中古住宅をリフォームして快適子育て

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インドで思う。



高校で学んだ世界史。
世界史を教えてくれた先生が言った言葉をずっと覚えている。
「インドを旅した人は必ず2つに分かれる。もう二度と行きたくない、という人。もう一度でも二度でも行きたい!という人。」
私は果たしてどちらになるのだろうか?と思った。
それから10年。
私はインドへと足を踏み入れた。

「貧富の差」と良く言うが、漠然としか分からなかった。
インドではっきりと分った。
豪奢な建物から100メートルと満たない場所にバラック小屋が建てられ、全身砂埃で真っ黒の人々が寝ている。
バラックならまだ良い方だ。
塀と木にかけられた布が日よけとなり、土にそのまま寝転がる親子。
衝撃的だった。

デリー、ジャイプール、アグラの三都市をバスで巡る旅の途中、カーニバルの車の渋滞に巻き込まれた。
町に住む子供達が、私達のバスに向かい、必死に何か伝えている。
「バクシーシか。。。」(めぐんで下さい、という意味)
私は冷房がききすぎた寒いバスの中で思った。
だが、親指と人さし指をこすりあわせる表現のバクシーシとはちょっと違う。
よくよく見ると、左手をひろげ、そこに右手の人さし指で何かを書く真似をしている。
「ペン?」
彼らはペンをくれといっているのだ。

前の席に座るおばさまが、1本ならもっているから、とバックをごそごそやりだした。そうすると、他のおばさまが「ひとりにあげたらダメだよ。他の子がかわいそう。」

後ろの席のおばさまは、「お前ら、もうちょっとまってろよ!ぜったいペンとノートをおくってあげるから!それまでがんばってよ!」と叫んだ。

私は、窓から差し込む36度の太陽を見ながら思った。
私達の寄付するお金は、もしかしたらここまで届かないのかもしれない。
お金持ちの人達がすべて持っていき、貧しい人達のもとには届かないのかもしれない、、、と。
原物支給が一番良いのかも。と。

そして、カーニバルの渋滞は解消し、バスは動き出した。

バスを追掛け、走る子供らを見て、私は謝った。
「ごめんね。ペン1本もあげられない。もっとたくさん持ってこればよかった。」
それでも彼らはそのことをなんとも思わない笑顔で手を振った。とても綺麗な白い歯を出して。
私はバスのカーテンに隠れて泣いた。

泣いている自分にびっくりした。
貧しさ、汚さ、なんともならない体制、カースト制がまだはびこっていること、所詮他国の問題である事、、、頭では分っているつもりだったのに、感情的になっている自分に驚いた。

日本に帰ってからも、彼らの事を思うのであろうか。
幸せな日本。綺麗な日本。豊かな日本。みんな綺麗な服を着て。交通も整って。道も綺麗で。おいしい食事。あたたかな家。あたたかなお風呂。ふわふわの布団。。。

インドでみんな何かを思う意味がよく分った。

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