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列伝28 リチャード・オルセン
Richerd Olsen (1983 ~ 1984)
生年月日:1957年6月1日
背番号43 右投右打・投手
出身地:アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル
球 団:阪神 (83 ~ 84)
表彰等:なし
阪神在籍:2年 42試合6勝11敗1セーブ165回1 / 3 97奪三振 自責点77 防御率 4.19
(1)入団テストに合格も入団は「無期限保留」
1983 (
昭和58 )
年2月、阪神はハワイ・マウイ島の春季キャンプで、リチャード・オルセン投手の入団テストを行なった。
ホノルル出身のオルセンは
1978(昭和53)年のドラフトでミルウォーキー・ブルワーズから4位指名されプロ入りしたのち、メジャー昇格の経験のないままトリプルAで伸び悩んでいた右オーバーハンドの投手だ。

外国人選手枠は、アレン、バース、ストローターの3人で埋まっており、オルセンの入り込む余地はなかったが、先発投手の絶対数が足りないという悩みを抱えていた阪神は、とりあえずオルセンに合格点を与え、入団については「無期限保留」ということになった。
3名の野手のうちシーズン半ばまでに戦力外と見做される選手が出た場合は解雇し、オルセンを入団させようという戦略だった。
(2)低迷するストローターの解雇、オルセン入団
公式戦に入ると、阪神は苦しい戦いが続いた。期待の大砲・バースは、オープン戦で受けた死球による骨折の影響で出遅れ、4~5月は大不振。
キャンプ時に評価が高かったストローターも、思ったほど働いてくれない。アレンは、前年から進歩の跡が見られない上に5月に骨折でリタイアし、レギュラーでは骨折から復帰したバースだけがどうにか戦力になっていた。
心配されていた投手力の方も、深刻な状態になってきた。阪神は6月9日から17日にかけて6連敗を記録し、最下位に転落するのだが、連敗中の失点合計は実に49。一試合平均8点を取られている。この惨状にたまりかねた首脳陣は、手薄な投手陣の建て直しのため、保留にしていたオルセンの獲得を決断することになった。
阪神は外国人選手枠を空けるため、6月29日にストローターを解雇。代わってオルセンが支配下選手登録されたのは、7月18日だった。背番号は「43」。外国人投手の入団は、バッキー退団以来、15年ぶりのことだった。
(3)上々の内容と評価された1年目のオルセン
8月10日、オルセンはアレンと入れ替わりで一軍登録され、翌11日の広島16回戦で、いきなり初先発した。オルセンは張り切って先発マウンドに登ったが、初回に2点を取られると、3回にも1点を失ってノックアウト。本人も「緊張して力んだ」と認めたように、球威・制球ともに最悪だった。
デビュー戦で3回しか投げなかったので、首脳陣は8月14日のヤクルト10回戦に、中2日のオルセンを先発させる。前回に比べて硬さがとれたオルセンは、5回まで角富士夫のホームランによる1失点に抑える好投。その間に味方が6本塁打で大量援護するという、理想的な展開に恵まれた。6回、マルカーノに2ランを浴びると、7回からは池内にバトンタッチしたが、7安打3失点で初白星を手にしている。

その後はローテーションに組み込まれ、8月31日の広島18回戦で2勝目、9月22日の中日20回戦では、8回まで0点に抑える快投を演じ、最終回に2点を許したものの初完投で3勝目を飾った。
10月に入ると、残留を前提にしたリリーフのテストも行われた。10月5日のヤクルト22回戦、7回裏に阪神が2点を勝ち越すと、三番手として登板し、8~9回を無失点に抑えて幸運な4勝目を挙げている。24日のヤクルト26回戦では3対1の場面で救援、8~9回を無安打零封し、セーブポイントを挙げて締めくくった。
オルセンの1年目の成績は14試合で4勝2敗1セーブである。防御率3.51も悪くないし、先発・救援とも及第点がつけられ、1年に換算すれば10勝以上がクリアできそうな数字だった。
シーズン終了後、小林が引退を表明したことで、オルセンは貴重なローテーション投手候補として、残留が決定的になった。その一方で、阪神はアレンを解雇する。第三の外国人枠は、「ほとんど意味がない」という結論が出ていたため、アレンに代わる外国人選手の補強は見送られた。
(4)春季キャンプで投球フォームを改造
1984 (
)
年、3年目を迎えた安藤監督は、打線については十分な手応えを感じていた。しかし、小林の抜けた投手陣はいかにも手薄で、前年13勝を挙げた工藤一彦が軸になるにしても、野村収や山内新一といった超ベテランにも頼らざるを得ない状況だった。これではオルセンに過大な期待がかかったのも無理のない話で、事実、キャンプの段階では開幕投手の最有力候補にも挙げられている。

1年目のオルセンは、「ギクシャクとしたフォームで荒れ球」というのが持ち味になって好結果を残した。しかし、2年目のシーズンを迎えるにあたって首脳陣は特長を生かすのではなく、フォーム改造を命じた。
もともとフィニッシュで身体が1塁側に流れる癖があるためシュート回転する。その点を修正すれば制球力が増し、無駄な四球も減って、先発としての能力が上がると考えたからだ。オープン戦終盤に出てきたときには、前年よりスムーズではあるが、大人しいフォームに変っていた。
(5)フォーム改造が裏目に、返って増えた四死球
開幕投手は野村に譲ったが、4月7日、開幕2戦目の巨人2回戦に先発したオルセンは7回を2安打4奪三振、中畑のソロによる1点だけに抑えて勝利投手になる。
次の登板も13日の巨人4回戦だったが、7回5安打2失点の好投だった。
ところが、ここからツキがなくなったのか、21日の大洋4回戦は、6回を4安打2失点とまとめたが味方が1点に抑えられ敗戦投手に。続く26日の広島3 回戦でも8 回を5安打2失点と力投したのに、打線が完封され黒星が先行してしまった。

5月2日の広島4回戦も、6回途中まで3安打無失点。しかし、6四死球と荒れて球数も多く、常に走者を背負う投球だったため、4対0とリードしながら交代させられる。このまま逃げ切れば勝ち投手だったが、リリーフ陣がこのリードを守れずに逆転負けを喫したため、勝ち星を失って完全に運に見放された。
ここまで、1試合 ( 9イニング ) に換算すると7.6個の四死球を与えており、フォームの改造がコントロールの向上には結びつかなかった。しかもモーションが小さくなったため、球威は前年より落ちている。その影響がまともに出たのが5月8日の中日3回戦だった。
この試合、1回に1点を失ったが、2回表に阪神が2点を挙げて逆転する。しかし直後の2回裏、オルセンは田尾の逆転2ランを浴びてしまう。4回表に同点に追いつくが、その裏には中尾の勝ち越しソロを許す。5回表にバースのホームランなどで再びリードしてもらっても、その裏に連打を浴びて1点差に追い上げられた。
ベンチの我慢もここが限界で、ついに降板。制球がままならず、苦し紛れにカウントを整えに行った甘い球を痛打されるというパターンの繰り返しだった。この試合を境にして、オルセンは転落の道をたどっていく。
(6)先発失格、劣勢ゲームの敗戦処理に
5月13日の巨人9回戦から7月5日の大洋15回戦まで、9試合に先発したが、いずれも散々な内容で6連敗。首脳陣はローテーション投手として見切りをつけ、7月8日の広島13回戦からはリリーフにまわしている。オルセンは、それから1ヶ月以上の間、黙々と敗戦処理を続けなければならなかった。

8月19日の広島21回戦。KOされた中西のあとを受けてロングリリーフし、6イニングを1安打無失点に抑えて久しぶりに好結果を出した。これを見た首脳陣は、24日の中日21回戦で、オルセンを2ヶ月ぶりに先発起用する。ローテーション復帰に向けてのテスト登板だった。ところが力んだオルセンは、1回に谷沢のソロ、2回にも宇野にソロを浴びると、4回は1死も取れないうちに上川の3ランを見舞われて計5失点、木っ端微塵にされてしまう。
こうしてオルセンは、与えられた最後のチャンスを逃がした。かえって自らの進退を決定づけたとも言えるだろう。9月以降は敗戦処理で3試合登板しただけでシーズンを終える。2勝9敗、防御率4.65では残留の目はなかった。
(7)イタリアのチームで永久欠番?
1984年10月6日の午後、球団事務所に呼ばれたオルセンは、岡崎代表から来期の戦力外であることを通告され、退団が決定する。アメリカで芽が出なかったオルセンにとって、小林の穴を埋める戦力として期待されたこの1年は、大きなチャンスだったが生かすことができなかった。だがオルセンの後釜として入団するリッチ・ゲイルが翌年の優勝に貢献するわけで、何が幸いするかわからないのが野球だ。
オルセンは、野球を続けるため翌1985(昭和60)年にイタリアへ渡り、1991年まで現地のプロリーグに所属するセリエAのグロッセート・オリオールズで17年間も活躍。1990年にはパーフェクトゲームも達成し、彼の背番号「48」は同チームの永久欠番となったそうだ。
大学生主体のチーム「ハワイ・アイランド・ムーバーズ」の監督として何度も来日しており、 2012
年には元プロ野球選手の高橋一三が監督を務める山梨学院大学と対戦。結果は延長10回引き分けだった。
また、2023(令和5)年には沖縄のタイガースキャンプを訪問し、監督に復帰した岡田彰布と久しぶりに再会している。岡田監督の談は
「会うたけど分からへんな、あんな太ってたら(笑)」だった。

リチャード・オルセン[完]
オルセンの年度別投手成績


猛虎異人伝32 セシル・フィルダー 2025年11月07日
猛虎異人伝31 ルパート・ジョーンズ 2025年11月04日
猛虎異人伝30 マット・キーオ② 2025年11月02日