3-3 昼下がりのリビング



篤はふと思い出し、こんな時に何をやっているんだろうと自分でも思いながら、朝子が先週、新たに購入した冷凍庫の扉を開けた。そして、中を見た彼は愕然とした。

そこには、冷凍食品など一つも入っていなかった。

朝子が手作りしたおかずやお菓子の生地がパッキングされ、びっしりと詰まっている。それも、篤やいちひとの大好物ばかり。

「朝子……………」

彼はシステムキッチンのハンガーに、いつものように掛かっているピンク色のエプロンを見た。いつもそれをつけて自分と息子に料理を作ってくれた朝子の笑顔が自然と思い出される。

戻って、こないつもりで……………………………それでこの冷凍庫を?

自分がいなくても、俺やいちひとがしばらく食べるものに困らないように……………?!

篤は手紙を握り締めて家を飛び出し、最寄の警察所に走った。

まだ何の実感も湧かず、朝子がいなくなったことすらうまく理解できなかったが、彼は一つの信じがたい考えに取り付かれていた。

“だから、一人で遠くへ行きます。遠い遠いところへ。”

まさか朝子…………変な気を起こしていないだろうな? 俺やいちひとを残して逝くなんて―――そんなことは絶対にさせない!

応対した中年で脂っこい顔の警察官は、いかにも面倒くさそうに篤の持ってきた手紙を一瞥すると、つまらなそうな顔でつき返した。

「夕方あたりにさぁ~、気分変わって、帰ってくるんじゃない? 奥さん」

「しかし、この文面では、明らかに別れを告げてますし、それに………!!」

「この紙切れ見る限り、切迫した状況ではないですよ。家出でしょ? 事件性はないし、自殺の意思も見て取れない」

「でも見てください、ここ!!“海のお星様になって”って書いてあるでしょう?!」

横を向いて耳掻きを始めながら、警察官は何の感情もない声で「それは、『自分は死んだものだと思って、忘れて元気に暮らしてくれ』って意味でしょう」と言い、ティッシュペーパーに耳垢を擦りつけた。

クズ警官が……! こっちはちゃんと税金払ってやってるんだぞ、きちんと応対しろ……!! 篤はイライラして怒鳴った。「違う!! これは絵本に出てきた……!! その絵本というのがですね!!」

警察官は慌てて両手を振って、絵本の話を遮った。「じゃあ、一応家出人として届け出しときますから。奥さんの写真は持っておられますか?」

「いいえ、今は……。あ、携帯の写真なら」

警察官は書類を取り出し、ボールペンを持ちながら篤の携帯を見て眉を顰めた。「携帯にあってもねぇ………。それにそれ、お子さんの写真でしょ? 奥さんちょっとしか写ってないじゃない。これじゃあちっとも人相がわからないよ。……いなくなった時の服装は?」

「…………さぁ………」

「家出の、詳しい理由は?」

「……………それも、あまり……」

警察官は他に朝子の住所と名前などを篤から聞き、書類とペンを置くと哀れみを込めたため息をついた。

「あんた、行きそうな場所の心あたりとかは探したの?」

篤は家に帰り着くと、玄関に入るなり膝をつき、愕然とした。

朝子がいない。

誰も『おかえり』と、言ってはくれない。

海の記述があったから、それがただの比喩だと知ってはいたが周辺の海をくまなく探した。しかし見つからないどころか、朝子の形跡すらつかめなかった。

何も考えられない。

俺には朝子の行きそうな場所もわからない。出かけるときに着た服もわからない。そもそも何で彼女がこの家を出て行かなければならなかったのかも分からない。

俺は………!

篤は思考が停止したままの状態で機械的にリビングまで歩き、アルバムを取り出した。しかし、中に朝子の写真は一枚も残っていなかった。

それを見ても、彼は驚かなかった。朝子は本気だ。写真を残しておいてなどいないことは、初めから予想がついていた―――。

篤はアルバムを手に立ち上がると、不意によろけてゴミ箱を倒してしまった。

………こんな時に……くそっ!!

イライラしながら散らばったゴミを戻していると、紙くずの中にあった小さな文字を見た篤の手が止まった。

我が目を疑い現状を疑い、彼は事実を受け入れられず、ただいつもは平和なはずの、昼下がりのリビングに紙切れを手に持ち取り残されていた。

やがて今にも泣きそうな声で、篤は呟いた。

「―――――――は?」




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