once 47 さよなら



二人はしばらく黙ったまま、坂道を下っていた。

朝子は体の中で心臓がブルブル震えているのを感じた。このままではあっという間に、坂を下りきってしまう。

来る時に寄った大きな木の公園を通り過ぎると、さっきは見なかったものが朝子の目に映った。花壇いっぱいに咲き乱れる、美しい白い花。

「わぁ綺麗! マーガレット」

「この花?」

「そう。私、これ大好きなの。もう咲く季節なんだぁ」

朝子は花の前にしゃがむと、優しい顔でそれを見つめ笑っている。

有芯は朝子のとなりにかがむと、彼女の顔をまじまじと見つめ言った。「・・・お前さ、母親になって、優しくなったよな」

「なにそれ、どういう意味? おばさんになったってこと?」

「違うよ。前よりずっと綺麗・・・」

言ってからしまったと思ったのか、有芯はそっぽを向いてしまった。

朝子は軋む心を抑え、からかうように言った。「照れてるの?」

有芯の背中は明らかに動揺している。「・・・知るか」

「ふふふ、バーカ」

朝子は笑いながら、人差し指でマーガレットをちょんとつついた。有芯はその姿をチラッと見る。

「・・・その花、お前みたいだな」

「えっ、綺麗だから?」

有芯はニヒルに笑った。「バーカ。どこからでもわらわら生えてきて、図太いからだよ」

朝子は途端に膨れっ面をして、有芯に蹴りを入れようとしたが、軽く彼にかわされてしまった。

「スカートのくせに蹴るなよ。見えるぞ」

「嘘っ?! ・・・見た?!」

「見てない。白いパンツなんて」

「やっぱり見たんじゃない!!」

「お前が見せたんだろうが、変態女!!」

「んなぁんで変態まで落ちなきゃならないのっ!? もうサイテー!」

そこまで言うと、朝子は急に怒るのをやめ、笑い出した。

「ふふふふ・・・あははははは・・・・」

「どうした? 不気味だぞ」

「だって、おっかしい・・・私たち、やっぱり最後まで言い争ってばっかり・・・えへへへ」

「・・・それもそうだなぁ」

二人は一通り笑うと、また歩き出した。

朝子は胸が張り裂けそうだった。あと数十メートルで、有芯と別れなければならない。有芯はというと、平然と歩いている。

私のことなんか・・・どうだっていいよね。

それで、いいのよ・・・。

ついに二人は、坂を降りきった。

朝子は目の前の現実を受け入れるべく努力を試みた。が、坂が終わってしまったことを、理不尽だと知りながら呪っていた。

朝子は胸の中いっぱいを占める有芯への想いがはちきれないうちにと、笑顔で彼に向き合った。

「じゃあね、有芯。・・・さよなら」

有芯は特に何の感情も示さず、「ああ、さようなら、先輩」と言った。

愛してるって言ったくせに、ずいぶんあっさりしているのね。朝子は失望に打ちひしがれそうになる自分に必死で言い聞かせた。これでいいのよ、有芯はもともと私のことなんてなんとも思ってなかったんだ。むしろ、あっさりしていてくれた方がいいに決まってる。

朝子は生涯愛しつづけると誓った男の顔を見つめた。彼は無表情で彼女を見下ろしている。

何も言わずに、背伸びをして、朝子は有芯にキスをした。彼が一瞬ぴくりと反応した気がしたが、唇を離し、彼の目を見つめると、やはり有芯は無表情だった。

朝子は心が痛くて、今にも声を上げて泣き出しそうだったが、舌を噛んで必死にこらえた。

「・・・さよなら」

朝子は有芯に背を向け、これから進む道を絶望的な気持ちで歩き出そうとしていた。



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