2-39 決別



2日後、朝子は産婦人科の帰りに有芯を呼び出した。

いちひとを産んだ産院の診察室で、いちひとを取り上げた医師は確かにこう言った。

「おめでとうございます。第二子、ご懐妊ですね」

ダイニシゴカイニン。・・・第二子ご懐妊。

医師の言葉を反芻しながら帰り道を歩いていると、やっと徐々に実感が沸いてきた。

お腹に・・・有芯の、赤ちゃん。

あの日私たちが・・・愛し合った証。

「朝子!」

待ち合わせした付近にある工場の資材置き場に、有芯はもう来ていた。絶対に自分の方が先に着くだろうと踏んでいた朝子は不意をつかれ驚いた。彼女はまだ心の準備もできていない。

束ねられたパイプに座っていた有芯は立ち上がると、朝子に歩み寄り、頼りなげな彼女の身体を抱き締めた。

「会いたかった・・・すごく」

そう言い、彼は朝子に口付けた。静まり返っただだっ広い資材置き場に、長い時間キスの音だけが響き、二人の指が絡み合った。

情熱的なキスを受けながら、朝子はふと思い出した。

私、2日前に「今度会うときは腰が砕けるまで求めてあげる」って言ったわ・・・。

じゃあ、今日はもしかして・・・?!

朝子がそう考えて青ざめた時、案の定胸元からするりと有芯の手が服の中に入ってきたので、彼女は必死で制した。

「待って! やめて。あのね、話があるの!!」

「話?」

聞き返しながらも素肌への愛撫を止めない有芯を、朝子は睨んだ。睨まれると有芯はようやく、肩をすくめて手を引き抜いた。

「どうしたんだ?」

有芯は微笑むと朝子をそっと抱き締めた。

「落ち込んでる顔も綺麗だけど、笑った顔のほうがかわいくて俺は好きだよ」

朝子は身体を彼から離し、その顔を見つめた。

あなたへのこの愛しさは、きっとこれからも変わらない。

意を決し、朝子はまっすぐに有芯を見つめながら、口を開いた。

「私のことは、もう忘れてほしいの」

思いもよらなかったことを言われ、彼の顔色が変わった。

「・・・どういうわけだ? ・・・何があった?! ちゃんとわけを話してくれよ!!」

朝子はつんとして横を向いた。「何にも。・・・ただ、あなたに、冷めちゃっただけ」

「嘘をつくな!! 言っただろう?! 一人で悩んだりするなって!! もっと俺を頼れよ! いつまで先輩ぶるつもりだよ?!」

必死で食い下がる有芯に、切なさをかみ殺しながら朝子は言った。

「バカじゃないの?! アンタじゃ頼りになんてならないわよ! 私、それがよくわかったの。・・・アンタはただちょっと強引なだけのガキ。付き合うにはいい相手だけど、結婚となると話は別。その点、うちの夫はとても優秀よ」

朝子の暴言に、有芯の顔が歪んだ。

「お前、俺に言っただろう・・・?! 『信じてて』って。あれは嘘だったのかよ?! 本気で、言ってるのか・・・?! 」

「当然でしょ?! やっぱり、ずっと一緒に暮らしてきた夫だもの。あなたとは愛情の深みも違うし」

「朝子・・・・・お前」

呆然と立ちすくむ有芯の姿に、我を忘れそうになりながらもぎりぎりのところで堪え、朝子は仕上げに言い放った。ニヒルに口角を上げることも忘れずに。

「軽々しく呼び捨てにしないで。勘に障るわ」

途端に有芯は朝子の肩を両手で強く掴むと、トタンの壁に押し付けた。ガシャン、という大きな音にひるみそうになったが、朝子は悲しみも恐怖も表情に出さないよう、溜め息をつき有芯を見つめた。

「ほらね、そうやってすぐ暴力に訴える!あなたに父親役なんて無理よ。戯言は聞き飽きたわ。私はあなたを選ばない。これが現実よ」

「俺は・・・」

有芯が泣き声になり、手を振り上げたことに気付き、朝子は歯をくいしばった。彼女が殴られる、と思った瞬間、有芯は朝子にキスをしていた。唇を少しだけ押し付けただけの、子供のようなキス。

有芯は唇を離し、朝子の瞳を見つめると吐き捨てるように呟いた。

「もう二度とお前を信じない・・・!」

有芯は朝子を突き放すと、足早に去って行く。トタン壁を背にずるずると床に滑り落ちながら、彼の背中を見て、初めて彼女の瞳から涙が流れた。

愛してるわ、有芯。さようなら。私を憎んで。それであなたの気が、少しでも晴れるなら・・・。

朝子は強く掴まれたおかげで痛む腕を押さえ、それから腹部に手を当てた。

この子がいてくれるなら、私は強くなれる。絶対に強く、生きてみせる。




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