ハンサムネコ ☆アビ☆

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縁起かつぎ



作 古賀準二

 N氏は、相当の縁起かつぎである。だから13日の金曜日の仏滅が近づくにつれて、段々と元気を失っていった。
 N氏のことを知っている家族や会社の同僚も、その日のことを話題にしなくなり、N氏自身も新聞やテレビを見なくなった。
 その日、N氏は、いつもより早く起きた。
「――今日は、とうとうナニの日だ」
 N氏は、その日のことを口に出すことさえ避けた。
「本当は、会社を休んで家でじっとしときたいが、職場で変な噂をたてられるのも癪だから出勤はする。しかし、今日に限って、バスや電車が故障したりするかもしれないから、少し早めに家を出よう」
 バス停近くの角を曲がったとたん、1匹の黒猫がN氏の前を横切って走り去った。
「南無三!」
 N氏は、くわばらくわばらとつぶやいた後、思いつくだけの魔除けのまじないを唱えた。
 バスの中で、N氏は家を出る時、妻が切り火をうたなかった事を思い出した。
「何て奴だ、今日に限って。もうろくしちまいやがって!」
 駅のトイレで小用をすませた後、ズボンのファスナーが急に閉まらなくなった。コートで前を隠すようにしてN氏は階段を上がった。
 その時に、ガムを靴で踏みつけた。
「チッ!」
 N氏は、先を案じた。
 電車を降りる時、人混みにまき込まれてコートのボタンが1個引きちぎられた。
 会社の階段で、N氏は転んだ。
 午前中の会議の席で、N氏は老眼鏡を家に忘れてきたことに気付いた。
「近頃は、物忘れがひどくなる一方だわい」
 とN氏は反省した。
 書類にメモを取っている時、突然、ボールペンのインクが切れてしまった。
 昼食は気分を変えるつもりで、初めての店へ入った。店内は混んでいて、若い女性と相席することになった。
 老眼鏡がなくても、前に座っている女性がうりざね顔のなかなかの美人であることはわかる。
 N氏は、彼女と同じ親子丼を注文した。
 ウェイトレスが持ってきた湯のみをのぞいてN氏は、今日始めて微笑んだ。
 中に茶柱が立っていたからである。
「美人と相席して茶柱とは、縁起がいいぞ」
 N氏は、これまでの凶事をすべて忘れることにした。
 美人が席を立った後で、N氏は食事をすませ、もう一度、あの茶柱を見ようと湯のみをのぞき込んだ。
「むっ!?」
 茶柱の真ん中あたりへ、もう1本の茶柱が横にくっついて、それは十字架そっくりだった。あわてたN氏は湯のみのお茶をこぼし、ホッチキスでとめたズボンのファスナーのあたりも濡れてしまった。
 会社へ戻ると、N氏は午後の時間が何事もなく過ぎ去ることを、ひたすら祈った。
 バスを降りた時、N氏は深いため息をついた。
「――これくらいですんだことを有り難いと思わなくてはなぁ・・・・・・」
 家が見えてきた時、頭上の電柱でカラスが一声鳴いて、N氏の肩のあたりへ糞をボタッボタッとたらして飛んでいった。
 N氏は乱暴にドアを開けると、大声おあげた。
「婆さん、塩をまけ、塩を! お前が今朝、切り火を忘れたせいで、わしは今日1日、散々な目にあったんだ。今日は、13日の金曜日で仏滅なんだぞ。もうろくしちまいやがって!」
 奥から出て来た老妻が、玄関口に差し込んであった夕刊をN氏の前に見せて言った。
「何を玄関で大声出してるんですよ。わたしは年は取っても、耳は丈夫なんですからね。
 もうろくしたのは、へえ、どっちですかね。見てごらんなさいよ、13日の金曜日の仏滅は、明日です」




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