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チョーサン8278さんFreepage List
背番号6(その2)
その1からの続きです
ああっ、また重要人物が出てきちゃったわよ。まず田宮さん。この人背番号がコロコロ変わってるんだけど、ここで来ちゃいました。それに大投手小山さんまで!この人も背番号は何度も変えてるのね。ここで一気に詳しく済ませちゃうね。
田宮謙次郎 投手・外野手
田宮は茨城県下館高校から日大を経て昭和24(1949)年に大阪タイガースへ入団している。高校時代は投手、左投げ左打ちで日大では投手と外野手を兼任し、打っては首位打者を獲得、投げてはノーヒットノーランも達成した万能選手だった。本当に戦前から戦後のこの時期は二刀流が多い。
タイガースでの1年目の背番号は「28」。翌年の昭和25(1950)年から2年間が「6」、昭和27(1952)年から昭和33(1958)年には「22」を着けている。
1年目の田宮は投手として34試合に登板しており、11勝7敗159回2 / 3を投げて防御率4 . 56という成績だった。ほかに野手として6試合に出ており、登板した試合を含め打撃成績は66打数12安打6打点1本塁打、打率 . 182である。
その後プロ入り4年目までは投手を続けたが肩を痛め、昭和25(1950)年が1勝2敗、昭和26(1951)年は0勝、昭和27(1952)年に0勝のまま投手を断念し、松木監督の奨めでシーズン途中から外野手に転向することになった。
この昭和27年の打撃成績は94試合190打数47安打34打点7本塁打で打率
.
247だったが、野手としてやっていける足掛かりになった。
写真は左から大津淳、吉田義男、田宮謙次郎
昭和29(1954)年、125試合に出場して初めて3割を打ち、実力が開花する。この年を含めて昭和33(1958)年までの5年間はセンターのレギュラーとして活躍、そのうち4シーズンで3割を越えている。タイガースでの最後の年となる昭和33年には打率 . 320で、球団では戦後初の首位打者に輝いた。
田宮はホームランはシーズン最高でも12本という中距離打者でミートが上手く二塁打、三塁打が多い。首位打者になった年は勝負を嫌がられ、リーグ最多の20回敬遠されている。
また足も速かったので昭和32(1957)年には37盗塁も記録している。
全くタイプは違っていたが藤村のあと4年間4番打者を担った。藤村という長距離打者の代わりがいなかったためであり、本来なら1番や3番に適していたと思う。
昭和33年オフ、A級10年選手制度の「ボーナス受給権」を行使しようとしたが金額的に球団と折り合わず、やむなく「自由移籍権」を行使して大毎オリオンズへ入団することになった。昭和38(1963)年を最後に現役引退。
引退後、昭和63(1988)年に村山実監督の1年目にヘッドコーチに就任してタイガースに復帰したが、シーズン中に村山監督と意見が合わず6月に退任、フロント入りした。
OB会長を18年間つとめ、監督や指導者に厳しい意見を言いながら、選手たちを応援していた。平成14(2002)年には野球殿堂入りしている。
真田重男 ( 重蔵 ) 投手(再掲)
真田については、すでに背番号5で紹介しているのでそちら(タイガース背番号史 5の3)を参照。
タイガース背番号史 5の3 | タイガース非公式サイト2代目 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)
小山正明 投手
この大物が、ここで出てきてしまった。通算320勝の大投手は背番号47のほうがオールドファンにもなじみ深いが、1番から順次記述してきたので登場順の関係でここで書かなければならない。
兵庫県高砂高校の出身の小山は、高校時代全くの無名。書道教師の父親が阪神の社長あてに入団テストを受けさせたいと達筆の手紙で懇願し、臨時テストでコントロールの良さを評価され打撃投手として入団している。月給は5000円、球団女子事務員の初任給8000円より安かった。
昭和28(1953)年、入団して最初にもらった背番号は「49」。これは監督やコーチも含めた当時のタイガースで一番大きい番号であり、まさに補欠といった扱いだ。しかし8月に一軍に呼ばれると、16試合の登板機会に恵まれ5勝1敗、防御率3 . 41の成績を残すことができた。そのうち先発も10試合あり、完投3・完封1を記録して、のちの片りんを見せている。
小山は「針の穴を通すコントロール」と言われたように制球力が持ち味で、球数少なくテンポがいい。そのため完投数が他の投手に比べて圧倒的に多い、まさしく「先発完投型」の典型的な投手だった。
1年目の成績が認められた小山は2年目から「背番号6」に代わり、昭和31(1956)年までの3年間背負う。普通は野手の背番号だがたまたま空いたからだと思われる。
2年目は11勝の二けた勝利、この年のチーム最多勝でもあった。3年目は7勝と足踏みしたが、昭和31(1956)年には17勝13敗、防御率1 .
67の好成績でローテーションに定着する。
次の写真は「背番号6」がかろうじてわかる。WEB上を散々探してみたが、当時のユニフォームの前面には番号が入っていなかったので「6」が見えるのはこの写真以外みつからなかった。貴重です。お若い。
昭和32(1957)年は1年だけ「14番」を着けている。この年は援護に恵まれず15勝17敗と負け越しているが、防御率は2 .
38なので調子が悪かったとは言えないだろう。
初めて20勝を超えたのが入団6年目、背番号が「47」に変わった昭和33(1958)年だった。(この番号が小山にとってトレードマークになった)
53試合に登板し24勝12敗252奪三振、防御率は1 . 69という抜群の成績を残した小山は、53試合のうち先発が34試合、そこで24試合に完投しているのが驚異的だ。仮に完投率というものがあるとしたら70 . 6パーセントになる。先発すれば7割を一人で投げ切っており、ブルペンは大いに助けられただろう。翌年からの数字もすごいので並べてみる。
昭和 34 ( 1959 )年 52 試合 20 勝 16 敗 254 三振 1.86 完投 22 完封8
昭和 35 ( 1960 )年 60 試合 25 勝 19 敗 273 三振 2.36 完投 23 完封7
昭和 36 ( 1961 )年 46 試合 11 勝 22 敗 204 三振 2.41 完投 18 完封4
昭和 37 ( 1962 )年 47 試合 27 勝 11 敗 270 三振 1.66 完投 26 完封 13
昭和 38 ( 1963 )年 34 試合 14 勝 14 敗 98 三振 3.59 完投 12 完封0
毎年のように恐るべき完投数だが、特にリーグ優勝した昭和37年の成績は突出しており、先発40試合!、完投26試合、完封13試合、無四球10試合はいずれもリーグトップ。奪三振270もリーグ最多で文句なしの沢村賞受賞だった。
昭和36年は全く援護が期待できない打線を背負い、22敗とリーグ最多の敗戦を記録した。昭和38年にも成績が落ちているが、長年の勤続疲労と前年の優勝争いでの酷使が影響しておりやむを得なかったと思う。
昭和37年は沢村賞を受賞したがリーグMVPは25勝で防御率1 .
20の村山実が受賞しており、このころから不仲説が流れ始める。
また、その年の日本シリーズ第7戦では先発して9回まで無失点に抑えたが0対0で延長になり、10回表に1点を失った。小山はこれで負けを見切ってロッカールームに引き上げて風呂に入ってしまう。しかし10回裏に阪神が1点を挙げて追いつき延長戦は11回へ突入した。ところが投げ続けるはずの小山がベンチにいない。風呂の中だ。慌てて村山をリリーフに出したがホームランを浴びてしまい、その裏でシリーズは終わった。これも不仲説に追い打ちをかけたようだ。しかし、小山は実際には仲が悪いということはなかったと言っている。
貧打から脱出したいタイガースの藤本定義監督は大毎オリオンズの山内和弘に目を着けていた。昭和38年に小山が不調になると、小山を放出して山内と交換する画策を進めていた。
山内は10年選手制度での巨人移籍を望んでいたようで、これを否とするオリオンズは小山とのトレードに乗り、エースと4番打者の交換という「世紀のトレード」が成立、小山は11年間在籍したタイガースを去ることになった。
昭和39(1964)年、オリオンズに移った小山は30勝12敗、防御率2 . 47の成績を上げる。昭和40年20勝、昭和41年も20勝と主力として活躍、9年間在籍している。現役最後の1年は大洋ホエールズで15試合4勝4敗だった。
実働21年で通算856試合320勝232敗、3159奪三振、防御率2.45というとてつもない数字を残す大投手も最初は5000円のテスト生だったことを思うと信じられない。
引退後、タイガースでは3度にわたって一軍投手コーチを務めており、アドバイスを受けて成長した投手は多い。ベテラン投手の使い方も上手かった。
まとめ
やっぱり「背番号6ってすごいんだあ」って言いたいところだけど、田宮さんも小山さんも一時的に着けた番号で、みんなが認知してるトレードマークの番号じゃないのよね
でもそういう人が着けてたってことが番号に重みをくわえていくんだよきっと あのひともこの番号背負ってたのかってね
6-3に続く
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