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2019.11.28
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カテゴリ: ミニマルに暮らす
今日は、昨日の日記の続きです。


「良いものを買う VS お手頃 なものを買う」。 


両者のミゾの深さは、絶望的であると、すずひは考えます。

歩み寄りは難しく、共通の言語あれど言葉通じず、平行線。


きっと、それでいいんだ。 いいんです。


歩み寄ろう!とか、話し合えばわかる!等は、ネットの世界では 押し付けと変わらない。


「みんなちがう。そういうものでしょ?」   ← この境地を、すこぶる気に入っている(笑)






クッキーの缶は、空っぽになったら「工具箱」にする予定です。 
MUJIのミニマルなドライバーセットのおかげで、中身、こんなにコンパクト ( ´▽`)ノ








ブログを始めて3年半。  48歳の今、わかったこと。

10年前のわたしに聞かせても、きっと「そうだね!」と思ってはくれない。

同じ「わたし」であっても 歩み寄れなかっただろう。



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最後の瞬間に「価値」があるればあるほど、

それと出会ったことが「いい思い出」になるという経験を、重ねました。


全てが美しい思い出になる、というとちょっと言い過ぎかもですけれど、
確かに、そういう感じが あるのです。

15万円ほどでした。

この秋の ワードローブの入れ替えにともなって手放した、服や、小物、バッグ。

その買取査定額、



およそ、 150000円  にもなっていたのです。



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懐具合、とか、経済的なこと云々よりも。 気持ちの上での満足度のお話なのです。

もともと払った金額はいくらなんだ! 


それは本当に野暮な話、だと思うの。 やぼ、というか ちょっと「ゲスい」? かな?

その服を どのくらい好きで、どのくらいのヘビロテをして、着るたび、見るたび嬉しくて、
着ている自分に自信を持つことができたか、そして似合っていたか、という 気持ちの価値。

なんどもなんども 幸せを与えてくれた 目には見えない力の価値。 

服の価値って、もともと ほとんどはそこにあるのでは? と思うのです。

その価値に対し、わたしはお金を払ったのです。

「心の満足度」を金額に換算することはできないけれど、
妥協することなく、本当に欲しかった服を買った時点で、もう「減価償却」は済んでいる。

もう、最初に 納得して払った。  喜びや、嬉しい気持ちという価値に対しての対価を。



  ***********************************


だから。 うんと大切にして、そして楽しんで。  

とくにわたしの場合は、全体の数が少ないがゆえに ものすごい頻度で着て。
もう、満足代ですっかり償却された気持ちでもって手放すわけですから・・・驚くわけです。

もう十分に使わせてもらったのに。 最初にもっと払っても妥当なくらいに着たのに。

こんなに高く買い取っていただけるんですか!? 

こ、こんなに わたしにお金が戻ってくるんですか!?   Σ(゚д゚lll)  と。


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家計もお小遣いも、安いものをホイホイ次々買っていた時の方が、苦しかった気がします。
お小遣いの貯金が底をつくところまで、使い切ってしまいましたから。

本当に嬉しいもの、本当に欲しいものを1つか、2つ買う。なぜそれができなかったのだろう。

安いものは、買いやすかった。 満足できないまま、惰性的な浪費に繋がった。

どんどん買いたくなるのです。 

必要だから、でもなく、素敵だから、でもなく、「安いから買う」という 謎の理由。

わたしの浪費が止まったのは、気軽には買えない服を、ちゃんと買うようになったから。


安物をいっぱい!! じゃなくて・・・  本当に好きなものを、少しだけ。



  *************************************



もともと価値のないものを買い、
ゴミとして手放したもの、別れたもののことって、いい思い出にはなりにくい。

「ウクレレ」のことも、この日記を書くに当たって、昨日思い出したんだけれど・・・

すっかり忘れてしまっていました。 思い出しても、悪口みたいになっちゃう。

写真もこのってないや。  

そういう買い方、捨て方ばかりだった。2015年の夏に捨てたものの殆ど全てがそうだった。

ベランダに、足の踏み場もないほど積みあげられたゴミぶくろを、呆然と見つめたあの気持ち。


一生 忘れない。


本当は、全部。 ここにある全部、大切な「お金」だったんだ。


手放しても1円にもならなかった。 当然です。 


だって、最初から「ゴミ」だったのですから。  価値のないものを買ったのですから。




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手放したバッグの査定額は、なんと「23000円」でした。
このバッグを大好きだった、大切にした気持ちを ちゃんとわかってくださった、
汲んでくださったような嬉しさを感じました。


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良いもの買う」VS 「お手頃なものを買う」。  

もともとそんなに価値のない気軽に使える「お安いもの」「お手頃のもの」を好む人と、
  (ここで言う価値とは、その人にとっての価値ではなく、相場としての価格のことです)
そういうものにはどうしても喜びを見い出せず、ちょっと良いものを持ったり使う暮らしを、
楽しみたい人。 楽しめる人。

VS なんてさせる必要ないことなのですが、
ここでは両者の違いをわかりやすくするため、あえて敵対させます。  戦ってもらうよ!(笑)


人は「考えて」ものを買うでしょう? 考えるのには、主に「脳」を使っているでしょう?


これって、だから「脳のタイプ」との関係も切ってもきれないお話、のように思うのです。
なんだろ。 お金持ちとか、節約、とかそういう次元だけでは語れないところの仕業。


この御本が、わたしに教えてくれたこと。






男性脳と女性脳の違いと、買い方の違い。 これは とてもよく似ている。

ものごとの捉え方や、とっさに選ぶ対話方式が  「事実の文脈」 「心の文脈」 か、という話。

とっさに選ぶ、そして納得・安心する、脳が「これでよかった」と感じる買い方の違い。



【 事実の文脈優勢派:主に男性脳 】
事実を客観的に明らかにして、合理的かつ迅速な問題解決を試みる。
心や感情に関わる発言や会話は、得てして「我が強くて頭の悪いもの」に映る。

事実や現実性を優先して買う人。
いくらで買ったものを何回着たから1回いくら。 元を取れた! これは取れなかった!
使用頻度が低いものならば、高価である必要はない。というような「実用性重視」の買い方?

【 心の文脈優勢派:主に女性脳 】
心の物語を語り尽くしたい。
自分の側からしか語らないので、客観的公平性は、ない。
                  (しかも ちょっと盛る・笑)
事実の文脈でしかものを言わない人に対しては、冷たくて朴念仁だと思い込む。

憧れのバッグを持てて幸せ!ワンピースを着られて、嬉しい!という
「心の喜びを」優先する、という買い方?


生物学的な性別とはあまり関係なく。どちらか寄りの脳を、人は、それぞれに、持つ。


使いやすさ重視派。 経済性・質実剛健!! な、  男性脳。

感情重視派。 心の脈略。 憧れのあのバッグ ♡  ああ、 女性脳。


そんなお互いを、互いに見ていて思うのは。 おそらく。


「なぜ そんな無駄に高価なものを?」 VS 「なぜ そんなこだわりのカケラもないものを!?」



両者のミゾは・・・ マリアナ海溝のごとく  深いぞ ヽ(;▽;)ノ



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脳だけでなく、「性格」や「個性」も 大いに関係している。

誰とでも仲良くなれるよ!っていうフレンドリーな、
他者との間にあまり壁を作らないタイプの人は、
もの選びに対しても なんとなくそういうところがありますね。 

そんなの無理です!「本当に仲良くなれる人」というのはとても限られています!
付き合いが長くなればなるほどわかってくることなんです! というタイプの人は、
もの選びに対しても、えらく慎重であったり、とことんこだわるところがある。 

そんな両者の歩み寄りは・・・ もう、最初から諦めたほうが いいよね ヽ(;▽;)ノ



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人は人。 ものはもの。 違うのよ。

どんなにそうはいっても・・・

本質的な付き合い方って、やはり、見てると どうやら 多くの人が 一致している。

もの選びがおおらかな人は、人付き合いも、おおらか。

もの選びが慎重な人は、 人付き合いは もっともっともっと、慎重。


わたしは 明らかなる後者だ。




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わたしが 服を、靴を、バッグを、えらくこだわって選び、
そしてきれいなうちに、価値のあるうちに手放すのが「信念」だとまで語るのは。

ものを、とても愛しているからだ。

テキトーに手に入れたり、雑に扱ったり、
極め付け「実はそんなに好きじゃない」などと密かに思ったりしながら一緒にいることが、

ものでも、人でも、ツラいの。  まっすぐに、心底愛せるものとだけ、一緒にいたい。


手放す時、失う時、別れの時にこそ 改めて、気づかされると知った。


だから。  もう妥協したくない。


最後がどうでもいい別れになってしまうような「もの」を、「こと」を。 

わたしは、わたしの暮らしの中に、もう、所有していたくないのです。



  ************************************



冷酷な人だと思われたくなくて、

「ものと人は別!」と思い込もうとしたこともあったけれど、なんか、無理があったな。

もちろん厳密には違うんだけれど、どっちも「本当の愛」がないと、わたしは付き合えないです。

同じです。 わたしの中では。 冷酷なのではなくて、同じくらい大事、ってこと。  

どちらにも同じ愛情と情熱を持っているし、
どちらも同じようにわたしの人生に影響を及ぼしてくれる、ってこと。

幸せをもたらしてくれるのも 「もの」「こと」、そして「人」ですし、
苦しみや後悔、わたしを傷つけることがあるのも「もの」「こと」、そして「人」。


区別してるほうが、不自然だったわ。  

区別するほうが、よっぽど傲慢で冷酷だった。 と、昨日、気づいてしまった。



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金運の味方!我が家の通帳ポーチ & 黒い物体を撮影するときの頼もしいおとも、コロコロ。





安いものを買っとけば よかったのか。

高いものだったけど、これを買って よかったのか。



一緒に過ごせた時間は幸せだったなあ、って 最後の時こそ、思いたい。   


この出会いに価値があったか。 

ともに過ごした日々は、輝いていたか。 

お互いを高め合うことができていたか。そこに満足が、幸せがあったか。



手放す時に、別れる時に、
そして思い出した時に「悪口」ばかりが浮かぶのは・・・なんにしたって 悲しいものです。


「本当は重かった」とか、「本当は使いにくかった」とか「苦手だった」とか、

あげく 「実は最初っから大して気に入ってなかった」 とか、ね。 なんだそれ、という話。


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きちんとしたものを、臆することなく自分に与えられるようになれたことで、
高いからこそ妥協することなく、慎重に慎重に吟味できるようになったおかげで、

最初っから違和感があったのよ、というような失敗は 極めて起こりにくくなりました。


最後まで好きで、手放す。 これって、理想的です。


きれいごとかな?  いいのです。 「きれい」なんだもの。 汚いより、ずっといい。

誰からも見向きもされないほど価値を失って、ゴミみたいに手放す気持ちは、

若い頃に、もう 十二分に味わった。  

だから、これからは、もう そういうのは、いい。


ものも。 ことも。  人も。   そして、「ブログ」も 大切に 愛していたい。


きれいごと。 「きれい」なこと・・・ 万歳!!!




 **********************************


価格が高いと、「長持ち」をつい期待してしまうところが、若い頃はありました。

そうでなければ大損ですよ!(金返せ)!! と (笑)

大好きで購入したものが長持ちするかどうか、は、
わたしの中では、今はさほど重要なことではありません。

長持ちすれば嬉しいですけれど、使用頻度で そんなの全然変わりますもの。

全然使わなけば長持ちするでしょうし、大好きで いっぱい使えば、はやく傷む。


そういうものでしょ?


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全ての出会いは 「一期一会」。  

だから、大切にしたいです。  出会うことも。  別れることも。

「初めから価値などなかった。」 (そして最後まで価値がなかった)

そういう悲しいもの、つまらないものを もう敬遠したい、というこの気持ちは 恐らく・・・


この年齢に、「48歳」になったからこそ、の気持ち。


人生は残り半分だ、ということを、なんとなく意識しだしてからの気持ち。 

若い頃は、そこまで思わなかったです。 色々と 無駄に耐性(笑)がありましたから。

50歳からの人生は、もう、そんなに強くある必要はない。 耐えるとか、キツい(;_;)


心地よさに、できることなら囲まれて、包まれていたいじゃないですか。


心地よい「もの」「こと」。  そして・・・・「人」。



ここまで、うんと頑張ったのですから。



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人生100年と言われます。


寿命が50年だった頃の時代と比べたなら、わたしたちは人生を2回与えられたようなもの。

健康であれば、の話ですが・・・ わたしたちは 昔の人の 2倍 生きられる。


1回目の失敗を、そのまま漫然と繰り返すような「2回目」には、したくないのです。


いつまでも同じ失敗していたら、自分で自分に 恥ずかしいでしょう?



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そんなわたしの価値観のお話。 人生の価値観のお話、でした。


いつにもまして、どなたからもわかってもらえなさそうな話だな、という気がして、

小石を蹴とばしながら とぼとぼ歩くような気持ちで 書きました。


ほんのおひとりだけにでも、わかってもらえたなら、嬉しい。







                                   おわり







今日も読みにいらしてくださって、ありがとう。
ここからの人生も、ここで逢えたら。このブログをずっと続けることができたら、いいなぁ。

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「すずひ尺」の長い日記・・・ こうして最後まで読んでくださって、いつもありがとう。















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最終更新日  2019.11.28 18:49:13


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