マリィのつぶやき

2005年08月12日
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カテゴリ: 日記
信越線の開通は明治26年となっている。


破戒を読むと100年前の飯山の街はけっこう盛っていた。
そういえば母親の話で 戦争で亡くなった兄 が小さかった母を自転車のケツにつけて(後ろに乗っけること)街まで行くことがあった。母親の実家は街から2,3キロほどのところだ。
そうしてとある場所まで来ると兄は母にお菓子を買い与えてここで待つようにと言う。
お菓子がうれしくて母親は兄が来るのを待ったという。

何のことはない、どうも「女郎を買っていた」ということらしい。
小さな妹を乗っけていくと「怪しまれ」ないからだ!

飯山を知っている人はきっと「それってどのあたり?」と思うだろう。
たぶん鉄砲町だよね、きっと。
母親の話からすると「よし清」のあたりからなくなった「まるごん」の裏に1本道があるけどあのあたり。
(話がかなりローカルだなぁ)

実はこの信越線、飯山を通る予定だったのです。
しかし、、、飯山の人たちの「反対」で結局豊野から国道18号線沿いに妙高へ抜けるルートとなったのです。

そのあと後の飯山線になる「飯山鉄道」が1921年に飯山まで開通します。
この飯山鉄道が戦争の何たらで国有になったんです。

1923年には飯山以北が開通して母親の実家のすぐ横に汽車の線路が敷かれました。
1921年て大正何年?調べるのが面倒だわ。
そのときのことを母親は覚えています。





ガソリンカー
飯山鉄道の頃のガソリンカーの模型

飯山線蓮駅
今の飯山線のディーゼルカー
お分かりのように電線はありません。

私の記憶では中学生の頃まで蒸気機関車が走ってました。
C62とかです。たまに乗りましたよ。




結局信越線が通らなかったことも原因のひとつで飯山が衰退したということは、みんな知っています。

(通せばよかったと私が思っているのではありません)
いずれにしても100年先のことがもし分かったらえらいことです!
今は国そのものが「衰退」しているような気がしますが、飯山、だけじゃなく。



N君からメールをもらいました。


島崎藤村の「破戒」(岩波文庫)読んでみました。タイトルだけは知っていたのですが、今まで読んだことは一度もなかったのです。
飯山は自分にとってはとても身近なところです。高校に通っただけでなく、亡くなった祖母の出身地(静間)でもあります。小さい頃から飯山の話を聞かされていました。飯山ってなにかセンスのある街という印象がありました。城下町で古くから発展していたからでしょうかね。この本で明治時代の飯山の様子が知ることができました。言葉(方言?)なんかも興味深かったです。
「破戒」という小説、ストーリーは全く知りませんでした。結末は予想に反していました。明治の時代、しかも部落問題を題材にした小説となると悲しい結末になるのではないかと予想していたのです。物語は、飯山を後にするところで終わってしまいました。未来に続く終わり方で...。その先どうなったか、物語がもう少し続いていたらなと思いました。





N君とは3月に新幹線のことで話したことがあります。

納税者は株主か? 税金の使い道について最近お客さんと話したこと
さすがに皆さんからコメントをいただきました!

綱切橋
8日の日記にも書きましたが
さても飯山は100年前の借りを返すべく新幹線の工事が順調に進んでいるようです!


橋脚
上の渡し(綱切橋)のたもとはこんな感じです。

この写真は 長野県のウェブサイトの北陸新幹線ニュースレター より謹んで拝借し候・・・







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最終更新日  2005年10月11日 02時19分13秒
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