3-1 離婚届



篤は、ものすごく不機嫌だった。朝子の母親から連絡を受け、残っていた仕事を部下に無理矢理引き継がせて出張から帰る羽目になったからだ。

“篤くん、朝子が電話に出ないの。家の鍵も閉まっていて……。いっちゃんの着替えとかはあるから大丈夫なんだけど、ちょっと心配だから、念のため様子を見てやってくれないかしら?”

彼は午前10時の空いた特急電車に乗ると、疲れで重い体をドカリとシートにあずけ、眉間に手を当てながら深いため息をついた。

朝子の奴……夫の仕事を何だと思っているんだ?! それに連絡もせずいちひとを放っておくなんて……。

篤はそこまで考え、はっとした。こんなことがこれまでにあっただろうか? ……朝子が子供の世話を誰かに任せたまま黙って家を空けるなど、普段の彼女からは考えられないことだ。いつもいちひとのことを考えている、そんな母親なんだぞ、朝子は……!?

篤は一気に青ざめた顔を両手で覆い、またため息をつくと両手の指を組んだ。心の中には焦りと、朝子に対する怒りが沸々と湧き始めている。

全く、面倒を起こして……!! 朝子、君が今日、まともに生活できているのは俺のおかげなんだぞ?! 俺が現れなかったら、君は酒と煙草に溺れ、間違いなく真っ当な人間として生きては来られなかっただろう。

これで、実はこの前のように寝ていただけだったら、今度こそ叱り付けてやる……。

篤は駅からタクシーで自宅へ向かった。濃いグレーの屋根と、庭にそびえる樫の木。いつもと何ら変わりない家の姿が見えてくる。朝子の妊娠が分かった年に彼が自分の財産で建てたその家は、彼の頑張りの甲斐あって5年後にはローンを返し終えることができそうだった。

いつもは自分で築いた終の棲家を満足げに眺めてから家に入る彼だったが、今日はタクシーから降りるとただまっすぐ玄関に向かい、ドアに手をかけた。しかし朝子の母が言っていた通り、鍵がかかっていてドアは開かない。

鍵を開けると篤は玄関に入った。ドアが閉まると、彼は家の中の異様な雰囲気に、しばしその場で立ち尽くした。

なんだこの違和感は――――――?!

しばらく考えてから、彼は違和感の訳に気付いた。家が異様なほど片付いている。それに……静か過ぎる。

彼は、いつもほとんどの時間家にいるはずの妻の名前を呼んだ。

「朝子?……………」

しかし返事はない。

篤はなぜだか募って仕方がない不安を無理矢理胸の奥に押さえ込みながら、リビングに入った。見慣れたテーブルには一枚の紙切れと、中に何か入っている様子の封筒がある。

紙切れの方を手に取った篤は、我が目を疑った。それはほぼ紙面が埋まった状態の離婚届用紙だったのだ。




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