Serene state of mind

Serene state of mind

2010.11.02
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カテゴリ: ライブレポ
前編より続きます

"ここからたっぷりやっていきます"
ここからは終演に向けて・・・" 途中、ランナーズハイになる瞬間を見抜いてください "
―ここからは新旧取り混ぜて
Fly By Night 」「 (?) 」「 (?) (?)
"リハーサルでは一気に続けてやるつもりだったけれど、無理ってことが分かって休んでます"
→"この曲は関西から盛り上げてもらった"
 "もうやっちゃいます"
Take You To The Sky High
→「 浜辺の歌 」―になってもちらほら紙飛行機が舞う

【アンコール】
角松1人戻る "ありがとうございました"
レコード会社との契約の都合で「オリジナルを引っ提げてのツアー」はしばらくない。
音楽ファンと一般大衆の中で"音楽ファン"に支持されている彼
"一般大衆に知られないまま30周年"

アルバムのクオリティーとコンセプトにこだわって、アルバムはトップ10に何度も入りつつシングルヒットはなく・・・
20周年記念ライブの1日が台風で飛んでしまいリベンジ、25周年も横浜アリーナ。
それでもいっぱい入ってくれた・・・という話
―で、イベンターに"ヒット曲がないのに横アリにいっぱい来てもらえるっていいじゃないですか"と諭された。
―で、" 来年6月土曜日吉日、横浜アリーナで30周年ライブ決定 "

今回はこういうことがないように "開演4時半"―余韻に浸れる余裕を作る
+ " 「あえて」オレが歌いたい曲だけ歌う "
自分が気持ちいい曲がお客さんが求めている曲とは限らない
+ 色んなバックミュージシャンもいるがゲストはなし
"ぜひとも近畿地方からもご参加を"
→メンバー紹介
"Sky Highも浜辺の歌もやっちゃいました"
考えあぐねて"これしかないか"と。"しんどいけどやります"
30周年のイメージにぴったり、しかし無意味に長い
もう一度・・・and Then

"どうもありがとうございました、そしてお疲れ様でした・・・座っていいです"
→ 久々に、ニューアルバムのリリースがしばらくない +来年30周年
ということで、デビューするきっかけになった曲
30年以上前、アマチュア時代にこの曲のデモがきっかけでデビューにつながる
―当時のプロデューサーも去年他界・・・
当時19歳、高校時代の友人が悪い年上の女にだまされて、彼を慰めるべく書いた曲。
その友人が今年結婚、奥さんは47歳の角松ファン
―しかし同時に会社をリストラされ・・・奥さんは働いているが、今は彼は主夫。
また彼を励ますべく・・・"19歳の時に作った「 Still I'm In Love With You 」"
→「 No End Summer 」 →メンバー紹介
全員退場後も拍手は止まず・・・

【モア・アンコール】
"今日はどうもありがとうございました"
See You Again
"おかげさまで今年50歳を迎えることができました"
先に彼岸に渡ってしまった友もいるが―色んなバンドで色々出来て幸せ。
またオーディエンスとの出会いも自分の喜び。
色んなブレイクポイントで"あれはあれでよかった"と思えるが、自分でガッツポーズできるような達成感はまだない。
なので、 やってきてよかった、というガッツポーズができるような目標を作った・・・
"どうか、今ここにいる皆様だけでも見届けてやってくださいまし"
その出発点が30周年ライブ
" 来年6月、横浜アリーナでお待ちしています "

【PropellerPlane】2010


私にとって角松さんは後から知った人だし、ライブに行っていないブランクが結構ある―ことも白状済。 (2009.10.28参照)
それで SING LIKE TALKING/佐藤竹善 さんや SALT さんに比べて聴いている絶対量は少ないのは事実だし、もしも今回本当に" 青二才お断り "だったら入れてもらえたかもらえなかったか
―でしょうが、今はライブに行ったら行ったで彼らと同じくらいインスパイアされている―ように思います。
そんな私を見て母は"(娘に)角松を取られた"なんて言っております。
Summer 4 Rhythm 」の時はライブに行っていませんが―この時のライブの様子は、行った方におうかがいしたいです。 (鍵をかけていない時にでも)

今回たった1点だけどうしても不満だったのは―角松さんのMCが結構早口なこと。
おかげさまでFavoriteでの紹介のヒントや英訳ネタは十分手に入りましたが―メモが大変で、話についていくのもちょっと苦労でした。 (2010.10.3および2010.10.26参照)
今回もう1点発見:角松さんのライブに一時ぱたっと行かなくなった後、SLTサイドのサポートミュージシャンつながりで国内の音楽への興味は興味はJ-POPからJ-Fusionにシフト。 (2010.5.7および2008.11.5参照)
それに伴い21世紀に入ってから"変なコード" (ピアノで4つの音を弾く和音や、テンションコードとか言われているやつ―etc) を曲に多用するようになったのはおそらく角松(ファミリー)のせい。

角松さんにとって" ガッツポーズができるくらいの達成感 "とは何なのでしょうか・・・
来年6月の横浜アリーナの30周年記念ライブには―果たして初めての遠征をすることになるのか、まだ決めていません。
(好きなアーティストのライブを観に遠出することはあっても京都止まり)
新しいオリジナルを引っ提げてのツアーはしばらくなさそうということですが、どんな形であれ次にライブに行けた時も、新たなインスピレーションをいただくことでしょう。
ちなみに、松原秀樹さんがジャニーズ出身だったとは2007年まで知らなかったのでございます。





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最終更新日  2010.11.02 19:30:19 コメント(2) | コメントを書く


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