じゃすみんライフ

2007忘備録


今だからはなせる忘備録
2007年9月この月と、10月から、2008年4月まではこれまで一生で一番葛藤した
時期でした。乗り越えたいまだからこうして書いて表現することができますが
苦悩している時期、連れ添い以外に話せる人もなく、母親としての共感もえられることもなく、一人になった通勤の車のなかで音楽を聴きながら毎日ないて過ごしていました。
それは9月の中旬。
天からの授かりものが舞い降りました。
子育て、仕事の勤務もきついおり、季節も厳しい冬へとむかっていくじきでっした。
年齢のこと、出産のいろいろなリスク、周りへの世間体、育児体力的なも考えどうしょうかと迷ったあげく。せっかくの授かった命、新しいいのちをはぐくむ決心をしました。
でも、妊娠のつわりは、私の思考力、免疫力をうばい、精神状態を不安定にしていました。
また、勤めていた職場は同僚の病欠、退職していく人が多く、体調が悪くても
休めない状況であり、妊娠のことをみんなに伝えていない状況では配慮もしてもらえなかった時期もありました。
一度目の9週目の検診では元気にしていたあたらしい命、母子手帳も貰い、11週目の検診へのぞみました。
でもエコーをしてみると、もうすでに人間の形をしていましたが、
残念ながら、その命の輝きを表す、心音が消えていました。
その検診までの2週間は風邪をひていており、胎児に影響のない軽い薬をのみながら働いていましたが、史上最強にきつい木曜日がありました。
その日、きつすぎて休みたかったのですが、前日に、職場で病欠がでたといくことがあり、体にむちうって働きました。
今思うと、その日に、母体のことを考えた、わが子が自ら天国に召される決心をしてくれたのでは?ないかと思います。
その1週間後手術をして1ヶ月後には体調はもどりましたが。
同じころの妊婦さんや、赤ちゃんをみるたび、心が嫉妬心と悲しさでいつも涙があふれ出てきました。
2ヶ月ほど、何かのおりに泣いていました。
そして、また悲しいことに、親や姉妹にも心配させるからと一切はなしていませんし。
職場で、仕事上の配慮のため数人の方には話していましたが、親友には話すことができませんでした。
いまでも、職場でたまたま親友になった人以外にはだれにも気持ちをはなすことができず、つらいことあります。
親友に話せないのは、20年来の親友も結婚15年以来不妊で2007年4月に念願の天使を授かったのですが残念ながら彼女も10週ごろに天使を空に返していたからです。
彼女のことを考えると、2人も子供を授かっているのに、伝えることでまた彼女の傷ついた心の傷口を開くようなことはできなかったからです。
それから年末がすぎ、また新たな、悩みが私たち家族におそってきたました。

2歳までは、それほど、周りの子と比しても遅生まれの分遅れていた程度だと思っていた次女が、自閉症かもしれないということでした。


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