CASSHERN


CASSHERN(キャシャーン)感想批評byマコトat福岡


2004年の最大の酷評映画CASSHERN(キャシャーン)を
マコトat福岡はどのように見たか。

CASSHERNを見て感じた事はどのような人間でも、
平和を求める心がある ということだ。

CASSHERNを見終って感動したシーンは
ブライ(唐沢寿明)が「見えない」と言いながら死んでいくシーンだ。
ブライが見るべきものは、愛する妻(鶴田真由)の姿のはずだ。
人間というのは生きている時、一番大事な事を忘れてしまうのではないか。
他の新造人間達が見えたものが、ブライだけ見えなかった。
切ないシーンです。


CASSHERN(キャシャーン)を見ました。ネタバレありまくり 04月28日(水)
テーマ「おすすめ映画(732)」
私は2時間以上の映画を見る体力はない。
今回CASSHERN(キャシャーン)は2時間20分ぐらいあると映画情報で知っていた。

2時間以上の映画を見るコツは、映画の音楽、音響に耳を傾けるのだ。
よほどアホな監督でない限り、観客に映画を見るのを飽きささないため、音には細心の注意を払い、作り込んでいるはずだからである。

長編映画の上映時間のほとんどに、音楽はなり続けている事が多い。
その音楽に身を委ねる事が出来れば、映画を楽に見る事が出来る。

その作戦(?)が功を奏し、CASSHERN(キャシャーン)に楽にのめり込むことが出来た。

そして映画を見終ったときの感想は
この映画CASSHERN(キャシャーン)は傑作である。

印象に残る伏線が多い。
初めの白黒(?)の戦闘シーン。
天からの雷(イカヅチ)。
新造人間が死ぬときの「見えた」

そして作品の要は、盲目の東ミトリ(樋口可南子)、新造人間達に「死んではいけません」と言う、の存在である。
全ての人の平和を東ミドリが象徴していた。
そして最も悲しい事は、ミドリの夫、東博士が自分だけの独善的な幸せしか見えていなかった。

新造人間ザグレー(佐田真由美)、バラシン(要潤)、が死ぬ時見えたものは、平和の原風景であろう。
この風景はミドリの感じる心の平安に通じるものがあったはずだ。

ブライ(唐沢寿明)が「見えない」と言いながら死んでいく。
ブライが見るべきものは、愛する妻(鶴田真由)の姿のはずだ。
このシーンが私が見ていて一番胸につまった。

白黒シーンの辺境のシーンこそ、この物語の始まりだろう。
オリジナルという人類の存在。
東鉄也の戦闘参加という原罪の場所。
新造人間達の故郷。
キャシャ-ンという守り神の存在。
話の根っこがここにつまっている演出は素晴らしかった。

多くの登場人物の見える世界の違いを上手く描写していた。
東鉄也/キャシャーンとルナの抱き合うときの、同じセリフでも、お互いの世界の違いを感じるシーン。
アクボーン(宮迫博之)の人形劇(?)のような世界。

天から地上に突き刺さる雷は希望という力、つまり、これが監督のメッセージであろう。
キャシャーンとルナが最後に雷となり、他の星の地表に突き刺さる。
観客にこの雷が突き刺されば、この作品は成功である。

そして私にはこの雷が刺さった。

ファンタジー作品と見て、
CASSHERN(キャシャーン)は傑作である。


CASSHERN(キャシャーン)、また投稿。ネタバレあり 04月29日(木)
テーマ「おすすめ映画(732)」
キャシャ-ンを見て、少し否、実を言うとかなり分からない所もあり、いろいろなサイトで確認したのですが、やはり分からなかった。

たったひとつの生命(いのち)を捨てて、生まれ変わった不死身の体。
鉄の悪魔を叩いて砕く、キャシャーンがやらねば誰がやる!

天からの雷はこの言葉を象徴していると私は思ったのですが。
だから、ラストシーンでキャシャ-ンとルナが雷になり、他の星に突き刺さったと思ったのですが、考えすぎだったのだろうか?

この雷は希望の力として、星から星へバトンのように受け渡されていくのだと思ったのだが。

不死身な体は雷。
鉄の悪魔とは人間の憎しみ、他人を許さない心。
キャシャ-ンとは希望そのもの。

という事だと思ったのですが。
だから普通の人間が雷の力で、スーパーマンのような力を得たのだと思ったのですが。
ルナが復活したのは雷の力というより、雷そのものになるために復活したと思ったのですが。

そしてこの作品が気に入らない人は、この作品のテーマが押し付けがましく感じたのではないか?
私はそのようなテーマを半分聞き流して、映像の奥にあるのもを感じていた。

映像の色彩は美しくなかった。色味がハッキリしてなかったです。
webページの映像は綺麗でした。
しかし、劇場でキャシャ-ンの予告を見て綺麗でなかったので、映像美に関しては予想はついていました。
他の劇場は綺麗なのかなぁ?

内容は賛否両論というより、私だけ映画の見方がおかしいのだろうか?


三たび、CASSHERN(キャシャーン)について 04月30日(金)
テーマ「CASSHERN(キャシャーン)(2)」
今日は「離婚弁護士」の予定でしたが、またまたCASSHERN(キャシャーン)について書きます。

同じものを見て、感じる事、考える事は人によりさまざまだな~、と実感しました。

よくよく考えてみると、私は映画を自分の好みに受け取る見方をするようである。

この作品は私にはとても見やすい映画である
盲目の東ミトリ(樋口可南子)が平和の源であり、オリジナルの新造人間達の接点であった。

これは新造人間ザグレー(佐田真由美)が死ぬ時見えたのが(観客にはミドリの姿で)平和な憧憬であろう。
バラシン(要潤)が死んだとき見えたのは、父親の姿であろう。

ブライ(唐沢寿明)が「見えない」と言いながら死んでいく。
ブライが見るべきものは、愛する妻(鶴田真由)の姿のはずだ。

それぞれ違う新造人間達がミドリという同じ出口を作る事により、この作品は筋が通っていて見やすかった。

雷については先日書いた通りである。(他の意見があるなら、教えて下さい)

この映画を通じて観客は何が見えたのか?
監督の狙いはこれではないのか?

では他の人はこの映画のどこが駄目だったのだろうか?
恐らく、監督の押し付けがましいメッセージだと思う。

皆さん必要以上に映画を見すぎではないか?
私は半分以上聞き流していた。不快感をおぼえたら、聞かないのが良い。
しかも、長セリフのシーンでは映像は別の事を写していたはずである。
私には全くメッセージは届かなく、映像表現が心に感じていた。

私はCASSHERNの映像は表現が出来ていたと感じる。

ひょっとして、私はCASSHERNを見て、アクボーン(宮迫博之)の人形劇(?)のような世界を一人感じていたのだろうか?

許しあう心が必要と主張する者が
実は人の妻を殺す側にいた。
色のない戦闘シーンは、キャシャ-ンの原罪を背負った場所だ。

幽霊の東鉄也を見つめるブライ。
このシーンでこの映画はファンタジーかな?と思いました。

蘇る東鉄也と死んでいくミドリの助手。
上手い対比でした。

ザグレーとCASSHERNの戦いは早くてついていけなかった。
以前はマクロスの戦闘シーンでもついていけたのに、年をとったものだ。

雪山の中に軍事ロボット工場があったのは、以前は普通の山で、ある小国が軍事ロボットを製造していた。
自然環境の変化により、雪山となり人が住めなくなった。
というように思ったのは私だけかな?

そういえば、アクボーン(宮迫博之)の人形劇(?)クレイアニメ(?)のシーンがよく分からなかった。
アクボーンの心、現実の見え方を表していたと思った。
黒い鳥(?)が城に飛んでいたような。
私の脳裏に焼き付かなかった。
そういう時はそのシーンを気にしないで、流して見る。
後でその意味が分かる事もある。(まだ分かってないが)


一番の疑問は、あの時計である。
どうしてキャシャ-ンは時限装置だと分かったのか?
ここが一番納得出来なかったです。

ラストの戦闘シーンは「イデオン」の全方位ミサイルを思いだしました。
懐かしい。

人々の希望の魂がキャシャ-ンとルナに集まり、それが雷となり、他の星に飛び立っていった。
この荒廃した惑星が美しい星になる事を願っているのではないか?
憎しみの心が人を許す心になるように。
私には雷がこのように見えた。

あまり深く考えないタイプですが、3日もキャシャーンなので、一応挙げときました。

CASSHERNは見どころ満載だと今でも思っている。
私の場合は私好みのシーンを受け取る事が出来て良かった良かったです。


四たびCASSHERN。(これで最後。多分) 2004年05月01日
酷評の荒らしと思いきや、楽天では評価してくれる人がいて、とても嬉しいものである。

しかし、喜んでばかりはいられない。
悪い点は当然ある。
私は良い所しか見ないようにしているからな~。

悪い所は幼稚な主義主張と陳腐なセリフの長さである。(でしょ?)
私は聞き流したが、気になる人は気になって、作品にのめり込めないようである。

「人間はなぜ争うのか?」
この重く普遍的なテーマを、CASSHERNは描いていた。
え?
私はそのようなテーマはあまり感じなくて、映像を見ていた。
CASSHERNの嫌いな人は映画を見ている時、映画のテーマを見つめてしまった人だろう。
そして、見ていてスカッとする映画を求めていたのではないか?
私は予告を見ていて、スカッとする結末は予想してなかった。

音に身を委ね、映像を見ていた。

映像を見ていれは、しっかりと表現が出来ていた。
映像を表現するには、いろいろあると思う。
その1つは、同じ事を繰り返す事である。
同じ映像だが、中身の意味が違う。

色のない戦闘シーン。
東鉄也の戦闘。
辺境の地でのCASSHERNとバラシン(要潤)の戦い。
実はこの土地が新造人間達の故郷。

ミドリが木の側に立つシーン。
憎しみにかられた人間でも心の片隅にある、平和の風景。

雷。
新造人間達が蘇る謎の力。
ラストにCASSHERNとルナと全ての人の希望が雷となり、他の星へ旅立つ。(この解釈は正しいのか?)

「見えた」
誰の心にも平和を求める部分が必ずある。
これがCASSHERNを見てもっとも強く感じたことである。

同じシーンでも見る角度により多様な意味になる。

言葉で語るより、映像の描写が大事である。
CASSHERNは話過ぎで、映像の表現もあった。
私は不必要と感じた部分は聞いてなかったので、CASSHERNは面白いと思った。

紀里谷監督には、この次はスカッとする、説明無用の娯楽作品に挑戦して欲しいものである。

夜寝る時、NHKでスタンリーキューブリックのドキュメンタリーを放送していた。
シンプルで奥行きのある映像。
気を引くリズムと流れるような音響、音楽。
時間の流れる間合いが絶妙である。(人が真似出来ないものだろう)
天才とはキューブリックのことをいうのだろう。

CASSHERNについて、私の言いたい事は全て言い尽くしたようである。
再び映画を見れば、また多くの発見があるはずだ。(見ないけど)

次見る映画は「キューティーハニー」である。
今度は楽に見れそう。

かなり疲れたので、明日からは「セーラームーン」を久しぶりに書いていこう。
「デカレンジャー」も書いてないな~。ジャスミ~ンLOVE.


戦争と戦闘行為 05月03日(月)
テーマ「CASSHERN(キャシャーン)(74)」
最後に気になったのが1つあります。
CASSHERNの主人公が戦争について主義主張をする所です。
私は全く聞き流していました。

戦争とはなんだろう?
と私は考えていたのかもしれない。

それは、CASSHERNには戦闘行為はあるが、戦争はないように私が無意識に感じていた。

戦争の始まりというのは、戦闘行為の前に対立する国に対して、エネルギーや食料の輸出を制限して、経済的にも圧力をかける。
これも戦争だと私は考えているのだろう。

そして戦争をするには莫大な費用が必要で、借金をしなければ、とても戦争ができない。どの国に借金を頼もうかがとても重大とか考えます。

そして、対立する国に侵攻したら、まずはじめに、マスメディア、放送局を抑えて、情報を管理すると思ったのですが、今の戦争は違っていたようでした。

私の戦争の考え方は古いのかもしれない。
もう少し、歴史や現代の戦争?を勉強する必要があると感じる私でした。

結論として、私は戦争というのがよく分からないということです。

CASSHERNの主人公が何を言ったか、聞いてない私でしたが、これほど思い出に残る作品はあまりないと思います。


CASSHERNの出演者で誰が一番良かったか? 2004年05月03日
5月3日は、大雨の中の博多どんたくを見て、歩き回り、楽しかった。
大丸、市役所、IMS、岩田屋と歌を歌ったり、楽器を演奏したりと大騒ぎ。
この雨の中の人の多さに驚きました。
しかし、疲れた。

よって予定を変更してCASSHERNの出演者で誰が一番良かったか?にします。

唐沢、ミッチー、宮迫と皆さんがおっしゃるように良かったです。

しかし、私がこの作品の核と成り、印象に残ったのは、樋口可南子でした。
彼女の存在が新造人間達とCASSHERN側と結びつける存在で、私は彼女がいるから、この映画を退屈しないで見る事が出来たのだと思います。

こう見ると主役のCASSHERNは損な役回しだな~。
主役に幼稚な主義主張を言わしてしまったため、印象が悪くなってしまった。
このような言葉は、主役に言わせず、狂言まわしにやらす事である。

そう考えると、確かに脚本は良くない。
しかし、編集は私には筋が通り、酷いとわ思わなかったがな~。
それは、あまり最近映画を見ないせいか、他の映画と比べる事が出来なくて、あまりCASSHERNを異質な映画と感じなかったせいなのかの~。

5月4日は笑っていいともで要潤君が出るので、楽しみ楽しみ。


これからCASSHERNを見る人への注意点 05月05日(水)
テーマ「CASSHERN(キャシャーン)(74)」
ディズニーのような商業映画、娯楽映画が好きな人にはお勧めできません。
CASSHERNは受動的に面白さを与えてくれる映画ではない。
観客が自分で映像の断片を繋げることをしなければ、面白くなりません。

ヒーロー物が好きな人にはお勧め出来ません。
主人公はあまり強くないです。
敵側の新造人間達のほうが私は魅力的に見えました。

主人公が自ら青臭い熱弁をふるいます。
これで主人公に感情移入しにくくなるかもしれません。

小学生にはお勧め出来ません。
残酷や暴力の刺激の強いシーンが多いためです。
CASSHERNは刺激と希望を与えています。

映画を見て、全てを理解しないと気が済まない人にはお勧め出来ません。
理解出来なくても、流して見ることが出来る人なら大丈夫です。
私もいまだにハーレーション(?)効果が分からない。(気にしない)
変な丸い記号は何となく、後で分かった。(見ている時は気にしない)

そして私の個人的な感想ですが、
編集は上手いと感じました。
監督が描写したいことに一貫性があったと思います。

脚本は確信犯に近いものを感じました。
観客から反感をかっても構わないと思って、書き上げたと思います。

映像はwebページの予告は綺麗でしたが、劇場では色味がぼけていたと思います。
もちろん画面構成は上手いです。

雷やモノクロシーンなど
今まで散々語ったので、そちらのほうを読んで下さい。

CASSHERNは私にとって、今年一番の話題作になりました。
こんなことになろ~とは。

CASSHERNは2代目なのか?(ネタバレあり) 05月06日(木)
テーマ「CASSHERN(キャシャーン)(94)」
CASSHERNのネタはもう尽きたので、今日は別の内容と考えていた。
しかし、公式ホームページのbbsを見ていたら、とても興味を引くものがありました。

私はアニメのキャシャーンを見てないので、分からないのですが、以下の事はつじつまが合うのでしょうか?

劇中の台詞の中で、第7管区の老医師(三橋達也)が話していた
「昔キャシャーンという守り神が、人類を守ってくれた。」
という台詞で、過去においてアニメ版キャシャーンが存在していたということも解釈出来ます。

そして、ブライ(唐沢寿明)達がたどり着いた雪山の中の城は、過去においてアニメ版ブライキング・ボスがいた事が推測できます。
だから、軍事ロボットが製造出来たのではないでしょうか?
(アニメ版ではブライキング・ボスの城はどうなったのでしょう?)

上月博士(小日向文世)の研究室に飾られていたアニメ版キャシャーンのヘルメットの側には戦国時代の兜などと並べてあったので、これは鉄也のために作られたものではなく、過去の戦士達が身につけていたものとして飾られていた、という解釈もできます

巨大な神(キャシャーン)?の像がでてきますが、ブライ(唐沢寿明)の顔に似ているように私は感じてました。
ブライ(唐沢寿明)の先祖はアニメ版キャシャーンなのでしょうか?
これは考えすぎかな。
アニメ版キャシャーンは新造人間のまま終ったようですが、この解釈は難しいのかな?
だからブライ(唐沢寿明)があの名セリフを語っている。

こう考えると、かなり奥が深い作りになっているな~。
考えすぎかな~。


なぜ蘇ったのか?(ネタバレあり) 05月08日(土)
テーマ「CASSHERN(キャシャーン)(111)」
ラストで東博士からルナは撃たれて死にます。

その後、ルナは蘇ります。

CASSHERNとルナは抱き合い、消えます。
その次のシーンが雷が宇宙を駆け巡り、荒廃した星に突き刺さります。

なぜルナは蘇れたのか?

上条中佐(西島秀俊)の言う事が正しいならば、新造人間達は普通の人間ということになります。

ではどうして、あのような超人的な力を得る事が出来たのか?
それは、雷の力のためだと思います。
新造人間達の発する丸い記号のようなものは雷の力を象徴しているのではないでしょうか?

ルナが蘇ったのは、正確には蘇ったのではなく、雷になったのではないでしょうか?(正確にはルナとCASSHERNが雷になった)
ルナとCASSHERNが消えた後、雷のシーンになったでの、このように解釈しました。


希望を象徴したのが雷。

荒涼とした星は人を許さない心、憎む心を表している。

荒廃した心に希望の雷が突き刺さった。

これが最後の意味だと感じました。

他のサイトの意見を見たら、違うな~。

この意見の多さがCASSHERNの面白い所なのでしょう?
以前にも書いた事ですが、もう一度書いておきました。


CASSHERNの悪いところを考えた 05月10日(月)
テーマ「CASSHERN(キャシャーン)(127)」
私個人的にはCASSHERNという映画は楽しめた。
これだけ持ち上げたのは、評価があまりにも低い意見が多かったからです。
誉めるべきところは誉めても良いと思い、今まで書いてきました。

しかし、他の人の評価を見るまでもなく、娯楽映画、商業映画としては、明らかに失敗である。
CASSHERNのような作品は日本映画全体の1割以下でなければ、日本映画の未来は暗いと思う。

これから映画監督を目指す人はCASSHERNを見習ってはいけない。

これは押井守監督「イノセンス」の時感じたのと同じなのだが、2人とも演出に自信がないためだと思う。
とりあへず、映画に未消化でも多くの情報を詰め込めば、一部の観客を飽きさす事はない。
映像として、目を見張るシーンがあるので、私のような観客には、とりあへず、許してもらえる。

消化不良のシーンがあっても、1つでも良いシーンが観客に残れば、映画作品としてはとりあへずGOODである。
私はこのような考えで映画を見るが、映画監督が初めから、このような考えで映画を撮るのは危険である。

映画というのは大衆を楽しませなければならない。
映画を見ている時、観客を退屈させるのは、重大な過ちだ。

映画を作る人は、いつも映画を普段見ない人のことを考えて作らなければならない。
自分が優れた映像を作っても、全く伝わらないことがあるという事を知った方が良い。

ジュラシュックパークのような恐竜の肌の質感の優れた映像を見ても、全く興味を示さない人が、映画を見る人の大部分だと思う。

映画監督を目指す人は、多くの人が何を求めて1800円払い、映画を見に来るのかを常に考えて欲しい。
映画関係者達の評価を考えるより、観客の事を考えなければ、日本映画に未来はない。
観客に露骨なメッセージを伝えたり、説教をたれだしたら、もはや終りである。

どのような映画を目指すべきなのかは、CASSHERNにも良い所があるので、それについては明日書こう。

CASSHERNは多くの要素が詰まっていて、映画について話すには好材料かもしれない。

CASSHERNの映像表現、構成力について 05月12日(水)
テーマ「CASSHERN(キャシャーン)(140)」
自分の世界観を映像に詰め込める手腕は相当優れている。
この映像センスは他の人には真似の出来ないものである。

この映像の良さがCASSHERNの評価を賛否両論にしているといっても過言ではないだろう。
つまり、同じ内容で映像が並だったら、かなり評価は低いものとなっただろう。

最近の日本映画を見ていないのだが、日本映画で人物と背景のバランスがしっかり計算されている作品は少ないと思う。
私の記憶ではテレビ版「必殺仕掛人」梅安(緒形拳)と映画「天城越え」が良かった。

照明の評価は別であるが。(今と20年前は照明の使い方がまるで違うと思う)
(もっとたくさんあるだろうが、あまり映画見てないので)

紀里谷和明 さんは間違いなく、映像のセンスはずば抜けている。
自分が具体的に求めた映像のイメージにかなり近く、表現出来たはずだ。

現実を舞台にした作品ではなく、誰も見たことのない架空の世界をものの見事に描いたと思う。
衣装、美術、背景と調和がとれた世界を表現していた。
これは凡人では出来きる作業ではない。

照明についても言いたいことがあるのだが、私の見た映画館は色味が薄い、ある意味、ピンぼけ状態であった。
本当に他の劇場では映像が綺麗だったのだろうか?
これが一番気になるのだ。


CASSHERNの構成力
この作品はCASSHERNが主役というより、群像劇だと見ている時、判断した。
(CASSHERNが主役と信じていた人は裏切られた気分だろう)

群像劇としてはとても上手く出来ていた。
これは前にも書いたが、ミドリが新造人間達とCASSHERNを結びつけていたからだ。
そして、新造人間達も同じ心で繋がっていたので見やすかった。
(「見えた」という所です)

そして、編集であるが、もう憶えてない。
もう一度見る気力がない。

テーマだが、反戦ということなら、私にはまるで届いていない。
映画を見る時、このような事は興味ないからである。

やはり私は映画を自分なりに面白くしようと無意識に考えて見ているのだろう。


人はなぜ戦うのか? 2004年05月17日
TVCMでの宣伝が変わっていた。

CASSHERNという作品のテーマは、人はなぜ戦うのか?だったのか?
私には、そのように感じなかった。
おそらく、私にとって、人はなぜ戦うのか?ということは、それほどの説得力を持って映画では描かれてないかったように感じた。

私が感じたことは、
人間の憎しみを無くすのは難しい。
しかし、憎しみを和らげるのは、心の片隅にある平和な風景にある。
人間なら誰でもそれらを持っていて、普段は気付かないだけではないか、というように感じた。

そして憎しみを無くすことや人を許すことがいかに困難かということを感じた。
ルナが父親から撃たれた後のCASSHERNの行動を見れば、人を許すことは難しい。

それでも、希望を失ってはならない。
希望というバトンを次の世代に伝えることが大事である、
というのがCASSHERNのメッセージに感じました。

リセットする話には感じなかったな~。
よほど私は前向きなのだろうか。

もはやCASSHERNの内容を忘れてしまった。
一度しか見てないからな~。
見終った後、大人向けのファンタジー作品としては傑作だ、という感想だったような気がする。

CASSHERNは人により受け取りかたが多様であると思う。
もう一度見たら、また私の感想が変わるかもしれない。




時たま、訂正加筆したいと思う。


監督
紀里谷和明さんのホームページ
KIRIYA.COM (画面がフルサイズになります)
今回初めて紀里谷さんの写真を見ました。

才能があるな~。

私はこのようなファッション写真(?)に興味はないが、かなり計算して写真を撮っているようだ。
色彩のテーマを決めて、自分のイメージにそくして写真にとりこんでいる。

さらに驚くのは写真にコンピューターに修正を加えている。
KIRIYA KAZUAKI:Feature

これらの写真は初めから計算出来るから、撮れる写真だと思う。

逆に、計算出来ない室外の写真だと出来ないのではないか?

CASSHERNでも、撮影のほとんどが室内だったようだ。
私が感心するのは、スチール写真では無機質な姿と表情のものが多いが、映画では役者の表情をしっかりとらえていたと思う。

紀里谷さんは自分の出来ること出来ないことを、しっかりと把握して仕事をしているように感じた。

私など、写真を撮る時、ピントも合わないからな~。
正直羨ましい才能である。

主役より敵役が目立ってしました映画。
私はキャシャーンには思い入れがなく、群像劇として見れたので満足しました。

唐沢寿明asブライ
唐沢寿明の所属事務所 
研音 KEN-ON Group Official Website

唐沢寿明は上手い役者になったな~。
私が注目しだしたのはテレビドラマ『ラブ コンプレックス』からだ。
Shes役者通信>TVドラマ
目立っていたよな~。
美男子でもないのに(大変失礼)、他を圧する存在感があった。
話はラストで空中分解したように感じたが、唐沢さんの怪物ぶりが印象に残っている。

CASSHERNは主役が物語を初めて終えたが
話の柱となるのはブライ(唐沢寿明)の存在感であった。
映画としての厚みがでた。
唐沢さんがいなかったら、映画のインパクトがなかっただろう。

Yahooムービー CASSHERN
インタビューを読んで、監督が「舞台のように演じてくれ」と指示があったようだが、このおかげでブライが目立ち、CASSHERNが地味になってしまった。
CASSHERNが老医師(三橋達也)の前で舞台のように演じるわけにはいかないからな~。

今、私がCASSHERNの映画を見に行ったら、
「うまちょびれ~~」
と言っていることだろう。

それにしても研音とは凄い事務所だな。
私の好きな伊藤美咲までいる。


三橋達也as老医師
いままでこれほどCASSHERNのことを書いてきたが、なんと三橋達也さんのことをまるで書いてなかった。

CASSHERNではともて重要な役どころでした。
老医師(三橋達也)が
「かつてキャシャーンという守り神がいた」
と主人公、東鉄也に伝えている。
これにより東鉄也が自分のことをCASSHERNと名のるようになった。

「この村を守ってくれるか?」
と東鉄也に頼む。
新造人間バラシン(要潤)がこの村を荒らしにくる。(だったと思う。忘れた)

バラシンがCASSHERNとの戦いに敗れて、
バラシンが「俺にも見えた」とつぶやく。
見えたものは、この村で育ち、父である老医師(三橋達也)を思いだしていたはずである。

ラストシーンで老医師(三橋達也)が死んだ息子バラシン(要潤)に近寄るシーンは、涙が出そうになった。

三橋達也さんはとても説得力のある役をCASSHERNで演じてくれた。
ありがとうございます。

三橋達也さんが5月15日午前零時29分、急性心筋梗塞(こうそく)のためお亡くなりになりました。80歳でした。
ご冥福をお祈りいたします


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