タイガース非公式サイト2代目

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タイガース非公式サイト2代目 @ Re[1]:タイガース背番号史 35-4(11/14) New! ヒロくん2010さんへ コメントありがとう!…
マリー@ Re:タイガース背番号史 35-4(11/14) New! 山本重政さんは覚えていますよ。というこ…
ヒロくん2010 @ Re:タイガース背番号史 35-4(11/14) New! おはようございます😃 雲の無い快晴の青空…
タイガース非公式サイト2代目 @ Re[1]:タイガース背番号史 35-3(11/13) ヒロくん2010さんへ コメントありがとうご…
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2025年11月13日
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背番号35(その3)

2代目タイガース非公式サイトです

みなさんこんにちは 背番号35の第3回目です 

1人目の交告(こうけつ)弘利さんは2代目と同じ岐阜県の出身 中津川市だから県でも一番東にあたり 中央高速道路の恵那山トンネルを抜けると向こう側は長野県ね 残念だけど5年間在籍して公式戦は通算12試合にしか出てないわ 情報も少ないし写真もない

今回は交告さんを含め2名の紹介にします 2人目の選手はすでに「猛虎異人伝10」で紹介した助っ人外国人選手だよ 覚えてるかな?

交告  弘利(こうけつ ひろとし)投手

実は2代目の地方にはこの苗字って珍しくないのよ 「纐纈」という字を使ってる場合も多いよ 同じように「こうけつ」って読むんだけどね 初めて見る人は絶対読めないだろうね 余談でした

岐阜県中津川市出身。高校は岐阜短期大学付属岐阜高等学校(現・岐阜第一高等学校)。180センチ75キロの恵まれた体格のサウスポーで、高校2年時にはすでに東海地区ナンバーワンの逸材とみられていた。知恵袋に入団前後の情報記述が残っているので少し長いが掲載しておく。

東海地方で本格派の速球投手ナンバー・ワンの折紙をつけられている岐阜短大付属高二年生、交告(こうけつ)弘利投手(17)は、地元中日をはじめ、近鉄、阪急、南海、大洋から誘われていたが「中退~プロ入り」に踏み切り、このほど家族会議の結果、阪神入りときめた。

同投手は2年生ながら、上背があり、左腕から投げおろす速球は超高校級の球威をもっている。今春近鉄がいちはやく目をつけ、岐阜県中津川の自宅を訪ねた。その後、中日、阪神、南海、大洋が名のり出て激しい争奪戦となった。

今夏の予選前まで中退する考えはもっていなかったが、予選後中日の攻勢が激しくなり、中日は本多スカウトが連日自宅参りして口説いたため、中退に傾いた。中退に踏み切った1963年7月20日すぎごろには、スタートの早かった近鉄と、地元の中日が有力だった。

とくに巻きかえしの強かった中日に傾きかけたが、家族の「地元ではあまりに身近すぎるので遠い球団の方が本人に独立性がもてる」という意向から中日の縁はうすくなった。

近鉄江田スカウトが都市対抗野球で東京に出かけたスキに阪神が強力に話を進め、30日夜自宅を訪ねた中日本多スカウトに父親が「阪神入り」の意思を明らかにしたもの。180センチ75キロ、左投左打。

高校2年生に対してものすごい争奪戦だが、ドラフトの無い自由競争時代はこんな感じのスカウト合戦が日常だったのだろう。交告は1963(昭和38)年のシーズン途中での入団で、背番号はとりあえず仮番号の「69」を経て「58」番をもらうがこの年の登板はない。

翌1964(昭和39)年、福浦健次の退団に伴って空いた「35」を受け継ぐことになる。しかし事実上のプロ1年目と言えるこの年、当時の阪神の投手コーチだった杉下茂も惚れ込んだ逸材と言われるが、実際に目の当たりにすると横手投げに近いフォームはギクシャクしており、ボールの伸びや切れは感じられなかったらしい。現実は体が硬く修正が難しい投手でプロでは伸び悩むことになる。

初登板は1965(昭和40)年になったがシーズン5試合に投げただけ。次の1966(昭和41)年も5試合、1967(昭和42)年は2試合になってしまい、もう伸びしろはないとみなされたようだ。

1968(昭和43)年も在籍したが登板はなく、シーズン終了後自由契約選手となってプロから身を引いた。

通算成績は12試合(先発3)で0勝2敗、18回2 / 3を投げ被安打18、11四球、9奪三振、自責点8,防御率3 . 86だった。


ジョー・ゲインズ 外野手

ゲインズ選手はすでに「猛虎異人伝」で先に紹介してるわね なのでそちらから短縮版として転載させてもらうね

1969年1月14日、戸沢球団社長が自らロサンゼルスに赴いて、当時ツインズ傘下の3Aデンバーに所属していた黒人選手ジョー・ゲインズ外野手と契約した。

ゲインズはレッズ~オリオールズ~アストロズでメジャーを経験しており、通算362試合に出場、771打数186安打95打点21本塁打の成績を残している。マイナーリーグの通算949試合で打率2割9分8厘、76本塁打という記録を見る限りでは好打者だ。


 1968 ( 昭和43 ) 年は、3Aハワイ・アイランダース ( 過去にバッキーやカークランドも在籍 ) に所属し、打率2割8分7厘、8本塁打で25盗塁という数字を残している。どちらかと言えば俊足のアベレージヒッターだろう。

ゲインズは1969年2月14日に来日、入団時の年齢は32歳で、身長183 cm 、体重83 kg の体格は、日本人に混ざってもそれほど目立たない感じだった。

このときのコメントでは「変化球打ちには自信がある。打率2割9分以上、80打点、本塁打は15本プラス・アルファーが目標数字だ。」と語っており、本人にも中距離打者という自覚があったようである。背番号は引退した交告から「35」を引き継いでいる。

ゲインズは、3月2日の対阪急オープン戦に代打で初出場、そのままレフトの守備についたが無安打だった。3月8日の南海戦には3番・レフトで先発出場し、盗塁を決めたが、3回の守備で果敢に飛球を追ってレフトのフェンスに激突してしまう。

右顔面を強打して大阪厚生年金病院に運ばれ、検査の結果、右頬骨の骨折でそのまま入院という事態になったが、3月10日の精密検査で経過は良好との診断で退院を許される。

ここからがゲインズの頑丈さの驚くべきところで、3月15日の対ロッテ戦で早くも先発出場し、オープン戦初安打を放つ。3月20日の対近鉄戦の初回には、エースの鈴木啓示に先制3ランを浴びせ、大怪我を感じさせない回復ぶりを見せて周囲を安堵させた。

ただし、オープン戦での打点は鈴木から打ったホームランによる3打点のみ。打率は1割5分7厘と振るわず、不安は残った。

1969年4月12日、対大洋の開幕戦は3番レフトで先発出場し、公式戦初安打を記録。翌日のダブルヘッダー第2試合で2安打、続く15日のアトムズ1回戦でも1安打を放つと初盗塁も決め、順調な滑り出しを見せた。ところが4月19日の中日戦以降、ヒットは2試合に1本のペースに落ち、完全に失速してしまう。

ゲインズが目覚めたかと思わせたのは、5月27日の対アトムズ(現ヤクルト)4回戦だった。

この日の阪神打線は記録的な猛打を振るっている。3回表に1点を先取、5回表に2点を加えて3対0とリードして迎えた6回表、打者18人を送る猛攻で1イニング日本タイの12安打を浴びせ、挙げた13得点は日本新記録。

この中で、ゲインズの来日第1号2ランも飛び出した。前日までの成績が、打率1割8分3厘、打点1、本塁打0という内容で、信用を失いかけていたゲインズだったが、チームの勢いに便乗して来日第1号を含む2安打4打点と活躍したのである。翌日にも第2号2ランを放ってようやく調子が上向くかに見えた。

しかし、6月に入ると1日から6試合連続ノーヒット。この間にチームも首位から転落し、ゲインズは6月中旬から7月上旬まで約1ヶ月間、試合を遠ざかる。

スタメンに復帰した7月12日の中日戦で、第3号3ランを放ったが、これが日本での最後のホームランになった。

オールスター後の後半戦では代打要員としてベンチを温め、結局シーズン通算では、出場わずか51試合、打率は2割5厘、11打点、期待された盗塁も4個に終わっている。

公式戦終了後の10月23日、戸沢球団社長は梅田の電鉄本社にゲインズを呼んで戦力外を通告し、本人も了承し退団が決まった。

ゲインズはあまり活躍できなかったので写真がほとんど残ってない。そのかわり当時のテレビアニメ「巨人の星」の第117話の中で登場シーンがある。その試合のスコアボードの画像と合わせて掲載しておく。


まとめ

交告さんは高校2年の時から争奪戦が始まってたっていうから凄い選手のように聞こえるけど 入団してみるとすぐに評価が下がってるみたいなのね 

投球フォームが横手投げに近いとか伸びとかキレなんて高校在籍時にわかりそうなもんだけど?争奪戦になって目がくらんだのかな?それとも中日にとられるくらいなら妨害してやれってことだったかもしれないね

ゲインズさんは「異人伝」の方で もうすこし詳しく紹介してるので見てない人は読んでみてね 猛虎異人伝10 ジョー・ゲインズ | タイガース非公式サイト2 代目 - 楽天ブログ

背番号35-4につづく





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Last updated  2025年11月13日 08時10分10秒
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