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「キリストの受肉(3)その痛みについて」
甲斐慎一郎
ヘブル人への手紙、5章7節
「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救
うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと
願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました」(7
節)。
先回は、キリストの受肉の第二回目として「その疲れについて」
学びましたが、今回は第三回目として「その痛みについて」学んで
みましょう。
イザヤ書53章には「痛み(痛める)」という言葉が3回(4、
7、10節)記されています。その痛みは私たちのためですが、「罪
(咎)のために」という言葉も3回記され、それは痛みの内容を教
えています。
◆それは、刺し通される痛みです(5節)。
◆それは、砕かれる痛みです(5節)。
◆それは、打たれる痛みです(8節)。
一、痛みの種類
人間を構成している「霊」と「心」と「からだ」によって三種類
の痛みがあります。
1.肉体的な痛み
からだの苦痛のことで、これは医学的に病気や怪我がいやされな
ければ、取り去ることができないものです。
2.精神的な痛み
心痛のことで、これは心を突き刺されるようなむごいことを言わ
れたり、脳天を打ち砕かれるような衝撃を受けたり、打ちのめされ
るようなひどい目に会ったりして心が傷つくことです。これは気分
転換をしたり、ほかのことで気を紛らわせたりしても、容易にいや
されることができないものです。
3.霊的な痛み
自分は神のみこころを痛めたり、神を傷つけたりしているという
自覚のことです。これは、私たちが神の言葉によって刺し通され、
砕かれ、打たれる時に覚える痛みです(使徒2章37節、ヘブル4章
12節)。
二、キリストの痛み
キリストは、頭にいばらの冠をかぶらせられ(マタイ27章29節)、
手に釘を刺し通されました(ヨハネ20章25節)。また平手で打た
れただけでなく、むちでも打たれた(マルコ14章65節、15章15
節)のです(肉体的な痛み)。
またキリストは、イスカリオテ・ユダには口づけで裏切られ(ル
カ22章48節)、ペテロには三度も知らないと言われ(マタイ26
章70~74節)、偽善の律法学者、パリサイ人たちを厳しく叱責され
(同23章1~36節)、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り
果てて倒れている彼らをかわいそうに思われ」ました(同9章36節)。
キリストの心痛は、いかばかりであったことでしょうか(精神的な
痛み)。
そしてキリストは、十字架の上で、「わが神、わが神。どうして
わたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27章46節)と、人
類の罪を負って死ぬという言語に絶する苦しみを嘗められたのです
(霊的な痛み)。
キリストにとって肉体的な痛みや精神的な痛みは、この最も激し
い霊的な痛みに備えるものとなったのではないでしょうか。
三、私たちの痛み
「霊」と「心」と「からだ」は、切っても切れない関係にあるの
で、三種類の痛みは、それぞれ大きな影響を及ぼし合っています。
1.肉体的な痛みや精神的な痛みがないと、霊的な痛みもないか
のように錯覚してしまうのです。
私たちは、肉体的な痛みや精神的な痛みがなくても、御霊によっ
て生まれ、光の中を歩んでいなければ、神のみこころを痛めている
ということを決して忘れてはなりません。
2.肉体的な痛みや精神的な痛みは、私たちに霊的な痛みを覚え
させるのです。
人間にとって最も大切なことは、霊的な痛みを覚えるとともに、
それが取り去られることです。人間というものは、肉体的または精
神的に痛い目に会わないと、なかなか霊的な痛みに気がつかないも
のですが、私たちは、霊的な痛みに気づく時、神に近づくことがで
きるのです(詩篇119篇67、71節)。