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終戦と敗戦
戦禍の記憶
「ガンジー村通信 終戦記念日特集号‐2」
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【2】 終戦と敗戦 香取俊介
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日本人は今も昔も言葉の言い換えが巧みで、戦時中にもよく言い換えを使った。例えば「敗退」を「転進」、「占領軍」を「進駐軍」等々。官僚用語などでも「前向きに善処」するとか「前向きに検討します」などというが、これは「意にそえない」「なにもやりません」と同じことである。
イラクの「復興支援」なども同様で、物事の本質を隠し、はぐらかすことである。
本音と建て前という文化をもつ、いかにも日本人らしい用語駆使法で、外国からは日本人の「ずるさ」と見られ勝ちである。もっとも対人関係においては、尖鋭な問題を曖昧にはぐらかすことで、緊張をゆるめる潤滑油としての働きもし、必ずしも悪いことではないが。
終戦記念日の「終戦」も、実体は「敗戦」である。勝った国はどこも一様に「戦勝記念日」といい、決して「終戦記念日」などとはいわない。おそらく「終戦記念日」という言葉を使っているのは日本だけではないのか。
ぼくは否定的にとらえているのではなく、これもまた日本の「個性」なのではないかと、一定の評価をくだそうとしているのであるが。
自ら仕掛けた戦争で当初は予想外の戦果をあげたものの、所詮は「資源小国」である。時間の経過とともに体勢をととのえたアメリカ軍の攻勢で、窮地に追いつめられていった。
当初から、軍の首脳部にも「勝てる」という見込みはなく、ある程度打撃をあたえたところで、和戦にもっていくという手前勝手な思惑があったようだ。
そんな論理が通用するわけがなく、日本はアメリカ軍に完膚無きまでうちのめされて負けた。そうして、いまのイラクのように軍事占領された。
敗戦である。ただ、一部の軍部や政治家など強硬派はともかく、国民の多くは「玉音放送」を聞いて、やっと「終わった」という思いが強かったのではないか。
空襲で国土はメチャクチャにされ、膨大な死者をだしていた。生き残った人たちも、食べるもの着るものはもちろん、住むところにも事欠き、公然とは発言できないものの、心の底には厭戦気分が充満していたはずである。
そんな国民の心に「戦争が終わった」ことを意味する「終戦」は、ほっとする気分をもたらしたにちがいない。
誰の発案になるのかわからないが、当時の国民の意識に見合った言葉であった。だが、別の角度から見ると、かなり巧妙なやり方である。
「敗戦」であったら、敗戦をもたらした人間の責任問題がでるし、責任の追及も厳しくなる。ところが「終戦」では、責任の所在がなんとなくぼかされ、とにかく(苦しい時間は)終わった、ほっとした、やれやれ……といった気分が醸成される。
いろいろあるだろうが、ともかく戦争が「終わった」んだから、責任云々は、まあいいじゃないか。起きてしまったことは、仕方がない。過去のことはできるだけ早く忘れて、新生日本の復興にエネルギーを注ぎ、明日を夢見ていこう。
そんな気分の中から、「一億総懺悔」なる言葉が生まれ、結局、戦争責任の問題もうやむやにされ……今に至っている。
これは「終戦」という言葉のもたらした「負」の部分ではないのか。
極めて日本的で、官僚的な、無責任主義の処理の仕方であったというしかない。
言葉は怖いものである。対象や意味を「規定」し、不確かなものに輪郭をあたえる装置なのだが、ある種の使い方をすると、対象を曖昧にはぐらかし、物事の本質から、人々の目をそらす働きもしてしまう。
「終戦」という言葉をきくと、ぼくはそんなことを思ってしまう。
※ ※ ※
ところで、ぼく自身は終戦のとき、すでに生まれていた。もっとも2歳11ヶ月であったから、この日の記憶はまったくない。
「終戦」ではなく「シューセン」という言葉は、物心ついたとき、すでにぼくの中に定着していた。まだ文字を知らず、音声だけで単語を覚え使っていた幼少時、「シューセン」は日常の言葉として、家庭のなかで使われていた。
父はシベリアに抑留され不在であったので、「日露戦争」にかりだされた体験をもつ祖父の口から、よく発されたと記憶している。
「シューセンのとき」とか「シューセン以来」といった使い方で、生活の中に頻発していた。
当時、家庭内で日常的に話され、すでに死語になっている言葉に、「シューセン」のほか「シンチューグン」や「シンセイ」「マッカーサー」といった言葉がある。
これらの言葉も、ぼくの子供時代、大人たちが日常語としてよく使っていた。
シンチューグンはもちろん、アメリ占領軍の言い換えで、「進駐軍」である。シンセイは「新制」で、戦前の「旧制中学」に対する「新制中学」、つまり現在の中学校のことである。
「あそこの息子も、今年からシンセイだ」となどといったりした。息子が今年から新制の中学生になるという意味だった。
今年は59回目の「終戦記念日」で、戦後史の大きな転換点にたっていると思うが、折からアテネのオリンピックが開催中なので、マスコミの報道はオリンピック一色になっている。そのため、終戦記念日についての国民の関心は低いようだ。
これまでのオリンピックとちがって、まるで戦時中を思わせる厳戒態勢で行われる大会である。アテネからそれほど遠からぬところにあるイラクでは、今も熾烈な戦闘が続いている。
戦争は遠い昔の出来事ではなく、現に行われており、そこに日本は軍隊を送りこみ、深くコミットしようとしているのである。
アテネの競技に一喜一憂するのも結構だが、この日の意味を、もっと多くの国民が我が事として重く、深く、静かに、考えて欲しいものだ。そうして、人間はなぜ性懲りもなく戦争をするのか、この人類の愚行をなんとかさける方法、手だてはないのものか。
せめて、こういう日だけでも、歴史をひもとき、戦争について、静かに考える日であって欲しいのだが。
8月15日がどういう日であるか、知らない若者が急増しているし、忘れたがっている大人も多い。目の前の損得勘定に一喜一憂し、「歴史」を顧みる余裕がないのかもしれない。
もちろん、ぼく自身、スポーツが好きなので、おそらくアテネでの競技のテレビ中継に釘付けになり、一喜一憂するにちがいないが。同時に、オリンピックの背後にある、ビジネス論理や政治屋のうごめき等々の、うさんくささ、胡乱(うろん)さを、意識しないではいられない。
いずれにしても、戦争の悲惨さを忘れてはいけない。そうして風化させてはいけない。忘れることは、また愚行を繰り返すことに通じる。
ぼくも含めてだが、人間というのは残念ながら同じ轍(てつ)を踏む生き物であり、愚かな存在なのである。愚直に反省を繰り返すことによってしか、愚かさを防ぐことはできない。
―――――― REGULAR COLUMN――――――――――――――――――∞
【3】 父たちのいなかった戦後 藤村治子
――――――――――――――――――――――――――――――――∞
人が、戦争というものをどうとらえるかは、その人の軸足がどこにかかっているかによるのではないかと思う。一般的には、戦場こそ戦争の中心なのだろうが、例えばイラクで一人の兵士が死んでいく時、その兵士が父であれば、彼の背後にたたずむ妻や子ども等の姿を私は思い描いてしまう。残されたものたちの、これからの運命を考えるとき、一人の兵士の死に匹敵するほどの戦争というものの底知れぬ残酷さを思う。
戦争の傷跡は意外に深く広い。私の父は戦死ではなかったが、戦争直後に疎開先で病死した。戦後母は、私たち3人の子どもを育てるために苦闘したわけだが、その母が亡くなったとき、通夜の席で、普段無口な伯父が一言ぽつりとこうつぶやいた。
「戦争の爪跡は深かったなあ。」戦後も25年もたった頃であった。戦中・戦後の妹の生き方を間近で助け見守りながら、少なくとも伯父は母の人生をそのようなものとして締めくくったのであった。伯父の言葉は私の心の奥底にとどいた。
また、数年前、私は中国残留孤児三世の少年二人の教育に携わったことがあった。
一人はハルピンから、一人はチチハルから、両親とともに祖母の故郷長野へ戻ってきたのだった。双方とも祖母が中国での残留孤児であった。祖母、母、ともに現地中国人との結婚をしていたので、彼らには4分の1しか日本人としての血は流れていなかった。
それが、ある日突然日本への帰国となり、彼らは日本社会に放りこまれたのであった。日本語の修得を始め生活上の数々の試練の中で、彼らは、なぜ祖国中国を離れて日本へ来なければならないのかを必ずしも納得していなかった。日本の侵略戦争と日本に捨てられた祖母たちの歴史を教えながら、戦後50年以上たっても尚、その戦争によって運命を狂わされ翻弄されてきた人々の現実を目の前にして、私はしばしば言葉につまり、二人の少年たちとともに沈黙の中で考えこんでしまうことがあった。
政府は、イラクに自衛隊を派遣し、憲法九条を改定し、日本を「戦争ができる国」にするという。そのようなことを、声高に叫ぶ人々の頭の中にある戦争は、戦略であり、戦場であり、戦闘機であり、ミサイルであり、いかに効果的に人間を殺すことができるかという武器のことばかりである。敵にしろ味方にしろ、殺された人間の後に残された人々の運命に思いを馳せるなどという発想は全くない。イラクで殺害されたり、傷ついたり、辱めを受けた人々にも、残された家族の嘆きと悲しみがあるということへの想像力が欠如しているので、平気でアメリカのイラク侵略戦争を支持しているのではないか。
「難しいことは分からんけど、この間の戦争の未亡人が、80歳や90歳でまだ生きているんだよ。それなのにあんたたちは、また戦争を始めるのかい」と加藤紘一氏は自分の選挙区の漁村で、あるおばあちゃんから言われたという。彼は、その言葉がズシンと胸に響いたと、「現代」6月号<いまだ改憲の時機にあらず>の中で書いている。国の運命を決定する政治家には、せめてそのくらいの感受性は持って欲しいと思う。
戦争はゲームではない。戦場での戦いが終わった後も、残されたものたちはその傷跡を引きずりながら生きていかなければならない。その傷跡は、時には悲鳴のような声を発することはあるが、多くは胸の中に封印され、人生の途上で、思いがけない形で現れたりする。戦争とは、そのような部分もひっくるめて戦争というのだということを政治家は肝に命じて考えてもらいたいし、また私たちも忘れてはならないと思う。
体調を崩された三宅さんのピンチヒッターで、しばらく金曜日のコラムを書いて欲しいという末延氏の再三の要請に、“田舎のおばさん”には到底無理な話なので、今夜こそきっぱりお断りしようと思っていた時に、友人から電話があった。
「母の散骨に沖縄の海へ行ってきたわ」
「なぜ、沖縄?」
「父が沖縄で戦死しているの」
「…………」
「これで、やっと私たちの戦後は終わりました」
Tさんは、大学時代以来の友人である。60年安保のデモでスクラムを組んだ仲間であった。彼女のお父様が戦死されたということは、学生時代にすでに聞いていた。しかし、40数年の付合いの中で、彼女は「父の戦死」についてそれ以上語ることはなく、私も深く尋ねることはなかった。父のいない娘として、お互いにその事情を推量しあえるものがあった。
2年前にお母様が80数歳で突然亡くなられた。「しっかり娘」のTさんは、淡々と葬儀を執り行い、すべてが終わってから、「母が亡くなりました。安らかな最後でした」という報告とともに、お母様が最後に作った京都・和束のお茶を送ってきた。
今年の夏は沖縄へ行く予定、ということは少し前に聞いていた。それでも、私は何も気がつかなかった。旅好きなTさんのことだから、それに妹さんも沖縄に嫁いでいることだし、だから沖縄なのだと思っていた。
この夜の電話で、40数年にわたるTさんの「父の戦死」の物語が私の中で完
結した。
それは、太平洋戦争で天皇と国家の命令により父の命を奪われ、父のいなかった戦後を生きてきた私たちの世代の物語であった。
※このコラムのつづきは、金曜日レギュラーコラムとして連載されます。
――――― MEMBER'S COLUMN ―――――――――――――――――――∞
【4】会員の声 漱石の「こころ」に思う 飯村孝夫
―――――――――――――――――――――――――――――――――∞
◆◆◆このコーナーでは、ガンジーの会会員の声を紹介します◇◇◇
◇◇◇(文章は、ハンスト・リレー日記やBBSから抜粋) ◆◆◆
8月26日は、運動がスタートしてちょうど半年目という区切りでしたが、
久々に例会が開かれました。たまたま一社、取材が入り、会の趣旨や活動などについて質問を受けました。60年安保は勿論、70年闘争もほとんど記憶にない、その若い記者の方と話しながら、また以前ほぼかれと同じ世代の別のジャーナリストの方と話したときも感じたのですが、憲法や国際貢献に対するスタンスの世代間の微妙な違いを感じました。同時にふと漱石の「こころ」の最後のくだりが、頭の中に浮かびました。
「すると夏の暑い盛りに命じ天皇の崩御になりました。其時私は明治の精神が天皇に始まり天皇に終わったやうな気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、其後に生き残ってゐるのは心竟時代遅れだといふ感じが烈しく私の胸を打ちました・・・
私に乃木さんの死んだ理由がよく解らないように、貴方にも私の自殺する譯が明らかに呑み込めないかも知れませんが、もしそうだとすると、それは時勢の推移から来る相違だから仕方がありません・・・」
明治の精神に戦後の精神、明治天皇にところに平和憲法を入れ替えてこの分を読んだ時、我々の運動が時勢遅れだとは思っていないのですが、妙に納得してしまいました。
――――― MEMBER'S COLUMN ―――――――――――――――――――∞
【5】会員の声 広島・長崎市長の言葉に共鳴 山川トモコ
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◆◆◆このコーナーでは、ガンジーの会会員の声を紹介します◇◇◇
◇◇◇(文章は、ハンスト・リレー日記やBBSから抜粋) ◆◆◆
8月6日の広島市長のご提言は示唆に富んでいます。肝に銘じて続いていこうと決意しました。
8月9日、長崎市長は「世界の超大国が、核兵器に依存する姿勢を変えない限り、他の国の核拡散を阻止できないことは明らかです。
アメリカ市民の皆さん、私たち人類の生存のために残された道は、核兵器の廃絶しかないのです。今こそ手を携えて、その道を歩みはじめようではありませんか」と言われました。
広島市長と同じく、勇気のあるご発言です。
一般市民である私たちでなく、このような立場のあるお方からのご発言は、非常に勇気がいります。でも、あの悲惨な原爆を経験された市であればこそ、こういう訴えかけをして下さる事が望ましく、説得力もあります。
この言葉に日本中のグループや団体は神経を集中させたいものです。
――――― MEMBER'S COLUMN ―――――――――――――――――――∞
【6】会員の声 夏休みに考える 三宅久美子
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◆◆◆このコーナーでは、ガンジーの会会員の声を紹介します◇◇◇
◇◇◇(文章は、ハンスト・リレー日記やBBSから抜粋) ◆◆◆
皆様、ご無沙汰しております。
まだ体調は万全ではないのですが、今日、久しぶりにガンジーの会を訪れていろいろな書き込みを読み、とりわけ末延さんのハンストリレー日記に感じるところがあったので、久々に書き込みたいと思います。
実は私も20代の頃、近くの出版社でよく仕事をしていたので、帰りに一度靖国神社へ行ってみようと思い立ち、好奇心で出かけたことがあります。
あとで、そのことを年上の人に言うと「あんなところに行くなんて、キミは何も知らないな」みたいな言い方で、馬鹿にされたというか、呆れられたというか、激怒されたというか。
もちろん、私はそんなことではめげませんが。
私が靖国神社で感じたのは戦争賛美への怒りと
それが80年代のお気楽でバブリーな日本社会に存在していたという違和感でした。
前時代の遺物のようなものが、アミューズメントパークでもないのに堂々と大真面目に存在していることの不気味さ、とでも言うのかしら。なにしろ、時はあのバブリーな80年代でしたから。
私の「なぜ?」はいつもそういうところから始まります。
去る6月、オノ・ヨーコさんの展覧会に行ったときも、その作品ひとつひとつのみずみずしさに圧倒され、「ジョン&ヨーコ」以前に、前衛芸術家オノ・ヨーコとして私たちは今までどれだけ彼女を評価してきたのか――というより、そもそも彼女がどんな芸術家であるのか、作品に触れることもな
く、思い込みだけで「ジョン&ヨーコ」の片割れとしてのヨーコを語ってき
たかということについて考えさせられました。
ジョン・レノンの詩はオノ・ヨーコさんに出会う前と後では明らかに違うし、「イマジン」は彼女なしでは生まれなかった、そしてその詩のイマジネーションの元となったのは、オノ・ヨーコさんの戦争体験、つまり私たちが今、目を向けているあの戦争であったということを日本人は、特に若い人たちは知るべきだと思います。
末延さんは修学旅行にジョン・レノン・ミュージアムと靖国神社というコースを提案していましたが、私はそれに広島の原爆ドームを加えるべきだと思います。
原爆ドーム→ジョン・レノン・ミュージアム→靖国神社というコースを辿れば、外から見ると何を考えているのかわからない(ように見える)10代の人の心にも何かが響くのでは、と思います。
ところで、誰かさんとは違って、夏休みでも頭がカラッポにならない私の個人的な考えでは、10~20代の若者より手ごわいのは30~50代の保守的(と本人は意識していない)無党派層だと思っています。
以前このBBSで書いたかもしれませんが、国際貢献とは何か、をもっと問題にすべきではないでしょうか。
思えば日本がすべてを手に入れたような気分に浸っていた80年代後半、ただひとつ達成することができずに悔しい思いをした(たぶん外務省の高級官僚と一部政治家)のが 国連の常任理事国入り、だったように思います。
なぜ常任理事国になれなかったのか、それは日本が軍隊を持っていないから、ですね。
つまり、なんとしても国連常任理事国になりたいという特定の人たちの悲願と、もともとのタカ派というか改憲派が合体したのがこの10数年ではないか、と思うのです。
そして30~50代の保守的な無党派層はこの「国際貢献」「経済大国日本が当然国際社会で占めるべきポジション=常任理事国入り」「そのための障害としての九条改憲」ということを論理的なこととして非常に自然に受け止めていることに私は危機感を覚えています。
舛添要一さんという方が確か150万票近くで当選されたのは単に学者の有名人だからというわけではありません。
現役大臣の竹中さんや蓮ホウさん、前回の大橋巨泉さんなどの得票数と比べれば、この数字が図抜けていることがわかると思います。
舛添さんは“東大出身”の“学者”で“国際政治の専門家”であるだけでなく、“立て板に水のようにしゃべる論客”であるにもかかわらず、“老人介護”で苦労された、というある意味では政治を政治家任せにしておけば良いと考える方たちにってはベストな人選なんですよね。
おばちゃんも納得するような“彼以上の学歴”“現役の国際政治の専門家”がまっとうな論理で国際貢献を語り、それが数ある選択肢の一つに過ぎないことが理解されればいいのになぁ、などと最近思っています。
なかなか体調が回復せず、一進一退を続けていますが、あせらずにマイペースでやろうと思っています。
皆様も残暑の中、お体をご慈愛くださいますよう。
――――――――from the editor――――――――――――――――∞
【7】 編集後記
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you may say I'm a dreamer
but I'm not the only one
I hope someday you'll join us
and the world will be as one
君は僕のことを夢想家というかもしれない
でも僕は一人じゃない
いつか君も僕らの仲間に加わって
世界がひとつになることを願っているよ
(by John Lenon)
===================================================================
【発 行】 ガンジー村通信 編集部
【発 行 人】 末延芳晴 香取俊介
【編 集】 山下美樹
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