院していく。 
 一方、安静入院組は、それらのママさん達を尻目に今日も何も送ることなく無事に過ごせるようにと願いつつ日々を送っている。しかし中には、流産される女性もいて、隣のベッドにいて声をかけてあげるのも気が引ける。

 エコー診断(超音波断層映像)で胎児の心音が確認できない又は胎児がいないなど流産が確定すると、『掻爬』という処置をうけなければならない。これは女性にとって、肉体的にも精神的にもダメージが大きい。 私もそうならないとも限らない。何しろ不妊症による高齢出産なのだ。

 12月28日、おりものの色が気になる旨を、回診の時、T医師に話すとすぐ内診。気持ち出血しているとのこと。T医師の話では、私のようなケースの流産率は、40%にもなるそうだ。この安静状態を維持して、1月10日までもたせてエコーで確認できたら妊娠が確実とのこと。そうか、まだ確定していないんだ。喜ぶなんてまだまだ先の話なんだ……

 12月31日、病室はほとんど空の状態。外泊を許された患者さんが新年を自宅で迎えるために一時いなくなるためだ。新たな出血が見られなかった私も外泊したかったが、夫が強行に反対した。T医師もその方が良いとの意見だった。隣のベッドのプレママも残るというので、6人部屋にたった2人の年越しになった。
新年を迎えて、AM2:30、トイレで少量の出血。看護婦詰め所に報告する。年始は頼りのT医師もお休みで、若いインターンの先生に朝1番に診察してもらうこととなった。診察では出血は止まっているとのこと。腹痛とかはないのだが、T医師もいないし、すごく不安。病院食はおせちだった。なんでこんなことになったんだろう、と心穏やかとはいかない、平成6年の幕開けだった。


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