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中国の旅の写真も今日で終わりです。最後は上海の街の夜景、日本とちょっと違う雰囲気で素敵ですね。さて旅の写真シリーズも今日で全て終わり。昨年今年と写真をアップして来ましたが、とうとうネタ切れです。長い間見て頂いて、どうもありがとうございました。またそのうち観光旅行にも行って、旅の写真も再開したいと思っています。それまではしばらくのお休みを・・・。ふと昨年のページを見てみると、昨年の今頃はもうパラオに行っていたんですね~。今年のパラオはまだ未定。早くても4月になっちゃうのでそれまでの一ヶ月ちょっと、いったい何をアップしようかなあ~?ずっと写真を中心にアップしてたので、写真がないと書くことがない。う~ん、困りました。やっぱ以前のお魚写真しかないかなあ・・・。明日までに考えます(笑)。
2005年02月28日
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中国の写真も残り少なくなって来ました。今日のは上海の街の様子です。まるで東京みたい、上海は本当に都会なのです。この真ん中のはテレビ塔なのですがこの写真も神戸のハーバーランドみたいです。上海の街での思い出は、ハーゲンダッツに行ったこと。上海はすごく都会なのですが、その頃は喫茶店とかカフェとか休むところが無いんです。で多分ガイドブックで見たんだと思うんですが、ハーゲンダッツのカフェがあるって・・・さっそく行ってみました。そこではアイスクリームデザートが確か日本円で600~800円ぐらいだったような・・・はっきりとは覚えてません。もちろんその値段は中国ではとても高いと思います。でもそのお店は中国の人でいっぱいでした。その高いアイスクリームのデザートを食べにそのお店に行く。多分そのことが上海のハイソな人たちの間では、ステイタスみたいな感じではなかったのかと思います。ほら、昔の日本で銀座のどこだっけ?・・・その喫茶店でお茶することがステイタスだったように。ハーゲンダッツのアイスクリームデザートは日本のとはちょっと違い、なんとも説明が難しいのですが、レストランみたいな感じに大きなお皿にちょっぴり少しずつで上品な感じ。美味しかったのは覚えてます。食べ物の話の後でなんなんですが・・・ちなみにハーゲンダッツのカフェのトイレには、ちゃ~んとトイレットペーパー付いてました。これだけはしっかり覚えてます(笑)。
2005年02月27日
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ここは上海の著名な観光地、豫園です。豫園は広い庭園で、その中には竜が上に乗ってる塀がありました。上海では船を下りて初めてのフリータイムもあり、中国で初めて個人で外出したりもした。そこで中国での言葉事情。この国ではまったくと言っていいほど英語も通じない。まあ私は英語が喋れる訳じゃないんだけど、その簡単な片言英語でさえ通じない。簡単な単語さえも分かってもらえないので、何か聞く時は漢字による筆談がいちばん便利でした。例えばトイレはどこ?って場合、「何処便所?」とかなんとか・・・そう言う言葉を書くと大抵は通じるようだ。漢字が解る国はまだ助かりますね。でもタクシーの運転手さんで英語をまったく理解しない国って言うのは、これまで行った国ではなかったかも。今ではそう言うことも少しずつ変わっているかも知れませんね。------------------------------------------------------さてタイトルに書いたダイエット。実は2月中頃から毎日、頑張ってエアロバイクに乗ったりしてるんだけど、3日坊主になると恥ずかしいからここには書けませんでした(笑)。でも約3週間足らず、やっと少し効果が出て来ました。まあそれでもまだ、洋菓子作りのバイトに行く前の体型に戻ったかなってぐらい。あ~でもとりあえず戻れてよかった。しかしバイト中には、大量のお菓子を目の前にそれを口に出来ないのは辛~い(涙)。アルバイトもあと三週間なのでこのままなんとか頑張って、以前働いてた頃の体型まで戻したいものです。平日はバイトにエアロバイク。週末はエアロバイクにウォーキング約一時間半ぐらい、お菓子もちょっぴり?食べてはいるけれど・・・頑張ってます。
2005年02月26日
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中国の旅最後の街は上海。ここは市内観光した玉仏寺。別に古いとかそう言うのではなく、普通の街中にあるお寺である。なんとも派手な仏像たち。
2005年02月25日
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三峡下りの終着点は武漢と言う街です。ここは船を下り観光した黄鶴楼。白帝城の屋根と言い、中国ってこんな感じに屋根がクルッと上側に反ってる屋根が多いみたいだ。おおっ、なんて丸々とした私がいる。この頃が私の生涯でいちばん太っていた時期でした。この後しばらくしてダイエットに成功。今はまったくの別人?・・・と信じている私です(笑)。さて、今日は中国で食べた中華料理のことを少し・・・。私の今回の旅行は船旅がメインの旅だったので、食事は船のレストランが多く他の食事もほとんどツアーに付いていました。だから当然お料理も日本人ツアー向け。今一つ美味しいものにはありつけなかったように思います。三峡下りの出発点重慶、ここは火鍋のメッカらしくバスから見える路上の食堂のテーブルの上には、どこを見ても火鍋のお鍋がのってました。すごく食べたいな~、と思いながらそこはバスで通り過ぎただけ。本場で火鍋を食べれないのはとっても残念でした。あと中国と言えば麺類?これもなかなかメニューとして食べたい麺類が出て来ないので、外での付いてる食事の際、自分で注文して食べてみました。でも実はあんまり美味しくなかった。麺がなんかこう粉っぽい。その後麺類もたまには出てきましたが、どうも今一つ。じゃあ美味しかったのは何?って聞かれると、う~ん、何だっただろう?・・・今一つ思い出せません。この後に行く上海で食べた上海ガニかなあ・・・。でも上海ガニは行った時の運と季節もあるのでしょう、これも今一つ小さく・・・まあ私はカニはそんなに好きではないのでこんなものかと。全般的には中華料理はやっぱり香港の方が美味しいと、これは私の出した結論です。麺類も奥地のものはどうも粉っぽいし、四川料理も香港で食べた四川料理の方が美味しかった、点心とかも然りです。香港は私の今までで行った国の中でいちばん美味しい国。タイ料理も捨て難いですが、やはり総合点を争えば香港に軍配があがります。火鍋だけはとっても美味しそうだったのになあ。今度中国に行ったら、いろんなお店を食べ歩いてみたいものです。
2005年02月24日
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三国志でお馴染み?赤壁。岩に赤い時で赤壁と書いてあるのが見えるでしょうか?実は私は歴史はまったくの苦手で、この字を「せきへき」って読むのさえ知らなかったぐらい。この字は海側からしか写真が撮れないので、今一つ正面からは写せなかったんですよね。ここは赤壁大戦陳列館だそうです。側にはなぜか小さな牧場もあり、のどかなところ。
2005年02月23日
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長江も三峡を下り終わると、川幅もこんなに広くなってくる。でも東シナ海まではまだまだ遠い。もっともっと川は広く大きくなるのかなあ?ちょっと見難い写真ですみません、相変わらずの薄ボンヤリです(涙)。工事中の三峡ダムを通り過ぎると、葛洲堰ダムと言うのがあります。ここのダムを巨大な船に乗ったまま下って行くんだけど、どうやって?私には初体験、びっくり!・・・こんな風にして大きな船もダムを通り抜けるんですね。写真がないので説明だけなのですが、先ず船がダムの上側である川上側から前のゲートのところまで進みます。そこで船の後ろ側のゲートが閉まります。要は船の前と後ろ側にゲートがあり、船はその間に浮かんでいる状態。この時の船の高さを水位とし、その状態から船の浮いている水面のところから20メートル分の水を前側から放出します。そうすると水位がどんどん下がって、それと同時に船も20メートル下がります。そこで前側のゲートが開いて、上の高さから20メートル下がったダムの下側の水位と同じ高さになります。こうして船はダムの下側の高さと同じ水面に浮き、また前側に向かって川を下って行ける訳です。確かこんなだったと思うのですが、絶対の自信はありません。ちょっとばかり間違えているかも?でもなんとなく解りました~?こんな説明で・・・。最初、船がダムを通り抜けるってどうなるの~?って思ってましたが、実際に乗ってみて初めて解りました。へぇ~って感じでなかなか面白い体験だったです。
2005年02月22日
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沙市での景色ここの沙市で荊州博物館と言うところを見学した。ここにはミイラ・・・いえ、ミイラとは乾燥させて残っているものだから、ここのはミイラとは言わないなあ。それはまさに遺体、2000年も保存されてる遺体と言った方が適切な表現のようだ。それを見学した。世にもキモいリアルな遺体だった。何であんな状態で保存してあるのかちょっと理解に苦しむ。その遺体は男性のもので裸のままホルマリンづけみたくなっている。以前この旅行記でも紹介したパレルモのミイラとはまったく違う感じ、とにかく生々しく気持ちが悪い。あまりじっくりとは見る気がしなかったし、もちろん写真には撮っていない。ちなみにこのページに写真が載っていたので、興味がある人は見てみてね。
2005年02月21日
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さて白帝城を越えて川を下って行くと、ここからが三峡下りの名前の由来になっている峡谷が三つ連なっている。瞿塘峡(くとうきょう)、巫峡(ふきょう)、西陵峡(せいりょうきょう)である。ここがこの三峡下りのメイン。景色もいちばん素晴らしいとされているところ。ここでは船から素晴らしい景色の写真を撮りたいってはりきっていたのに、なぜか実にまともな写真が撮れなかった(涙)。言い訳になるのですが、ここは川幅がかなり狭くなったりの場所も多く、船の速度もかなり速い。本当にあれよあれよと言う間に周りの景色が変わっていったのです。あとね、どの写真見ても薄ボンヤリ・・・(涙)。でもなぜか中国の三峡下りの写真って他の人のを見ても空が鈍よりと霞みがかかったみたいに見える。青空くっきりの写真はあまり見ていない様な・・・。これは白帝城の山の上から見た長江。走ってる船から撮った写真、瞿塘峡かな。川の横の岩はこんな感じ。岩に峡谷の名前が書いてあるんだけど、なんて読むのか分からない。夕焼けの巫峡。
2005年02月20日
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白帝城ここはかなり山の上にある。中国の観光地はエレベーターなんてものはないので、その高い観光地に上がるにはもちろん階段。ここまでは、下から約800段の階段があるそうだ。そこでこの階段を上ってくれるのがこの下の乗り物、籠屋さん。籠は前と後の棒を二人の人がかつぎ、真ん中に人が乗る。私はその頃太っていて、階段を上るのはかなり大変・・・と言うことで乗ってみた。しかし、この乗り物ほど乗り心地の悪いものはない。階段を上がっていると、その座席がゆっさゆっさ揺れるのだ。その揺れ方がすごい。降りた時にはすっかり酔ってしまい気持ち悪くなってしまった。他にも降りた途端、吐いちゃう人もいたぐらい。いろんな国でいろんな乗り物にも乗ったけど、やっぱこの籠が最悪。階段だからよけいその揺れが気持ち悪いんだとは思うんだけど・・・。でもまあ面白い経験になりました。
2005年02月19日
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船から下船して観光した鬼城。ここには名前の通り、鬼が祭られている。ここは山の上にあるのだが、ダムが出来たらその山は無くなりこの鬼城まで水が来てしまうらしい。この写真を見て気付いたんだけど、中国語って横書きだと右から書くみたいですね。知りませんでした。今日は初めて行った中国の印象を少し。あっ、でも中国は広いしこれは私の見たほんの一部の出来事かも知れないので、その辺は了承して読んで下さいね。この旅行に行ったのは確か1997年頃だったと思うんだけど、その頃はまだ中国と言えば観光客の受け入れが始まって何十年も経っていない(ハッキリした年数は分かりません)。だから中国人は暗いって言うイメージを聞いてはいたけど、それは昔の日本人と一緒で外国人を見ると物珍しげに眺めるものの明るくは迎え入れられない。私にはそんなイメージに思えた。あれからもう7~8年、中国はどんどん変わってると思う。今はもうそんな印象は受けないのかも知れない。あと上海とかでは見かけなかったけど、奥地ではまだ人民服(知らないかな?)を着てる人たちも見かけた。昔の中国はみんな人民服を着ていたんですよね?中でも面白かったのは子供のはいてるパンツ。股の部分がパックリと割れていた。そのまま用を足せるように開いているらしい。日本でも昔はそうだったんだっけ?いくら便利とは言っても奥地の子供達、開いてるところから風が入って寒くないのかなあ・・・。でも街で働く女性たちはなかなかおしゃれをしている人も多い。そうそう、そんな中で気付いた「へぇ~!」って言うこと。一つはその女性たちは会社勤めをしていて、昼になったら一人用の小さな鍋を持って外に食事に出かける。でその近所の屋台で昼ご飯を買うようだ。どこで食べてたか?までは覚えていないけど、昼休みになると鍋を手に持った女性が街中を歩いているので、なんとなく目立ってしまった。もう一つはそう言う女性が必ず持ち歩いているもの、それは芯を抜いてつぶしたトイレットペーパー。これは私がトイレに行った時気付いた。もちろん中国のトイレ事情はまだまだひどいところも多く、これはまた後にレポートしますが・・・でも上海辺りの普通のトイレがあるところでさえ、トイレットペーパーはその頃は必需品であった。もちろん理由はトイレにはペーパーが付いていないから・・・もちろん私も同じ様に持っていた。まあこれはそう驚くような話ではないのだが、きれいにオシャレした女性のハンドバックから、じかにトイレットペーパーが出て来るのを見ると、やっぱりここは中国なんだなあって思ってしまった私なのであった。
2005年02月18日
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長江川下りの船はこんな船。川を下っていたたくさんの船の中でこのドラゴンの船がいちばん目立ってました。いかにも中国らしい?船です。私もこれに乗りたかったなあ・・・。さて私の乗った船はこのカッコいいドラゴンの船とは違うのですが、同じぐらいな大きさの設備は何不自由ない船でした。船に乗ってるお客さんは150人ぐらい、満室です。しかも全員が日本人。日本のツアーからしてもういっぱいの状態だったので、ある程度予想はしてましたがすごい人。まるで日本にいるみたい・・・びっくりでした。でそのゲスト150人を乗せる船の設備もすごい。お部屋はツインルームでもちろんバストイレ付き、お茶を飲むポットも備え付けてありました。この150人のゲストに対して従業員は確か200人ぐらい、船の上側の船室はゲスト用になっていて、下側が多分スタッフルーム。だから全員で350人ぐらいの人が乗ってる巨大な船なのです。4~5階建てぐらいだったかなあ?レストランが確か4階でした。そんな大きな船に乗って長江を下りながらあちこちに停泊、観光しながら川を下ります。私は船に弱いのですが(この時はまだダイビングのクルーズ船も未体験)、川ならそんなに揺れないし大丈夫だろう・・・と思いこの船に乗ったのですが、予想外に船はけっこう揺れたんですよ。長江の川の流れはかなり速いところもあるし、波立ってる風に見える場所もありました。揺れがひどいと、お部屋のクローゼットの壊れかかったドアがバッタンバッタンと音をたてて、開いたり閉まったりする程です。
2005年02月17日
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これは重慶の長江大橋、下を流れるのはもちろん長江。長江の水は茶色いのです。そうそう、行く前に聞いたのですが、この長江には川イルカとかがいるとか?でもいたって、こんな水の色じゃ中はまったく見えませんよね。
2005年02月16日
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旅の写真もとうとう最後の国となってしまいました。最後の旅は中国、三峡下りです。7年ぐらい前かなあ・・・NHKの衛星放送でずいぶんこの三峡ダムのテレビをやっていたのを覚えてる方もいるかと思います。実は私はそんなことは全然知らなかったのですが、旅行友達からこの三峡下りの旅に誘われました。詳しく聞いてみると三峡ダムが出来上がってしまったら、この長江の周りの素晴らしい景観が観れなくなると言うじゃありませんか。「もう観れなくなる」と言う言葉に弱い私は、それはさっそく行かなければ・・・と即座にその旅行を決めたのでした。その頃、秋だったのですが、その旅行はすごく人気でした。何日までに行かなければ、どこそこの水位が上がってしまうとか・・・そう言う日にちが迫ってたんだと記憶してますが、ツアーはいっぱい。私達は四人で申し込んだのですが、希望の日程で行けたのは二人のみ。残りの二人は翌月のツアーに参加したほどです。ここで今回日記に書くためにちょっと調べてみたら、三峡ダムが完成するのは2009年。それまで長江の水位は少しずつ上がり、最終的に170メートルぐらいだったかな?が水位が上がってしまうため、その美しい景観が完全に川の中に沈んでしまうそうです。あの頃、ずいぶん騒がれた景観は今はどうなっているのでしょうか?すみません、これ以上の詳しいことは分からないのですが・・・。この写真は長江の三峡下りの出発点、重慶の街並みです。中国って・・・しかも重慶は奥地だし、すごい田舎って思っていたらこんな高層ビルが立ち並ぶ大きな街でした。
2005年02月15日
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いよいよヨルダンの旅の写真も最後になってしまいました。これはアンマンのモスクの前です。モスクもところ変われば建物も違いますね。建物もミナレットも近代的でシンプルです。最後は小高い丘の上から見たアンマンの町並です。アンマンってけっこう都会なんですね。ニュースでよく名前は耳にしてたんですけど、どんなとこだか全然知りませんでした。今でもよく分からないのですが・・・。
2005年02月14日
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モーセの泉、ここはモーセが岩を杖で打つと水が湧き出てきたと言われている泉。あちこちにあるらしい。ところでこの写真の真ん中辺に着物を着た女性がいるのが分かるでしょうか?この女性はもちろん日本人、私の参加したツアーにご一緒した方だ。このご婦人、かなりご年配の方なのだが日本でも普段から着物を着ていると言う。最初成田で集合の時も着物姿で驚いた。そしてその34時間もかかる飛行機の移動ももちろん着物で・・・旅行中も一日だけ、ペトラの遺跡に行く日だけはさすがに洋服で来たが、その他の日はずっと着物だったよう記憶している。すごいなあ~!まあたまに着物が好きという女性はいるけれど、ここまであの苦しい帯を締めて着物を着ていられるとは・・・本当に感心してしまった。ちなみに外国で女性が着物姿でいるとやはりモテる。まあこの方はかなりのご年配のご婦人なので、モテるって言うよりは人気者って言う感じだったと思うけど・・・。
2005年02月13日
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ペトラの遺跡最後は、遺跡の警察官?と一緒に撮った写真で~す。確か警察官だったと思うんだけどなあ・・・すみません、思い出せません。でもすっごい制服ですね~。この暑い中でよく着ていられる・・・。でもベージュに赤色のアクセントでかわいい、民族衣装みたいな制服です。しかしやっぱり私はデカイなあ。身長は同じぐらい、でも私の方がどう見ても貫禄がある?(笑)そうそう、この頃私は体型が日本人と言うよりはアメリカ人とかみたいな感じだったんですよね。外国人の中にいても存在感劣らず?
2005年02月12日
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ペトラの遺跡、もうちょっと・・・。これは遺跡ではお馴染み円形劇場です。でもここのは石をきれいに並べて作った感じではなく、岩を削って作ったのでしょうか?なんだかデコボコしています。ペトラの遺跡は、この下の写真の様な急な坂道の山の上へと続いています。そしてこの最後の坂を一時間ぐらい登り続けると山の上には「エド・ディル」と言う遺跡が待っているのです。でも実は私はこの時、胃腸の調子が悪く気持ちが悪い、おまけに遺跡に登る道は炎天下でメチャクチャ暑い・・・登れませんでした(涙)。この遺跡が見れなかったのだけは、すっごい心残りです。その最後の遺跡エド・ディルと言うのは、形はエル・カズネとそっくりでもう少し大きいのだそうです。でそこまで登り切って入口まで帰ると約10キロ。ペトラの遺跡は、なかなか大変な道のりなのです。また今年ももうすぐ確定申告の季節がやってきます。これって一年に一度の憂鬱です。申告の準備、やり出すとそう大変ではないのですが、仕事を辞めてからこう言う事務みたいなことは一切やらない私、すごく億劫なのです。今日はお休みだったので、その憂鬱な作業をやっとさっき終えました。これで7割方は終わったも同然。あとは税務署に行って分からないところを聞きながら作成、提出して来ます。税務署の方はとっても親切に教えてくれます。しかし一年ぶりに、電卓とかを使ってみてその頭の退化してる様子に自分でも驚きました。老眼鏡もないので、字を間違えてばかり、電卓も間違えてばかり・・・この先どうなっちゃうの~?ちょっと不安になってしまいました。やはり人間、頭もちょっとは使わなくちゃならないのね。最近こう言うった机に向かった作業をやることもまったくなくなってる私ですが、何をして頭の退化を止めればいいんでしょうね?私と同年代の人たち、まだまだ働き盛りでバリバリと仕事をされてると思います。私にはもう出来そうにもありません。そう言う人たちってえらいなって思ってしまいました。
2005年02月11日
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今日もペトラの遺跡の続きです。石の建物の中に入れるところがあり、入ってみるとこんなきれいな色の壁のところがありました。私?・・・ちょっと邪魔してます(笑)。岩の色が層になってなんだかすごいですね。鍾乳洞じゃあないけど、なんだか不思議な色の石なんでしょうか?写真の色はなんだかちょっと色褪せてるみたいですが、実際にはもっと鮮やかな感じの色に見えました。
2005年02月10日
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今日もペトラの遺跡です。こう言った岩を掘って出来た穴、お家だったり遺跡だったり・・・。エル・カズネまでの道のりとは違い、そこは開けた山沿いの遺跡となります。ここはなにかの遺跡だったと思うんだけど、何だったっけ?(笑)かなり高い岩を掘り抜いて作っています。一緒に写ってる人の大きさを見ると分かるかな?昨年12月中旬から始めたアルバイト、洋菓子作りの工場。やっぱりこのバイトは太ってしまった(涙)。今現在、とうとうダイエット後のいちばん痩せていた頃からは既に6キロ太ってしまった。でもまだ、最近旅の写真の日記にアップしてる写真とは程遠いよ!(笑)アルバイトを始める前までに3キロのリバウンド、そして今はまたそれに+3キロ。とうとうジーンズのお尻の部分が上に上がり難くなってしまった。このまま行くと大変、何とかしなくては・・・またあの頃のようにおデブになるのはもう嫌だ。今の状況は以前太りだした頃の状況とすごく似ている。実にもうこのアルバイトを辞めてしまいたいところだが、一応3月20日までと言うことでお話してあるので、それまでは頑張るつもり・・・何を?アルバイトに行ってどんどん太るのはやはりお菓子を一日中見てるから、お菓子好きの私としては誘惑に勝てず食べてしまう。おまけに動くのは手だけ、全然歩かない仕事なので多分運動不足になってるんだろうなあ・・・。洋服がきついということは、それ以上にきついウエットスーツは着れるのだろうか?とりあえず春に向けてあと2ヶ月足らず、なんとか対策を考えなくてはならない。困ったもんである。
2005年02月09日
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いよいよやって来ました。これがエル・カズネ(宝物殿)です。シクを抜けるといきなり目の前にこ~んな大きな遺跡が姿を現すのです。ここがあの映画「インディージョーンズ最後の聖戦」の撮影地のメインになったところです。映画ではこのエル・カズネの中に聖杯があり、皆はそれを手に入れるために中に入っていろんな試練に立ち向かうのですね。でも実際にはここの中には何もありません。これは私も行ってみて初めて知った事実だったんですけどね。映画の中で出てくる遺跡の中は多分映画のセットで、本物は中は何にも無い巨大なただの四角い空間になってます。私はあの映画を見て、てっきり中はあんな風になっていると思ってました。さすがにあの映画の中で崖っぷちに立って下が回りの景色に同化して見えないシーン、あれは実際にはないかな?って思ってましたけど・・・。まあそんなことも知らず行ってみて、中が真っ暗な空間だったのはちょっと期待はずれだったのですが、それでも十分堪能しました。ペトラの遺跡はやはり素晴らしい。他では見たことのない様な、何遺跡かな?・・・すごくその雄大さを感じる遺跡と周りの風景。ペトラの遺跡はまだまだこの後も続きます。このエル・カズネを通り過ぎ、奥にもいろんな遺跡がたくさんあるのです。
2005年02月08日
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ペトラの遺跡はすごく広いんですよ。全部を歩いて見て回ると、奥の方の急な階段のある坂道を含めて往復約10キロぐらいはあるって聞いた覚えがあります。先ずは馬に乗って到着した遺跡の入口から。ここからはシクと呼ばれる巨大な切り立った大きな岩の間の道をひたすら歩きます。この道も確か2キロぐらい。ここが多分「インディージョーンズ3」の映画のラストで、馬が走り抜けて行くシーンの道ではないかと思いました。この写真はその入口です。大きな岩の間の、今まで見たことのない様な景色とこの先が見えない道にかなりワクワク。どんどん歩いて行くと、いよいよ見えて来ました。大きな岩の奥に見えるのがエル・カズネです。ここの写真、よく旅行のパンフとかにも使われてるんですが、ほんとはすごくいい感じなんです。素敵な写真に撮りたかったのにすごく難しい。大きな岩と岩の間は薄暗く、その奥に見える遺跡エル・カズネはすごく明るくて・・・こんな写真になってしまいました(涙)。
2005年02月07日
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さて今日からはヨルダンのメイン、ペトラの遺跡です。私はこの遺跡が見たくてヨルダンへ旅行しました。ペトラの遺跡はご存知の方も多いと思いますが、映画「インディー・ジョーンズ3」の撮影地になった遺跡。あの映画すごく面白かったですね~。私はこのシリーズの中でも3がいちばん面白かったです。あの映画の最後のシーン、ハリソンフォードやショーンコネリーが馬で走ってるシーンありますよね。その影響かどうかは分かりませんが、ペトラの遺跡では遺跡の入場門から遺跡入口までの約1キロぐらいを馬に乗ることが出来ます。その時の写真がこれ。私が大きいのか馬が小さいのか、お馬さんなんだか重そうですね~(笑)。タイトルにも書いた最近気になっていること、それは老眼。以前にも何回かこの話題を書いたけど、今までも老眼来てるなあ・・・って感じていたのがここ最近、急激にひどくなっている気がする。老眼とかってある一定の年齢を過ぎると、急激に悪くなるものなのかなあ?ちょっと前まではコンタクトレンズを入れたままでも、一応普通に本は読めていたのに、最近かなり辛い。よくご年配の方がやっているように、本を遠くに離さないと見えないのだ。メガネの方が近眼の度が低いのでまだ見やすい。こちらは普通の距離でも本を読める。もちろん裸眼の時はいちばん見やすい。私はまだ老眼鏡を使ってはいないけど、そろそろ必要なのかなあ?先日眼鏡屋で老眼鏡を試してみると、確かによく見える。私より一つ年上のバイト先の女性も老眼鏡をかけて仕事をしている。あ~あ、でも老眼鏡なんてカッコ悪い。でもいちばん心配してるのは、4月からのダイビングでデジカメの液晶でピントが合ってるかどうか見えるのか?昨年でもちょっと見難かったんだけど、今年はそれ以上に老眼の度は進んでいる。私はまだカメラ初めたばかりなのにもうこんな障害が?もうちょっと早くからやってれば良かったな。オリンパスには液晶の前に付ける虫眼鏡みたいなのがあるみたい。いよいよそれを購入するかなあ・・・。更にひどくなるとマスクに付ける老眼鏡もあるし・・・。あ~あ、嫌だ嫌だ、若く見えても?身体は確実に年相応の老化が進んでいる(涙)。
2005年02月06日
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そして本場死海で初体験。これが死海の泥パックで~す。すっごい笑える・・・チョーおデブでしょ!今の私を知る皆さん、これはやっぱり別人ですよね?本人絶対そうだと思ってる(笑)。でその泥パック、どうだったかと言うと実はあんまりお肌に良かったような気はしない。泥を身体に塗ってもらったり・・・これはくすぐったかったかな。そしてしばらくしてこの泥はシャワーで洗い流します。一時間ぐらい経った後、なんだか肌がカピカピになる。乾燥してまるで鮫肌の様?その上なんだか変な臭い。肌の臭いをかいでみると、なんかドブ臭い感じ。え~っ、死海の泥パックってきれいになるためにするもんじゃないの~?考えてみると泥パックをした後、石鹸で洗い流す訳じゃないし、水で洗った後はそのまま放置。やはりこれではお肌はきれいになるはずはないのだ。パックの後のお手入れも必要なんだろうなあ。それに死海の湖のほとりでやった泥パックは、まさにその湖の泥を取って来て身体に塗っている。それがドブ臭いのは当然なのかも知れない(笑)。まあでも死海の泥パック、楽しい体験になりました。
2005年02月05日
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ここが死海です。一見、何の変哲もありませんね。でもその中の様子は・・・死海と言えば浮遊体験、もちろん私もやりました。テレビとかで見たことはあったのですが、実際にも面白かったですよ。足の着かないところに行っても、もちろん沈みません。胸から上はプカーッって感じで浮いちゃいます。でもバランスをとって浮いてないと大変なことに・・・。顔が浸かると水が目にしみて、海どころじゃあありません。だから死海で泳ぐ時はちょっとでも怪我してると大変です。私もどこかにちょっとした傷があったのですが、すっごいしみる。そりゃそうですよね、死海の水はとんでもなくしょっぱい。この先死海で泳ごうと言う方は要注意です。ところでこの時、死海に行くことは予め分かっていましたから、私はやっぱりその湖の中が見てみたいと・・・。お魚は住めないって知ってはいたのですが、やっぱり自分の目で見てみたーい。そこで私は、ダイビング用のマスクは大きいのでちょっと荷物になるから、水泳用のゴーグルを持って行ってみました。でその死海の中は・・・何にもいませんでした。確か砂地に藻草みたいなのは生えていて、水の透明度はそんなによくはありません。どよよんとした、薄緑色みたいな感じ。そんなにきれいではありません。まあ当然ですね、死海は湖なんですから。
2005年02月04日
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これは死海近くにある海抜0メートルの標識。しかしなんておデブな写真。実はこれから更にそのおデブな姿がさらけ出される写真があるのだ(笑)。お楽しみに~!さて、次に向かうのは死海。死海とは海抜がマイナス400メートルにある湖で、だからこんな標識があるんだと思います。でなんでそんな死海と言われる湖が出来たかと言うと、湖の水がどんどん蒸発してその湖の塩分濃度が高くなって出来たらしい。塩分が強すぎてここでは生物がほとんど生息できないので死海と言われているのだそうだ。
2005年02月03日
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シリアに引き続き、訪れたのがヨルダンです。シリアとヨルダンは隣り合った国。このヨルダンこそは私がどうしても見たい遺跡のあった国、その遺跡については後ほど写真で詳しく紹介していきますね。先ず今日の写真はジュラシュの遺跡、入口だけで~す。何で入口だけかと言うと、私はこの頃すっかり胃腸の調子が悪く、食中りではなさそうだったけどなんだか吐き気が・・・。歩き回る元気もなく、みんながこの遺跡の見学に行ってる時、私は木陰で休憩していたのです(涙)。う~ん、残念!と言うことで、このジョラシュの遺跡の写真は一枚しかないのですが、ここの遺跡も列柱の立ち並ぶローマ遺跡です。
2005年02月02日
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シリアの写真は最後になってしまいました。これはボスラの遺跡、ローマ劇場です。ここは今でもいろんなコンサートとかイベントが催されてるそうです。こう言った円形劇場って天井が無いにもかかわらず、すごく音響がいいんですよ。ここではありませんが、トルコの遺跡の円形劇場で小学生が合唱をしていました。その時聞いた歌声、かなりきれいに響き渡っていました。きっと現在のコンサートホールとかの原型は、こう言う円形劇場にあるんでしょうね。毎年冬には必ずこの話題を一回は書いているような気がする・・・。今日バイトから帰ってみたら、私の寝る部屋の温度はなんと1度しかなかった。って言うか、石油温風ヒーターの温度計にマイナス表示はないので本当のところはもっと寒いのかも知れない。う~っ、寒すぎです!夏は涼しく?冬は寒過ぎる北東の角部屋の私のお部屋。今夜8時の段階で1度なのだから、これから朝方に向かって一番冷え込む頃にはいったい何度になるの~?そうなのです、私はチルド室の中にでも寝られるんですよ(涙)。ああっ、もうこんな寒い家、大っ嫌いだ~~~っ!!
2005年02月01日
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ハマにある巨大な水車、高さが20メートルぐらいあります。
2005年01月31日
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今日の写真はクラック・デ・シュバリエ。なんかこう雰囲気のあるお城でした。ここのお城は、あのアニメの「天空の城ラピュタ」のモデルになったらしいです。最近日記にあまり更新するような出来事もなく、単調な生活が続いている。平日はアルバイトに行って、週末は温泉に行って・・・これと言って変化もない。最後にダイビングに行ったのが11月の初め、そろそろ3ヶ月が経とうとしている。4月までは海に行けそうにないので5ヶ月間のブランクダイバーになってしまう。はあ~、長いなあ・・・最近の生活にちょっと飽きてしまった。なんか途中で旅行の計画の一つでも入れておけば良かった、とつくづく思う今日この頃である。4月からはいつもの様にパラオ、翌月はセブに行くつもり。あと二ヶ月、早く経たないかなあ・・・。短期バイトなので今更休ませてくれとも言い難く、アルバイトに通うだけの毎日なのである。そうそう、洋菓子作りのアルバイト。こちらは最近はバレンタインデイに備えて、チョコレート物が増えています。働きながらお腹を空かすことがない、と言う相変わらずの毎日で、なんだかかなり太ってきてるようだ。週の初めは今週こそは何も食べずにダイエット、って思ってバイトに行くのだが、目の前に積まれる大量のお菓子。意志の弱い私はその誘惑に負けてしまう。今年の冬はもうダイエットは諦めました。お菓子工場のアルバイトはなかなか楽しいけどやはり私には向かない、今年限りにしといた方がよさそうです。今日も夕方から温泉、サウナ、リフレッシュして来ま~す。
2005年01月30日
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バスで移動中の風景。シリアのイメージも大地って感じでした。のどかな景色に惹かれて・・・(笑)。この上の、写真で見るとかわいいサイロのある風景、ここを通った時なんとなく心惹かれて誰が言うともなくここで写真を撮りたいって・・・。そしてバスがメイン道路を離れてこのサイロのある場所を目指して道を入っていくと・・・とんでもない事態が待ち受けていた?なんとそこは虫だらけ。もうそれはそれはすごい虫の大群で、バスがこの道に入りしばらく入って行くと、そのフロントガラスに虫がバシバシ激突して来てぶつかって死んでいくのだ。車内から、なんか虫がすごそうって思いつつ、サイロに近づいて来てバスを降りる。そうすると、とんでもない大量の虫が顔と言い身体と言い無数にとまる。もうびっくりである。止まっているとなぜか大変なことになる。走っているとまだマシ?・・・みたいな気がした。やっとの思いでこの写真を撮り、またバスまで走り戻って来た。バスの中に避難しても、着ていた衣服にはまだ虫やその死骸が付いてたっけかなあ・・・。穀物庫だからだったのだろうか?なんとも過去見たことのない様な大量の虫にまみれる体験をした場所なのであった。今だに忘れられない場所となってしまった。
2005年01月29日
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パルミラの遺跡は大きいのです。まだかなりその姿をしっかり残している場所もあります。パルミラの遺跡の写真をもう少し・・・。
2005年01月28日
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これがパルミラの遺跡です。後ろに見えるが昨日アップしたアラブ城。この写真を見ていて気づいたんですが、遺跡の目の前の道路にはひび割れが・・・。たまにニュースで海外でのこう言う土地での地震の被害を目にすることがあると思いますが、その被害ってすごく大きいじゃないですか。やっぱりそれはこう言う、いつ壊れてもおかしくない様な建物だからなんでしょうね。まあここは遺跡だから近代建築じゃないししょうがないか・・・。この遺跡の列柱、いつ崩れ落ちてもおかしくなさそう・・・。これでもこの遺跡は世界遺産なんですよ~。いつまでこの姿を残していけるのでしょうか?
2005年01月27日
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シリアにも砂漠がある、シリア砂漠だそうです。その砂漠をバスで走っていると忽然と姿を現すのがパルミラの遺跡。山の上にあるのはアラブ城です。今日はシリアの食べ物について少しだけ・・・なぜ少しだけかって言うと、シリアの食べ物は不味かった。その印象しかないのであまり食べた物も覚えていないのだ。記憶にあるのはチャパティーって言うのかな?ナンを薄くペッタンコにしたようなパン。あの辺の主食はそれなんじゃないかな?薄くてあまり美味しくはなかった。それをカレーではなく、ヨーグルトとなんか混ぜた物だったり、野菜とかひき肉とか・・・そう言うのの和え物と一緒に食べたり、そんな記憶しかない。おまけにひどい食中りではないけど、やはりお腹の調子が悪くなった。旅の途中からなんか胃腸の調子が悪く、後半の観光は気持ち悪くてバスで寝込んでたような覚えもある。いずれにしても食べ物の印象は良くなかったのである。
2005年01月26日
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ウマイヤドモスク、ここは世界最古のモスクだそうです。とても重厚で、写真では分かり難いのですがモザイクも素晴らしいです。知っている方も多いと思いますが、イスラムのモスクに入る時は女性は観光客でも肌を見せてはいけないのです。その国や場所に寄ってその厳しさには差がありますが、ここのモスクは確か厳しかったような記憶があります。まあそもそもモスクに入ろうとするのに、そんな肌を見せるような服装で行く方が間違いなのでしょうが、暑い暑い国での観光、ついつい軽装のまま観光に出かけてしまいます。そんな人のために、モスクの入口ではちゃんと黒い大きなマントとか布とかを貸してくれます。もちろんそれを着て入るのですが、やはり暑い。ここではモスクの中だけでその服装からは解放されましたが、イスラム圏の国の女性は本当に大変だなって慣れない私達は思ってしまいます。でもこれはまだマシな方らしい。イランを旅行する場合は、女性はその国にいる限り普段でも黒い布をまとってなくてはいけないそうです。旅行でイランに行って、その国から出た時には、本当にホッとしたと言う女性の話を聞いたことがあります。
2005年01月25日
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国立博物館、建物の壁の柄と地面の柄が合っててオシャレです。なんか素敵な町並みでしょ!昨日も温泉に行って来た。この冬はもう毎週のように温泉通いが癖になっている。温泉と言うよりメインはサウナかな。最近行ってる温泉は実はあんまり湯質は良くないのだが、サウナがあって500円。この500円に惹かれ(昨年行ってたのは1000円だった)、毎週のように通うようになってしまった。この安さは魅力でしょ。あ~、気持ち良かった。ところでサウナに入りすぎると血が固まるってホントかなあ?最近サウナばかり行ってたら、人からそう言われた。私はそんなことは全然知らなくって初耳だったんだけど・・・誰か詳しく知ってる人いたら教えてね。よろしくお願いしまーす。
2005年01月24日
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イスラム圏への旅行も残り少なくなって来ました。今日からはシリアです。今回のシリアは、メインの目的はヨルダンのペトラの遺跡だったのですが、ツアーが「シリア・ヨルダンの旅」だったので、シリアはまあついでって感じでした。しかしシリアは遠かった。シリアの空港に降りたのかヨルダンの空港に降りたのかは覚えてませんが(この両国は隣り合ってる)、飛行機は成田からなんと34時間(36時間だったかも知れない)、とんでもない長い時間でした。乗ったのはパキスタン航空。確か成田→マニラ→バンコク→パキスタン→アラブ首長国連邦?→シリアかヨルダンへ到着。そんな感じに飛行機は止まったような記憶があります。いくらパキスタン航空が安いからと言って・・・今だったらもうあんな長い飛行機には乗れませんね。確か機内食とか5度ぐらい出て来たような気がします。ダマスカスの街の様子。ダマスカスのスークの入口ダマスカスは思っていたより都会って感じでした。まあ思っていたよりって言うか、ほとんど何の知識もないまま行ったんですけどね。街の様子も今まで行ったイスラム圏の国よりはいい感じ。観光客もそれほど多くないんでしょう。観光客を見てやって来る物売りみたいな人もほとんどいなかったし、どちらかと言うと珍しい日本人を見つめてるって感じ。イスラム圏の中では素朴で好印象を受けた記憶があります。
2005年01月23日
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インドの写真もいよいよ最後になってしまいました。この写真はアンベール城への最後の階段を上っています。長い間アップしたインド旅行記も今日で終わりです。インドはとても興味深い国。機会あればまた行ってみたい気もします。今度行くなら南側の方かなあ。エローラの遺跡とか・・・そう言うのもぜひ観てみたいですね。
2005年01月22日
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象に乗って・・・着いたところがこのアンベール城。インドの観光もここが最後となります。
2005年01月21日
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インドでは初めて象に乗りました。象の背はすごく高い、多分2メートルぐらいはあったんじゃないかな。乗る時も台を上って二階から乗るような感じ。象の背中にはこの写真の様な座る台が付けられていて、これに4人ずつ座りました。私は前側の象の顔に近い方に乗ったんだけど、ここはなかなか大変。なぜかって言うと、象が数分に一回鼻で水しぶきをかけるのです。象の鼻水?って訳ではないのでしょうが、なぜか象は鼻をシュッて言わせて上に向け、その度に水しぶきが頭から降って来ました。しょうがないので、その音がする度にバックを頭の上に・・・水しぶきを防いだ記憶があります。その鼻水がちょっと気持ち悪かった。
2005年01月20日
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同じくジャイプールのシティーパレスの入口。モザイクがきれいな門です。これはシティーパレスの中です。ジャイプールの街にはこういうピンクの建物がいっぱいあります。
2005年01月19日
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ジャイプール、風の宮殿。この建物は、この目の前に写るかなり交通量の多い道に面して建っている。だから写真撮影が上手く出来なくてこんな写真になっちゃったんですよね。確かこれでも危ない道の対面から、なんとかカメラに収まる距離で撮影した記憶があります。正面から見るより、側面は思った以上に薄っぺらな建物でした。
2005年01月18日
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ここはファテープル・シクリ。わずか14年間のみ使用された王宮跡、世界遺産だそうだ。
2005年01月17日
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アグラ城で見かけたインドのお金持ちのファミリー?私もこの頃太ってましたが(笑)、インドでも女性は太っている方がいいそうです。頭も足も隠しているのに、なぜかサリーの間からはみ出してるお腹。お腹の上にボヨッと贅肉、これは美人の条件だそうで・・・痩せてる女性はお金が無い、奥さまが丸々と太っているのは裕福なお家のしるしだそうです。
2005年01月16日
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これはタージマハルの近くにあるアグラ城。おおっ・・・私のだんだん太っていたピーク時に近づきつつある写真のアップ?(笑)
2005年01月15日
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これはタージマハルの正門。タージマハルとこの池のあるきれいな通路を挟んで向かい合っています。とてもきれいな建物で、これが門とは思えませんよね。前にも書いたけど、今年から洋菓子の工場でのバイトで今は包装の方で働いている。でその包装機で、お菓子の最後のチェックをしながら包装するのだが、ここで大量のお菓子のロスが出る。最近けっこう忙しいので、いろんな種類のお菓子がやって来るのだ。このお菓子はケーキとは違うので割って少しずつ食べれる。で今日は金曜日で明日明後日はお休みだから「まあ、いいか」って(何がいいんだろう?)たくさんのお菓子の試食。7~8種類ぐらいは食べたかなあ?う~ん、どれもとっても甘くって美味しく、終いには気持ち悪くなる・・・(笑)。あ~、でも久々に?(と言いつつ、しょっ中?)お菓子いっぱい食べてしまった、とっても幸せ!やっぱり洋菓子は美味しいのだ。なんかこう最近、このアルバイトを3月まで続けるのが怖い・・・。忍耐のなさを感じるものの、なかなか誘惑に勝てない。私としてはロスはすぐ様捨ててしまいたいのだが、他に食べたい人もいるので、仕事が終わるまで机の上に山積みしてあるんだよね。目に毒・・・(涙)。-------------------------------------------------------ところで、最近パソコンにたくさんの迷惑メールが送られて来て困っています。男性宛の勧誘メールとかそんなの。受け取り拒否したいんだけど、送り先に共通点が見当たらず、拒否するアドレスとして登録も出来ない。皆さんのところは、そんな迷惑メールは来ませんか~?ちなみに今日は午後から今まで4通も来ています。
2005年01月14日
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インドの建物ではいちばん有名でしょうか?タージマハルです。ちなみにタージマハルとはお墓なんですよ・・・私は知りませんでした。色い大理石で青空がとっても似合う建物ですね。でもガイドさんに言われて近づいてみると、その壁に装飾として飾られているルビーが、ほとんど盗まれた跡があります。このルビーが付いていた頃は、どんなに幻想的な建物だったのでしょうね。まあ今でも十分素晴らしいのですが・・・。
2005年01月13日
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ベナレスの街角。牛もいれば犬もいる、確か猿もいたっけなあ。道を歩く時は足下に注意してないといろんな糞を踏んづけちゃいます。特にインドには牛があちこちにいっぱいいます。働いてる元気な牛ももちろんいますが、街中にはあばら骨の見えたやせ細った牛も、しかも道の真ん中に・・・。インドでは牛はヒンズー教の教えで聖なる動物なのだそうです。だからインドには牛がいっぱい、牛は食べないし殺さないのです。
2005年01月12日
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これはベナレスの路地裏での写真。売ってるお花は供養のためのお花だったかなあ?もう思い出せません。
2005年01月11日
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ガンジス川ほとりの景色はいっぱい写真に撮ったけどこれが最後。ここはマニカルニカー・ガート、火葬場だ。真ん中辺の煙が出てるところで死体が焼かれている。観光客も見学したい人は見に行くことが出来る。ベナレスは聖なる地、ここベナレスを死に場所に選び、ここで火葬にしてもらうと解脱できると言われている。だからインド各地から死を待つ老人が、火葬してもらうお金だけを握りしめてこの地を訪れるらしい。いろんな本でその様子を読んだことはあるが、私には実際に見に行く勇気はない。読んだ本から察するにとても生々しい。死を見つめ、向かい合う・・・私にはとても出来ないが、インドとはそう言う国なのかも知れない。
2005年01月10日
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