再起動村





わたしは
42年近く生きていて
自分が損得抜きで
純粋にしたいと思えることに
出会えたことがありませんでした。


いつも、人生が漠然としていて
過去の経験から
自分や自分の人生に期待が持てず
人生に完全にあきらめがついて
いつ死んでもいいと思っていました。


人生のほとんどを孤独で過ごし
金もなく、苦しいことの連続で
そこから生まれてくる

自分が何ために生まれてきたか?
何の意味があってあの過去があったのか?

そんな疑問も
もう、どうでもよくなっていました。


でも、ようやく
損得抜きで
純粋にしたいと思えることに
出会うことができました。


これから、数回に分けて
完全に人生を捨てていたわたしが
損得抜きで
純粋にしたいと思えることに
出会うことができたいきさつと
そのしたいこととは何か?を
書いていきたいと思います。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



わたしはこれまで
ずっと孤独な人生を
送ってきました。


親から愛された経験もなく
親のストレスのはけ口に
暴力をふるわれるだけ。
家族のだんらんも無く
近所づきあいを一切しない
家庭で育ったわたしは
「ひととのコミュニケーションのとりかた」を
知ることなく大きくなりました。


だからでしょうか。
小中高、学生のあいだはずっと
「変なひと」という目で
見られ続けました。
先生にもめぐまれませんでした。
当然、友達もなく
好きなひとができて告白しても
ふられる率100%でした。


20歳のとき
わたしを好きだという女性が現れました。
そのひとのことは
全然好きではなかったのですが
この機会を逃せば
一生女性とおつきあいできないかもしれないと思い
妥協してつきあい、結婚しました。
今となっては
大変申し訳ないことをしたと
思っています。


その女性には、喘息の持病がありました。
そして、発作はいつも朝
わたしが出勤する直前に起こりました。
そして、「今日休ませてください」と
会社に電話する。
それが何度も続くと
その会社にいられなくなる。
その繰り返しで
20歳から30歳までの10年で
アルバイトを含め
50回以上転職しました。


次の職を探すあいだの生活費は
サラ金で補っていました。
また、金欲しさと、生活のストレスから
パチスロにはまり
サラ金の借金はどんどんふくらんでいきました。


また、あるとき、とある会社で
わたしが影で嘲笑されていることを
知りました。
そこで初めて
自分の中の「素のまま」で振舞うことが
社会では受け入れられない
ということに気づきました。
それと同時に
学生時代の周りのわたしの扱いが
なぜそうだったのかということにも
初めて納得がいきました。


それからのわたしは
自分を出すことが
一切できなくなりました。
自分を押し殺し
周りに合わせて、合わせて
数年かけてようやく
「普通の会話」ができるようになったとき
わたしは
「自分が何がしたいのか?」
「自分は何を感じているのか?」
そんなことが一切わからない
人間になっていました。


そのことも、ギャンブルにのめりこむことの
拍車のひとつになり
とうとうどうしようもない状態まで
サラ金の借金はふくらみました。


そして
自己破産
離婚
となり
頼れる親もない住むところを失ったわたしは
それから
風俗の住み込みとホームレスを
繰り返す生活を始めました。


風俗の住み込みで働くひとは
みんな「わけあり」です。
そして、募集をかければ
すぐにひとが集ります。
ですから、使う側は
「使い捨てカイロ」の感覚で
従業員を扱います。
つまり
温かいうち(言うことを聞くうち)
は使ってもらえるのですが
冷たくなったら(一言でも口ごたえしたら)
その場でクビ、即ホームレス
という世界です。


当然、かなりストレスが
たまります。
ですから
ストレスが限界になったらホームレス
ホームレスがしんどくなったら
また風俗の住み込み
という生活を
5年半続けました。


5年半で
京都、滋賀、愛知、岐阜、石川、富山と
各地を転々としました。
誰ひとり知るひとのいない土地で
友達もなく、恋人もなく、
本当にひとりぼっちで
金もない生活はいまでも
どう、ことばで表現したらいいか
わかりません。


誰ひとり知るひとのいない土地で
本当の無一文になったことも
一度や二度ではありませんでした。
そして
時間だけは無限にあるのに
何ひとつしたいことが思い浮かばない
ただ、じっとしているしかない
あの、道端に座っているときの感覚も
忘れられません。


けど、何よりも
5年半の間
誰とも「会話」できなかったことが
一番つらかったです。
本当に、一度、発狂しかけたことがありました。


「このまま、この人生が続くのなら
 今すぐこの場で殺してくれ!」と
空に向かって叫んだことも
一度や二度ではありませんでした。


けど、ひょんなところから
転機がやってきました。


わたしのホームレス最終の地は
富山なのですが
そのときわたしは
たまたま拾われて
富山のホームレスのボス
清○○郎さんの下にいました。


そのひとは郊外のコンビニで
廃棄処分になった弁当を集めて
それを駅周辺のホームレスに配り、配下におき
ヤクザが日雇い人夫が必要なとき
そのひとたちを派遣することを
していました。


なぜ郊外かというと
駅前のコンビニのゴミ箱は
鍵がかかっているからです。
しかし、郊外はホームレスも少ないので
鍵がかかっていないんです。
ですから、ホームレスを見かけたときは
そのひとが自転車を持っていれば
かなりのベテランだと
思ってもらっていいと思います。


わたしは、その弁当を集める手伝いを
していました。
賽銭泥棒もしましたし
お地蔵さんの前に勝手に賽銭箱を置いて
そのお金を回収することもしていました。
廃寺に忍び込んで
そこの置物を骨董屋に売ったこともありました。


そうこうしているうちに
清○○郎さんが
元ペンキ屋だったホームレスを集めて
ペンキ屋を立ち上げる話しを言い出して
そのひと探しが始まりました。


そうやって何人か集ったとき
急に、清○○郎さんがわたしに
「おまえ、坊主にならへんか?」
と言い出しました。


聞くところによると
廃寺があって(忍び込んだところとは別の場所)
そこの坊主になれる話があるらしい
ということなのです。
わたしは
「わたしに、住むところを与えようと
 してくれているんだなぁ」と
感慨にひたっていたのですが
その後
ペンキ屋で集めたひとのひとりが
「お前と寺に保険がかけられてるで」
と教えてくれたのです。


話しをきくと、どうやら
清○○郎さんがヤクザと組んで
保険金目当てに
寺ごとわたしを焼く計画が
あるということなのです。


それを聞いたわたしは
あわててJR富山駅に向かいました。
夜中の2時半ごろだったと思います。
さいわい、駅には誰もいず
改札の中に入り
始発の電車が来るまでの間
階段の影に身を隠し
追っ手が来ないか
ぎゅっとからだを小さくしていました。
あのときほど
時間が長く感じられたことは
ありませんでした。


ようやく電車が来ました。
列車は満席でひとつだけ席が空いていました。
そこに座り寝たふりをしていました。
満席だったせいか、車掌さんは
気づかずに通り過ぎてくれました。
そのとき
滋賀の長浜にいたとき
バキュームカーの助手していたことがあり
そのときに受け取っていない給料(勝手に辞めたので)
があることを思い出しました。


で、だめもとで、そこに行くことにしました。
けれども、いつしか寝てしまいました。
けど、不思議なことに
長浜に停車しようというときに目が覚めて
降りることができました。
朝の5時前ぐらいだったと思います。
駅の改札からはシャッターの開く音が聞こえ
ホームには誰もいませんでした。
それで、駅の端のフェンスを乗り越えて
つかまることなく
駅をあとにすることができました。


そして、その会社では、なんと
ちゃんと給料が用意されていました。
それをうけとると
また長浜駅に戻りました。
売店でスポーツ新聞を買って
そこの求人欄の一番上から電話していって
最初に面接してくれるところに行こうと
決めました。
すると
一番最初に電話したところが
面接してくれることになりました。
京都の福知山のパチンコ屋さんです。


ちょうど、所持金と電車賃が一緒です。
「これで、面接落ちたら
 今度は福知山でホームレスか・・・」
そう思いながら切符を買い
電車に乗りました。


その日は忘れもしません。
2003年7月11日でした。
わたしは、乞食の着の身着のまま
面接に向かいました。
そこで、なんと
雇ってもらえることになりました。


後から聞くところによると
主任さんは反対したらしいのですが
そこの会社の給料日が
わたしが面接した日の前日の10日で
その日に4人いっぺんに辞めたらしく
それで雇ってもらえることに
なったらしいのです。


風俗の住み込みの世界では給料日の翌日
突然ひとがいなくなるというのは
めずらしいことではありません。
これを業界用語で「とんこ」と言います。
わたしもずいぶんやりました(笑)


そして、このパチンコ屋での
ひととの出会いが
わたしがホームレス人生に
終止符を打つきっかけとなったのです。


再起動村2へ続く






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