ハンサムネコ ☆アビ☆

ハンサムネコ ☆アビ☆

車内にて



 午前七時三十二分、通常通り三分遅れで到着した快速列車に後続の学生に突き押されるようにして乗り込むと、俺はいつものように素早く周囲に視線を走らせた。
(あったあった)
 斜め前方五メートルほどの網棚にたたんだ新聞が載っている。俺は電車の揺れを利用しては人垣の隙間に体を押し入れ、少しずつそちらに移動していった。
 新聞や週刊誌にわざわざ金を払うのは馬鹿らしい。俺は毎朝、誰かが捨てて行ったものを拝借することにしている。
 二メートル進むのに五分かかった。せめて車内がもう少し空いていたら助かるのだが、といつも思う。
 苦労してさらに一メートル進んだとき、とんでもないものを発見した。あろうことか、向こうの方からあの新聞にじわじわと接近している男がいるではないか!
 新聞までの距離は俺とほとんど同じ、つまり二人は新聞を頂点にして二等辺三角形を描く位置関係にあった。しかしあちらはすでにライバルの存在を認めているらしく、明らかに必死の形相になっている。
(負けるものか)
 むくむくと闘争心が沸き起こった。
 男はサラリーマン風で、俺よりもいくらか若いようだ。だがこっちだって学生時代にラグビーで鍛えた体力はまだ衰えてはいない。
 俺は強引に突進を試みた。前の会社員が「ちっ」と舌打ちし、トウの立ったoLが痴漢を見るような目で睨んだ。しかしそんなことに構ってはいられない。これは男と男の勝負なのだ。
 今ややつは手で乗客を引きはがすようにして前進している。俺もスクラムの要領で重心を低くして肩から突き進んだ。
 新聞まであと一メートル。
 あと五十センチ。
 闘いはまったくの互角だった。俺たちは同時に網棚の下にたどり着いた。
 新聞の引っ張りあいになるーそんな予感がした。望むところだ、それなら腕力に勝るこっちが有利だ!
 俺は来るべき事態に備えて全身に力をみなぎらせつつ腕を伸ばした。
 そのときだった。男がふいにぴたりと動きを止めた。思わずつられてこちらも停止しそうになったが、しかしふっふっふっ、そんなフェイントに引っ掛かるほど俺は甘くないぜ。一瞬の間の後、俺は首尾よく新聞を手にしたのである。
(どうだ、見たか)
 俺は男をぐっと見据えた。やつはしばらくうつむいていたが、やおら顔を上げると、にやりと不敵な笑みを浮かべた。
(ふん、虚勢を張りやがって)
 俺は充実感と心地よい肉体疲労に包まれてさっそうと戦利品を広げた。だが、思いもよらなかったものが目に飛び込んできた。
(しまった!)
 それから三十分もの間、乗客たちの冷ややかな、しかし好奇心たっぷりの視線を浴びながら、俺は英字新聞を読むふりをし続けなければならなかったのである。

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: