山と川と花の記

山と川と花の記

2019.10.21
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バンガローの二日目、 渓流釣りも禁漁期なので時間はたっぷりとありました。そこで桧枝岐村内を歩いてみました。



すっかり名所になってしまい半端ないハサミの数でした。
ちなみに番婆様に対して左側が縁切りで、右側が針金でぐるぐる巻きにされ切れないようにされた縁結びのハサミです。


その奥に行けば桧枝岐歌舞伎の舞台ですが、これらは誰もが訪れる観光名所で以前から私も知っていました。


六地蔵も国道沿いですから有名ですね。


路傍の大樹も今は切り株に生えた孫やひこばえのようで昔の面影はないようです。


銅板に印刷されたその昔は、こんなふうだったそうです。


昔の村の風景もとてもノスタルジックです。


御愛宕様(おあたごさま)は発見でした。車では通り過ぎてしまい、その入り口さえ見つけることが出来ません。


五月の奉納歌舞伎はこの愛宕神社に奉納されることを知りました。
百段ほどだという幅50㎝ほどの狭い石段を登り切った所にある石の祠が、御愛宕様のようでした。


会津駒ケ岳の登山口である滝沢まで歩いてきた時に気づいたのが遭難碑でした。
「ここにあったんだ」と私は心の中でつぶやきました。
深田久弥著、日本百名山の中の会津駒ケ岳の項に出てくる1926年10月19日、早稲田高等学院の生徒二人の遭難碑が橋のたもとに高田早苗学長の筆跡で立っていました。
黙とう、
本を読んで知ってはいたものの、その場所は知りませんでした。
車ではここも見過ごしてしまいます。歩いたからこそ知ることが出来たことなのでしょう。


滝沢を駒ケ岳登山口の方に少し登り、流れの中にイワナを見つけてから引き返しました。


村中の橋の上から山を仰ぎます。山の高いところがいくらか色づきはじめてきたようです。


土いじりをしていた村の古老と挨拶を交わし遭難碑のことを話すと丁度今頃の季節だと聞かされました。
私が村を歩いた日は10月18日で何十年も前の遭難事件のあった日の一日前でした。600人台だった村の人口も500人台になったそうで、明治時代のようにやがては400人台になって行くのだろうと寂しそうに話してくれました。
桧枝岐は集落ごとに分かれた村ではなくて、民家が一か所に集合していて私には小さな町に映りました。町内会のような人口の村を私は2時間あまりかけて歩きました。
それにしても村を囲む山々は衝立のように急峻でした。


真冬には積雪が2メートルを超える豪雪地帯になる村を、私は雪の無い季節に山登りや渓流釣りで訪れるのですが、山峡のこの村を私は好きでなりません。












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最終更新日  2019.10.21 16:26:39


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