三歩目の経済的自由への道

三歩目の経済的自由への道

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

三歩目

三歩目

Calendar

Favorite Blog

キハ20、DF50、キハ… GKenさん

ハッピーリッチにな… かっちゃんペンギンさん
素麺の夫婦で不動産… 素麺11104さん
サムライ夫婦のサク… サムライ夫婦さん
健康で豊かな金時人… つかさしんやさん

Comments

http://buycialisky.com/@ Re:理想の人生(11/16) buy cialis proffessional onlineprostate…
http://buycialisky.com/@ Re:2011.12.16 のブログ記事(12/16) cialis pills onlinecialis 5 mg bulacial…
http://buycialisky.com/@ Re:海外では病院で保険が効くように(07/14) what is in cialiscialis trial pack next…
http://viagraky.com/@ Re:理想の人生(11/16) citrate generic name sildenafil viagra…
http://cialisvbuy.com/@ Re:2011.12.16 のブログ記事(12/16) cialis professional from usaviagra-cial…

Freepage List

2010.07.16
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類


ホーチミン→プノンペン→シェムリアップ→バンコク
→ヤンゴン→バンコク→香港→バンコク
と、一か月ほどの日程を終え、
ちょっとバンコクでノンビリしてます。

今回一番キョーレツだった事、書こうと思います。
書くべきでない部分も含まれるんですが、

自分の中では単なる個人の中傷以上の問題を、
含んでるように思われるので、

前置き長いですね。

ヤンゴンでのこと、その日は日本人にアポをすっぽかされ、
午後、今日は空振りかと宿に戻る。
そこで、日本語で話す、お坊さん風の人を見掛ける。

ああ、日本から本場(なのか?)に修行に来る人もいるんだ。
話しかけてみるワタクシ。

尼さんであった、九州から来てるらしい。
今瞑想センターというところから、出てきた修行明けらしい。

とはいうものの、尼僧が安宿の一階で、
タバコ吸って、サバ缶(かな?)サカナにビール飲んでいる姿はシュールである。

いや、声掛けてから気づいたんだけど、
「その時はそういう人もいる、修行明けだし」くらいの印象であった。

話してみると、
知り合いでヤンゴン在住者を紹介してくれると言う。
とりあえず、誘いには乗ってみるタイプなワタクシなので、
お言葉に甘えることに。

実際親切に、
日本語のできるミャンマー人と長期在住の日本人を紹介してくれた。

ただ、その日本の方と彼女は仲が悪そうである。
ま、それでもワタクシに紹介してくれたんだから、
素直に感謝しつつ、
道々その日本の方について質問する。
彼女はその方の悪口を言うので、
あえてその悪口に乗って、背景をいろいろと聞く。

有効な人を紹介しようとしてくれたことは本当なんだな。

それから、数日後、同じ宿に泊まっている訳で、
夜、飲みに行かないかと誘われる。

後から、仲の悪い在住者の方からも彼女の行状を聞きましたが、
レストランでの彼女自身が語る話と総合すると、

ああ、どんなジャンルにもこの手の人がいるんだな。

しかし、それで宗教の権威を(チッチャイことではあるが)、
私利私欲に利用しようとしてることは、許すべきでないな。
とは思った。

それまで経緯は、
数か月前に仏教の修行のために、
ヤンゴンの瞑想センターにやって来たらしい。
本人は「自分の瞑想がスゴイから回りが嫉妬する」
と言っていたが、

どうやら、
何箇所もそういうセンターを追い出されているらしい。
修業中にタバコを吸い、瞑想中に携帯電話を鳴らし、
結構やりたい放題だったみたい。

外国人からボロうとするミャンマー人を、
「あいつらは馬鹿」といつも、言っている。
どうやら、
坊さんである自分が尊敬されていないと気が済まないらしい。

尊敬されるに値する人物になるか、
尊敬されなくても、酒飲んで、タバコ吸って、
気にせず我が道を行くか、どっちかしか無いと思うが、

そういう客観性は彼女にはなく、
坊さんだから尊敬されるものと思い込んでいるよう。

一方で、タバコや酒の件になると、
修行で得るものは一人一人個人のものなどと言い出す。
だったら、尊敬されようとされまいと関係ないと思うが、


たぶん、過去に人に不当に認められないことがあって、
そのコンプレックスを克服できてないんだろう、
でも、
40過ぎて、そういうココロの状態なのは、
自分の責任だよな。

実質なくて、尊敬されたいというのは、
金銭じゃなく、尊敬の物乞いだよ。


オレにはよく分らんけど、教義にはとても詳しいらしい。
どうやら、
修行の結果、自分の心をコントロールできることが目的らしい。
説明はもっともらしいけれど、

その酒の席でも泣くは、思い出して怒るは、
ボッタクリのミャンマー人の悪口は吐くはで、
自分の喜怒哀楽をマネージできてる様子は1ミリもなかった。


ワタクシは、禁酒禁煙できようが、できまいがエライとも思わん。
だって、
知り合いで糖尿病になった人は、その診断の翌日から、
医者に言われたとうり、どっちも止めたもの。
そんなこと、修行とかどうとか、大仰なことじゃないだろう、

ただ、その程度のことすら実践できないから、
本来のノウハウを劣化させているとは言える。

ま、知識はあるが、
実践が伴わない典型的なノウハウコレクターだな。

そういう人はどんなジャンルでもいるけれど、
姿かたちだけ坊さんなら尊敬を得られるというのはいかがなものか?

そういうスケールの小さい欲望なら、カワイイものであるが、
もっと大きな欲望をその宗教的権威を利用する人間もいるだろう。


一番言いたいのは、その人の中傷ではなく、
世間は宗教に対して、常に、
厳しい目を向け続けなくちゃいけないんじゃないかと。

どんなに正しい教義だろうと、それを運用するのはタダの人間である。
そこに内容に関わらず、構造的な欠陥を含む。
組織とか、ルールに対する運用とかは常にそうだけど、
自分で自分を簡単に権威づけできてしまうのが、厄介である。


前も書いたけど、
上座部仏教の他の国、カンボジア、タイ、ラオスと比べて、
ミャンマーの坊さんの品行はひどい。
それでも中には、真面目に修行してる人もいるだろう、
彼女の姿を見たら、
「日本の仏教ってこんなもんか」と思うだろう。
フト、日本の恥だとも思ったが、
それが日本の宗教のある事実でもあるとは感じる。

組織票があるから、税金払うようになるとは思えんけど、
文化財保護以外なら、収益に課税するくらいの方が、
社会としては健全なんだろうな。

そんなことを思ってしまった。

ああそう言えば、
彼女の発言の矛盾を指摘していたワタクシに対して、
仏教の教義を語りだすとき、突然英語になった、
「麻原か?」


閑話休題。
それでも、人を紹介してもらったので、
世話にはなってしまった。

「そのお礼は、あなたが成功したあかつきに、
 仏教に対してしてください。」
と殊勝なことを言っていた。

正直言って、ミャンマーの姿を見ると、
仏教が人間のために有効な存在なのか何とも言えない。と思う。

仏教は政府の権威付けに利用されているし、
敬虔な仏教徒の割にはモラルは他国に比べても低い。


仏教にお返しすることが、有効とは思えんが、
世話になったのは事実だから、そのあかつきには、
世の中に寄与している仏教ないし仏教徒を見つけないと、
シンドそうだな、探すの。



で、それから、
その飲みの席で、ワタクシ不覚にも激怒してしまった。
彼女がなんという言葉を吐いたかは、何故か記憶にない。
酔ったせいでコントロールを失ってしまった。
最後まで、冷静に彼女の矛盾も明確にして行ければよかったが。

先に帰って寝たら、
翌日財布とパスポートを入れたバッグが無いと騒いでいる。

アイツが怪しい、コイツが怪しいと言っている。
そんなヒマに、パスポート無いなら、まず大使館に連絡しろよ。
手持ちの地図には大使館の場所と電話番号が書いてあるので、
それを渡して、宿の電話を借りるように言う私。

(尊敬できない人物だからといって、
 本当に困ってるときに何もしないでいいのか、
 ということとは、別の話だと思う。)

危機管理的な優先順位でいうと、
一に身体の安全、二にパスポート、三に金である。
金は送金してもらえるが、パスポートなきゃ移動できない。

イザというとき、冷静な判断できないなら、
何のための修行なんだかとも思うが、
それはさておき、
とりあえず、大使館に電話している姿を見届け、
他のアポがあったので外出するワタクシ。

午後戻ると、彼女の姿を見かけたので、
その後どうしたか聞くと、
自分のロッカーに入れたのを酔っていたので忘れただけだという。
改めて大使館には連絡したのかと聞くと、それはしたと言う。
ならいいが、それ以上は追及しなかった。

その場で、一応詫びの言葉は口にしたが、
地図を返してはよこさなかった。
それきり、夕方にはチェックアウトしたみたい。
ワタクシも別の要件でまた、出かけたから、
それ以降のことは分からない。

ヤンゴンを去るときに、紹介された在住の方にその顛末を話すと、
さもありなんということであった。


準備、実行、後始末というが、後始末ができない人である。
そもそも、実行者ではないのだから、それもやむを得まい。

これでは、本人が意図するかどうかに関わらず、
あちこちで迷惑をかけているだろうと想像される。
どうやら、宿もあちこち転々としているようである。


まー。強烈な経験であったが、
これは、何を意味するのであろう。

自分のコントロールの範疇の外のことは諦め、
自分のコントロールの範疇のことは全力で責任を負う。
それに尽きるという、教訓か。

人を見極めて、時には厳しさも必要ということか。


ああ、説教臭く、
あまり楽しくもない記事を書いてしまった。
ま、自分のことは棚に上げても、
教訓としての意味はあるかとも思い、書いた。


実は、その後、
バンコクの空港で在住の方と再会。
何とも懐かしく、被害者の会の同志のような共感が生まれる。


あの国に縁があるのかな、

御仏の御心は、ワタシには分からない。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2010.07.16 16:57:30
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: