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2007.07.16
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カテゴリ: 職場の話




速報で、最初に津波注意報が流れ、何のことかと思ったら…


また新潟でした。


実は私、3年前の新潟の地震のとき、災害派遣に行ったんです。


と言うのも、当時陸上自衛官だったわけで…


そのときの体験がよみがえってきました。


長々と、思い出したことを書いてもいいですか…?














当時私は名古屋の駐屯地に勤務していたんですが、


いろいろと事情ありで本当は管轄外の新潟へ、私の部隊が派遣されることになったんです。


当日夕方、外出から戻ると非常呼集。


どうしてか災害派遣はいつも休日に起きるようです。


夜中12時ごろだったか、第1陣出発。


我が部隊は炊事&給水班。


はじめはトイレなどの設備が整っていないことなどから、


女性自衛官はあまり派遣されないんです。


でも派遣も長期にわたり、1週間ごとに交代はしていたものの、


1ヶ月が過ぎ、とうとう他に行ける人員がなくなってしまい、


同期の女性と一緒に派遣されることになったんです。


正直嬉しかった。


初めて人の役に立つ仕事ができるなーって。


ほんとは音楽隊に入りたくて入隊した自衛隊。


でも音楽隊に入れなくて、先の見えないきつい訓練ばかりで見も心もボロボロでした。


その矢先の派遣。


そりゃ身も引き締まる思いで。。。



















出発は明け方4時。


トラックの荷台でずーっと寝てたんですが(とんでもない下等兵)、着いたのはお昼でした。


大雨で、かなり冷え込んでました。


私たちの駐屯先は越後川口SA。


自衛隊車両がズラリ並んでました。


一般車両も、休憩や見学に来てました。


写真なんか撮られちゃったり。(女性は珍しいもんでね)


SAのトイレも復旧したばかりで、自衛隊のトイレ車とか、物珍しいものも停まってました。


そして、道路はでこぼこ、障害者用の駐車場の屋根を支える支柱は崩れかけ、


歩道の段差は盛り上がって…


とりあえずビックリだらけでした。


私たちは二組に別れ、


早朝2時から起きて仕込みをする組と4時から起きて手伝う組を交互に分担。


はじめ、私たちが作った御飯は各地で働く自衛官に配られてました。


私たちが来るまでは、レトルトを温めて出すだけだったようですが、


それが切れたか飽きたかで、


私たちから温食(自衛隊用語でふつーの御飯のことです)を出すことに(T_T)


それでも各地で任務についてる兵隊さんのためだもの、頑張りましたよ。


お風呂に入れたのが4日目だったかな。。。


どうしても頭がかゆくて(笑)2日目の夜、同期と水で頭洗ったっけ。


それでもお風呂に行けただけましだった。


最初に派遣された人たちは、トイレも自分らの食事もまともに用意されてなかったんだから。















そんなこんなで数日が経ち、


給水班の人が市内を回る際に炊事班の子らも交代で着いてきていいよって言ってくれて。


下界はどんな状況なのか気になってたので、連れて行ってもらいました。


当然道はでこぼこ、川沿いは切り立ったがけがさらに崩れ、河川敷の高台にはテント村が。


家をなくした人が、そこで生活しているんです。


とーっても寒いですよ?


ショックでした。


そして、山間部(川口町田麦山地区)に入り、さらに状況はすごいことに。


テレビで見る、被災地の風景そのままが目の前に。


私たちの配達地の公民館も、中はぐちゃぐちゃ、


階段は崩れ、窓ガラスは割れて窓枠もゆがんでました。


隣の学校の校庭には仮設住宅の建設が始まろうとしていました。


行く道々でも、倒壊しかかった家がまだまだそのまま残されていたし、


それでも人々は生活していかなきゃいけない。


絶句、それだけでした。















4日目にお風呂に行った時のこと。


私たちは長岡市にある一般の大きな温泉(?)施設に行きました。


そこには老若男女、たくさんの人が集まってました。


脱衣所で服を着ると、周りの方が私たちを見てビックリ!


そうでしょうね、いきなり自衛官だもん(笑)


匍匐前進はどうやるのかとか、


(ちびっ子がまねしてた)


自衛隊グッズが買えると聞いたのだがどこで売ってるのかとか、


(基本的に私たち向けに足りない資材・グッズなどを売ってる売店が出張してた)


どこでどうやって寝泊りしてるのかとかいろいろ質問されたり、


(トラックの荷台に簡易ベッドを組み立てて寝てました)


逆に被災者の今の生活の話を聞いたり…


あるおばあちゃんが、





自衛隊さんがいてくれるだけで安心していられる。


本当にありがたいです。」


とおっしゃってくれたのは本当に嬉しかった。


しょうもない下っ端の私に何ができるか、真剣に考えたけど答えが出なかった。


でもみんな明るく前向きに生きてることにホッとした。


逆にパワーをもらった。














さらに6日目、作業場が移動になった。


次の炊事場所は川口町役場。


そして念願の被災者への炊き出し。


朝御飯の支度は午前2時起きだった。


川口町役場の駐車場にもたくさんのテントが。


ボランティアの人もいたんだろうなと思うけど、こんな寒いところでみんな暖をとってる。


配るとき、おいしいって言ってもらえて嬉しかったな。。。


各地から来る救援物資の野菜で、献立外のスープや漬物を作って配ったっけ。。。


各テントから鍋借りて、それに入れて返したりしたなぁ。。。















さっきこの記事を書きながら、当時の写真をいろんなHPで見てたんだけど、


思い出して涙がでそうになった。


悲惨ですよ。


私は命の現場には立ち会ってないし、地震から1ヶ月がたってだいぶ復旧した頃に行った。


でもやっぱり日常生活の風景ではありえなかった。


今、この風景はどうなってるんだろう。


同じ風景が柏崎市で広がってるのかな。


母になり、あの状況での心配事は以前より具体的になった。


赤ちゃんのミルクのお湯はあるのかな?


その前に哺乳瓶は持ち出せたかな?


オムツは足りてる?


お風呂に入れて、清潔にしてあげないとあせもができるんじゃ…


普段と違う環境でちゃんと眠れるのかな?


お母さんのおっぱいは出てるかな?


考え出したらきりがない。


小さな子供連れは、親戚の家にでも避難できてるといいけど…


物資を送ろうにも個人からは受け付けてないみたいだし。


阪神淡路の時も、3年前も、


お風呂には入れても下着がないとか、冬だからリップクリームがほしいとか、


やっぱりその場にならきゃ必要なモノってわからないのね。


イチ民間人である今、どうしたら被災した人のお役に立てるかな?


やっぱり、考えてもなかなか答えがでないよ…


一刻も早く、被害にあわれた方が今までの生活を取り戻せるよう、祈ってます。






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最終更新日  2007.07.21 00:45:08
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