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野球まめ知識

【外国人選手】

日本のプロ野球でプレーする外国人選手…

何人くらいいるんだろう・・・ 

日本でプレーする外国人選手は年々増えています。

今年、NPB全選手789人のうち

外国人選手は65人、全体の8%を占めています。

内訳は次の通りです。

アメリカ合衆国 37名、
ドミニカ共和国 5名、
プエルトリコ  4名、
ベネズエラ   4名、
メキシコ    3名、
ブラジル    3名、
韓国      3名、
台湾      2名、
中国      1名、
カナダ     1名、
パナマ     1名、
オーストラリア 1名。


【K】

新聞の見出しに「松坂、10K」などと出ます。

大リーグではスタンドに「K」のプラカードが並んだりする。

もうおなじみ「K」は「三振」のシンボルです。

これは記録員や野球記者がスコアカードに

試合経過を記入するとき「三振」を表わす記号です。

「三振」は英語で「Strike Out」、

ならば頭文字の「S」でもいいはずです。

「K」が「三振」を表わすようになった起源は、

1861年、ヘンリー・チャドウィックがスコアカード

に記録するシステムを考えたとき、

とされます。 「S」だと「盗塁=Steal」や「犠打=

Sacrifice」などと混同

するからとの説が伝わっています。


【「オープン戦」の語源探求】

キャンプが終わると、いよいよオープン戦が始まります。

ところで、この「オープン戦」という言葉、

英語には見当たりません。

日本でいうオープン戦は、アメリカでは

「エキジビション・ゲーム」で、

チームの成績に加えない非公式戦の

ことをいいます。
「ナイト・ゲーム」を「ナイター」といったのと同じく

、「オープン戦」も日本製の野球英語で

あるようです。

おそらく新聞記者が

ペナントレース開幕(オープン)を間近にひかえた

準備試合、という意味で創り出したのでしょう。

では、いつごろから使われ始めたのか。

古い新聞をさかのぼっていくと、

昭和17年(1942年)春に「

前哨戦」という言葉が使われている。

どうやら「オープン戦」は、戦後(昭和20年)

以降に作られたようなのです。

戦後のプロ野球の復活は昭和20年(1945年)

の11月23日、東西対抗戦からですから、

キャンプやオープン戦が行われていたは

ずがありません。

となると、セ、パ両リーグが誕生した

1950年(昭和25年)以降に、

当時の流行の最先端のセンスを

持っていた野球記者が「オープン戦」という

言葉を作ってくれた、と推理できるのです。


【ホームベンチは一塁側?】

 プロ野球のホームチームのベンチは、

なぜ、一塁側にあるのだろう。

『ルールブック(野球規則)』にそんな

規定はないし、セ・リーグ、パ・リーグの

『アグリーメント(申し合わせ事項)』にも見当たらない。

規則にないのだから、

ホームチームのベンチは一塁側でも

三塁側でも自由なのだ。

使いよいほう、たとえば駐車場に

近いとか、風通しがいい、

などといったベンチをホーム(家)にして構わない。

大リーグ30球団を調べてみると、

一塁ベンチをホームしている球団が

18チーム、三塁ベンチをホームに

するのが野茂のいるドジャースや

新庄が所属するジャイアンツなど12チームもある。

これは想像だが、日本で全球団の

ホームチームベンチが一塁側になっているのは、

昔、大リーグを調査に行った野球関係者が

観た球場のホームベンチが一塁

だったのをお手本にしたのかもしれない。

あるいは、ホーム球場制を採用した1950年の

2リーグ誕生のときに、

いち早くどこかの球団がホームベンチを一塁側に

したのに、横並びの好きな国民性から他の球団

もならったためだろうか?

例外は日本ハムのファーム。本拠地の

鎌ヶ谷球場は三塁側がホームベンチだ。

常連だけが知っている隠し チャット !(別に誰でも入っていいんでww)


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