マリィのつぶやき

2005年08月08日
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カテゴリ: 日記
蓮華寺では時々住職やまた別の僧侶を呼んだりして講話の会が開かれていたようである。


飯山は信州一の仏都とは藤村の言葉ですが、そうなんでしょうね、仏壇通りがある街です。
お寺も多いが仏壇屋も多い。
千曲川を近くにし、その沸き出でる霧、つまりは水蒸気が漆器などにとり非常にいい環境だということで仏壇作りが盛んになったということもあるようです。
また冬は雪に閉ざされ工房でひとつひとつ気の遠くなるような作業に没頭できる環境にあったということもあるかもしれません。




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高校のときの野球部の友達の一人フジシンは仏壇屋で、今はなぜか私の兄と仲が良く 最近亡くなった義姉 の仏壇もようやくできました。彼は平成天皇の即位の礼に使用した弓なぞも作っている。
そんなところが仏都の名残なのだが、もちろん私や彼にとっては当たり前のこと過ぎて何の感想もわくものでもない。
なかなかいい仏壇をつくっているので ちょいと見てやってください。





臨済宗の傑僧、道鏡恵端禅師(正受老人)とその弟子、白隠の話が 出てくるくだりがある。


白隠は正受老人に禅問答を挑んだのであろう、ことごとくこてんぱんにやっつけられて、ある日、取り入れの頃。
街はずれの稲わらの積み重なったところへ寝転がっていたというのだ。
それが反対側にいた農夫には見えなかったらしく何かの拍子に振り下ろした棒に白隠は叩かれてしまいそこで気絶したというのだ。
そしてそのショックで悟ったと、、、(爆
その場所を記念して静観庵(じょうかんあん)というものが作られたということだ・・・


という話が大変面白くて、、、という風にでてくる。
その静観庵というところはどこだか、あるのかないのかさえ私は知らないのだが、やはり飯山からは正受老人と白隠の話は避けて通ることは出来ないようだ。


取り入れ



その白隠がバキっとやられて悟った場所はどこだか分からないし、一説によると油屋の前で転んで悟ったという話も出てくるのだが、これまたその油屋もどこだかは分からない。
この正受老人と白隠の話はかれこれ300年ぐらい前の話なのだ。

破戒の中ではもう飯山の人はこの正受老人と白隠の話を忘れているというように出てきていた。



もちろん飯山線もないし、まだ舟がリッパに用を足していた。そりも然り。

街は栄えていたようだし、現在はいろいろな意味でものすごく変わった。


しかしなぜか私には変わらないものが感じられる。
それはなんなのだろうか。



上の渡しがあったところ。

綱切橋

これは今の綱切橋。向こうに新幹線の橋脚が見えている。
あんまり意味のない公共事業だ。
しかしこれで助かっている人もいる。
田中知事のことをこういう風に言う人がいる。


「100年後の事を考えて行くのはとても大事だ。
でも100年たつ前にみんなおっちんでしまうよ」・・・





民営化、、、
どうなんでしょう。
官僚が私物化するからそうできないように、というなら本末転倒。
まず官僚を「民営化」せよ!


またこれで(選挙で)税金が使われるんです。
でもポスターやたて看板で喰ってる人もいるんです、、、
あゝ






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最終更新日  2005年08月09日 23時02分38秒
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