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背番号5(その4)
その3からの続きです
植木一智 投手
植木は平安高校の左のエースとして昭和39(1964)年の春夏甲子園に出場していずれもベスト8に進んだ。その時の捕手は衣笠祥雄だった。その後龍谷大学を経て昭和44(1969)年にドラフト2位でタイガースに入団している。
前年空き番だった背番号5は最初の年だけ着けた。2年目から「29」、4年目から「36」をそれぞれ2年づつ着けている。
1年目には12試合に登板しているが2敗。初勝利は3年目の昭和46年6月だが、この年はこの1勝のみ。4年目にはプロ初完投勝利を挙げるものの、この1勝しかできず、5年目を終わったところで引退している。
プロ通算は5年間で34試合登板、2勝3敗 防御率4 .
葛城隆雄 内野手・外野手
植木が背番号を替えた年に引き継いだのが葛城隆雄だ。タイガースファンにとっては「ん、誰?」と思う選手だろう。
葛城は毎日オリオンズから中日ドラゴンズで鳴らした強打者で、現役生活最後の1年だけタイガースに在籍した選手だからだ。
大分県上野丘高から昭和30(1955)年に毎日オリオンズに入団。高卒の新人ながら55試合に出場して2本塁打を記録している。
翌昭和31(1956)年からレギュラーとなって8年連続100試合以上出場して「ミサイル打線」のクリンナップを担った。昭和33(1958)年に85打点、同34(1959)年には95打点で2年連続打点王にも輝いている。当時表彰はなかったがこの2年は最多安打も記録した。オリオンズ在籍9年間で二けたホームランが6回ある。
昭和39(1964)年、オリオンズの濃人監督の意向もあって、前田益穂との交換で中日ドラゴンズに移籍。
中日時代は主に外野を守ってクリンナップの一角として活躍する。6年間在籍しているがそのうち5年間で100試合以上出場し、いずれも100安打以上を記録している。最後の1年はさすがに衰え、70試合出場にとどまり戦力外となった。
昭和45(1970)年、タイガースは代打の切り札としての期待をもって獲得し、背番号5を与えたが、黒い霧事件にかかわったという疑いから3か月の出場停止などもあって結局30打数8安打5打点の成績に終わった。ホームランは1本だけ記録している。
末永正昭 内 野手
愛媛県の名門松山商業から中央大学、社会人熊谷組を経てタイガースに入団した野球エリート。社会人屈指の三塁手として守備には定評がありドラフト2位で昭和46(1971)年にタイガース入団、引退するまで背番号5を着ける。しかしプロは甘い世界ではなく、同年は22試合で20打数4安打0打点に終わっている。
現役生活は昭和52(1977)年までの7年間で、通算231試合89打数17安打4打点1本塁打という数字だ。出場試合数に比べて打数が極端に少ないのは、打力が伸びず、起用されるのがもっぱら代走や守備固めが多く、レギュラーには程遠かったからだ。そんなことから「メガネをはめた小兵」というあまりありがたくないニックネームで呼ばれた。
末永が引退した昭和52(1977)年のサードは、もう掛布雅之がバリバリのレギュラーになっていたので悔いはないだろう。
引退後はフロント入りし、編成部長チーフスカウトまで上り詰めた。スカウトとしては上坂太一郎や赤星憲広の獲得を成功させている。
まとめ
植木さん 今まで知らなかったなあ 衣笠さんとバッテリーだったのも初耳ですね 先代の資料はバカにできない
葛城さんはすごいバッターだったんだ!タイガースにほしかったよ って最後に来たんだけどもう終わってたんだなあ 若い時の写真にはどことなく松井秀樹のイメージがあるわよね!
末永さんは失礼ながら全然聞いたことない 選手としては地味だったからかな 写真もこれといって見つからなかったから 内野手で眼鏡ってあぶなくないのかな?
その5に続く
タイガース背番号史 35-5 2025年11月15日
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