四方山話に夜が更ける

四方山話に夜が更ける

June 23, 2008
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カテゴリ: 恋愛小説

  横浜は東京とは少し違う時間の流れがあるようで、ドルチェで過ごす時間も、港の

 見下ろせる丘の上にある祖母のうちも以前となんら変わることがない。温度の高い風は

 少し湿っているせいか、いつもよりも潮の香りを強く感じる。大学生というものは、

 どうしてあんなに長く夏休みがあるのだろう。梅雨もあけきらないというのに、果歩の

 夏休みはもうすでに始まっていた。「たまにはお祖母ちゃんに顔を見せて、安心させたら

 どうなの」という果歩からの一本の電話で私は横浜に戻ってきた。桜木町からバスに

 乗って丘の上までやってきた。日曜日の喧騒といっても東京のそれとはあまりにも違う。

 観光客は実にのんびりと、品よく横浜の街を楽しんで散歩しているようだった。

  私は洋館の脇に変わらない姿で立つケヤキの大木に挨拶をして、手摺越しに見える

 横浜港の景色を確認した。うちに戻ると祖母は驚いた様子だったけれど、嬉しそうに私

 をうちに招き入れてくれた。祖母にとっては、私はいつまでも子供のままらしく、「お昼

 ご飯は食べたの」とか「お茶を入れるから座りなさい」と世話を焼きたがるのは変わら

 ない。中学になって突然現れた孫娘と、そうすることで心が繋がると信じているの

 だから、私はそれに従うだけだ。果歩は私たちがここに越してくるずっと前から自主的に

 祖母に会いにきていたから、祖母とこのうちによく慣れ親しんでいる。それに対して、

 私がなかなか馴染めないのは、私が中学で初めてここにやってきたからという理由だけ

 でなく、自分の居場所にこだわり続ける私の損な性格のせいなのかもしれない。目の前

 に差し出されたお茶をすすりながら茶菓子を頬張って、私は祖母に言った。

 「私、ちょっと散歩にしてくる。果歩が帰ってきたら携帯に電話してって伝えてくれる」

  日曜日の夜、店の中に客の姿はまばらだった。ドルチェに行けば、そこは我が家の

 ような気持ちになれる。ビールサーバーからグラスを少し離してビールを注いで、グラス

 の底に5センチほど泡をためる。少し置いて泡が落ち着いたらグラスを傾けてサーバー

 の口を斜めに深く差し込んで、静かにビールを注ぎ込む。美味しそうに注がれたビール

 のグラスを果歩の前に差し出した。まだコツを忘れてはいないようだ。

 「琉夏、いつでも帰ってこられるな」

 そう言って前島は嬉しそうに笑った。私は肩をすくめて見せて、浮かない顔の果歩の

 隣に腰をおろした。結局、帰って来いと言った果歩には別の話があったらしい。

  男女間の話というのは、細かい部分に踏み入って友人に訊くことはむずかしい。ハグ

 をしただのキスをしただの、そんなことを自慢げに話す友人はいても、ベッドの上で繰り

 広げられることの全てをあけすけに話す人は多くない。ただ果歩にとっては、いつの間 

 にか私がそのひとりになっていたというのは、理解できないことではない。長い間ふたり

 だけの時間を過ごし、誰にも言えない心の葛藤を自分の中に秘めているということは、

 お互いに心の底を知り合っているからこそ言わなくても解り合えたことだった。そして

 離れて暮らすようになって、初めて自分の言葉を表現できるふたりに成長したような

 気がする。

 「ゆるせない・・・」

 果歩は杉崎貴彦と三年近くも付き合っていたというのに、二股をかけられていたことに

 全く気づくことがなかった。「私は絶対お母さんのようにはならない」というのが口癖

 だった果歩は、いくつになっても少女のように将来の夢を語る。未来は「今」を積み

 重ねた延長に過ぎなくて、私にとって果歩が語る恋愛や結婚の話は、姿の見えない

 侵略者のようにしか思えなかった。

 「おねえちゃんは、いったい何が許せないの。貴彦が果歩の以外女と付き合っていたの

 がゆるせないの? それとも、自分ひとりで満足しなかった貴彦がゆるせないの? 

 それとも、貴彦を寝取ったその女がゆるせないの?」

 私がそんな冷たい言葉を投げかけると、果歩の目から涙が流れる。

 「おいおい、琉夏。果歩ちゃんを泣かせてどうするんだよ」

 前島はそういって私をにらみつけるような顔をしたが、その表情には果歩に同情する

 ような雰囲気は全くしない。私は前島が私と同様に、人の涙に動揺するような同情心を

 持ち合わせていないことを知っている。

 「おねえちゃん、もっと自由になれないの。男は貴彦だけじゃないし、つくすだけが男を

 つなぎとめる方法じゃない」

 「ばか琉夏。あんたに何がわかるのよ。私が今まで貴彦をどれだけ好きだったか

 知らないくせに」

 「そうなの? ほんとにそんなに好きだったの? 貴彦に好きと思われていなくても好き

 だったの」

 「貴彦は私のことを好きだと言ったもの」

 「うーん、その好きは何が好きだったのかな。果歩のことが好きだったのか、果歩の

 身体が好きだったのか、それともいつでもさせてくれる果歩が好きだったのか・・・」

 「ひどい・・・。琉夏、あんたは人を本当に愛したことがないんだよ。本当に好きな人に

 抱かれたことがないのよ」

 「そういう果歩だって、結局は貴彦のこと、全然分かってなかったくせに」

 「もういい、なにも言わないで。貴彦がどういう人だったか分かってよかったのよ」

  私は果歩のそんな言葉を聞きながら、前島とふたりで顔を合わせて苦笑した。

 私の顔は母とよく似ている。丸い童顔は、私のサイケな性格とは合致しない。果歩は

 母親とは容姿はあまり似ていないが、その性格は、実は母親に似ているのではないかと

 思う。「私はお母さんのようにはならない」というのが口癖だった果歩が、未来に夢や

 希望を持ち続けられるのは、母と同じように女の性を持ち続けられる才能があるから

 のように思えてならない。

   私は人を好きになったりしない 

  そんなことを決めたわけではないけれど、なぜだか私は人をあまり好きになることが

 なかった。誰かを好きになると、その相手のことを考えて、まだ起きてもいない将来の

 ふたりの様子を夢想して、時に空高く舞い上がるように心を弾ませ、時に不安で胸が

 締め付けられるような気持ちに苛まされる。

  できるなら、人に振り回されて生きるより自分の今を生きることに夢中になれる人生が

 いい、と思ったのは、たぶんあの頃の私は、自分以外の中に本当の自分をさらけ

 出せる心地いい居場所を知らなかったからで、私はそんな居場所が見つけられる

 なんて思ってもいなかった。

                                                  つづく






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Last updated  June 23, 2008 05:48:45 PMコメント(0) | コメントを書く
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