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愛夢舎をこの春に卒業し、4月から社会人になります。
愛夢舎で
生徒として過ごした中3、高2・3での3年間、
講師として過ごした4年間は
自分にとってかけがえのない経験であり、思い出です。
私の人生は
もはや愛夢舎なしでは
語れないものになりました。
そんな愛夢舎に感謝を込めて、
私が6年間の愛夢舎生活を通じて得た経験、
そして想いをこの作文に綴りたいと思います。
私は中学3年のとき、愛夢舎と出会いました。
当時は上藤沢の 小さな家
に愛夢舎はあり、
先生方も親身だったので、
第一印象はとてもアットホームでした。
野球部で野球に打ち込んでいたので、
塾にはそれまで行っていませんでした。
成績も 内申28程度
で、
決して勉強ができる方ではありませんでした。
そんな野球バカだった自分を
勉強に振り向かせてくれたのが愛夢舎だったのです。
愛夢舎に行く前の自分の志望校は
自分の成績よりも上の川越南高校で、
それ以外何も考えていませんでした。
しかし、三者面談で塾長に
「所沢北にチャレンジしてみないか」
と言われました。
なぜかその時自分は
「お前は勉強ができる」と認められた気がして、
それが嬉しくて
軽い気持ちで挑戦してみようと
決心することができました。
普通だったら川越南高校ですら
チャレンジ校と言ってもいい成績でしたが、
その高校のさらに上の所沢北高校を目指すことは
まさに 大チャレンジ
でした。
その大きな目標が
自分の勉強をするモチベーションになったのだと思います。
2学期が終わる頃には
28だった内申を40まで上げ
、
北辰の偏差値も10あげました。
そして
所沢北高校に受かることができたのです
。
クラスで平凡な成績だった自分が、
まさか所沢北高校受かったと思うと
自分にとってはとてもミラクルです。
しかし、塾に合格の報告をしにいったとき、
塾長に「お前が受かるのはわかっていたよ」と言われ、
愛夢舎の先生にとっては
奇跡でも偶然でもなくて必然だったのだ
と感じました。
そのとき
この塾に入ることができて
ほんとによかったと実感したのを覚えています。
よく目標は高ければ高いだけいいと言いますが、
まさにそれを高校受験で実感できました。
その体験は
塾長があのとき
「所北にチャレンジしてみないか」と言ってくれなければ
実現しなかったものであり、
平凡だった私にそう言ってくれたことにとても感謝しています。
高3のスキー旅行で
塾長に
アルバイト講師をやってみないかと誘われました。
受験でお世話になった塾で働くことは、
私にとってとても光栄なことで、
迷わず働くことを選びました。
そしてチューターとして雇われ、
やがて授業を持つようになりました。
No1講師になることを目標とし、授業を行いました。
今だから言えることですが、
授業はひどいものだったと思います。
伝えたいことが上手く伝わらない、生徒は授業を聞かない、
そんなことが続きました。
そうしているうちにアンケートの結果が出ましたが、
結果はNo1講師の評価にはとても届かないものでした。
目標も何も達成しない中途半端な状態で、
2年生のときに半年間アメリカへ留学に行きました。
アメリカでの生活は日本のそれとは違い、新鮮な衝撃の連続でした。
そして帰る頃には
自分の中で塾の存在は薄れていました。
なかなか上がらない評価にうんざりし、
塾から逃げたかったのかもしれません。
塾長に
「塾を辞めて、映画の趣味を活かしたいから
TSUTAYAでアルバイトをしたい」
と告げた時には、塾長と口論になりました。
後日談ですが、
あのときの私は本当にアメリカナイズされていて、
相当むかつくやつだったそうです(笑)。
しかし、
この口論が自分の人生のターニングポイント
と言っても過言ではない出来事でした。
これがきっかけで
自分は愛夢舎の仕事についてもう一度考え直すことになりました。
その時自分を助けてくれたのは、
同期の牧先生の次の言葉でした。
「なんで愛夢舎でアルバイトを始めたの?」
それを聞かれたとき、返答することができませんでした。
そして牧先生は続けて、
「俺は、何かいいことがありそうだから
この塾で働いている」
と教えてくれました。
私はこの言葉で腑に落ちることができました。
「そうか、俺は
何かを得にこの塾で働いているのだ」
愛夢舎は
はっきり言って
勉強を教えるだけの塾ではありません。
「将来幸せになるための知識」を教えます。
それは具体的に言えば、
人として守るべきマナーやコミュニケーションの仕方など、
社会に出たときに必要な能力です。
他にも人生の考え方や幸せとは何かについても語ります。
それを中学、高校と学んできた私にとって、
アルバイトをすることを決意したのは、
まぎれもなく
「将来役に立つ能力、
幸せになるための知識を身につけられる」
と考えたからに違いありませんでした。
そう気づいたとき、アメリカナイズされ、
塾をやめようとしていた私はいませんでした。
「この塾で一生懸命やろう。
そうすれば必ず将来幸せになれる。」
そう確信したのです。単純ですよね(笑)。
その決断を塾長は歓迎してくれました。
笑い話ですが、
TSUTAYAのアルバイト面接には実は3回も落ちました(笑)
そのとき落ちたのも運命だったのではないかと(笑)
そして二度目の講師生活が始まりました。
~つづく~
【Memory25】 リベンジ 2016.05.17
【Memory24】 受験と愛夢舎 2016.05.14
【Memory23】 人生初の体験 2016.04.05