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Sweet breeze(後編)
思いもかけないアクシデントで結果的に2人きりのデートになったけど、おじ様の具合とディアッカを見つめていたイザークの瞳が気になって、何となく気分が高揚しなかった。
自然とため息が多くなり、その度にイザークは
「どうした?」
「疲れたか?」
と私を気遣ってくれた。
折角2人きりで居られると言うのに、イザークに心配をかけている私はバカだ。
気持ちを切り替えて楽しまなくちゃ。
アトラクションも殆どを制覇し、あと目ぼしい物は一周20分掛かる大観覧車だけになった。
その頃には夕日も落ち、灯された照明が園内を照らしていた。
「これで、ラストだな。」
「うん。」
大観覧車の前でその大きな円を見上げた。
本当に大きいな。
暫く見上げて視線を戻した時、不意にイザークの手が差し出された。
「姫、お手をどうぞ。」
驚いてイザークを見ると、本当に優しい表情で笑っていた。
私は顔に熱が集まるのを感じつつも、笑顔でコクリと頷いてその手を取った。
8人乗りの大きなゴンドラは、ゆっくりと私たちを空へと連れて行く。
少しずつ高度が上がると、夕闇に包まれた街の明かりが見え始めた。
それはまるで黒いビロードの上に宝石をばら撒いたようにキラキラと輝いていて、思わず
「きれい・・・。」
と感嘆のため息を零した。
「あぁ、そうだな。」
応えたイザークも眼下に広がるイルミネーションの宝石箱に見入っていた。
やがて私たちを乗せたゴンドラは最高点に辿り着こうとしていた。
2人だけの空間。
見渡す限りのイルミネーション。
私は・・・、魔法にかかっていたのかもしれない。
「イザークが・・・好き。」
「え?」
私の口から自然と零れ落ちた告白に、イザークは驚いた顔で私を見ていた。
「好き。ずっと好きだった。イザークが好き。」
堰き止めていた水が溢れ出すように、あれ程躊躇っていた言葉が次から次へとイザークに向けて溢れ出す。
私たちの乗ったゴンドラは、いつの間にか最高地点に来ていた。
2人だけの世界。
この数分間だけ、誰も、何も私たちを邪魔しない。
「ユキ・・。」
切なげに私を見るイザークに触れたくて、私は座席から立ち上がり一歩イザークの方へ足を踏み出した。
そして、次の一歩を踏み出したとき、ゴンドラがぐらりと揺れた。
「わっ!」
「ユキ!」
私はイザークが私を支える前に、取り付けられている手摺に縋り体勢を立て直した。
「大丈夫か?」
手摺にしがみつく私を、立ち上がったイザークが覗き込む。
「あ・・・、うん。平気。ごめんね、やっぱちゃんと分かれて座ってなきゃ、バランス悪いよね。」
「あ、あぁ・・・。」
私たちはゴンドラが揺れないように気をつけながら、元の座席に腰を下ろした。
その時、最高地点には次のゴンドラがいて、2人だけの時間は終わりを告げた。
広すぎるゴンドラでは手を伸ばしてもイザークには届かず、近くに行けばバランスを崩してしまう。
これが私のポジションなのだと、思い知らされた気がした。
あれ程次々と告白の言葉を吐いたはずの私の口は、魔法が切れた途端何も言えなくなってしまった。
イザークも何も言わず、気まずい雰囲気のままゴンドラは地上へと降りた。
大観覧車を降りた後、私は激しく後悔した。
言わなきゃ良かった。
折角の楽しい時間を、私の所為で壊してしまった。
イザークはどう思っているんだろう?
嫌われてしまったら、私はどうすればいい?
イザークの2・3歩前を、私はトボトボと歩いた。
何も言わないイザークの足音だけが、私の後をついてくる。
と不意に私の腕が掴まれ、強い力で引っ張られた。
「わっ、イ、イザーク?」
「話がしたい。来てくれ。」
イザークに手を引かれるまま付いて行くと、お昼に楽しくランチを食べた芝生の広場へ辿り着いた。
「イザーク・・・。」
「座ろうか。」
「・・・うん。」
イザークに促され腰を下ろした芝生は、昼間はあんなに温かかったのに今は少しひんやりしている。
話がしたいと私を連れてきたのに、イザークは何も言わなかった。
私からも何も言えるわけなく、人もまばらになってきた園内はとても静かだった。
そんな沈黙がどれほど続いただろう。
「さっき・・・。」
と、呟くようなイザークの声が聞こえた。
「え?」
「さっきは・・・、ありがとう。俺を好きだと告白してくれたこと、嬉しく思っている。」
「イザーク・・・。」
イザークの方へ振り向くと、真剣な目が向けられた。
「や、やだな。そんな・・・お礼なんか言ってもらえることじゃ・・。」
「いや、人から好きだと言ってもらえるのは、本当に嬉しいことだ。」
そう言うと、イザークは視線を前に戻し、闇の中のずっと向こうの遠くを見つめた。
あ・・・、まただ。
その目。
電話が掛かってきた時のディアッカを見つめる目と同じ。
そうだ、あれは確か私がアカデミーに入る少し前だった。
私の激励会をしてやると言うディアッカの家に、イザークと2人で前触れナシに押しかけた時だ。
勝手知ったるで呼び鈴も鳴らさずに開けた玄関には、黒髪の綺麗な女の人が居て靴を履こうとしていたんだ。
驚いて顔を上げた女の人に、イザークも
「シホ・・・。お前、どうしてここに・・・?」
と驚いていた。
シホと呼ばれた女の人は立ち上がり敬礼をすると、
「失礼しました、隊長。ちょっと野暮用で。」
と悪戯っぽく笑って見せた。
そこにディアッカがやってきて
「あら?どうしたの?お前ら。」
といつもの調子で言うので、私は
「お兄ちゃんが私の激励会してやるって言ったじゃん!」
と少し拗ねて見せたのだ。
「あら、じゃ、この子が今度アカデミーに入る?」
シホさんはディアッカを見上げて尋ね、
「そそ。」
とディアッカは軽く答えた。
シホさんは私の肩に手を置いて
「頑張ってね、待ってるから。」
と言ってくれた。
「では隊長、失礼します。」
イザークに敬礼したシホさんが玄関を出ると
「ちょっとそこまで送ってくるから、イザークとユキは上がって待ってて。」
そう言って、ディアッカは彼女の後を追いかけた。
その時のディアッカを見送るイザークの目だ。
「ユキ、ユキ?」
肩を揺さぶられ、我に帰った。
イザークは何度も私を呼んでいたのだろうけど、それにさえ気付かないほど私は自分の思考に入り込んでいたようだ。
「あ、ごめん。ちょっとボーっとしてた。」
「いや・・・・。」
「話、ちゃんと聞くから。話して。」
暗闇を見つめながら告げた決心に、イザークは
「分かった。」
とはっきりと答えた。
何となく、予想がついてしまった。
これからイザークの口から出る言葉は、きっと私の予想通りだろう。
それでも、その言葉を聞く義務も権利も、私にはあるんだ。
「お前の気持ちは本当に嬉しい。俺もお前を愛おしいと思う。」
一旦言葉を切ったイザーク。
でも本当は一気に言ってほしかった。
いくら予想がつくと言っても、どんな言葉でも受け止めると決心したと言っても、やっぱり聞くのは怖い。
だってここで私が返事をすると、次に続くのは「でも」や「しかし」だ。
イザークに気付かれないようにそっと、でも大きく息を吸い込んだ私は、意を決して返事をした。
「・・・・うん。ありがと。」
「・・・・でも・・・。」
あぁ、やっぱり。
だけどもうダメだ。
もう耳を塞ぐことはできない。
「俺は、お前を本当の妹のように思っている。一人っ子の俺にとって、お前は大事で可愛い妹なんだ。」
「・・・・うん・・。」
「お前を本当の家族のように、愛している。」
「うん・・。」
「それに・・・、俺には、恋愛の意味で、愛しいと思う人が居る。」
本当に、自分の察しの良さが恨めしくなる。
イザークの唇が紡ぐ予想通りの言葉に、分かっていたはずなのに打ちのめされてしまう。
思わず零れそうになる涙を、唇をかみ締めて必死に堪えた。
「・・・・・・・・・うん・・。」
「すまない。お前の想いには、応えてやれない。」
うな垂れるイザークの銀色の髪が、園内の照明に照らされてキラキラ光った。
綺麗だな。
綺麗なイザーク。
優しいイザーク。
そして、ディアッカを愛しているイザーク。
本当は分かってた。
イザークの中に誰かが居ること。
それが私じゃないことも。
だけど、その想いを伝えられないままのイザークの心の隙間に、私は付け入ろうとしたんだ。
ごめんね、イザーク。
困らせてごめん。
悩ませて、ごめん。
ディアッカに想いを伝えなかったのは、きっと私のためなんだよね。
きれいに保たれている3人のバランスを崩さないように。
私が2人から取り残されないように。
だけどもう大丈夫。
辛くないって言えば嘘になるけど、今はイザークに私の気持ちを伝えられて良かったと思ってるから。
「分かった・・・。」
「ユキ・・。」
私の返事にイザークが顔を上げた。
「真剣に考えてくれてありがとう。今は・・ちょっと辛いけど、直ぐ元の私に戻るから。」
「ユキ・・・、すまない。」
「やだな、顔上げてよイザーク。私のお兄ちゃんにはいつだってかっこ良く居てもらわないと!ね。」
イザークに向けた笑顔はぎこちなかったかもしれない。
それでもイザークは
「あぁ、そうだな。」
と綺麗な笑顔を見せてくれた。
「じゃ、帰ろうか?」
「あぁ。」
私たちは同時に立ち上がり、ゲートへ向かって歩き始めた。
イザークの車に乗り込むと、不意におじ様のことを思い出した。
「そう言えばおじ様、大丈夫かな?」
「心配するな。あれは嘘だ。」
「えぇっ!?嘘?」
思いがけないイザークの言葉に、大げさなリアクションを返してしまった。
「ディアッカはお前の俺に対する気持ちに気付いていた。だから、お前が俺と2人になれるよう、気を利かせたんだ。」
「そう・・・だったんだ。」
いつもは大雑把でいい加減なくせに、こんな細やかな心配りをしてくれるなんて。
ディアッカは結構侮れなくて、いつも飄々としている表面に騙されてその本当の表情をうかがい知ることは出来ない。
でも、私がベーグルを大分上手く妬けるようになった頃。
私の部屋で待っている2人の元に、ベーグルとお茶をトレイに載せて運んでいった時、僅かに空いたドアの隙間から見えた光景に私は立ち止まってしまった。
テーブルに伏せて眠るイザークの髪を、ディアッカがそっと漉いている。
そのときのディアッカの表情は今まで見た事もないほどに、優しさと愛しさに溢れていた。
まだ子供だった私には、その表情の意味は良く分からなかったけれど、何となく私が見たことを2人には知られてはいけないと思い、もう一度向きを変えて階段を下りると、改めて足音を立てながら階段を上った。
そして
「お兄ちゃ~ん、手がふさがっててドアが開けらんない。開けてー。」
と大きな声で言って開いたドアの向こうにいた2人は、もういつもの2人に戻っていた。
私はホッとして、用意したベーグルとお茶を一緒に楽しんだのだ。
今思えば、ディアッカもずっとイザークの事を想っていたんだ。
だけどやっぱり、私が一人ぼっちにならないように、その思いを封じていたんだね。
今日だって私のために気を遣って・・。
自分だってイザークの事好きなくせに、ほんとバカなんだから。
ごめんね、お兄ちゃん。
もう、我慢しなくていいからね。
「車、出すぞ。」
「うん。」
静かに滑り出した車は、駐車場の出入口に設置されたアーチをくぐり、華やかなイルミネーションで飾れた街へ向かった。
眩い光たちに目を細めながら、ふとディアッカの嘘がどうして分かったのか疑問に思った。
「ねぇ、イザーク。」
「なんだ?」
「どうしてディアッカが嘘付いてるって分かったの?」
「あぁ、それはな。今日はエルスマン氏が俺の母上達と観劇に出かけているのを思い出したからだ。」
「え?そうなの?」
「エルスマン氏が具合が悪くなって倒れたりして、あの母上が俺に連絡を寄越さない訳がないだろう?」
「確かに・・・。」
イザークの母上のエザリアおば様は、事あるごとにイザークに連絡をしてくる程、何を置いてもまずイザークなのだ。
そのおば様が何も連絡をしてこないなどあり得ない。
「それに、あいつの顔を見ていれば直ぐ判る。」
「・・・・そっか・・。」
本当の理由はこっちの様な気がした。
ディアッカの些細な表情の変化で嘘を見破ったイザークは、その後おば様とおじ様が一緒に居ることを思い出し、嘘であることを確信したんだ。
あの時ディアッカを見送ったイザークが見せたあの表情は、愛しい人が私との仲を取り持とうとした事へのやるせなさだったんだ。
心から想い合っているのに・・・・。
2人をすれ違わせたのは、私なんだ。
他愛もない会話をしているうちに、車は私の家に着き玄関前で止った。
車から降り私を家の中まで送ろうとするイザークを、先に降りていた私が制した。
「いいよ、イザーク。」
「しかし。」
「今日は・・・、ここでいいから。」
笑ったつもりだった。
でもその笑顔はきっと力ないものだったのだろう。
悲しそうに歪められたイザークの表情が、そう言っている。
「・・すまない。」
イザークの口から再び告げられた謝罪の言葉に、自分の思いはもう届かないのだと改めて思い知らされた。
「や・・・、やだな。もう・・・謝んない・・・で・・よ・・。」
限界だった。
声が震え、堰き止め切れなかった涙が溢れ出す。
それを見られないように背中を向けると
「じゃ・・ね。今日はありがとう。」
と一方的な挨拶をして、イザークから逃げるように玄関に駆け込んだ。
ドアを閉める寸前、私を呼ぶイザークの声が耳に届いたけれど、聞こえなかったことにしてそのままドアを閉じた。
「ユキ?帰ったの?」
ドアの音に気付いた母さんがキッチンの方から声を掛けてきた。
夕食の準備で忙しいのか、出迎える気は無いらしい。
今の私には、それがかえってありがたかった。
「うん。ただいま。」
靴を脱ぎながら、なるべく普通を装って返事を返す。
「楽しかった?夕食は?食べたの?」
「あぁ・・、イ、イザークやディアッカに色々ご馳走してもらったからお腹空いてないんだ。夕食はいいや。」
「そう?」
「ちょっと疲れちゃったから、少し休んでくるね。」
「手くらいはちゃんと洗いなさいよ~。」
階段を駆け上がる私に、母さんは随分と子ども扱いな言葉を掛けたけれど、そのまま部屋へ向かった。
自室に入りドアを閉めるなり、漫画やドラマで良くあるようにベッドへうつ伏せに身を投げ出すと、枕に顔を埋めて泣いた。
今まで堪えてきた悲しみを吐き出すように。
そして、イザークへの想いを全て流すように。
本当にこの涙と一緒に、イザークへのこの愛しさもこの枕に滲み込んで、そのうち蒸発してしまえばいい。
決して叶うことのない想いなんだから、早く私の心から消え去って欲しい。
私は泣いた。
泣きながら、どこにこれだけの涙か入っていたんだろう?とか、このまま泣き続けたら干からびてしまうんじゃないか?なんて、馬鹿なことを考えたりして。
泣いたまま、鼻水をすすりながら笑った。
少し落着きを取り戻してベッドに起き上がると、薄暗い部屋の中でドレッサーの鏡に映る自分が目に入った。
「ひど・・・。」
髪はボサボサで、泣きすぎた目は気の毒なほど腫れている。
こんな格好イザークには見せられないな・・・なんて考えると、優しいイザークの顔が浮かんできて、また泣いた。
自分でも呆れるほど涙が次から次へと溢れ出す。
自分でも呆れるほどイザークが好きだったのだと、この涙で思い知らされる。
これはもう、泣けるだけ泣いてしまえ。
そんな風に開き直って、また泣いた。
いったいどれ位泣いたんだろう?
不覚にも、子供のように泣きつかれて寝てしまったらしい。
肌寒さに目を覚ますと外も部屋も真っ暗で、暗くなるとセンサーで勝手に灯る足元灯だけが、ぼんやりと淡いオレンジの光でフロアーを照らしていた。
ショートパンツのポケットから携帯を取り出し画面を見て見ると、時刻は夜中の1時を回ったところだった。
「・・・・はぁ・・。なんか・・ダル・・。」
中途半端な睡眠の所為か、昼間に遊びすぎた所為か、はたまた泣きすぎた所為か分からないけれど、身体が随分重く感じた。
思えば外から帰ったままの状態で、流石にこのままでは眠れない。
シャワーでも浴びてすっきりしようと、重い身体をゆっくりと起こし立ち上がった。
クローゼットから着替えを取り出し、なるべく音を立てないようにそっとドアを開けた。
するとコツンと何かに当たった。
「あれ?なんだ?」
やっと一人通れる程にドアを開けて廊下に出てみると、ドアの前にはトレイに載せられたマフィンとフレッシュジュースが置いてあった。
「これ・・・、母さん?」
トレイを持ち上げると、小さなメモ書きが添えられていた。
それを部屋に持って入り、灯したスタンドの明かりでメモを読んでみた。
『声を掛けたけど眠っていたようなので、軽いものを置いておきます。何があったのかは分からないけど、少しでも食べておいた方がいいからね。目が覚めたら食べなさい。』
「母さん・・・。」
母さんは気付いてたんだ。
顔もあわせてない、声だけのあのやり取りで。
私の些細な変化に。
「母親って、凄い・・。」
何となく嬉しいような恥ずかしいような、なんとも表現しがたいむず痒い気持ちになった。
「いただきます。」
それでも気遣いがやっぱり嬉しくて、かけられていたラップを剥しマフィンを一口食べた。
それはもうすっかり冷めてしまっているのに、母さんの優しさがつまっているからだろうか、噛み締めて飲み込んだら胸の辺りがほんわかと温かくなった。
「母さん、ありがとう。」
結局私は、母さんが用意してくれた夜食を全てお腹に収めてから、満腹になったお腹と共に上機嫌でシャワーを浴びたのだった。
次の朝、目覚めたら昼だった。
寝ぼけ眼でリビングに行き「おはよ」と母さんに声を掛けると、呆れた顔で「こんにちは」と返された。
それに苦笑しながら用意された朝食兼昼食を食べている間、既に昼食を済ませていた母さんは、同じダイニングテーブルでお気に入りのアールグレイを飲みながら、ファッションカタログをめくっている。
昨日の事には、触れようともせず。
天然でどこか抜けた所がある母さんの、こんな思いがけない気遣いが嬉しい。
「母さん、夕べありがとね。」
「ん~?」
「夜食、美味しかった。」
「ん~。」
あえて気のない振りをしているのか、本当にカタログに夢中なのかは定かじゃないけど、昨日の事を聞かずに居てくれるのは有り難かった。
食事を終えた私は、身なりを整えると3軒先のディアッカの家へ向かった。
呼び鈴を鳴らすと、迎えてくれたのはおじ様だった。
「こんにちは、おじ様。」
「やぁ、ユキ。アカデミー卒業、おめでとう。」
「ありがとうございます。あの…。」
「ディアッカかい?ちょっと待って…。」
おじ様がディアッカを呼びに行こうとしたとき、階段を駆け下りる足音が聞こえたかと思うと、慌てた様子のディアッカが姿を現した。
「ユ、ユキっ!」
「こんにちは、ディアッカ。昨日はありがと。」
慌てふためくディアッカを他所に、私はにっこりと微笑みながら挨拶をすると、意味深な視線をチラリとおじ様に向けてみた。
「あ、ユキ、これはっ・・。」
視線の意味を悟ったディアッカが取り繕おうとしたが、上手い言い訳が思いつかないのか口ごもってしまった。
「ユキ、外行こう、外。親父、俺ちょっとユキと出てくるから。」
「え?でも私、おじ様と挨拶しかしてない・・。」
「いいから。」
訳が分からないと言った表情のおじ様を無視して、ディアッカは私の背中を押し無理やりドアの外へと連れ出した。
「あ、おじ様、また・・。」
振り返りながらおじ様に掛けた言葉は、言い終わらないうちに締められたドアに遮られてしまった。
「もう、ディアッカ!」
いつまでも私の背中を押すディアッカに抗議するように、振り向きながらきつい口調で名前を呼ぶと、今度は前に回り私の手を取ってぐいぐいと引っ張り始めた。
「ちょ、ちょっとディアッカ。どこ連れてくのさ!」
ディアッカは無言のまま私を引っ張りつづける。
諦めた私は、手を引かれるままにディアッカの後を付いて行った。
やがて近くの公園に辿り着き、芝生の広場に設置されたベンチの前で立ち止まり、強引に惹かれていた手がやっと離された。
私に背中を向けたまま「ふぅ」と小さく息を吐くと、
「座って話そうぜ。」
とベンチに腰を下ろした。
私もベンチに座ると、背もたれに身体を預けて大きく伸びをした。
そのときに吸い込んだ空気を一気に吐き出すと、視線をディアッカに向け
「おじ様、お元気そうで。」
と少し嫌味を込めて言ってみた。
「う・・・。」
ディアッカは小さく唸ってうな垂れた。
暫くそのまま動かないディアッカを眺めていると
「ごめん。」
と小さな謝罪の言葉が聞こえた。
「お前を騙すつもりはなかったんだ。親父のこと、本気で心配してくれてたのに・・。悪かった。」
地面を見つめたまま搾り出すように告げられた言葉は、心からの謝罪だった。
いい加減で女好きで、本気なんだか遊びなんだか分からないような言動で、つかめないヤツ。
けど、これは本気だ。
私に心からの『ごめん』をくれている。
思えば、昔からそうだった。
ディアッカの後を追いかけて転んだ時も、母さんに叱られて泣きついた時も、ディアッカは本気で心配してくれて
『大丈夫だ。俺がついてる』
って、元気付けてくれた。
いつだって、私を守ってくれてた。
昨日のことだって、私のことを想ってしてくれたこと。
自分の気持ちを押し殺しても、私の幸せを優先させてくれた。
あの嘘は、私への優しさなんだ。
「ありがとう、お兄ちゃん。」
「え・・?」
私の言葉に顔を上げたディアッカと、やっと視線が合った。
「あれは私のための嘘だったんだよね。私がイザークに気持ちを伝えられるように。」
「いや・・それは・・・。」
「ごまかさなくていい。分かってるよ、お兄ちゃん。私ね、ちゃんと気持ち伝えられたんだ、イザークに。」
「そ、そっか。良かったな。」
ディアッカの表情がパッと明るくなった。
お兄ちゃんは、やっぱり笑ってる方がいい。
けど、その笑顔の端っこに、自分の気持ちを押し殺している心の痛みが見え隠れしてる。
ごめんね、お兄ちゃん。
苦しませて、ごめんね。
「うん。振られちゃったけどね。」
「えっ?」
あっけらかんと言った私とは裏腹に、ディアッカは悲しそうな顔で私を見た。
やだな、お兄ちゃんがそんな顔する事無い。
私のために、もう苦しむことなんてないんだよ。
「好きな人、居るんだって。」
「そんなの・・あいつに上手く言いくるめられただけだろ?諦めんな。」
「ううん。ほんとはさ、まえからそうじゃないかなって思ってたんだ。だから、イザークの返事は予想してた。」
「ユキ・・・。」
「それにね、自分の気持ち言えたし、イザークも正面から受け止めて嘘のない返事をくれた。だから、良かったって思ってるんだ。」
辛くないわけじゃない。
イザークを想うと、今でも胸が痛くなる。
だけど、告白したことも、イザークの本心を聞いたことも、全然後悔はしていない。
想いを告げず、イザークの気持ちも聞かず、もしかしたらという殆ど不可能な可能性にすがり付いて、もやもやとこれから先を過ごすよりもずっといい。
そんなチャンスをくれたのが、ディアッカだったんだ。
「ごめ・・ん。俺、余計なことを・・。」
ディアッカは再び謝罪の言葉を口にした。
「ううん。それは違うよ、お兄ちゃん。私は告白したことも、その結果振られちゃったことにも、後悔なんて微塵もないんだから。全然辛くないって言ったら嘘になるけど、告白する前よりも、イザークを近くに感じられる。恋人にはなれなくても、私たちには友達以上の絆があるもの。」
「友達以上の・・絆?」
「そ!私とイザークとお兄ちゃん。3人には『幼馴染』っていう強い絆があるのだ!」
「幼馴染って・・・・。」
私の言葉に、ディアッカはプッと吹き出して、ケラケラと笑い始めた。
そしてひとしきり笑った後、目じりに溜まった涙を拭いながら
「強いな、お前は。」
と呟くように言った。
「このユキ様をみくびんないでよね!」
そう言って少しふんぞり返って見せると
「全くだ。恐れ入りました、ユキ様。」
と、ディアッカはひれ伏すまねをして見せた。
それにまた、2人で当分笑った。
その笑も少し落ち着いた頃、私は意を決して口を開いた。
「今度はお兄ちゃんの番だよ。」
「ユキ?」
「今度は私が背中を押してあげる。」
「え?ちょっと、ユキ?」
立ち上がった私は、ディアッカの手を取り引っ張った。
ディアッカが立ち上がるとその後ろに回り、文字通り背中を押した。
「どこ行くんだ?ユキ?」
「いいから。」
私はどんどん背中を押して歩いた。
やがて小さな林に囲まれた人通りの少ない場所にあるベンチが見えると立ち止まり、強引にそれにディアッカを座らせた。
「ディアッカはここに居て。」
「で、どーすんのよ。」
「いいから、ここで待ってて。」
「待つって・・?」
「私はね、ディアッカ。私たち3人が誰にも負けない幼馴染って言う事に喜びを見出した。けど、ディアッカはそれでいいの?」
「ユキ・・、何言って・・。」
「ディアッカがくれたチャンスで、私は勇気を出すことが出来た。だから、今度はディアッカが勇気出す番だよ。」
言うが早いか、私は駆け出した。
「おい!ユキ!!」
「絶対にそこに居てよ!」
引き止めるディアッカを無視して、私は自宅へと向かった。
玄関に駆け込むと、その勢いのまま2階の自室に上がり携帯を広げ、かけなれた番号を呼び出して通話ボタンを押す。
1回・・2回・・
5度目の呼び出し音の途中で「はい」と言う声が聞こえた。
「イザーク?」
『ユキか。昨日は・・・。』
「ダメ、謝らないで。私ね、今すっごくすっきりしてるんだ。イザークに告白できたし、イザークからもごまかしのない返事をもらえた。辛くないわけじゃないけど、後悔なんてしてないから。イザークが謝ることなんて何もないんだよ。寧ろありがとうを言いたいくらい。」
イザークに謝る隙を与えないように、私は一気に喋った。
『そうか・・。』
安心したようなイザークの声。
昨日はきっと、一晩中私のことを心配してくれていたに違いない。
「ねぇ、イザーク。私昨日イザークに告白するのに凄い勇気を振り絞ったんだ。だから、その勇気がイザークにも伝わってるはず。」
『あぁ、そうだな。』
「だったら、その勇気、使ってよ。」
『何?』
「私があげた勇気とイザークの勇気、振り絞ってみてよ。」
『何を言ってるんだ?』
「うちの家の近くの公園、分かるでしょ?そこに今すぐ来て。」
『なぜだ。』
「いいから。私の気持ちに応えられなかった事を申し訳ないって思ってくれてるなら、わがまま聞いて。ね?」
『・・・・分かった。』
「ありがとう。じゃ、直ぐだよ。今直ぐ。少し奥の、林に行けば分かるから。」
『あぁ。』
「じゃぁね。イザークと私、2人分の勇気だよ。」
それだけ言うと、イザークの返事を待たずに通話を切った。
「はぁ~。我ながらお節介。」
ベッドに持たれ天井を見上げながら、自然と笑えてきた。
と突然、天井が歪んで目尻から涙が零れ落ちた。
これで最後だ。
イザークに思いを残して泣くのは、これで終わり。
ぐいと、頬を伝い落ちる涙を拭うと、立ち上がって窓辺に向かった。
窓の下のフロアーに腰を下ろし、ここから見えるあの公園を眺めた。
暫くして駐車場に見覚えのある車が停まり、開いたドアから綺麗な銀髪が見えた。
「イザーク・・・。」
イザークは私が言った通りに公園の奥の林を目指して歩き出した。
これでいい。
これで私が出来ることは終わり。
後は2人の想いが、結果を出す。
私はイザークの背中が林の中へ消えていくのを見届けると、立ち上がり部屋を出た。
ドアを閉めると下のほうから香ばしい香りが漂ってきた。
「母さ~ん、何焼いてんの?なんかお腹空いてきちゃった。お茶にしない?」
階段を下りながら話しかけると、キッチンから
「あんた、2時間前にご飯食べたばっかりでしょ~。」
と、母さんの呆れたような声がした。
「いいからいいから、美味しいアールグレイ煎れてあげるから。」
「ったく、調子いいわね。」
「へへっ。」
踊場の窓から差し込む西日の眩しさに目を細め立ち止まる。
その小窓から見えるあの公園を、爽やかな風が駆け抜けるのが見えた。
卒業後の一週間のオフは、あっという間に過ぎていった。
でも、3人で遊びにいけたし。母さんとショッピングも出来たし、楽しい一週間だったな。
ZAFT本部へ向かう朝、緑の制服を纏った私を両親が玄関先で見送ってくれた。
「良く似合うわ~。写真1枚撮ってもいい?」
と言う、暢気な母さんに対し
「本当に行くのか?怪我しないようにな、危ないことはするんじゃないぞ。」
と心配でたまらないといった父さん。
両極端な見送りを受けて、私は家を後にした。
本部に着くと、入隊の簡単な式典の後、着任先の隊を記した封書が配られた。
今日から私もZAFTの一員として、プラントのために戦っていくんだ。
大丈夫。
どこに居たって、私たち3人は最強の幼馴染なんだから。
手荷物を持ち、私は着任先に向かった。
先輩のCICクルーが部屋へ案内してくれて、僅かな荷物を片付けた。
そして、身なりをチェックして隊長室に向けて先輩の後に続いた。
そのドアの前に立つと
「本日着任のユキ・ロマーノを連れてまいりました。」
と先輩が良く通る声で言った。
私はそれに続いて
「ユキ・ロマーノ、出頭いたしました。」
と教えられたとおりの言葉を言った。
「入れ。」
と中から声がして
「じゃ、私はこれで。頑張ってね。」
と先輩は耳打ちをして、開いたドアの向こうに敬礼をして、その場を立ち去った。
私はペコリと先輩にお辞儀をして、開いたドアの中へ足を踏み出した。
そして姿勢を正し、指をそろえて敬礼をした。
「本日着任いたしました、ユキ・ロマーノであります。」
勢い良く自分の名前を言うと、上げていた手を下ろして並んで立つ隊長と副長を真っ直ぐに見た。
「良く来たな、ユキ。」
「よろしく頼むぜ、妹よ。」
「はっ!」
2人の歓迎の言葉に、しおらしく敬礼で応えると、3人で顔を見合わせて笑ってしまった。
「これからもよろしくね。イザーク、ディアッカ。」
「あぁ。」
「こちらこそな。」
あの日あの公園で、2人がどんなやり取りをしたのかは知らない。
今現在、2人がどういう関係なのかも分からない。
でも2人を包む空気の色が、互いの想いが通じ合っていることを教えてくれる。
良かった。
私の思いは通じたんだ。
風が吹いた。
風など吹き込むはずのないこの部屋に。
愛し合う2人を包み込むように。
そして、私をも抱きしめるように。
金と銀の風が
今、吹き抜けた・・・
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