ゆりママのヒミツ

ゆりママのヒミツ

術後と一時退院(4~5月)



4月15日
 午後より術後はじめての食事。おかゆだった。
 夫が珍しく仕事を休んで、面会に来てくれた。
 昨晩、眠れなかったので、夕方うとうとしてきたので、
 安心したと言って、夫は帰った。
 看護婦さんが、ベッドを45度の角度にあげて身体を起こしてくれた。
 麻酔をかけるというのは、やっぱり大変なことなんだと思った。
 急に身体を起こすと、貧血になるらしい。。。
 回診で、手術による出血を止めるため、子宮口にガーゼが入っているのを、
 取るという。。
 「力を抜いてね。」と言われたが、もうめちゃくちゃ痛くて、力が入ってしまう。。
 「だめだめ、Gさん。出産の時、そんな力が入ったらだめなのよ!」
 と看護婦さんに言われたが、痛いものは痛いし、どうやって力を抜いてよいやら。。あ~~、先が思いやられる。。。

4月16日
 ベッドが90度上がる。(座ることができた)
 点滴がとれたが、導尿管はまだ取れない。
 身体を拭いてもらい、寝巻きも着替える。
 今日の内診は全然痛くなかった。。

4月17日
 導尿管を取る。自立で歩き、トイレと洗面をする。
 パジャマに着替えられて、うれしかった。(術後は寝巻きだったので)
 立ったすぐは、足が宙に浮いているみたいでヨチヨチ歩き。
 ベッドで長く座っていると、少しフラフラする感じがするし、頭痛も少し。。

4月18日 
 シャワーを浴びる。洗髪もできて、身体に赤みが戻ってきたようだ。

4月19日 
 担当のT先生より、21日の内診の結果がよければ、
 今週末土日の外泊を許可しましょうとのこと。
 やった!!妊娠がわかって、約4ヶ月ベッドから動けない日々だったけど、
 ようやく外の空気が吸える!!!

4月23日
 夢に見た、外泊の日。
 病院の外に出ると、まるで浦島太郎のように、別世界に足を踏み入れた感じ。
 T先生より「くれぐれも安静に。入院中のように身体を休めていること。」と念を押され、タクシーで自宅に向う。
 懐かしい我が家。。夫は綺麗に生活していてくれたようだ。
 なんだか、狭い部屋がピカピカに見えた。
 すぐに布団を敷いてもらい、横になる。
 病院より移動しただけの1日。明日は午後5時までに帰る予定。
 病院の時間は長いが、自宅での時間はあっという間だった。

このあと、4月29日、5月7日と1泊で外泊する。
退院のための試験外泊というもの。
外泊中に異常があると、退院も許可されないということらしい。

この頃から、胎動をはっきりと感じるようになった(6ヶ月後半)。
お腹の2人に「プチトマト」の「プチ」をとって、
「プーちゃん」「チーちゃん」と勝手に名前をつけた。

ときおり、ドカドカと蹴られているような胎動を感じた。
お腹の張りも出血もなく、安定期に私もようやく入ったようです。

5月14日 退院
 絶対安静の指示はあいかわらず。。。
 私の実家で療養することとなった。
 外出も当然禁止なので、結局毎日寝たままの生活を送る。。 
 出産後の準備など、買い物をしたかったが、それもできず、
 パンフなどを見て、母に買いに行ってもらう。
 無事に出産することが第一なので、こだわりを捨てないといけないとわかってはいたが、産まれてくる赤ちゃんの下着や授乳に必要なものなど、自分でひとつひとつ選んでみたいという想いは、かなえられなかった。
 すべて親まかせになってしまい、両親に対し、申し訳ないのと、残念なのと。。
 プーちゃん、チーちゃん、ごめんね。

5月26日、6月13日に病院にて検診。。

検診の度に、再入院を言われるのではと、不安な気持ちだった。
それに反して、母は、私のお腹がとても大きい(まだ7ヶ月なのに、もう臨月のようだった)のを心配して、1日も早く再入院してほしかったらしい。。

実家に戻ると私はホッとしていたのだが、母は何かあったら、と心配が先に立ち、
早く再入院してくれないかと思ったと、あとから聞いた。

いろいろと両親には、心配をかけ続けてしまった。

6月27日 再入院。。。(次ページに)



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