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チョーサン8278さんFreepage List
背番号15(その4)
背番号15の第4回目です
背番号「15」は谷村さんが5年着けたあと 赤松一郎さんが2年ちょっとで故障し引退 そのあとの上田次朗さんもわずか数か月着けただけで引退 その翌年の1983(昭和58)年は誰も着けてないのね ちょっと危なっかしい番号になってきました
その後もこの番号はしばらく輝くことがなかったのよ この4回目では「15番」の黒歴史がつづいてます
稲葉 光雄 投手
古くからのタイガースのコアなファンであっても、稲葉がタイガースに在籍したことを忘れてしまっているのではないか?
稲葉光雄は静岡県清水市出身、静岡県立清水工業高校から社会人の日本軽金属に進んでいる。1968(昭和43)年のドラフトでは広島から6位指名を受けるが拒否。1970(昭和45)年補強選手として大昭和製紙の優勝に貢献してドラフト2位で中日ドラゴンズへ入団している。
プロ野球の投手と思えない174センチ67キロという小柄で華奢な体格だったが、ボールにはキレがあり、ルーキーの1971(昭和46)年にいきなり21試合に登板して6勝0敗、防御率1 . 06の好成績を挙げた。
2年目の1972(昭和47)年は周囲が驚く飛躍を見せる。38試合で20勝11敗、リーグトップの8完封勝利が光る。261回1 /
3を投げて防御率も2 .
76と素晴らしく、星野仙一を押しのけてエースの活躍だった。

しかしこの大車輪の活躍は、体格に恵まれない稲葉にとっては負担と疲労の積み重ねであり、翌1973(昭和48)年に6勝13敗と大きく負け越すと、29年振りに中日がリーグ優勝した1974(昭和49)年はひじを痛めてしまいわずか4勝と貢献できなかった。
その後も7勝、3勝と低迷が続いたため1976(昭和51)年のオフに島谷金二、大隅正人とともに交換トレードで阪急ブレーブスへ放出される。
ところが阪急に移った1977(昭和52)年に見事な復活を遂げる。ローテーションに組み込まれて30試合に登板、17勝6敗1セーブの好成績で防御率は2 .
45、勝率 .
739で最高勝率のタイトルも獲得した。

翌年からも10勝、11勝、5勝、11勝、7勝と貢献し、通算104勝のうち阪急時代に58勝を挙げている。しかし最後は衰えが目立ち戦力構想から外れた。
1984(昭和59)年、金銭トレードでタイガースに移籍、空き番だった「15」を着けたが、結局一軍の試合で投げることはなく引退。何のために獲得したのかわからないままタイガースを去った。
引退後は中日や日本ハムでコーチを務めるほか野球解説でも活躍したが、2012(平成24)年8月11日に63歳で亡くなった。
嶋田 章弘 投手
和歌山県有田市出身。簑島高校2年時の1983(昭和58)年には吉井理人の控え投手として夏の選手権に出場、翌年はエースとして出場したが2回戦で敗退した。速球派の右腕投手として評価されたが、俊足で左打席でのバッティングも好く、いわゆる万能選手だった。
1984(昭和59)年のドラフト会議では広島とタイガースが指名したため抽選となり、タイガースが交渉権を獲得し入団する。背番号は前年稲葉が着けていた「15」。この番号を着けた2人目のドラフト1位選手となった。また、同ドラフトでタイガースは社会人住友金属にいた実兄・嶋田宗彦を4位指名で獲得し、兄弟同時入団で話題になっている。

ルーキーイヤーの1985(昭和60)年8月にプロ一軍デビュー。この年は高卒1年目ながら10試合(先発3試合を含む)に登板しており、球団の期待のほどがうかがえる。9月15日の中日戦では8回までノーヒットに抑える快投も見せたが、この年は0勝0敗に終わる。
翌1986(昭和61)年は11試合に投げたが2敗、シーズン中に右肩を痛めてしまい、1987(昭和62)は登板なし。1988(昭和63)年にアメリカで手術を受け復活を目指すが、やはり一軍登録されるまでに至らず、オフには任意引退扱いとなる。
1989(平成元)年には背番号を「60」に替えたが、この年も翌1990(平成2)年も投手として復活することはできず、プロ6年目が終わる。

だがさすがにドラフト1位だけに球団も簡単に見捨てることはなく、1991(平成3)年にはもともと評価の高かったバッティングを生かして外野手転向に挑戦させ、一軍公式戦で27試合に出場し68打数15安打の成績を残す。しかし翌年はたった2試合でノーヒットに終わり、1993(平成5)年には59試合で158打数39安打を記録したものの、外野は新庄や亀山が台頭して居場所はなくなり、シーズンオフに米崎薫臣とのトレードで近鉄バファローズに放出されてしまった。
近鉄でも野手として登録されたが2年間で25試合33打数3安打の成績に終わり、1996(平成8)年には中日へ移籍。最後のチャンスだったがわずか4試合しか出場機会はなく、現役を退いた。
引退後7年間中日に残ってスコアラーを務め、2004年にはタイガースに復帰して2023(令和5)年現在もチーフスコアラーとして貢献している。
鶴見 信彦 内野手
この選手を覚えている人がいたら相当なタイガース党ではないだろうか?ドラフト2位でありながらタイガースには2年間しか在籍していない。2年目のオフにトレードに出されるが、行った先は読売ジャイアンツという非常に珍しい経歴だ。タイガースと読売の直接選手交換によるトレードは鶴見以降は2023年現在まで例はない。
鶴見は神奈川県相模原市出身。向上高校では右投げ左打ちの遊撃手としてクリンナップで活躍し、三菱自動車川崎へ進む。社会人時代は怪我が多かったが、その広角打法が「篠塚二世」などと呼ばれるほど評価の高いショートストップだった。
1988(昭和63)年のドラフト会議でタイガースが2位で指名するも、重要な戦力であるため三菱自動車側が移籍拒否を表明したため、他の指名選手が合同入団発表を済ませた後も交渉が難航する。最終的に鶴見は会社の慰留を振り切って自分の意思でタイガースと契約し、12月27日、たった一人の入団発表会見に臨んでいる。背番号は嶋田章弘から「15」を譲られた。
入団までに大変な騒動だった鶴見はプロでは全く振るわなかった。タイガースでの1年目1989(平成元)年は一軍登録されず、ウェスタン54試合で打率 . 221の10打点。
1990(平成2)年も一軍に上がることなくウェスタンで36試合、打率 . 205の6打点という成績しか残っていない。この年のオフに読売との間で石井雅博との交換トレードが成立しジャイアンツに移籍した。
しかし読売ではイースタンですら1試合しか使ってもらえず、1年で自由契約となって引退している。
まとめ
稲葉さんねえ・・・このころのタイガースを見ると
1981(昭和56)年に高橋重行さん
1982(昭和57)年には永尾泰憲さん・上田次朗さん
1983(昭和58)年は野村収さん
1984(昭和59)年が一番多くて稲葉光雄さんのほか弘田澄男さん・岡義朗さん・山内新一さん・太田幸司さん
というように他球団で不要になったベテランを次々獲得してるのよ この傾向は1985(昭和60)年の長崎啓二さん、1986(昭和61)年の柏原純一さんなどと続くけどね
確かに活躍してくれる選手もいたけどその期間は短いし 役に立たない選手のほうが多いわ 稲葉さんなんて戦力になるとおもって獲得したのか怪しいよ? はっきり言って引退の花道を飾る球団になってるわ!
嶋田章弘さんは残念な選手だったみたいね 高校時代にトップクラスの大活躍はしてないけど高い将来性を評価されて1位指名になった選手ね ほかにも源五郎丸洋さん・安達智次郎さん・遠山昭治さんなんかがそんな感じね こういう未完の大器はなかなか育てるの難しいんだろうな・・・
鶴見さんはなんて言ったらいいのか・・・大騒ぎしてタイガース入りした割に一軍登録すらないままトレードされて通算3年で引退って何だったの?三菱自動車の判断に従ってたほうが身のためだったような・・・さすがに一軍の試合に一度も出てないから写真は見つからないよ

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